第42話
文字数 2,949文字
その四十二
きょうの午後はピーチタルトのほうの住まいで范礼一さんとかなり詰めた協議をしていたのだが、
「奥さん、ごちそうさまでした」
とミニスターが六時過ぎに帰ると、山城さんから、
「川上さんに、こっちに助っ人に来るよう、いってくださいよぉ」
というメールがまたぞろ送られてきて、だからぼくは、
「わかりました」
とメールを返したのちに、とりあえず川上さんに電話してみることにした。
「あら、しばらくですね、船倉さん」
「ごぶさたしてまして――」
川上さんはぼくに、
「もう晩酌はじめてるんでしょ」
といってきたので、
「きょうはマフィンをたくさん食べちゃったんで、まだお腹すいてないんですよ」
と伝えたのだけれど、菊池さんが大量に焼いてくれたマフィンをぼくはじっさいに范礼一さんと詰めた作戦会議をしながら七個か八個くらい食べていて、もちろんこれは菊池さんがひとつ食べるたびにかわいいしぐさで喜んでくれるので、ついつい食べすぎてしまったということもできるのである。
川上さんには菊池さんのことやピーチタルト帝国のことをおしえていないので、マフィンの説明はちょっとわかりづらかったかもしれないが、
「そんなにわたしのマフィンが食べたいんだぁ……」
と感慨にふけていた川上さんは、
「船倉さんて、いつもいやらしいこと想像してるんですね」
とこのたびもまたぞろ勘違いしていて、しかし胸に手を合わせ小首をかわいくかしげながらしばしかんがえてみると、菊池さんが焼いてくれたマフィンを食べたり菊池さんが淹れてくれた紅茶を飲んだりしながらも何度か川上さんのいわゆるマフィンを想像したりあるいは具体的に食べたいと思ったりしていた可能性も否定できないという気もしてきたので、ぼくはつねに想像していることを大筋で認め、そして今後もその作業に打ち込んでいくことをその場で誓ったのである。
川上さんは消極的奉仕に明日は加わることを快諾してくれて、そのあと先日〈たうえ温泉旅館〉に運転手という名目で同行させてくれたお礼にまたなにか手料理をつくってあげるともいってくれたのだが、昨年の夏に堪能させてもらったハマグリご飯やハマグリのお吸い物を安易にリクエストすると、
「そんなにわたしのハマグリが食べたいんですか」
ときっと話はすすんで、いよいよぼくも「スゲー食べたいです」とか「どうかおもいっきり味わいさせてください」などと頼んでしまいそうだったし、
「残りのマフィン全部食べないと、夜食のとっておきのマフィンはおあずけだからね」
というチラシの裏に書かれたメモを菊池さんから手渡されていた関係でわたくしピーチパイドンは爆発しそうなほどの興奮をおぼえていたので、
「ありがとう」
とだけぼくは川上さんにいって、電話を終えたのであった。
三つほど残っていたマフィンを「育ちざかりに栄養ごくごく」のいちご味でどうにか胃袋に流し込んだぼくは、いよいよ〝夜食のとっておきのマフィン〟を頂戴する準備に取り掛かったのだが、菊池さんは、
「ホントに船倉さんはマフィンが好きだなー」
などと微笑みながらキッチンでまたぞろ今度はブルーベリーのマフィンをつくりだしていて、どうやら菊池さんのいう〝夜食のとっておきのマフィン〟というのは、このブルーベリーマフィンのことらしかった。
しかしぼくたちはそもそも夫婦なので、このあとはパジャマを着せたり何なりしてけっきょくいろいろあれしたわけだがまあそれはともかくとして、菊池さんが交流している范礼一さんの恋人の西施子 さんは「クレヨンしんちゃん」のぬいぐるみを集めすぎてしまってどうも処分に困っているようで、菊池さんが、
「わたしも『ヒポクラテス人形』処分したいから、いっしょに参加しようよ」
とKの森総合公園で定期的に開催されている「Kの森青空市」というバザーみたいなイベントに誘ってみると、西施子さんも、
「いいわね」
とけっこう乗り気になってくれたらしい。
「どれくらいぬいぐるみあるんだろうね」
「わかんないけど相当あるみたいよ」
「ぬいぐるみはしんちゃん系ばかりなのかな?」
「ドラえもんとかポケモンのぬいぐるみもあつめてるみたい」
「大事にしてるのかな」
「けっこう大事にはしてると思うよ。知らない人に売るのはなんとなく淋しいなぁとか、ちょっといってたもん」
「ふむふむ――おれも昔使ってたワープロ専用機だけは処分できなかったもんなぁ……」
三原監督は現在試食おじさんに密着したドキュメンタリー映画の続編を撮っていて、今回の青空市でも試食おじさんはこぞって出店されるだろう各食べ物屋で試食をしまくる予定なので三原さんも、
「最近界隈で〝偽試食おじさん〟が出没してるみたいなんですよ」
「そうなんですか」
「だから、たこ焼きの店あたりで本家試食おじさんと偽試食おじさんが遭遇すれば、映画的にはおもしろい映像が撮れるんですけどね」
「山城さんに偽試食おじさんをやってもらうっていうんじゃ、やっぱりだめなんでしょうね」
「ええ。いちおうドキュメンタリーですから。市 を作品のメインにする予定なんで、そういう仕込みを入れたい気持ちもないわけじゃないんですけどね」
とまずまちがいなく参戦してくるだろうが、ぼくのほうは地元で開催されるこの青空市で、菊池さんと和貴子さんが遭遇したり菊池さんとすみれクンのお母さまが鉢合わせしたりするといろいろボロが出るかもしれないので早々に不参加を表明していて、ちなみにその日のぼくは他の用事をすでに入れていて、それは旧メロコトン屋敷のあたらしい〝あるじ〟になっているすみれクンと二度目の会合というか研究会をおこなう、というものなのである。
メロコトン博士の後継者に任命されたすみれクンは博士が他界されたあとはそれまで以上に研究に没頭しているようだが、前回の会合のさい、すみれクンは例の「気分はピンク・シャワー」のところを、
「もしかしたら越美晴の『五月の風』を四回うたえば、いいのかもしれない」
とちょっとだけ近いことを資料からあぶり出してきたり、
「それじゃなかったら『気分はピンク・シャワー』二回、ビートルズの『シーズ・ア・ウーマン』二回なのかもしれない」
ともっと遠ざかってしまったような研究結果を出してきたりしていて、しかしすみれクンはメロコトン博士と昔の恋人の大野モモさんとの書簡を吟味した結果、
「この大野モモさんが、だいたい『黄泉の国みたいなところに行く方法』のヒントを与えてるんです。ほとんど博士自身は新規の方法をみつけてないんじゃないかなぁ」
とこれまで盲信していたメロコトン博士にたいする評価をたしょう改めていて、それでもぼくが、
「そんなもんだよ、あの爺様は。松坂慶子のバニーガールのブロマイドだって二万くらいにしかならなかったもん。城なんか、とてもじゃないけど買えないよ」
とメロコトン博士にたいしていつものように辛辣になっていると、
「でも最後までコーチのことは頼りにしてましたよ」
とすみれクンはまだ博士をなんとなく擁護してはいるのだった。
「でも、ブロマイド、どこで売ったんですか?」
「ん? ああ、それはねぇ、あそあそあそこだよ、あそこのほら、むかしエロビ、じゃなくてCD屋だったところの……」
きょうの午後はピーチタルトのほうの住まいで范礼一さんとかなり詰めた協議をしていたのだが、
「奥さん、ごちそうさまでした」
とミニスターが六時過ぎに帰ると、山城さんから、
「川上さんに、こっちに助っ人に来るよう、いってくださいよぉ」
というメールがまたぞろ送られてきて、だからぼくは、
「わかりました」
とメールを返したのちに、とりあえず川上さんに電話してみることにした。
「あら、しばらくですね、船倉さん」
「ごぶさたしてまして――」
川上さんはぼくに、
「もう晩酌はじめてるんでしょ」
といってきたので、
「きょうはマフィンをたくさん食べちゃったんで、まだお腹すいてないんですよ」
と伝えたのだけれど、菊池さんが大量に焼いてくれたマフィンをぼくはじっさいに范礼一さんと詰めた作戦会議をしながら七個か八個くらい食べていて、もちろんこれは菊池さんがひとつ食べるたびにかわいいしぐさで喜んでくれるので、ついつい食べすぎてしまったということもできるのである。
川上さんには菊池さんのことやピーチタルト帝国のことをおしえていないので、マフィンの説明はちょっとわかりづらかったかもしれないが、
「そんなにわたしのマフィンが食べたいんだぁ……」
と感慨にふけていた川上さんは、
「船倉さんて、いつもいやらしいこと想像してるんですね」
とこのたびもまたぞろ勘違いしていて、しかし胸に手を合わせ小首をかわいくかしげながらしばしかんがえてみると、菊池さんが焼いてくれたマフィンを食べたり菊池さんが淹れてくれた紅茶を飲んだりしながらも何度か川上さんのいわゆるマフィンを想像したりあるいは具体的に食べたいと思ったりしていた可能性も否定できないという気もしてきたので、ぼくはつねに想像していることを大筋で認め、そして今後もその作業に打ち込んでいくことをその場で誓ったのである。
川上さんは消極的奉仕に明日は加わることを快諾してくれて、そのあと先日〈たうえ温泉旅館〉に運転手という名目で同行させてくれたお礼にまたなにか手料理をつくってあげるともいってくれたのだが、昨年の夏に堪能させてもらったハマグリご飯やハマグリのお吸い物を安易にリクエストすると、
「そんなにわたしのハマグリが食べたいんですか」
ときっと話はすすんで、いよいよぼくも「スゲー食べたいです」とか「どうかおもいっきり味わいさせてください」などと頼んでしまいそうだったし、
「残りのマフィン全部食べないと、夜食のとっておきのマフィンはおあずけだからね」
というチラシの裏に書かれたメモを菊池さんから手渡されていた関係でわたくしピーチパイドンは爆発しそうなほどの興奮をおぼえていたので、
「ありがとう」
とだけぼくは川上さんにいって、電話を終えたのであった。
三つほど残っていたマフィンを「育ちざかりに栄養ごくごく」のいちご味でどうにか胃袋に流し込んだぼくは、いよいよ〝夜食のとっておきのマフィン〟を頂戴する準備に取り掛かったのだが、菊池さんは、
「ホントに船倉さんはマフィンが好きだなー」
などと微笑みながらキッチンでまたぞろ今度はブルーベリーのマフィンをつくりだしていて、どうやら菊池さんのいう〝夜食のとっておきのマフィン〟というのは、このブルーベリーマフィンのことらしかった。
しかしぼくたちはそもそも夫婦なので、このあとはパジャマを着せたり何なりしてけっきょくいろいろあれしたわけだがまあそれはともかくとして、菊池さんが交流している范礼一さんの恋人の
「わたしも『ヒポクラテス人形』処分したいから、いっしょに参加しようよ」
とKの森総合公園で定期的に開催されている「Kの森青空市」というバザーみたいなイベントに誘ってみると、西施子さんも、
「いいわね」
とけっこう乗り気になってくれたらしい。
「どれくらいぬいぐるみあるんだろうね」
「わかんないけど相当あるみたいよ」
「ぬいぐるみはしんちゃん系ばかりなのかな?」
「ドラえもんとかポケモンのぬいぐるみもあつめてるみたい」
「大事にしてるのかな」
「けっこう大事にはしてると思うよ。知らない人に売るのはなんとなく淋しいなぁとか、ちょっといってたもん」
「ふむふむ――おれも昔使ってたワープロ専用機だけは処分できなかったもんなぁ……」
三原監督は現在試食おじさんに密着したドキュメンタリー映画の続編を撮っていて、今回の青空市でも試食おじさんはこぞって出店されるだろう各食べ物屋で試食をしまくる予定なので三原さんも、
「最近界隈で〝偽試食おじさん〟が出没してるみたいなんですよ」
「そうなんですか」
「だから、たこ焼きの店あたりで本家試食おじさんと偽試食おじさんが遭遇すれば、映画的にはおもしろい映像が撮れるんですけどね」
「山城さんに偽試食おじさんをやってもらうっていうんじゃ、やっぱりだめなんでしょうね」
「ええ。いちおうドキュメンタリーですから。
とまずまちがいなく参戦してくるだろうが、ぼくのほうは地元で開催されるこの青空市で、菊池さんと和貴子さんが遭遇したり菊池さんとすみれクンのお母さまが鉢合わせしたりするといろいろボロが出るかもしれないので早々に不参加を表明していて、ちなみにその日のぼくは他の用事をすでに入れていて、それは旧メロコトン屋敷のあたらしい〝あるじ〟になっているすみれクンと二度目の会合というか研究会をおこなう、というものなのである。
メロコトン博士の後継者に任命されたすみれクンは博士が他界されたあとはそれまで以上に研究に没頭しているようだが、前回の会合のさい、すみれクンは例の「気分はピンク・シャワー」のところを、
「もしかしたら越美晴の『五月の風』を四回うたえば、いいのかもしれない」
とちょっとだけ近いことを資料からあぶり出してきたり、
「それじゃなかったら『気分はピンク・シャワー』二回、ビートルズの『シーズ・ア・ウーマン』二回なのかもしれない」
ともっと遠ざかってしまったような研究結果を出してきたりしていて、しかしすみれクンはメロコトン博士と昔の恋人の大野モモさんとの書簡を吟味した結果、
「この大野モモさんが、だいたい『黄泉の国みたいなところに行く方法』のヒントを与えてるんです。ほとんど博士自身は新規の方法をみつけてないんじゃないかなぁ」
とこれまで盲信していたメロコトン博士にたいする評価をたしょう改めていて、それでもぼくが、
「そんなもんだよ、あの爺様は。松坂慶子のバニーガールのブロマイドだって二万くらいにしかならなかったもん。城なんか、とてもじゃないけど買えないよ」
とメロコトン博士にたいしていつものように辛辣になっていると、
「でも最後までコーチのことは頼りにしてましたよ」
とすみれクンはまだ博士をなんとなく擁護してはいるのだった。
「でも、ブロマイド、どこで売ったんですか?」
「ん? ああ、それはねぇ、あそあそあそこだよ、あそこのほら、むかしエロビ、じゃなくてCD屋だったところの……」