第11話

文字数 3,230文字

  第二部 愛しのピーチオーレ

      その十一

 すみれクンへの恥ずかしがりやさん改善の指導がいちおう一段落し、
「コーチ、もうわたし、恥ずかしがりやの女の子じゃないですよね」
「ベビードールをおでかけ着にしているのだから、もちろんだとも」
 とすみれクンに認定書を手渡したのちのぼくは、バニラシェイクをチューチューやりつつ、しばらくはチュツオーラを読んだりゴッドファーザーパート2を観たりしていたのだけれど、川上さん経由で手に取ることになったある本に感銘を受けたすみれクンのお母さまが、
「先生、どうか指導してください」
 と秋の初めに志願してきたことから、またぞろ例のスパルタ船倉塾を開くことになっていて、お昼すぎにその指導を受けにきたお母さまは、ぼくが淹れた紅茶をひと口飲むと、
「センセ、わたしが先生の助手になりました」
 と今日はいきなりいってきた。
「ん? 助手って?」
「田上雪子さん捜索の助手です。お一人じゃ、何かと不自由でしょ」
 ドンの遠縁にあたるすみれクンのお母さまは内府を通してこの話を知ったらしく、だからお母さまは八十路のドンに直談判して先の任務のいわゆる助手に納まったようなのだが、当初この任務のアシスタントになる予定だった川上さんは内府サイドから要請を受けてあの美の伝道師さんの引っ越し等のサポートをすることになっていて――まあ川上さんはもともと美の伝道師さんの仕事仲間だったわけだから、この配置換えは仕方ないといえば仕方ないことではある。
「でも、ぜんぜんはかどらないみたいですね。部屋のお片付け」
「美の伝道師さんは物を捨てられないタイプみたいですよ。なんかプッチンしちゃってるプリンの容器も取ってあって、処分するかどうか、ひと月以上迷ってるっていってたな、川上さん」
 内府はトビッキリファミリーの広告塔だったこの美の伝道師さんをわれわれのグループに引き込もうとしているらしく、先日のカツカレー会議のときもぼくに、
「G=Mがかんがえてくれたやつに決めましたよ。彼女の名前」
 とひそひそいってきたりしていたが、この調子だと断捨離の専門家「断捨りん子」として復権するまでにはそれこそ何年もかかりそうで、しかし内府にいわせると、片付けられないがさつな女が整理整頓のプロになるからこそ意味もインパクトもあるのだという。
「わたしも一度だけお手伝いに行ったことありますけど、足の踏み場もないくらい、まだ物があふれかえっていました」
「ぼくはもう二度とあの部屋には行きたくないな……」
 川上さん推薦図書(?)のなかでいちばんおすすめされているのは「ノーパン健康法」で、川上さんはこの本を数冊もっているので法事に行くのに二時間ちかく電車に乗らなくてはならないとこのお手伝いのさいにこぼしていたすみれクンのお母さまに、
「電車での暇つぶしに、どうぞ」
 と先の本を一冊贈与したみたいなのだけれど、翌日、他界された旦那さんのたしか十九回忌におもむくために電車に乗ってたぶん義理で川上さんにもらった本をパラパラめくってみると、お母さまは天啓というのだろうか開眼というのだろうか、とにかく、
「わたし、主人ももうずいぶん昔に亡くしていますし、子どもも娘一人でしょ。ですからこれからの人生、健康がいちばん大事なんだって、はっと気がついたんです」
 という感じで衝撃を受けて以後この本をいわばバイブル的に盲信するようになったみたいなのだ。
 ところがすみれクンのお母さまは、ノーパン時のあのスースーしている感じがどうも苦手というか落ち着かないらしく、なるほどそういえば、娘のノーパン認定書をもらうために自らもノーパンになったあの晩も、こちらが寿司を食べにいこうと火の玉になって誘ったにもかかわらず、そそくさとおウチに帰ってしまわれていたが、しかしそのさいに、わたくし船倉たまきに、いま現在のノーパン状況の公開をもとめられ、それに戸惑いながらも応えたお母さまは、
「あれは民をノーパンに導くための奇跡的なメソッドだったんだわ」
 と読了後お気づきになられたらしくて、それでつまりお母さまはノーパン指導を受けるために、娘につづいて船倉塾(スパルタ気味)に入る決意を固めたのだ。
 スースーしている感じが苦手なお母さまにたいしてぼくは、
「ジーンズとかだったら、ぴっちりしてて、スースーしないんじゃないかな」
 と最初は課題を初心者用(?)にしてあげていたのだけれど、ジーンズであってもスラックスであってもその都度その都度ノーパンであることの証を先生の眼前に提示しなくてはならなかったお母さまはそれによってレベルが上がっていたのだろうか、そのうち自分から、
「でもわたし、普段スカート系ばかりだから、そういう服のさいのノーパンにも慣れていかないと……」
 と課題の難易度を上げることを希望してきて、だから最近はほとんどワンピースとかそういうスカート系でのノーパン指導ということになっているのである。
「ねえ先生、キャミワンピって、わたし、こういうのしか持ってないんですけど、いいですか?」
「いいい、いいですいいです。ももももものすごくいいです」
「その、アイマスクつけながら、きょうはノーパンになるんですか?」
「いやっ、これはね、ちょっと最近目を酷使する仕事をやってるもんだから、冷やすためにぼくがつけてるんです――そういう方法もあったか……」
 すみれクンのお母さまが指摘したこの「超ひんやりアイマスク」は先日山城さんに、
「これで冷やすと、かなり楽になりますよ」
 といただいたもので、なんでも山城さんはアイマスクだけでなく、後頭部あたりを冷やすちびっちゃい枕みたいなものも併用しているとのことだったが、ぼくと山城さんがこのように激しい目の疲労に悩まされているのは、ドンの一人娘の美智枝さんからまたぞろ実質無報酬の仕事をおっつけられたためで、ちなみにわれわれはこれらの活動を「消極的奉仕」と呼んでいるのである。
「やっぱり、メロコトン博士のお仕事で、目がしょぼしょぼしちゃうんですか?」
「ああ、知ってるんですね」
「はい。すみれにききました」
 現在われわれはいますみれクンのお母さまがいった〝メロコトン博士〟の屋敷に代わり番こになかば住み込みながら博士が残した論文や草稿や日記などを丹念にチェックしているのだが、週に一度か二度、地元テレビ局の番組で「ゼツリンフィーバーマン」として動き回っている山城さんがそのテレビ関連の用事で屋敷に来れない場合は、すみれクンだとか、あとたまに断捨りん子さんのサポートを担当している川上さんもこちらに助っ人に来てくれることがあって、それから不定期だけれどもメロコトン屋敷の元家政婦さんもこの奉仕活動に参加してくれることになっている。
 メロコトン博士こと田中桃次郎さんは百歳を過ぎているという説もあるご老人で、現在はどこかのサナトリウムみたいなところで静養されているのだが、長年「黄泉の国みたいなところを行き来する方法」を研究されている博士は最近静養先で、
「しまった。私は子どものころからずっと『葡萄』の漢字を間違えて書いていた。横っちょの軒みたいなちっちゃいあれに〝はね〟を入れて書いてしまっていた! しかもおもいっきりクルンッて、はねて書いてしまっていたぁぁぁぁぁ」
 となにかの拍子に気がついたらしく、それでいまは証明できていないが、将来は先の研究が認められてアインシュタインやホーキングを凌ぐほどの科学者になると信じて疑わない博士は葡萄の漢字の書き間違いがいずれ大天才メロコトン(本名は田中桃次郎)のつまらない汚点になるのではと懸念して懇意にしていた美智枝さんに相談したみたいなのだけれど、しかしいまのところ論文にも日記にも「葡萄」という漢字はひとつも発見できていなくて、たいてい博士は葡萄の表記をカタカナで、しかも日記のほうにはひんぱんに音符マーク付きで「ブドウ♪」と記している。
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