第28話

文字数 3,568文字

      その二十八

 ピーチタルト帝国はいわゆるスマホはほとんど普及されておらず、たいていの人はフィーチャーフォンかポケベルフォン(?)をつかっているのだが、ケータイをもっていなかった菊池さんになにかてきとうなものをもたせようと思ってミニスターに相談してみると、范礼一さんは藤吉郎さん経由でスマホタイプのキッズケータイを用意してくれて、ただしこちらではネットはつかえないし機種もそんな仕様なので通話とメールのみの使用となっているのである。
 それでも菊池さんは、
「スマホタイプのほうが入力しやすいからうれしい」
 と喜んでくれて、スナックで調査(?)をしていた一時間ちょっとのあいだにも二三通ほど妻は、
「いつ帰ってくるの?」
 うんぬんというようなメールを送ってきていたのだが、
「いま帰ります」
 とメールを返信し、いよいよ愛しの菊池さんの元へ帰ろうとすると、今度は范礼一さんから、
「至急会って、お話したいことがあります」
 と連絡を受けてしまって、
「いま藤吉郎さんと一緒なんですよ」
「では、かれと二人で〈我々の隠れ家〉まで来てくれませんか。藤吉郎殿はこの店知ってますから」
 とけっきょく帰るのがさらに遅くなってしまった。
「ミニスターから呼ばれたんだ。なにか急を要することかもしれないからさ。ご飯は先食べちゃってぜんぜんいいからね。ぼくの分は今晩か明日の朝、かならず食べるよ」
「わかった。気をつけて帰ってきてね」
 范礼一さんが指定した〈我々の隠れ家〉は料亭だとか居酒屋などではなく、どうも個室のビデオ屋さんみたいで、だから藤吉郎さんは、
「まえはその店、牛丼食べ放題だったんですけどね」
 といいながらスーパーで割引になっていた菓子パンとスナック菓子と缶ビールの六缶パックとチーズ系のおつまみと一口サラミを買い込んでいたが、
「情報漏洩をふせぐという意味では、ここがいちばんなんですよ」
 と范礼一さんに手招きされて三人で個室に入ると、なるほどたしかにこの洋室タイプの部屋は三人で利用するにはあきらかに狭すぎるけれども防音という点でいえば壁などはかなりしっかりしていて、藤吉郎さんも、
「ここはヘッドホン使わなくてもいいんですよ」
 とビデオのおしながき(?)をチェックしながらぼくにおしえてくれていた。
 藤吉郎さんはひそひそと話しはじめたぼくたちを気づかってか、
「ミニスターの好みはだいたいわかるけど、パイドンさんは、どういうのが好きなのかなぁ……」
 などとぶつぶついいながらいくつかビデオを選んで内線電話で視聴するVHSを頼んでいたが、藤吉郎さんが選んだ作品は藤吉郎さんなりに考えてくれたのだろうけれどもちょっと洋物に偏っていて、だからぼくは、
「藤吉郎さん、ぼくはたしかにさっきアグネッタにこころがグラつきましたけど、洋ピンは好きじゃないんですよ」
 といって日本で鑑賞してきたもののなかでいまも心に残っている作品の順位を自発的に付け出した。
 そんなわけで藤吉郎さんとも、
「日本はストリーミングだから、いいですなぁ」
「まあ、かつてのリスクはほぼなくなりましたよね」
「わたしなんか、このあいだもややちゃんに隠しておいたやつを一個めっけられちゃって、最悪でしたよ」
「さすがにそれは、消火さんでも収拾できないでしょうからね」
 などとVHSについてなにげに熱く討論していたのだが、そうしながらもぼくは范礼一さんからの新しい情報をビデオも鑑賞しつつしっかりおききしていて、ミニスターはぼくが以前より頼んでいたある問題の裏付けをほうぼうにはたらきかけてしっかり取ってきてくれたのだ。
 そのある問題とはつぎのようなことなのである。
 こちらはひと月ほどまえの話になるのだけれど、ぼくは川上さんから連絡を受けて半日だけK市にもどったことがあった。
 K市にもどるにはやはり〈うなぎ食堂〉を経由するしかないらしく、といってももどる場合はただうな重をたのんで、
「すいません。ウチ、うな重はやってないんですよ」
 と店のだれかにいわれたら、
「じゃあたぬきそば、お願いします」
 と注文するだけでよかったので、ピーチタルトに入国する場合にくらべればぜんぜん楽ではあったのだが、大型ショッピングモール〈がぶりえる、がぶりえる!〉のA館のマクドナルドで待ち合わせて例によってバニラシェイクなんかをチューチューやりながら川上さんとまずは世間話をしていると、やがて川上さんは、
「宇野くんとはトビッキリの面接のときにちょっとしゃべっただけで、男女のあれとかはぜんぜんないんですけど」
 と前置きしたすえにその宇野くんが体験したちょっと妙なことを説明しだした。
 宇野くんという男性は某アクターズスクール出身の俳優の卵的な方らしく、それでも俳優業だけではなかなか厳しいみたいで、免停中の期間だけでもという軽い気持ちでトビッキリグループの門衛の深夜バイトに応募したようなのだが、宇野くんの事情はともかく川上さんがおっしゃるにはエウロパの天然水の工場の門のちかくには二階建てのプレハブ小屋が建てられてあって門衛というのは工場に入ってくる業者のチェック以外はそのプレハブの二階で夜の七時から朝の七時までただ駐留していればよいとのことで、
「病院の守衛よりめっけもんかもしれないな」
「宇野くんも〝神バイト〟っていってたわ」
 つまり宇野くんは数年前のわたくしヤングたまき君のようにいわゆる〝大当たり〟を引いたのである。
 業者のチェックも業者は各々IDカードをもっていたので実質放っておけばよくて、だから宇野くんはこんな楽な仕事はないと思ってスマホの充電器を持参してベッドに横になりながら動画なんかを毎晩見ていたのだけれど、プレハブの二階にはベッド、ワイファイ、冷蔵庫、電子レンジ、エアコンなど必要なものはほぼそろっていたが、テレビだけは古いブラウン管のやつが一台あるだけで、そしてそのテレビももちろん地デジ非対応で横っちょには小銭を入れる装置みたいなものも取り付けられてあったので宇野くんはこれはゲーム専用なのだろうと思って触ることもなかったらしい。
「ファミコンが下のテレビラックにあったんだって」
「宇野くんはファミコンやらないのかな」
「いまの若い子はやらないんじゃない。わたしもやらないもん」
 ある晩、宇野くんがスマホで音楽をかけながらベッドで寝ていると、とつぜんガチャガチャッとドアの鍵を開けて本社の人が入ってきて、電気を点けて時間をみると、もうすぐ午前二時になるくらいだったので、宇野くんはわけがわからず、
「どうしたんですか?」
 とかすれ声で本社の人にきいたようなのだけれど、本社の人は、
「うん、ちょっと忘れ物してしまってね」
 と目も合わせずこたえると、古いブラウン管テレビの横っちょに付いている小銭を入れるトレイを鍵で開けて小銭を回収したのちにファミコンのカセットを一つラックから取り出してそそくさと帰ってしまったらしくて、宇野くんは小銭の回収なんて鍵がかかっているのだから、こんな真夜中にあせってやる必要もないし、ファミコンのカセットは、急にそのゲームがやりたくなってしまったのかもしれないけれど、だからといってこんな夜中にファミコンなんかやっていたらお母さんかお父さんか生活指導の先生かあるいは姉さん女房に百パーセント怒られるし、そもそも本社の人はそんな悪習をもっているようにもみえなかったので、まったく釈然としないまま再度眠りについたのだが、それから一週間ほどして翌月のシフトが渡されるころになると、唐突に宇野くんはトビッキリ本社からエウロパ工場の門衛業務の契約満了と再契約は結ばない旨を書面で報告されてしまったのだ。
 当初の契約にはなかった退職金もけっこうもらえることになっていたし、免停もおわっていたので、宇野くんはもともとやっていたリハビリ施設の送迎のアルバイトにまたもどることにしたらしいが、
「ホームセンターでばったり会ってその話きいたんだけど、わたしあたまが混乱しちゃって、お布団の圧縮袋、買うの忘れちゃったの。そのためにホームセンターへ行ったのに」
 と川上さんがなぜそれほど混乱したかというと、それはすみれクンのお母さまがあれから単独で〈たうえ温泉旅館〉に再調査に行って小春おばちゃんよりとくべつに田上雪子ちゃんの部屋を見させてもらったさい、テレビの周辺を調べてみると小銭を受けるトレイにおもちゃの硬貨ばかりが入っていたからで、宇野くんは気にも留めずにぼそりといったらしいが、夜中にいきなり小銭の回収に来た本社の人はきっとお母さんかお父さんか生活指導の先生かあるいは姉さん女房を意識しすぎていたのだろう、トレイからおもちゃの硬貨を一枚床に落としたまま、そそくさとお帰りになったようなのだ。
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