第1話

文字数 3,514文字

  第一部 わけありピーチパイ

      その一

 Kの森総合公園の芝生広場にレジャーシートを敷いてお昼寝する、という課題を克服したすみれクンは、
「コーチ! もうわたし、恥ずかしがりやさんの女の子じゃないですよね!」
 ときのうまでは晴れやかな表情でバニラシェイクなんかをチューチューやっていたのだけれど、専属コーチのぼくがつぎにあたえた「しゃぶしゃぶをひとりで食べる」という難題のほうは、予想通り成就させることはまだできなかったみたいで、
「ねえ、そろそろ迎えにきてくださる」
 とけっきょく料亭の女将から電話がかかってきた。
「やっぱり無理だったかぁ……」
「あの子、お目目をうるうるさせててよ。かわいそうよ」
 どちらにしても今夜は山城さんとこの〈高まつ〉で落ち合うことになっていたので、ぼくは女将の和貴子さんにその旨を伝えたのちに健康センターの受付の子に電話の子機を返したのだけれど、山城さんとの約束はけっこう遅めの時間だったので、まだジムやサウナをたのしむ時間はたっぷりあって、ちなみにトレッドミルとサウナとキャプチャ作業にかんしては、マコンドーレファミリーにあっても一二を争うほどのスタミナをわたくし船倉(ふなくら)たまきはもっているのである。
 われわれが属しているマコンドーレグループは表向きは健康食品などをあつかっている健全な企業で、毎年のようにK市の市長やよくわからない外国の方から感謝状や記念品のようなものを授与されているのだが、現在では看板商品のひとつになっているゼツリン青汁からしてそもそもは非公式(?)で売っていただけに裏ではいろいろなビジネスをつねに模索していて、だからあしたの秘密会議でも、そのようなことにからんだ話が出るだろうとぼくはびくびくしている。
 これからそのへんにからんだことにかんして打ち合わせをすることになっている山城さんもマコンドーレファミリーの主要メンバーの一人で、といってもかれはK市の市長を何期も務めている森中潤一郎氏の甥っ子でもあるので、きのう電話ですこししゃべったときも、
「ええっ! スーツじゃなくちゃ、ダメなんですかぁ。ドンのところに行くからって、なにもそんな堅苦しくかんがえることはないですよぉ、船倉さん」
 という感じでぼくのように神経質にはぜんぜんなっていないのだけれど、マコンドーレが冠スポンサーになっている『突撃となりの食生活』という地元テレビ局の番組で「ゼツリンフィーバーマン」としても活動しているかれは、日々K市民のお住まいにずかずかとあがりこんでいるだけに度胸のほうはかなりあるから、いつだったか、叔父の森中市長と〈高まつ〉でばったり会ったさいも、ドンですら発言に細心の注意をはらっているなか、
「そんなスキャンダルばっかり起こしてたら、次の選挙、負けちゃうんじゃないですかぁ」
 とピリピリしている市長の肩を笑顔でたたいていて――そういえば、あの「森中市長、公費を変なことに使いまくっている疑惑」の収拾こそが、ぼくの〝G=M〟としてのはじめての仕事だったのだ。
 手前味噌ではあるが、先にあげたような役職(?)に就いているのは幹部クラスにあってもわたくし船倉たまきただひとりで、しかも表の仕事だけを全面的に任されている幕臣たちなどは、
「ん? ジーエム? はて……なんでしょうな」
 という感じで誰一人この役職の意味すら知らないくらい、それくらいG=Mは重要なポジションらしいのだけれど、しかし首をかわいくかしげてよくかんがえてみると、G=Mの意味も先代のG=Mが後任としてなぜぼくを選んだのかも、いまだに現G=Mはよくわかっていなくて――まあこれは、プロ野球関連で近年耳にする例のゼネラルマネージャーということに、とりあえずしておいてもいいだろう。
 ジムからサウナ室に移行すると、案の定Kの森テレビの『Kの森こども電話相談室』にチャンネルは合わせられていて、市内在住の仮名うまい棒さん(34歳)は、パーソナリティーのナルシス輝男氏に、二ヶ月ほど交際している女性とそろそろナニしたいのですが、どのような手順を踏めばナニをナニできるのでしょうかうんぬんと深刻そうな口調で相談していたけれど、自身が運営しているモテモテ講座においても全身全霊で生徒の悩みにこたえているナルシス氏は、やはり今回も、
「うまい棒さんて、いったい何味なんでしょうねぇ」
 というアシスタントにやんわり注意をあたえたのちに異様なほど親身になって、うまい棒さんにアドバイスを贈っていて、
「いやっ、回転寿司でかまわない。うんうん、ああ、想定外の食べ過ぎを懸念しているのであれば、スーパーのパックのやつとかに変更してもいいよ。でもね、いいかい、うまい棒くん。重要なのはここなんだ。これだけは変えちゃダメだよ」
 とうまい棒に念を押した氏は、
「――それで女性が『ホントにハマグリがお好きなのね』といってきたら、まず『ハマグリはムシのドク……』とつぶやく。そして女性の目をみてこう告げる。『ボクがいちばん食べたいのは、きみのハマグリなんだ』うまい棒くんよ。ここまでもっていければ、もうその女性はイチコロなのさ!」
 と説くと、パチンと指を鳴らして、地元老舗洋菓子屋のやたら耳に残るCMを入れていた。
 Kの森テレビは開局した当初から『Kの森こども電話相談室』という番組をやっていて、意識して観だした小学五年生のころはぼくもいろいろな疑問をかかえていたので、たとえば知らない地区の少年が「赤ちゃんはどこから生まれるんですか?」というような質問をあさ美お姉さんにしたさいなどはテレビ画面にこまめにうなずくような趣できっとまばたきもせずに集中して聴き入っていたわけだけれど、このわれわれの世代が成人したころくらいから「おとなの電話相談も受け付けてくれ」という要望がたまたま激増した関係で、こんにちでは未成年限定と教育的信用を取り払った先のような趣の番組がほぼ毎日放送されるようになっていて、とはいえ、ぼくは小六の一学期のときに、
「アグネス・チャンをちゃんづけで呼びたいときはどうすればいいんですか?」
 という質問をぶつけて以来、番組には一度も電話をかけていなかったので、いずれタイミングを見計らって、例の「G=M」の意味について、たずねてみてもいいかもしれない。
 ニ十分ほどいちばん温度の高い位置に陣取っていたサウナ室を出ると、出入口のところには天然水の試飲を勧めるビキニ姿の婦人が待ちかまえていて、品定めをするような視線を一瞬こちらの根源的な部分に向けたご婦人は、
「おひとつどうぞ」
 とまるで根源的なものなどまったく視野に入っていなかったかのようにプラスチックカップをこちらに差し出してきたのだけれど、若干むちむちしているおそらく三十前後のこの小柄な婦人は、大型ショッピングモールでもこんなふうに「エウロパの天然水」の試飲サービスを先日おこなっていたので、まずまちがいなく「トビッキリファミリー」となにかしらのつながりがあるはずで、それにしても、
「背中も流してくれるんですか」
「ええ、ついでですから」
「あっ、そんな根源的な部分をも」
「ついでですから」
 この企業はいつまでこのような大キャンペーンだか大還元祭だかを、つづけるつもりなのだろう。
 トビッキリファミリーは近年得体の知れないミネラルウォーターといくつもの困難を乗り越えてきた謎の女性が発明した健康ダンスとを一緒くたにした(?)美容法と健康法をもって、このK市に進出してきていて、当初は、
「けっきょくこれ、ダイエットして痩せろってことでしょ。でも痩せればいいってもんじゃないんだよね。だってほらっ、レネー・ゼルウィガーだって、ぽっちゃりバージョンのほうが、かわいいじゃん。あと和泉雅子だって、痩せてないけど元気だし」
 と余裕の構えをみせていたわれわれファミリーも、とくに勢いという点では完全に圧されているくらい、現在のトビッキリグループは市民の絶大な支持を得ているのだが、
「マコンドーレはまず、フェアな姿勢をみせる」
 と静観しているドンは、たまにわれわれに界隈を偵察させるくらいで、いまだ明白なトビッキリ対策は打ち出していなくて、しかし実質的にナンバーツーの地位にある通称内府などは、
「幕臣たちの報告によると、市内にはゼツリン青汁をお肌のためとか歩数計の新記録を出すためといった目的で飲んでる人もいる。そういう愛飲者たちがみんなあちらに鞍替えしたらどうなるか? 体面だけでなく、財政的にも打撃を受ける。ファミリーの存続にかかわってくる」
 とかなりの危機感をもっていることは確かなのである。
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