第25話

文字数 2,299文字

  第三部 ピーチタルト帝国

      その二十五

 ジャクソン皇帝は牛丼とハンバーガーが好物で、だから宮廷には〈吉牛家〉と〈ハンバートハンバーガー〉という二つのチェーン店が入っているのだけれど、牛肉の調達をほぼすべてガトーショコラ帝国からの輸入で賄っていたピーチタルト帝国はいま現在、皇帝をもってしてもハンバーガーひとつ頬張ることができなくて、この日も皇帝はぼくとカードゲームをやりながら、
「ああ、牛丼食べたいなぁ」
 とときどきため息をついていた。
「ラム肉丼、けっこうおいしかったですよ。皇帝食べましたか?」
「うん、食べた。わるくはなかったけど、やっぱり牛丼のほうがぜんぜんおいしいよ」
〈吉牛家〉宮廷店は苦肉の策として最近この「ラム肉丼」を新しくメニューに加えていて、試食会に参加することになっていたぼくはミニスターの范礼一(はんれいいち)さんといっしょに、
「ピリ辛風のもすき焼き風のも、なかなかですね」
「ええ」
 と小皿に出してくれた何種類かのラム肉丼を味見したのだが、休憩時間やカードゲームの最中に〈ハンバートハンバーガー〉のバニラシェイクやピーチオーレをチューチューやることはあってもお昼を先のバーガー屋や牛丼屋やあるいはコンビニ宮廷店で済ませたことはまだ一度もなくて、というのは――まあちょっとこれはお惚気になってしまうかもしれないけれど――ぼくは愛する菊池さんより毎日お弁当をつくってもらっているからなのである。
 ぼくと菊池さんはここ二ヶ月ほど、こちらのピーチタルト帝国で暮らしているのだが、メロコトン博士の手順書によって入国することになったこちらの国は菊池さんが以前スカウトされた大奥総合病院がある国とはまたべつのところで、范礼一さんによると、大奥総合病院は、いま大ゲンカをしているガトーショコラ帝国の国立の医療機関とのことなのであった。
「ただ医療機関といっても、わけありの医療機関なんですよ」
「といいますと?」
「ガトーショコラ帝国の皇帝の跡継ぎ息子はもうけっこういい歳なのにまだお世継ぎがないのです。どうも異性にあまり興味がないようで」
「ほおほお」
「一人息子ですし、そのあとが生まれないと血筋が途絶えてしまうでしょ……それで国をあげて受胎できそうな女性を捜しているのです」
「ふむふむ――江戸時代の〝大奥〟みたいな感じですか?」
「そうですそうです。でも体裁がよくないので医療うんぬんということにしているみたいですね」
「なるほど……」
 ピーチタルト帝国でも菊池さんとおなじような感じでスカウトされた女性が三人ほどいるらしく、といってもその三人の女性たちはガトーショコラの次期皇帝の目には留まらなくて四五日ほどで無事こちらに帰ってきたようだが、
「あっちに行かなくてよかった」
 と胸を撫で下ろしていた菊池さんはしかし当初は永住権がピーチタルトからなかなか下りなくて、
「こういうのは、どうでしょうか――つまり、軍師の妻になるのです」
「軍師というのは?」
「船倉先生のことですよ」
「え。ぼくが軍師なんですか?」
「もちろん。ああ、あちらでは〝G=M〟と呼ばれているんでしたっけ?」
「ん? ああ、ええ、まあ」
「こちらでは〝軍師ピーチパイドン〟といわれているんです。〝軍師桃パイドン〟とも表記される箇所があるから、それでG=Mなんでしょうね」
「そうだったのか……はじめて知った」
「まあしかし、こちらではピーチパイドンで通っているので、そうお呼びさせていただきます。よろしいですよね?」
「ぜんぜん! いいですよいいですよ」
「ピーチパイドンを知らないものなど、この国におりませんから」
「ピーチパイドンか……」
 ミニスターがおっしゃるところによると、ピーチタルト帝国では蔵間鉄山(くらまてつざん)著の「軍師ピーチパイドン」が空前の大ベストセラーになっているらしく、なんでもこの「軍師ピーチパイドン」は著者いわく〝超ノンフィクションノベル〟というジャンルの作品なのだそうだが、ガトーショコラ帝国とテレビ電波の権利みたいなものなどで揉めてすっかり仲が悪くなってしまったピーチタルトは軍師ピーチパイドンことわたくし船倉たまきの降臨をずっと心待ちにしていたみたいで……そんなわけでぼくはのっけからものすごい待遇でピーチタルト帝国より受け入れられたのだけれども菊池さんはこちらでは――まあ普通そうだろうが――とくに知られてはいなかったので、范礼一さんは妻うんぬんという提案をしてきたのである。で、当の菊池さんはというと、
「わかりました。わたし船倉さんの妻になります」
 とすぐこの提案に乗ってくれて、ぼくがあまりのうれしさにがくがく震えていると、
「プロポーズの練習してたの知ってるもん」
 とジャケットの裾のあたりを軽く触ってくれたりなどもしてくださったが、しかしガトーショコラ帝国はここのところ皇帝夫人を人質として要求してきたり范礼一さんの妹の上納を求めてきたりしているので、その対策はじゅうぶん取っておいたほうが良いとミニスターはアドバイスしてくれて、
「じつは、もう用意してあるのです」
 といったん奥にさがった范礼一さんは、ビニールに包まれた衣類等を抱えてもどってくると、
「これを着ていれば、いちばん安全ですよ。奴らは荒っぽいことも平気でするけど、子どもにはぜったい手を出しませんから」
 と水色の幼稚園スモックと黄色い丸帽およびタスキ掛け鞄を菊池さんに手渡してきた。
「わたし、三十過ぎてるのに、こんなの似合うかな……」
「ぜったい似合う。完璧に似合う。早く着てみてください。土下座しますから早く着てみてください。お着替え、ももももちろん手伝うから手伝うから」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み