第40話

文字数 2,725文字

  第四部 訳ありモンブラン

      その四十

 このところバニラシェイクをチューチューやっていないのは、シュークリーム帝国におもむくための準備を日々猛烈におこなっているからなのだけれど、しかしシュークリーム帝国はシューアイス帝国といよいよ大きな〝いくさ〟をはじめていたので、中西さんが案内してくれる「憧憬のシュークリーム8日間」の旅は延期というか実質中止ということになってしまっている。
 実質中止ということになっているのになぜ日々猛烈に酸素や磁場のあれを整えているかというと、それは中西さんがこのツアーのためにそれまでしぶしぶやっていたコンビニのパートを辞めていたからで、中西さんは元々は老舗の酒屋だったセブンでもローソンでもファミマでもない謎の変なコンビニの寮みたいなところに住んでいたので、現在は藤吉郎さんのおかげでまるまる空いた新しい畳を入れたばかりの例の六畳間にとりあえず仮住まいしているのである。
「すみません。お世話になります」
「どうぞどうぞどうぞどうぞ。なにしろこんなふうに一部屋空いてますからね。ずっと住んでもらってもぜんぜんかまわないですよ。あはははは」
「これ、元々は酒屋だったあのコンビニでもらったんです。よかったらどうぞ」
「ええええええええええええええええええええ! こここ、こんなとんでもない券をいただけるんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ええ――でも、ふつうのオコメ券だけど……」
「ん? ああオコメ、オ・コ・メ、オコメ券か――読み間違えた……」
 マコンドーレの関係者には中西さんをぼくの妻だと思いこんでいる人が何人かいて、内府なども、
「超小柄っていうほど、小さくもないじゃないですか」
 とメロコトン博士の葬儀のときにこそこそ耳打ちしてきたが、ほんとうの妻の菊池さんはピーチタルトでの生活をたいへん気に入っていて、もう二度とK市には、
「帰りたくないもん」
 とのことなので、わたくし船倉たまきは先の誤解も――まあ説明するのもかなり面倒なので――てきとうに放置しているのである。
 メロコトン博士は二月のおわりに他界していて、だからぼくもいちおう通夜と葬儀に、
「えっ、おれの分の形見もあるの?」
 と出たわけだけれど、月に一度くらいのペースでいまだに講習を受けにきているすみれクンのお母さまが、
「奥様も来てください。そのほうが故人も喜ぶと思うので」
 と中西さんに呼びかけた関係でつまり中西さんは内府とも面識をもつことになって――それでも中西さんには菊池さんのことやピーチタルトでのぼくの役職(?)について事前にきちんと説明してあったので、
「ピーチパイドンのことは、みなさんには内緒なんですよね」
 などと辻褄を合わせつつマコンドーレ関係者に無難に対応してくれていたのであった。
 すみれクンのお母さまが電話出演したシュークリームTVの悩み相談の番組を衛星電波のすげーいいやつをもちいて視聴していたらしいガトーショコラ皇帝の一人息子は、すみれクンのお母さまにその後手紙とお菓子を送ってきたのだが、一人息子はすみれクンのお母さまではなく、お母さまにノーパンの指導をしていたいわゆる〝センセ〟のほうにどうやら興味をもったみたいで、
「ん? おれに会いたいんだって?」
「はい。ですから〈たうえ温泉旅館〉に招待したんです。雪子さんのお兄さんもよろこんでました」
 とまあぼくは一人息子とお話しすることとあいなった。
 范礼一(はんれいいち)さんにそのことを告げると、ミニスターは、
「軍師に危険がおよびませんかね……」
 とこの顔合わせを不安視していたけれど、それでもやり手の藤吉郎さんが、
「和睦するいいチャンスだから、まわりに兵を配置してパイドンさんに会ってもらいましょうよ」
 と自身の家臣団を派遣してくれたので、この会合はおかげさまで実現することになって――そんなわけでこんにちのわたくしピーチパイドンは、ガトーショコラ帝国の次期皇帝ともすっかり仲良しになっているのである。
 次期皇帝と仲良くなったのはメロコトン博士がぼくに残してくれた形見がきっかけで、博士はどういうわけか、緑川達也全集とバックルがやたらに大きいベルトを形見という名目でぼくにおっつけてきていたのだけれど、
「この全集なら全巻もってるよ。ベルトだってこんな大げさなやつ嫌いだし」
 と傷みのひどかった形見のほうの全集を〈たうえ温泉旅館〉の多目的ホールの図書室に寄贈という名目でぼくもおっつけちゃおうと思ってこのときついでに持参すると、次期皇帝は、
「うわー」
 と緑川達也全集にかじりついてきて、ぼくが、
「あげますよ」
 とダンボールごとぜんぶ差し出すと、一人息子は緑川達也の単行本なら何冊かもってるんですよなどと興奮しながら緑川の作品について熱く論じているのであった。
「緑川達也にくわしい人に会ったの、はじめてですよ。ガトーショコラには緑川を読んでる人間なんて一人もいないんじゃないかな」
「こっちもほとんどいませんよ、次期皇帝」
「次期皇帝なんて呼ばないでくださいよ。おれ、皇帝なんてやりたくないし」
「そうなんですか?」
「戸籍上はイトコになっている腹違いの弟にやらせたいんですよ。だからおれのことはダルトンて呼んでください」
「じゃあぼくのことはピーチパイドンと呼んでください」
「ピーチパイドン。ちょっと長いなぁ――パイドンでいいかい?」
「いいですよ、ダルトンさん」
「ダルトンでいいよ」
「いいぜダルトン」
 ダルトンは世間でいわれているようないわゆる女嫌いでもぜんぜんなくて、たまたまそのとき運転手として同行してくれた川上さんをみると、とたんに目の色を変えて積極的にアプローチしていたのだがまあそれはともかくとして、あれから数ヶ月経ってまたぞろかれと〝電話飲み会〟をした先日、とうとうダルトンは、ガトーショコラの現皇帝とピーチタルトのジャクソン皇帝との仲を悪くさせたいわゆる黒幕を探り出してくれて、
「モンブランの皇帝が黒幕だな、ぜったい」
「やっぱりそうか」
「親父にいってもぜんぜんだめで、ジャクソンの野郎にゼッテー電気アンマ決めてやるとかいって、また興奮してるよ」
「証拠をつかんで、親父様に立証しよう」
「協力するよ、パイドン」
 とやがて電話飲み会をお開きにしたぼくは范礼一さんにそのことを伝えて、
「スープカップだって、いきなり欲しいって言い出したんですからね――たき付けた奴がいるんだな」
「はまぐりっちもすぐぼくたちに返してくれたから、だれかにいわれて衝動的に藤吉郎さんに買い付けさせたのかもしれませんね」
 とピーチタルトに潜んでいると思われるモンブランのスパイだか間者だかを捜し出す方向で本格的に動き出すことにした。
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