第39話

文字数 4,793文字

      その三十九

 中西さんと今後の日程を決めたあとのぼくは、荷造りをしたり台所まわりをざっとみがいたりしていたのだけれど、シュークリーム帝国に向けて出発するのは一ヶ月後なのになぜいきなり荷造りしていたかというと、それはすみれクンのお母さまより、
「センセ、田上雪子さんが帰ってきました」
 という連絡を受けたからで、雪子さんは明朝またエンセイ先に向かわれるとのことらしいので、今日中に〈たうえ温泉旅館〉におもむいて、直にお話をうかがおうとかんがえたのである。
 荷造りをしているとき、りん子さんに売ってもらったカセットを持参しようかちょっと迷ったが、雪子さん本人がエンセイ先から帰郷しているのであれば直接交渉すればよいことなので、今回は部屋に保管しておくことにした。
「貴重品だしな。ワオワオ♪」
 すみれクンのお母さまは昨夜さっそく部屋内の有料式洗濯機で衣類を洗ったらしく、しかし、
「乾燥しているときにぐるぐるまわっている衣類を見てたら、たしょうボォーっとしてきたんですけど、でも、誰もスカウトには来ませんでした」
 とのことで大奥総合病院方面からこじ開けていくのはやはり無理だったが、それでもお母さまはインスタントコーヒーの空き瓶に満杯に入れた銭形平次の投げつけ用一文銭を用いてのテレビ視聴のほうには成功されたのだそうで、
「CS放送なんですかね、シュークリームなんとかっていうチャンネルが映ったんです。ほかの局のは地上波もふくめて、ぜんぶ観れませんでしたけど」
 とお母さまはそのチャンネルのとくに悩み相談の番組がおもしろかったとセンセに報告していた。
「ファミコンは、どうでした?」
「それが荷造りのとき、すみれがカセットを抜いちゃって……」
「あはははは。まあどっちみち、渡したのは正規のピーねえじゃないんで、いいですよ」
「ごめんなさい」
「ぜんぜん――とにかくなるべく早くそちらに向かいますね」
「気をつけてね、センセ」
 最初の乗り換えあたりのとき、山城さんから、
「今晩祝賀会みたいなことやるんで〈高まつ〉に来てください」
 というメールをもらったのだが、今晩はもちろん〈たうえ温泉旅館〉に一泊することになっているので、ぼくはその旨を送り返した。すると山城さんは、
「じゃあ明日の晩に予定を変更するんで来てくださいよね」
 とまたメールで送ってきて、だからぼくは遅くとも夕方にはK市にもどれると思うので参加しますよというようなことを再度山城さんに送信したのだけれど、山城さんは年末あたりから何度もゼツリンフィーバーマンをそろそろ辞めたいとマコンドーレの幹部たちや地元テレビ局のお偉方に訴えていたので、きっとその陳情が受け入れられたかして、喜んでいるのであろう。
 日が暮れるまえに〈たうえ温泉旅館〉に到着すると、すみれクンのお母さまはロビーで待ってくれていたが、
「センセ♪」
 とお母さまがやけに上機嫌なのは、先ほど悩み相談の番組に応募してみたら生放送で悩みを相談してもらえることに決まったからみたいで、だからお母さまは雪子さんとの交渉をさっさと済ませてきてくださいとセンセをうながしてもいたのだけれど、その肝心の田上雪子さんはというと、またぞろ例の占拠部屋にひきこもっているのだそうで、それでも小春おばちゃんを経由して頼めば、すぐお会いすることはできるようだ。
 そんなわけで藤吉郎さんに頼まれている地コーラを一本飲んだのちのぼくは(すみれクンのお母さまはもう三本も空き瓶を確保してくれていた)、小春おばちゃんに話を通してもらっていよいよ田上雪子さんとご対面することとあいなったのだが、こちらに背を向けてテレビに見入っていた雪子ちゃんは、ぼくが名刺の持ち合わせがないことを詫びている最中に、
「あっ、この人この人、この人と、わたし結婚したの」
 といきなりテレビ画面を指さしていて、雪子さんがいうにはその人はシュークリーム帝国では特撮や時代劇に引っ張りだこのベテラン俳優なのだそうだ。
 そのベテラン俳優はかつて田上雪子さんのマネージャーをしていたらしく、雪子さんが芸能界を引退した当初はこちらの○○村で所帯を持つ計画もあったようなのだが、俳優になることを夢見ながら芸能プロダクションの裏方をしていた元マネージャー氏は雪子さんといっしょにその事務所を辞めたのを契機にすべてを捨てて俳優の道に進まれたのだそうで、で、どういう経緯でなのかまではきかなかったのだけれどもとにかくシュークリーム帝国に渡って悪役の俳優として花開いたようなのだ。
 占拠部屋の有料式テレビで偶然それを知った雪子さんは成功を喜びながらもどこか淋しい気持ちで長年過ごしていた。雪子さんは元マネージャー氏は自分のことをもう忘れているだろうと思っていたらしく、だからとくべつ会いに行くだとかそういう行動は取らなかったみたいなのだが、元マネージャー氏がめずらしく「テツコちゃんのお部屋」というトーク番組に出演していて、それを、
「メイクしてないと、ふつうのおじさんって感じだなぁ」
 と観ていると、元マネージャー氏は番組パーソナリティーのテツコちゃんに唐突にかつて愛した女性のことを熱く語りはじめて、
「で、わたしとまだ結婚したいって言いきってたから、わたし会いに行ったの」
 ということで、このたびお二人はめでたくご結婚されることとあいなった(らしい)。
 シュークリーム帝国に入国するには毎回例の〝チューチューしにくいチューチューアイス〟をチューチューしなければならなかったらしく、だから雪子さんは、
「あんなの食べなくても、ぜんぜんからだとか調子いいからさ、わたし普通のチューチューアイスこっちからもってって、それでごまかしてたの」
 という方法でこの煩わしさから逃れていたようだが、今後はシュークリームに永住したいという雪子さんは、
「できれば取材とかは受けたくないんです。山口百恵みたいに」
 とドキュメンタリー映画に撮られることをやんわりではあったがそれでも固く拒否していて、もちろんそういわれたら、こちらも、
「これ以上お願いしても仕方ないな……」
 ときっぱり諦めることにした。
「ちなみにエンセイっていうのは、なにか特別な意味があるんですか?」
「エンセイ? ああ、小春おばちゃんに頼んでた伝言のことね。適当にいっただけですよ。べつに遠出でも旅でもよかったんだけど」
「シュークリームでは遠征のセイを〝星〟って書きませんか?」
「どうでしょう……きいたこともないな。書かないんじゃないかしら」
「シュークリーム帝国にパピコ売ってますか?」
「売ってますよ」
「パキッて切り離すとき、やりにくくないですか?」
「ぜんぜん。普通だったわ」
 今回の宿泊は最初から一泊だけと決まっていたので、ぼくは二間あるすみれクンのお母さまの宿泊室で寝ることとなっているのだが、食堂のほうで晩御飯を済ませ、午後の九時より生放送のお母さまが電話で出演するシュークリームTVの悩み相談番組を投げつけ用一文銭を投入したのちにいよいよ視聴してみると、のっけから番組の司会者は――これは番組のいわゆるパターンらしいが――お母さまにいま現在身につけている下着を執拗にきいていて、それでお母さまが現在ノーパンであることを主張すると司会者はどんどん興奮してきて、なぜゆえ常にノーパンでいるのかを問い詰めてきたのだけれど、
「健康に生きるためにノーパン生活を送っているんです」
 とこたえたお母さまはだがしかしノーパンを指導してくださる方がたとえばキャミワンピ越しにノーパンになったりとかもしているのに、ほとんど目視だけのノーパン認定しかおこなわないことに不満があるうんぬんとこぼしていて、それで番組の司会者もだんだん相談者のモードになってきて、
「一度だけ触手確認をしたことがあるっていっても暗いところだったから仕方なくセンセはその方法を用いたのかもしれないしね……」
 と逆にお母さまの悩みを深刻にしてしまうような発言もしていたのだけれど、目視でも触手でもない方法でノーパンの有無を確認してほしいのにしてくれないという不満をとうとう打ち明けたお母さまは司会者に、
「いまお知らせ入れますから、お電話このままにしておいてください」
 といわれてしばし待ったのちに、
「単刀直入に言いなさいよ、そのセンセに」
 とCM明けにいわれると、
「そうします」
 と電話を切って、となりにすわっていたぼくにその旨を伝えてきた。
 そんなわけで、その晩のぼくは目視確認でも触手確認でもない方法でノーパンの有無を判断することとなったのだが、ノーパンマイスターの資格にも定期的に試験のようなものはあるかもしれないとほのめかしていたのはほかでもないこのわたくし船倉たまき自身だったし、それにそもそも最初にこちらの旅館を訪れたときの五日目の晩にもこれに相当する行為は軽くおこなわれてはいたので、翌朝もとくべつ何かが劇的に変わるというようなこともなく、帰りの電車でも、
「三原さん、がっかりなさるでしょうね」
 とすみれクンのお母さまは監督の心情などをおもんぱかっていたのだった。
 地元の駅に到着して、すみれクンのお母さまと、
「じゃあ、またね」
 とわかれると、ぼくはカバンからマフラーを取り出したのちに、
「寒くなってきたな」
 と家まで徒歩で帰ることにしたのだが、道すがらにある古い商店街ではかつて公費でつくってしまって市民よりたいへんな批判を受けた栗原小巻のマネキンを背負った森中市長が大音量にしたマイクで、
「みなさん、わたしはねぇ、いま、お詫び行脚を、おこなっている。お詫び行脚、お詫び行脚、お詫び行脚をねぇ、わたしは、現在、おこなっているんです! あっ、おかあさんおかあさん、わたしはねぇ、いま、お詫び行脚をおこなっているんですよ!」
 と叫びながら市民に手を振りまくっていて、市長は死装束という身なりでもあったので、またぞろ栗原小巻か佐久間良子かあるいは沢口靖子が出ている歴史ドラマを観て、
「感動した!」
 と思いついてこんなことをしているのだろうけれど、田上雪子さんのドキュメンタリー映画の計画はボツになることが実質決定したわけだし、それに先日内府も、
「今度の選挙も森中市長はどうにか勝つでしょう」
 とちょこっといっていたので、とりあえず市長のこの行動はわたくしG=Mは見なかったことにして、だからもちろん声もかけずに、
「みつかったら面倒だな」
 とこそこそ裏道に入っていったのである。
 裏道を抜けてやがてアパートに着くと、ぼくは服を着替えて山城さんと待ち合わせている〈高まつ〉に今度はバスで向かったのだが、約束の時間より三十分ほど早く到着して、
「ごめんください。ごめんなさい」
 と料亭に入ると、おしぼりをもってきてくれた新入りの子のすぐあとから女将の和貴子さんが、
「船倉さん船倉さん」
 とあわてて鯨の間に入ってきて、それで和貴子さんはぼくの手を引いて別邸のほうに来るよううながしてきたので、もしかしたら例のあれをまたあれしたいのかな、そんなにあれしたいのかな、百万渡したのだから今後もあれは別物であれしてもいいのかな、などとこちらはいろいろ想像していたのだけれど、別邸の庭先では庭石に設置した懐中電灯で自身を照らした沼口隊長がうつ伏せに倒れてピクピクしていて、
「隊長! どこほっつき歩いてたんですか!」
 とぼくに呼ばれて、
「うぐぐぐぐぅー」
 と起き上がった隊長は、
「ふふふふ船倉さん、たいへんです」
「?」
「近々シュークリームとシューアイスが激突します」
「スーパーの安売り合戦の話ですか?」
 という会話ののちに今度は大の字にぶっ倒れて、
「かかか、かつ、かつ、かつど、かつど……ん……」
 とまたぞろ白眼をむいて全身をピクピク震わせていた。


  (第三部 了)
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