ある悪魔の日常

文字数 2,001文字

 魔界には主に悪魔と魔物が跋扈している。
 それは人間の住む場所で言う、人間と動物が共存している状態だ。特に不自然でもなんでもない。魔界が創生主によって創られた頃からその状態なのだから。そして悪魔の中でも最上位、大悪魔である彼は、実はその創生の頃からずっと存在している、つまりは創生主に直接生み出された最初の悪魔の一人であり、今は貴族の地位にいる。
 基本的には美しいものしかいない悪魔の中でも際立って美しいのも、その力が貴族の中ですら突出しているのも、ほぼそのせいだ。最初に生み出された存在は、天使も悪魔も、ほぼ彼と同じように、それ以降に魂の転生などにより増えていった同階級の存在よりも強い。例外といえば、せいぜい天界で後から軍団長に据えられた天使やその腹心くらいだろうか。しかしあれはあれで実は創生主の介入があったのではないかと噂されている。実際は定かではない。
 悪魔はと天使は、基本死ぬことなどない彼らの感覚ですらはるか昔には、戦争もしていた。(ただその頃には噂の、現状の天使の中では最も強い天界軍団長はいなかったので、もしいる今に同じ状況が発生したら、結果が今のような冷戦状態に落ち着くかどうかは不明だ)
 だがその不毛さに、もう長らく彼らは戦争をしていない。
 元より天使は本来攻撃的ではないのだし、悪魔のほとんども欲望に忠実に面倒ごとを嫌う。
 つまり、天使は好きになれないが、わざわざ戦争をするのもすごく面倒だし疲れる。ただそれだけで悪魔にとっては充分に争いを回避する理由になるのだった。楽をしたい、というごくありふれた欲求が、天使嫌いという感情を上回るのだ。(しかも魔界にいる限りほぼ天使には逢わないので関係がない)
 とりあえずその辺の事情は理解していたが、彼、ゾルデフォンからしてみれば、どうでもよかった。
 彼に限らず悪魔はそういうものだ。
 欲望に忠実故に、興味がないものに関しては、とことん興味を持たない。
 そんな魔界は、非常に平和である。
 悪魔溢れる魔界をいかにも危険だと思っている者は少なくないらしいが、実の所魔界はさほど危険ではない。悪魔たちは欲望に忠実であるが、実はその欲望がそもそも全員揃って残酷な方に向いているとは限らないのだ。むしろそういう悪魔の方が少数で、実際には結構個体差がある。しかもかなり色々とばらけているのだ。
 例えば睡眠の欲望に忠実なある悪魔はもう(人間の時間でいうと)何千年も眠っているし(しかも悪魔貴族である)、食欲の欲望が強い悪魔は、人間のフリをしては下界に、美食の旅に出ていたりする(問題を起こすとそれができなくなる恐れが高いので、それはもう見事な人間のフリが身についている)。つまり、本当に、いかにも悪魔的な残酷な欲望が主体となっている悪魔の方が少ないのだ。
 もちろん、本質的な部分では冷酷で残虐で身勝手で狂ってる、というのは変わらないのだが。
 それを欲望が超えるせいで、実際の所、意外に魔界は平和を保っているのだった。
 そして彼、ゾルデフォンといえば、実は彼自身ですら自分の主たる欲望がよくわかっていない、非常に珍しい方の悪魔であった。非常に長い時間存在してきた彼なのだが、特に欲望が己の中で刺激されたことがないのだ。全くない、ということは悪魔の本性としてはありえないので、恐らくはその欲望となり得るものに、未だ出会ってない、と考えられた。
 しかしそれすらどうでも良いのだ。
 彼が存在し続ける上では、特に問題ないのだから。
 そんなゾルデフォンは、そのせいか日常からしてとても無表情かつ内面も感情が平坦な悪魔であり、特に何かに刺激されたり左右されたりといったことがない為、貴族としてある仕事を主に任されていた。
 天界との折衝役。
 天使に対し少なからず拒絶反応を示す悪魔が多い中、そんな感情すら抱かぬ彼は(何しろそんな感情を抱くほど天使へ何かを思うことがまずないのだ)、魔界の代表として何かあった場合や定期の会議などで天界と通じる機会が多かった。数少ない、天界への入場が許されている悪魔貴族である。それだけ、天界から見ても、彼は非常に「安定して安全な悪魔」だと考えられていたし、実際この長い期間そうだったのだ。
 丁度その日は、その天界へと行く日だった。
 この仕事自体を少々面倒くさいとは思っているのだが、しかし断る方がもっと面倒なことになるのはわかっているので、ゾルデフォンは黙って今日もその仕事へと向かうため、魔界の一角にある巨大な自分の屋敷から、とりあえずはまず事前の準備をするために悪魔貴族たちが主に会議などで使用している屋敷へと転移する。
 この時、まさか自分にとっての大きな転機がこの日になるなど、長く存在する彼ですら、本当に思っていなかったのだ。
 まさか、自分の中の欲望を、その根源となる存在と、出会う日になるなど。
 本当に考えてもいなかったのだ。
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