知れる 1

文字数 2,041文字

 彼女が真面目な顔をして「伝えなければならないことがあります」と言ったのは、二度目に抱いたすぐ後だった。
 しばらく拗ねていたのが一変したので、その髪を撫でていたゾルデフォンはそのままで彼女の言葉を待つ。
「実は、私の真名を知っている方は他にもいます」
 言われ、目を見開く彼に、慌てたように彼女は言葉を続ける。
「でもっ、貴方にしたように真名を渡したんではなく、状況的にその方は知る必要があっただけで、私たちの間に信頼関係以上の好意などは存在しないですよっ! それは絶対です。そしてあの方が私に対して、貴方が持っているような気持ちを持つことも絶対にないのです!」
 絶対に、と言い切れる。その時点で嫌な予感がする。恋に堕ちるかどうかに絶対はない。現に無縁と思っていた彼ですら堕ちているのだから。しかし唯一絶対にない、と言い切れる場合もある。
「まさか、あの軍団長か」
 それは「すでに他に恋をしてる場合」だ。
 彼らの恋に重複は絶対にないので、既に何かに心を奪われている天使や悪魔が他に恋をすることだけは絶対になく、その場合のみ絶対は存在する。そして現在の天界で明らかに恋をしてることが判明している存在は、あの軍団長以外には存在しておらず。
 こくり、と彼女が頷いた事で、それは肯定された。
 はっきり言えば、あまり楽しい話ではない。が、気になったのは真名を知る必要がある状況、の方だった。普通そんなものはまず起こらない。彼女らに一体何があったのか、暗に視線で問えば彼女はおずおずと話し出す。
「私の今の真名は、実は創生からの真名ではない、んです」
 普通、真名は絶対に変わらない。変えられるものではない。変える場合には、色々な属性を持つ者の協力が必要になるし、基本それは許されない行為として扱われている。のだが。
 あれは、全属性、だ。
 全部、ということは、あれ一体で真名を変更できるだけの属性は全て持ち合わせている為、理論上はそれが可能だという事になる。が、それでも普通はしない行為だろう。
「私の創生時の真名は、はっきり言えば珍しくないよくある名前で、そして当時私はあの仕事以外もしてて。つまり、普通に外で働いていたんです」
 そうして彼女が話し出した内容は、正直胸糞悪いもの、だった。
 外で働いていた彼女が、偶然に、当時魔界から訪れていた大悪魔に真名を言われ、その際に縛られた。
「……その悪魔は」
 今にもその相手を滅ぼしに行きそうな彼に、けれど彼女は苦笑いをこぼして頭を横に振る。
「もう、いません。あの方が滅ぼしました」
 そういえば、昔に、天界に行った悪魔貴族の一人が帰ってこなかった事があったのを、記憶の片隅から彼は思い出す。そもそも気まぐれのある存在だったので、報告をしないこと以外は大して問題視されず、そしてその後誰かが探すこともなく終わっていた。ただ、天使に滅ぼされたという記録はなかった筈だ。もしそうだった場合、表面上はかろうじて均衡を保ってる関係なのだから、結構な騒ぎになっていた筈で。
 基本、天界で何かされればわかるようになっている。何度か天界に行った彼にも、基本遠視能力を持つ悪魔の見張りはあって、もちろん彼が自らの意思でそれを躱すのは簡単な話だったが(実際彼はそうして彼女を連れ帰っている)。
 成る程、もしや天使を縛ったことを知られたくなかった故に、その瞬間に監視を避け、その間に滅ぼされたのか。
 想像でしかないが、それは然程間違った推論でもないだろう。
「私が縛られたのを偶然発見したあの方が、その場で相手を滅ぼして、そして私の真名を変えました。今の真名は私が自分で考えてつけたのですが、それに変える際に」
 新しい真名を知らないで、真名の付け替えなど出来るわけがない。
 つまりそういうこと、だ。
 事情はわかった。彼女を縛り滅ぼされたあの悪魔には業腹を感じこそすれ、何の同情もない。ただもし残ってたら彼が間違いなく滅ぼしただろうが。
「本当はちゃんとした手順を踏むべきでしたが、事情が事情でしたので、大事にしない方が良いと、あの方がご判断しまして、その場で真名を変更しました。このことを知っているのはあの方と私、そして今話した貴方のみです」
 確かに、知れれば天界魔界双方に大事ではある。が、どうもあの存在をしてそこまで計算したというより、単に面倒臭いのを避けるために最も楽な手順を踏んだようにしか思えない彼だ。納得はしたものの非常に微妙な気分になった彼だが、それでも従来の無表情は崩れなかった。
 彼女は続ける。
「そういう事情があって、私とあの方は縁があります。私はあの方の真名を知ってる訳ではないですが、つながりがある、状態です。でもあの方は、あの通り、恋をしてますし、これまでも、多分この先も、決して私の真名を使ったりはしないでしょう」
 確かに、彼女の言う通り。
 既に恋をしているあの存在が、彼女の真名を濫用するような行為は、まずしないだろう。
 しかし彼はその話で、一つ思い出していた。
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