芽生える 3

文字数 2,631文字

 会話はそれだけだった。
 さっさと話を終えて「ごめんねいきなり勝手に」と謝罪を入れた所で、目の前にいる天界の軍団長は、珍しく、とても驚いた顔をした。澄み切った天界の青空よりも深い色をしたその青の目(なおこの属性は不明である。実は青色自体は珍しくない聖なる属性なのだが、この濃い青に関しては、その多くいる青とは少々異なるらしいと以前に聞いたことがある)でまじまじとゾルデフォンを見ている。
 しばらくの沈黙。
 口を開いたのは、やはり天使の方だった。
「あの、まさかと思うけどさ、今、ゾルさんすごい動揺してない?」
「何のことだ」
 まさかも何も事実だが、素直に頷けるわけもない。そもそも悪魔であるので、嘘は平気である。だから表向き普段通りに返すのだが、相手はそんなものでは全くごまかされてくれなかった。
「いや、絶対動揺してる。普段そこまで顔に出さないでしょ。そんな動揺するようなこと」
 言いかけて、天使は止まる。
 その様子に彼は嫌な予感がした。他ならばともかく、この天使相手の場合「相手が悪かった」からだ。
 その予感通りに相手は、言ってしまう。
「もしやゾルさん、エルダに恋した?」
「……何のことだ」
 返答に間が空いてしまったのは、肯定したくない葛藤というより、そもそもそれに該当するのか自分でもわかっていないからだ。
 悪魔や天使にとっての恋は、ある意味で唯一の「死に至る病」と言っても過言ではない。
 彼らにとっての恋という現象は魂ごと相手に全てを縛られるも同然の状態であり、しかし遭遇してしまうと「絶対に回避できないもの」ともされている。必ずそういう相手が存在するとは限らないのだが、しかし出会ってしまえば最後、互いの種族も性別も何もかも関係なく落ちる。そして決して、滅びるまで逃れられないとされる。
 そうして恋に滅んだ天使や悪魔は数知れず。
 ゾルデフォン自身もそれはたくさん見てきた。
 悪魔にとって相手が下位種族や下位悪魔ならばまだ良い方だ。恋に落ちた相手を(悪魔でなくても魔界に連れてきて)強制的に縛っているものは数名存在している。そこに同意などは存在せず、ほぼほぼそれらは悪魔の身勝手によって相手の命ごと縛る形で、永久に拘束している場合が多い。悪魔の本質上これは仕方ない結果なので、別段ゾルデフォンが何かを思うことはない。
 だが相手が同列の種族で、且つ全く逆の属性である天使になると話は変わってしまう。
 同意なき連行は多くの場合まず成しえない(場所が天界なのでまず通常の悪魔は入れないからだ)し、仮に連行が出来たとして同意なき拘束は相手の真逆の属性により、悪魔自身に少なからず存在の相殺という形で打撃を与える。単純に言えば、天使をそばに置くことでその悪魔は相当に弱体化する。上位と下位の差があってすら、だ。
 そして果ては対消滅という終わりを迎えるのだ。本質が異なるが故に共存の関係が難しく、しかし恋に落ちてしまったからには相手の不在は認められず、弱る相手を喪う気もなく、結果として自己と相手の消滅という究極の選択をしてしまう悪魔を、彼は数多く見てきた。それらはほぼ全部が悪魔自身の望みの結果であったけれど、見ている側からすれば他に選択はなかったのか、と思わなくもなかった。
 今までは。
 今、ゾルデフォンは考えている。
 さっきの声の主である天使をもしも側に置いたなら、どうなるか。自分はその不在を認められるのか。弱体自体はどうでも良い。ただ、もしも絶対に相手の全てが手に入らなかった場合に、自分はどうしたくなるか。
 考えてしまっている。
 天界で悪魔が不可侵とされる「あの場所」に入る方法を。例えそれで目の前の天使に滅ぼされるとしても。
「ねぇゾルさん」
 その思考を断ち切ったのは、目の前の軍団長。
「僕、今から少し寝るね」
「…………」
 天使は本来眠りを必要としない。眠りを好むものもいると聞くが、人間と異なり眠りは必須でなく、悪魔同様趣向の範囲のものだ。
 だから、目の前の天使が必要だとは思えない。軍団長をしている中で眠っていた、という話も聞かない。むしろ常にある存在の動向を気にしているので眠ってることはまずありえない。のだが。
 いきなりのその話は続く。
「結構深く眠るから、途中で何か【大騒ぎ】があっても、すぐには飛び出せないかもねー」
 そこでようやく彼は思い至る。相手が言わんとしている事を。そして逆に訝しむ。
「何を考えている」
 相手の職位などを考えれば、それは天界への裏切りにもとられかねない行為の筈。確かに現状天界にすら目の前の天使を滅せる存在などいないが、それでも罰が逃れられるという訳ではないし、天使は己の行為への処罰は素直に受け入れる。まず反抗などない。
 故に、何故そんな厳罰必須の行為を相手がしようとしているのか、理解に苦しんだ。
「僕はねぇ。ずっと、ずーっとあの子を見てきたんだけどね。それから他の、天使や悪魔も」
 普段は戦闘以外では全く頼りない目の前にいる存在が、常にない表情を見せる。ひどく遣る瀬なさそうな。
「できればさぁ、幸せな結末を見たい、んだよね。あんまり酷いのばっかり見せられるとさ、僕も気が滅入ってしまうからさ。艱難辛苦なんて乗り越えて、最後は結局幸せに、ってのを見たいんだよね」
 長く存在してるのは、後から出現していても、相手だって同じで。
 互いに恐らく多くの破滅を見てきている。否、その職位から考えてむしろ目の前の天使の方がより多く見ているのかもしれない。基本周りに興味がないゾルデフォンと違い、相手は指示によっては誰かを滅ぼす役目を担わなくてはならない筆頭なのだから。
 けれど、それはもしかしたら酷く磨耗するのだろうか。まして原因が恋、となると。天使も悪魔も、どれだけがこの天使によって滅ぼされてきたのだろう。世界の均衡を守る、というその前提のために。
「まぁ、だからもしゾルさんがエルダちゃんと滅びるような結末を選んだら、僕がゾルさんを真っ先に滅ぼしてあげる。自滅なんて楽な道は通らせないよ」
 でもね、と。
「あの子は、中天使だけどゾルさんと同じ創生の天使で、しかもかなり芯が強くて、簡単に流されないけど、でも相手のことを真っ先に考える子だから。ゾルさんが本当にエルダに本気で向き合うなら、途中でどんなに失敗しても、最後まで絶対に真面目に向き合ってくれると思うよ」
 その結論がどんなものになるとしても、と。
 そう言って、天使は目を閉じた。
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