試す 2

文字数 2,191文字

 ぐ、っと何かを決めたように体を震わせた彼女は、目の前にいる悪魔を見上げ、その様子をずっと彼は見守る。
 何にせよ、全部彼女に委ねたのだから結果を出せるのは他にいないのだし、元から忙しい性質など持ち合わせていなかった彼をして、いかに間に沈黙が挟まれようとも別段不快に思うこともない。ただ、ああ考えているのだろうかと思うだけだ。更にその相手が彼女ともなれば、色々と思案している様すらそれはそれで思案の間の表情の変化が楽しめて可愛らしいなと思う。
 だから別に、例え何日待たされたとしても平気だし、とりあえず目の前に彼女がいるならばそれでよかったのだが。
「えっと、だから、時間をください」
 彼女は、そう言った。
「私が貴方をどう思えばいいのか、考える上では、私は貴方を知らなさすぎるんです。貴方は私に恋をしてても、私は違うから、好きか嫌いかとか、私にとって貴方がどういう存在なのか判断するためには、私は貴方の本当を色々知らないと無理です」
 それはそうだろう。
 勿論そんな相手の気持ちを無視して蹂躙する事など容易かった訳だが、その結果がさっきの怯えた表情で、もしそれしか見えない未来、が訪れる位なら、彼は己を抑えてでも彼女の意思を優先する覚悟はあった。彼にとっての恋は、たまにならばまだしも、常にあんな顔しか見れない状態を是とするものではないらしい。そばにいるだけでは足りない。どうせならあらゆる表情、感情、彼女が自然に持つ何もかもを独占していたい。
 もしかするとそれは単純な蹂躙よりも悪質かもしれなかった。
 だが悪魔とはそういう存在である。
 そんなことは気づいてないだろう中天使は、言葉を続ける。
「なので、その、知るには、貴方と一緒にいないと駄目なのです。でもですね、その、いつああいうことをされるかわからないのでは、安心して一緒にいるのは難しい、のです」
「つまり抱くな、と」
 あっさりとそう言う彼に、彼女はまた頬を赤くする。
「あ、ああいう事は、お互いに好きでないと、駄目だと思うのです!」
 その言葉に、少し考えた彼は、まぁ確かにその方が自分も楽しいだろうと、少しずれた思考をする。彼女の思考は一応理解できなくもないのだが、本質が悪魔である彼からしてみれば、大事なのはお互いに好意がある上の行為の意味よりも、好意がある場合に抱いた時の彼女の反応の方だったりする。
 さっきの一方的な行為ですら最後の方には少し艶を帯びた反応をしていたこの天使が、お互い同意の上で、そして自分へ好意を持った上で抱かれた場合に、どんな反応をするのだろうか、と。そしてそれを開拓していけば、更にどんな顔を見せるのだろうか、と。
 むしろそれが見たい欲の方が強く、まぁそのためであれば別にそこに至る過程においていかに己の忍耐が試されようが、些細なこと、である。
「わかった。そなたが許すまでは、決して抱かぬ」
 故に非常にあっさりと、彼は了承した訳だが。
 方や彼女は、あまりにあっさり受け入れられた事が逆に不安を煽ったらしい。困った顔を見せた。仕方ない。天使からすれば悪魔はいくらでも嘘をつく存在なのだ。たとえ真名で誓う、と言ってても、猜疑心は消せないだろう。しかし先程真名の誓いを断った手前、疑うような事を言うのも憚られる、といった所か。
 多分ここは、多少の「悪魔らしさ」を見せた方が、恐らく安心するのだろう。そう思って彼は言葉を追加した。
「だが、何もするな、というのは少々酷ではないか?」
 実際には別に、それまで触れるな、と言われてもさほど堪えないのだが。(見ているだけでも彼としては楽しいし、少なくともその間ずっと望んで側にいるというのなら全く問題ないのだ。これで天界に帰せと言われていたら話は別だったが)
 とりあえず、本心はどうあれ何か条件を求める、的な辺りが悪魔らしい行為かと思い言ってみれば、困った顔が消える。何ともわかりやすい。
「えっと、お話なら出来ます」
「話すだけか?」
 何やら楽しくなり(当然表情には出ていない)彼女の言葉に更に言葉を重ねる。別に会話のみでも十分楽しんでいるのだが。
「む、難しいですかね? えと、えっと」
 真剣に悩みだすのは、恐らく彼が恋をしているから、なのだろう。
 恋の厄介さは天使悪魔共通認識で、そこで狂えば恋をされた方諸共に破滅しかないのはよく知れた事実であったので、例え恋をしてない側であったとしても、されたからには対応も真剣にならざるをえないのだ。まさか実際の彼の本心が「別に側にいるなら会話だけでも楽しめている」などと、思う訳もない。恋の形は結構様々なので、彼はこうだが、そうでない(つまりそれだけで満足できない)者も多いし、恐らく伝え聞く話からすれば彼の方が少数派である。
「ちょっと、触るくらいなら、いいです」
 まさか回答そのものを楽しまれていると思っていない彼女は、一生懸命に考えて、言う。
「ほぅ。具体的には、どれくらいならば良い?」
 そこに更に言葉を重ねるのは、自分のことで必死になって考えては言葉を紡ぐという、可愛らしい彼女を見ているのが楽しくなってきたからだ。別に条件を詰めようという気は余りなかったりする。
 余裕がある訳ではない。ただ、恐らく彼女が思う以上に、彼の恋の形が珍しいだけだ。
 ここに来て立場が入れ替わり始めているのに、気づいているのは恐らく彼のみだったが。
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