出会う 1

文字数 1,641文字

 明らかに悪魔が単独でうろつくことが許されない天界において、たとえ一定時間そこの軍団長が眠っていたとしてもゾルデフォンが単独でいるところを他の天使に見つかってしまえば意味がないのだと、一応彼もよくわかっていたから、その部屋から出るときにはもう完全に自身の存在を隠蔽した。
 更には己の分身となるデコイを部屋に残してくる、という徹底さで。
 急いだ上にあまり分身を作ることに慣れていなかったので(力のかけらならばよく使用するが、分身の場合明らかに用途が異なる上に一定以上の力を持ってないと不可能なので、これに慣れているものは天使でも悪魔でも実は少ない)会話もできない。それこそ可否を動作で示す程度の機能しかないものだが、普段から喋らない彼なので問題ないだろう。
 何か返事必須なことにも沈黙で返したとして、今日は機嫌が悪い、程度にしか思われないに違いない。そもそも本来の用事だって言葉を紡ぐような用件はなかった筈なので、これで間に合う筈だ。
 そして彼は一気に目的の場所に転移する。
 天界において悪魔の転移は禁止されている、が、それは別にできないことではないのだ。まして力を余らせている悪魔貴族である彼からすれば、その気になれば行けない場所など存在しない。本来そこに立ち塞がる筈の軍団長は、まだ眠っているのだし。
 そして初めて訪れた、魂の巡る場所。
 天界の最奥にあり、世界を巡るすべての魂が一度訪れて次の魂へと移ろうその間に通過する大事な場所に、恐らく悪魔として最初に彼は侵入した。天使が世界の均衡を司るが故に天界に神が置いたその場所は、欲望を司る悪魔には絶対に開示されない場所だ。
 姿を隠したままで、彼は地道に歩いての捜索を開始する。
 相手の声と仮の名しかわからない上に、建物の構造も相手の魂も不明では、いくら彼でも突然その目の前に転移できるわけではない。結局最後は地道に歩いて探すのが一番である、という結論に達するのだ。天使に偽装することもできないではなかったが、この場所に出入りできる天使自体が限られてそうで(実際彼が予想する通り、出入り可能な存在は天界においても非常に限られていたのでこの判断は正しかった)、下手に偽装してもむしろ怪しいだろうと思われた。
 ほぼ確実にここに立ち入る権利があるだろうあの軍団長に偽装も不可能ではなかったが、相手の存在が大きすぎて偽装自体に相当な消費が発生する上、その姿で道がわからないというのも恐らく怪しまれる、と思われた。会話からしてあの天使は何度もここにきている筈だし、そこで今更迷う方が不自然だろう。
 という訳で、とにかく巨大なその施設の中、久方ぶりに彼は結構な距離を歩くことになったのだが、別にそれ自体はなんら苦痛はなかった。悪魔に肉体的な疲労はないし、目的がある故に、それどころではなかった。
 あの声の主。
 ふと気を抜けばすぐ回想される、既に己の中に刻まれたあの声は、一体どこにいるのか。
 それだけが問題で。それだけが目的で。
 この時点で、自分がもう常の自分と全く異なってる状態であると、はっきりと彼は自覚していたけれど、それでもまだその想いに結論を出すのは難しいと考えていた。声ひとつにここまで囚われてなお、まだそれを完全に認めるには至っておらず。
 その結論を出すためにも、早く、見つけなければならなかった。
 姿も気配もすべて消したままで長く歩き回る(その間まったく平穏だったのでどうやら軍団長はずっと寝ている模様だったが、時間が長い分には問題無い)ゾルデフォンが、ようやく片隅からその音を拾い上げたのは、施設内も三周に差し掛かろうか、というタイミングで。
「もう少し待ってみます」
 聞こえた瞬間、足早に彼はその場所と思われる部屋に向かっていた。
 そこで駈け出さなかったのは最後の理性だったのかもしれない。
 その部屋の中に転移するまでの、ほんの短い間まで残されていた彼の最後の理性は。
 部屋に入った瞬間に見えたその姿で、綺麗に溶け消えたけれど。
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