芽生える 2

文字数 2,166文字

 結局、部屋の主が顔を見せたのは、まぁ多少の時間が過ぎた後であった。
 とりあえずその間に、主の最も近しい部下である所の黒髪の青年が茶を用意できた程の時間だ。別に、時間の概念自体結構曖昧な悪魔はそんなことは気にしないし、ましてゾルデフォンは天界に来ている用件からして心底どうでもよく急ぐ理由もなかったので待たされることに何も思うところはなかったのだが。こういう部分も、使いに向いている理由かもしれない。
 現在の天使悪魔合わせてすら目の前にいるそれ以外に存在しない、全属性を持つ白銀の髪の大天使は、特に悪びれる様子もなく彼の向かいの椅子に腰を下ろした。かくいうゾルデフォンの髪の色は鮮烈なまでの赤、実はこれも珍しい系統の属性であったりする。赤の色は生命の属性。悪魔でありながら、主な魔の力とは別に、彼は即死でもない限りはこの属性の効果によってあらゆる命を救い維持する術を持ち合わせている(それは全属性である相手も同じなのだが)。
 だが使用する機会など全くなかった。
 戦争中ですらなかった。
 とりあえずこの先もない。
「待たせてごめんね。ちょっと探すのに手間取ってさ」
 はいこれ、と渡されたのは本日の用件である会議の資料だ。ヨレヨレである。それは別段嫌がらせなどではなく、本当に単純に、この相手が「そういうものの管理が下手」なせいであると彼はもう知っている。
 と言うより、はっきり言えばこの相手は、戦闘以外においてはもう恐ろしい程に色んな能力が欠如気味である。全属性も無意味なほど無能に近い。
 故に腹心であるレインが日々苦労しているのは彼ですら知る事実。しかしゾルデフォンからすれば書類など読めさえすれば何の問題も無かったので別に文句も言わずに受け取った。一応こういう紙形式以外での情報の伝達方法もあるのだが、まぁ色々な事情により、力もつ天使たちの間ですら人間のように紙での情報の保存は主流であったりする。紙質は、下界で使われる紙と全く違うが。破こうとしたら相応の特別な力が必要な特殊紙だ。
「まぁざっと見てくれればそれでいいよ。どうせただ決定事項を確認し合うだけの会議だしね」
 それの言う通りである。
 現在魔界と天界がどうにか戦争を起こさず互いに均衡を保つ上で最低限に必要な範囲のことをお互いに決定する為に、天界(稀に魔界)においてこういう会議は時折行われている。そこに意見などは必要ないので、自ら発言する気のない彼でもこういう役を任せられるのだ。
 つまり、黙って頷いていれば終わる。その場では何かの提案などは必要ではないし、否定すら不要。会議する時点でもう暗に合意は取り交わされているからだ。
 必要なのは、魔界の総意が委ねられる程度に地位と力があり、そして天界となんの問題も起こさず、とりあえずその会議をおとなしく出席し終える行為ができる存在だ。魔界においてその条件を満たしている存在はとりあえず彼と他数名しかいないので、必然として毎回ではないものの、高頻度でこういう役が回ってきている。
 そこに関しては、時々、面倒だと思わなくもない。
「ま、すぐ終わるよ」
 そう言って笑う相手は、毎回のようにその地位ゆえに会議に参加させられている。こうやってゾルデフォンのような魔界からの使者の対応まで任されているのは性格が向いているだのと言う以前に(何しろこの相手は、戦闘以外はほとんどの部分で欠けてるものが多すぎるので、本来そういう役目には向かない)単にどんな悪魔であっても、この力の差の前にはそれなり慎重にならざるをえないせいだ。
 つまりまぁ、これ相手には悪魔も喧嘩を売ろうなどという欲望には滅多に走らないので(それはそのまま消滅につながりかねない危険な発想だからだ)、ほぼ平穏に話が進んで終わるのである。
 ゾルデフォンだけに限れば、別に相手がこれでなくても、そもそもそういう欲望自体抱かない可能性は高いが。
 とりあえず書類を一読した彼は、すぐにそれを手放した。
 覚えるだけなら一読で充分だった。
 その時。
「あのぅ、すいません」
 部屋の中に、別の声。
 今は別に待機しているレインのものでも、もちろん目の前の大天使のものでもない。形容するならば少女のような可愛らしい声だったが、聞いた瞬間にぞわり、とゾルデフォンの中の何かがざわめいた。今までに感じたことのない程の心の中の揺らぎを感じ、顔には出さないが動揺する。
 これは、なんだ。
 一体自分は今何に、こんなに心が揺れたのだ?
 まずそこが理解できない。
 そんな彼を御構い無しに、話は続く。
「どうしたの、エルダちゃん」
「えっと、あの方が、魂の転生にやってきましたのでご報告を、と」
「本当っ!? 今、は無理だけど、この後行くから、ちょっと待ってて!」
 目の前の天使が興奮気味に喋っているのだが、それどころではない。
 彼の心は、姿の見えない声の方に、完全に囚われていた。それ以外で敢えて拾ったのは、その声の主を目の前の天使が「エルダ」と呼んだ、そしてその相手がどうやら天界にある全ての魂が転生する際に通過する、とある場所にいるという、その重要な部分だけだ。
 そう、なぜかそれは重要で。
 己自身で全く己が理解できないというその状態に、ゾルデフォンは、手に持った茶を戻すこともすっかり忘れて、完全に動揺していた。
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