魔界の記録

文字数 1,833文字


 魔界には、全てを記録する書が存在する。
 名目上「書」と呼ばれているそれは、あらゆる出来事が記録されている媒体。
 魔界に起きたこと全てが記録されていく神の遺産であるその書は魔界の奥深くに封印され、基本はどんな悪魔の目にも触れられないように厳重に管理されている。
 これは必要に応じて、調査などを目的に閲覧がされるものだ。
 そこまで説明すると、空色の髪の中天使は驚いたように、その桃色の目を丸くした。
「え、全部です?」
「全部だ」
「私と貴方のこと、もです?」
「そうだな」

「…………」
「どうした?」

「ダメなのです見られたくないのっ!!」




 真顔でゾルデフォンは申請理由を語り終えた。
「という訳だ」
「いやどういう訳だ」
 それを聞き終えた魔界の代表、ソレーズは半眼で相手を見上げる。
 部屋に他の誰もいなくてよかった。
 魔界の書に関しては代表に管理権があり、必要に応じて内容の編纂まで認められているので時に削除要請などが来ることもあるのだが、これほどしょうもない理由を挙げられたのは初めてだった。だがからかわれていると思うには相手が悪すぎる。
 悪魔貴族ゾルデフォン。
 現在恋の相手である中天使を魔界に囲う、冗談の下手すぎる言葉数も少ない悪魔である。従って今述べられた理由も言葉少なに伝えられたわけだが、それ故になかなかの破壊力である。
「抱いた時の記録だけは残されたくないらしい」
「……それ認めてたら大抵の情報は削除可能になっちまうんだけども」
 悪魔は、その手の行為を恥ずかしく思うような生態ではない。時に欲を持って行うそれは、何かを破壊したり歌を歌ったり、誰でも起こし得る行動の一つでしかなく、よってそれに関して羞恥や嫌悪もなく気にとめることすら少ない。わざわざ誰かの前でしようとは思わないが、見られたところでどうということもないと捉えている悪魔が大部分だろう。
 そういった「他愛ないもの」まで削除を認めていたら、書の記録は穴だらけになってしまう。
 金の髪をガリガリと掻きながら頭を抱えたくなったソレーズに、だが赤髪の悪魔の方も真顔で言う。
「万が一誰かの目に留まるようなことがあったら、恥ずかしさで滅びたくなる、らしい」
 それは困る、と。
 真面目に断言するゾルデフォンは、その中天使に恋をしている訳で。
 なんの奇跡か想いが通じて今は幸せらしいが、その幸せは完全に相手の天使次第という綱渡り状態には変わりない。現在は天界との業務の大半を担ってくれている彼に何かあれば、真っ先に困るのはソレーズ自身だ。
 極論言えば、中天使が情緒不安定にでもなれば、確実にゾルデフォンも使い物にならなくなるし、滅びた日には迷わず後を追うだろう。今目の前の悪魔が落ち着いているように見えるのは、屋敷に残しているだろう中天使が平和に暮らしているからである。
 こんな奴だが、天界とのやり取りをする上では非常に役に立ってくれている貴重な悪魔だ。
 書の管理の規則か、仕事の大事な部下か。
 熟考の挙句、魔界の代表は渋々結論を出した。
「……そういう部分だけ、削るってので、いいか?」
 書にはあらゆるものが記録されていくが、そんな一悪魔の閨事情なんてものの記録価値より、ゾルデフォン(の大事な恋の相手)が安定する方が利益になる、という苦渋の決断である。
 まぁ正直、今まで、そして今後の全てのそれを削除していくのにどれほどの手間がかかるのか……は、想像するだけで頭が痛いが、小さな手間を惜しんで後に大損するなんてのもよくある話で。
 些細な記録が減ることで魔界がより安定するなら仕方ない、と判断した。
「あぁ」
 頷くゾルデフォンを見ながら、(そういう部分だけ削るってことは、削られたとこに明らかにそういう部分があったってわかっちまうってことなんだがなぁ)とは思ったが……それを言うとさらに面倒なので、この際ソレーズも気づかないふりをすることにする。どうせあの記録を見るのは自分だけなのだから。
 問題は削った部分を空白にするか、何か他の記録で差し替えるかなのだが。
「すぐには無理だが、近いうちにやっていく。終わったら報告するから待ってな」
「頼んだ」
 そんな工夫を考えるのには明らかに向いていない目の前の悪魔に、話を振ることすら諦めてソレーズは、己の仕事が増えたらしい事実を受け止めるのだった。



(というわけで、空いた部分である
第三章 奪う 3
第七章 感じる 1
第七章 感じる 3
終章 ある天使の日常
は、記録が改ざんされております)
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