知れる 3

文字数 2,351文字

 最初、ゾルデフォンが魔界に帰ってから彼女の不在が知れるまで、あの軍団長は本当に昏睡していたらしい。
 あの腹心の黒髪の天使が何をしても起きなかったという。どうやらその期間がまず結構長かった、らしい。そして彼女の不在が知れて騒ぎになった頃に起き出して、真っ先に宣言したのだという。曰く、彼女の真名を実は過去に自分が変更している、と。つまり状況を知ろうと思えばいつでも知れる状態にある相手が攫われたが、取り敢えず攫われた当事者に戻りたい意思がまだないので放置で良い、と。
 なかなかに暴論を言った上、更にこうも言ったそうだ。
 多分もう彼女が自らの意思で帰ってくることはないだろう、彼らは真名を交わすだろうから、故にしばらくは見守れと。
 何故そこまで断言できるのだ、と問い詰める上層部に、あの軍団長が言ったのは。
「僕は恋を知っている。そしてエルダの魂を知ってる。ゾルデフォンがどんなやつかを知ってる。なら、答えを出すのは容易いよね」
 むしろ天界が今騒いで邪魔をするな、逆効果になる、とまで言ったらしい。
「それでな。『最終的に真名を交わした後には、天界に危害を加えることが絶対ない悪魔貴族になるんだから、天界的に悪い条件じゃないと思うけど?』と上層部を抑えつけてたんだとよ。今になってこっちに連絡が来たのは、奴が『多分そろそろ真名の交換が終わってるだろう』っつったから、らしいんだが」
「成る程」
 どこまでが計算でどこまでが適当だったのかは解らない。が、確かに彼女がいる限り、自分が天界に刃を向けることはないだろう。それをしたと知った時の彼女がどういう顔をするかを考えれば、そんな気も起きない。多分目の前の相手に命じられても断るだろう。
 悪魔は欲に忠実だ。
 故に、中枢の命令より、恋した相手の方を優先するのは、悪魔にとって別に何の罪悪でもない。欲を取る行為は当たり前で、本能で、当然なのだ。今まで中枢からの命令に従ってたのは、それを態々断るほど大きな欲が彼になかったから、とも言える。
 が、今はもう彼女がいる。
「まー、真名まで交わしたなら、相手がいる限りは、もうお前が天界の敵になる事はないよなぁ。むしろ下手なことをすれば、魔界がお前の敵になるかもしれねー訳だ」
 恋は、他の全てを凌駕する。魔界を裏切る悪魔、というのも簡単に生み出すのだ。その逆もあるが。
「やべーな、あの軍団長。思ってた以上に頭が回りやがる」
 苦笑いで言うソレーズの意見には全面的に賛成はする。
 天界、そして魔界においてすらあの軍団長は「戦いしか能がない」と思われているが、今回の一連の流れからして、どう考えてもそうではないとしか思えないのだ。そしてあの戦闘力において凶悪なる力を持つ相手が、しかもその思考においても周囲を欺く程に秀でているのだとしたら、本当に現在の天界と魔界の関係には相当なる差がある、という事になる。
 戦争をする気など彼らに毛頭ないが、多分戦争をしたら完全に負けるだろう。
「まぁ、でもお前が破滅しなかっただけ、こっちも良かったよ。しかし」
 紫の目が彼をじっと見る。
「ずっと天使囲ってるにしちゃ、殆ど力が衰えてねーけど」
「連れてきた時に羽を奪った」
「あー、そっか、お前ならそれが出来んのか。成る程ね。じゃあお前は今後も殆ど今の力を維持するわけで……もしかしたらあの軍団長、そこまで計算づくか?」
「? どういうことだ」
 はぁ、とソレーズが呆れた顔をするその意味が解らずに問いかけた彼に、相手はひょいっと手元にあった紙の一つを投げて寄越した。それを受け取り中を見て。
 絶句する。
「最早敵になる事が絶対にない、しかも話が出来て、恋した相手の魂っつー弱点まである悪魔貴族。天界からしてみりゃ、やられたことにさえ目を瞑れば、これ以上ない安全な魔界との仕事上の相手っつーこった。本当、あいつらの合理的過ぎる判断は嫌んなるなー」
 今回の行為の責任、という名目でもって、今後の魔界からの使節は全てゾルデフォンに一任せよ、という要求がそこには書かれている。普通に考えれば天使を誘拐した悪魔など二度と天界に入れる訳はないのだが、ソレーズが言う通り、彼はもう天界の敵になることがない上に、彼女の魂は確かに真名でもってあの軍団長も握っており、その点で今後完全に天界に危害を加える可能性は無くなっている。
 そしてもし力が衰えていたならば例え大悪魔でも貴族の地位は危うかったし、その地位がなければ使節などという重要な役目などソレーズだってまず与えられないのだが、彼は結局殆ど力が衰えていない。貴族のままだ。それすら予想されていたらしい。
 結果として合理性を最も重視する天界からしてみれば、確かに現状彼以上に安全な相手もいない、のだろう。いざとなれば彼女の魂という最悪のカードすら切れるのだから。
 ただ、あの軍団長が、例え上層部の命令でもそのカードを切るとは彼には到底思えなかったが。そこまではソレーズにはわからないだろう。彼がそう思うのは、彼女から聞くあの存在の言動と、自分の知る言動からの推測である。きっとあれは真に彼女の不幸は望んでおらず、真名の交換まで成立したなら、むしろこちらを見守る方を取るだろうし、その魂をもって彼を操るなどという行為は嫌がりそうだ。それをする位ならば彼女の真名を変えた時のように、天界を再度欺く程度はしそうである。
 が、それは今目の前にいる相手に言う必要はあるまい。
 どうやらあの軍団長は、嘘はつけずとも色んな方法でもって周囲を欺く術を持っていて、しかしそれを開示する行為は己にとっての利点はない。向こうが敵にならない限り。
 まぁ、この程度の面倒事、彼女をそばに置く代償と思えば軽いものだろう。
 それだけの価値が、あるのだから。
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