試す 1

文字数 2,107文字

 空色の髪の中天使。
 普通の悪魔ならば目も留めないような存在だろう。だが彼にとってはこの世で最も価値がある存在。そしてこの世で唯一、彼の心を壊せる存在。じっとその動向を伺っていると、長き沈黙の果てに、彼女は意を決したらしく、その桃色の目にはっきりとした意思を宿して彼を見る。
 真っ直ぐ、揺るがぬものを持った目。
 その視線を受けるだけで歓喜するこの心は、本当に己では如何ともしがたいものだ、と思う。相手の表情ひとつに振り回されて、己の欲すらもどうでもよくなる程に揺さぶられる。恋とはこれ程までに厄介だったとは。ただ、その彼の動揺は本来の鉄仮面の下、殆ど相手に伝わってはいないだろうが。
「私、あの、ああいうことは、ちゃんとお互いに好きな同士ですべきだと思うんです」
 言葉を選びつつ彼女が話し出す。
 彼はそれを黙って受け入れる。
「でも、その、貴方が私に恋をしてて、それでその、さっきは抑えられなかったけど、今はダメだってわかってるなら、私はそれでいいです。誰だって後悔しないと気づかないこと、絶対あると思いますし、あなたが後悔したというその気持ちを、私は大事にしたい」
 ひとつひとつを噛みしめるよう、言うその声はしかしはっきりとした意思があって、もう結論も出ているように思えた。恐らくこの後の言葉次第で、それは酷く簡単に彼を壊すのだろう。
 彼女は、自分の背後にちらり、と目を向ける。本来そこにあった羽はもうない。
「羽、取ったのは貴方ですよね?」
「ああ。そのままでは我の力がすり減って、結果としてそなたを守れなくなる、と思った」
 その言葉に、また少しの沈黙。
「普通、その、羽を取られると、もっと消えかけて不安定になると記憶してるのですが」
「我の属性が生命だ。たとえ瀕死でも消失しない限りは安定させることは容易い。痛まぬようにしたが、痛むか?」
「いえ」
 否定。けれど。
「体は痛くないです。でも、心が痛いです」
 じっと彼を見る桃色の目は、しかし言葉ほどには棘がない。責めると言うより、淡々と事実を伝えている、そんな様子で。
「貴方は、ずっと私と一緒にいたくて、そうしたんですか?」
「あぁ」
 迷わず頷けば、彼女の長い袖の先が揺れて、どうやらその中で拳を握りしめでもしたのだろう、と思われた。
 また少しの沈黙。
 彼女は、彼をただ見ていた。そして。
「貴方は、多分、あまり器用じゃないです」
 いきなりそんなことを言い出した。
「いえ、あの、私以外には、普通に悪魔らしく、器用なのかもしれないです。でも、私に対しては、器用じゃないです。きっとやろうと思えばもっと、嘘も使って、うまく私を言いくるめることだってできる筈なのに、それをする前に名前を渡そうとした。それが、恋をしているせいだとしても、いえ、恋をしてる限りずっと、私にはそうなんだと思います」
 元からそこまで器用に腹芸ができるかと言われればそこはゾルデフォン自身あまりわからないが(まず周りと深く関わった記憶もない)、だが悪魔の性質上、確かに嘘はいくらでもつけるので、彼女の言う通り、やろうと思えばそれで言いくるめることも出来たのだろう。彼自身、いかにもそれが出来そうな悪魔達なんていくらでも思い当たる。
 そこで自分がそれを思いつかなかったのは、確かに、彼女に対しての不器用さ故、なのかもしれない。
 器用であればまず後悔する行為などしていないだろう。
「だけど、私は、だから貴方を嫌いになれない。貴方がしたのは全部酷いことだけど、それを後悔する貴方を、ちゃんと本当の理由を言う貴方を、私は嫌いになれない。多分、貴方が私に対して誠実なら、貴方が悪魔でも、私は貴方を好きになれる気がするんです。恋とは違うけれど」
 その言葉に、軽く目を見開いた彼に、口にした当の天使の方がさっと頬を赤らめる。そんな発言をしたのに、酷く恥ずかしそうにする様はまた恐ろしく可愛らしくて、目の毒と言っても良いほどに彼の中を刺激したのだけれど、そこはさすがに彼も抑え込む。本来の無表情が、そんな葛藤は最初から無いかのようにしてくれる。
「ど、どう思いますか?」
「好きになって貰える方が嬉しい」
「っ! ま、まだわかんないです! 最後に好きになるかどうかの、絶対のお約束は出来ないです! でも、私がそういう方を嫌いになれない、のは本当ですっ」
 嘘のつけない天使らしく、そこはしっかりと約束できないと言い切りつつも、けれどそうやって後から付け加える辺り、どうやら彼女は結構元から他者に甘い性質なのではなかろうか、と。そこでふと彼は思う。多分それは恋をしている彼を慮った上の言葉なのだろうが、厳しさを元にする天使などは決してそんな言葉は入れない。
 天使は嘘はつけないが、沈黙を選ぶことは出来るからだ。
 それは、正直つけ入りやすさではないか、などとずる賢い彼などは思ってしまうのだが、とりあえず今はそこにつけ入ることはしない。そういうのは、そう、彼女の中にしっかりと好意が生まれてからの方が良いだろうし、先にそういうことをして警戒されて良い効果があるとは思えない。
 とりあえず今はそれよりも。
 彼女の出す結論の方が気になった。
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