奪う 1

文字数 2,071文字

 結局の所、大悪魔と大天使の大部分にとって、真の意味で不可侵な場所というものはほぼ存在しない。互いの界ですら、実は飛び越えようと思えば簡単で、それでも尚それぞれが互いの都合を守っていたのは、単にそれが最も面倒がないからという一点に尽きる。例外といえば個人の結界になるのだが、基本彼らは結界というものを作ったりはしない。不快であればその存在自体を根本からどうにかしてしまうので、そこであえて己で篭る理由がないからだ。
 しかしこの時、ゾルデフォンは、創生以来本当に初めて、結界というものを作った。
 天界から真っ直ぐに帰ってきた己の屋敷で、当然のように中に何もいないのを確認した上で(許可なく貴族の屋敷に立ち入るほど自分を軽んじている悪魔などいない。相手が彼に恋焦がれていたらまた別だろうが、今までそんなものは現れなかった)屋敷を覆うように結界を張った。
 誰の立ち入りも許さない、そして自分以外の誰が出るのも許さないものを。
 完全に、屋敷そのものを隔離したのだ。
 魔界でなお完全に隔絶された場所にしたその屋敷を、だが悪魔の誰も気にするものはいないだろう。悪魔はそういう存在である。だから、彼がその時天使を抱えていたことさえ見ているモノは「すべてを見通す力を持つ」悪魔しかいなかったのだが、その悪魔ですらいろいろなモノが常に見えているせいで逆に多くのことに興味関心が非常に薄かった為、大して親しくもない彼が天使を抱えていても気にすら留めずに記憶の彼方に流してしまった。
 故に、この時本当の意味で中天使の居場所を知っているのは、彼とそれに暗に加担したあの軍団長だけで。
 だが天界は事態を掴んでそれが後の祭であったなら、恐らく捜索など出さず、まして居場所を知ったとて救出など全くしないだろうと思われた。それは恐らくあの軍団長もわかっていたことだろう。調和を重んじる天界においては、悪魔の暴挙に抗議はしても、中天使一体に躍起になって取り返そうとすることで両界の調和を乱す方が嫌がられるのだ。
 冷酷な話、調和の為なら、下位の存在など簡単に切り捨てるのが天界である。彼らは決して慈悲深くはない。むしろ非常に合理的な判断をする。
 だから。
 ゾルデフォンが連れ帰ってきたこの空色の髪の中天使は、もう天界に帰る術はない。
 意識を失ったままでくたりとしているその身体を寝台に降ろして隣に座り、無意識に髪を撫でつつ、しかしこれではまだ安心できないと彼は思う。何故なら、この天使をそばに置き続けることで弱っていく彼の力では、そのうち結界を保つことは難しくなるだろうことは簡単に予想できるからだ。天使と共にいるということはそういうことだ。
 力が減ること自体は特に気にしないのだが、力が無くなることで余計な邪魔が入った時にそれを退けられなくなる、のは問題である。
 さてどうしたものか、と思った彼の目に映ったのは、彼女の純白の羽。
 そういえば。
 天使も悪魔も、羽をもがれるとほぼ存在が消えかけるし、例え一命を取り留めても、その後は力の大部分を失う。羽に宿るわけではないのだが、ただ存在そのものが「欠ける」ことによって、完全な力を失ってしまうのだ。それは羽のみならず足や手でも同じなのだが、単純に羽の方が大きい分、余計に減る。
 ただ、羽をもぐことで生命的に即死する、とは聞いたことがない。
 即死でないのなら。
 生命の属性を持つ彼に、救えないものはない。
 そう気付いたら彼はすぐさま動いていた。その手を彼女の羽に伸ばす。柔らかな心地よい羽の感触は彼女の一部と思えば大事なものには違いなかったが、それなら別に保管していれば良いだけで、彼はその背からその羽がなくなった所で彼女への興味が薄らぐことは一切ないのだから関係ない。そう、たとえ彼女から手足が失われたとしても尚、気持ちは変わらないだろう。そこまでする必要はないが。
 痛みを与えたい訳ではなかったので、そこだけは慎重に気遣って、しかしあっさりと彼は彼女から羽を奪うことに成功する。二つの羽はその体から離れて尚輝いていたが、羽を奪われた瞬間に天使の力が一気に失われ、そして同時にその命がガクッとすり減ったのを感じたが、そこは簡単に自分の属性でもって補った。限りなく天使としての力が無くなった状態で、けれど存在が消えることがない程度には安定した状態に変わる。
 そういえば生命の属性を使ったのもこれが初めてだ、と思う。
 とりあえず羽をそっと別の場所に保管して、彼は再度羽が失われた彼女を見た。
 まるで人間の少女、に見えないこともない。天使としての力が殆どなくなっているから余計に。だがそれをもってしても別段彼女への想いが変わることもない。とりあえずこの状態ならば、彼の力の減りは最大限抑えられるだろう。少なくとも、この存在を閉じ込めておける程度には十分な筈だ。逆に彼女は、本当に魔界においては小悪魔相手にすら自衛する程の力も無くなっているが、彼が側にいるのだから、それは問題ないだろう。
 彼はもう、その存在を側から離すつもりはなかった。
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