第17話 獣道(2) ジッポライター

文字数 10,474文字

Gショックを確認した。
獣道を進み始めて2時間が経過している。


標高は1000m超あるが気温は20℃… 広葉樹が日差しを遮り、山頂方面から風が吹き下ろす好条件である。
湿気を感じさせないので動きやすい環境だった。

疲労感を訴えていた神田警部補はカロリーメイトを囓っている。
偵察行動の最中に晩飯の事を考えていたり、休憩はまだか、あとどれ位で着くのか? などと場の空気を読まない発言が多いのだが、疲労の蓄積状況を推認するには便利な口数の多さだった。


「神田警部補、帰りの水は残しておけよ。」
「はい。もう1本あります。」


水分補給を終えた時だった… 左後方の下草から気配がした。
百地三佐は身を屈めた。
それを見た神田警部補は、弾けるように匍匐(ほふく)の体制になった。
揺れる下草と私の顔を交互に見比べている。


私はSR25を手に取った… 距離は約30m… 下草が大きく揺れている。
ガザガザという音が聞こえてきた… 人間ではないだろう。


ぬーっと、灰色の体毛に覆われた動物の顔が現れた… 鼻をヒクつかせている。
こちらが風上だった。
人間の匂いを感じ取っているのだろう。

熊ではない… 鹿でもなかった… 初めて見る動物だった。

下草から全身を現わす事なく、こちらを伺っている。
丸いつぶらな瞳とは対照的な鋭く尖った2本の角が印象的だ。
百地三佐を確認すると〝大丈夫だ〟という様に大きく頷いている。
私は警戒態勢を解いた。


「ニホンカモシカね。」
「カモシカ?」
「ええ。日本の固有種よ。国の特別天然記念物に指定されてるわ。」
「以外とデカいな。」
「あの尖った角で抉られたら嫌っすね。」


山で希少動物に遭遇するという事は、獣の領域に奥深く侵入したという事である。


「さぁ、出発しましょう。」
「あと…1時間っすね。」


尾根は北北西に向けて伸びている。
獣道は徐々に細くなり、アップダウンとS字が繰り返されるパターンに変わった。
地面には岩の露出が多くなってきている。


30分ほど進むと、獣道は崖下に到着してしまった…。


足下は岩の露出が多い。
獣道の方向は判別できない状況になった。


「風間一尉、ドローンを飛ばしてくださる?」
「この環境だと垂直に上昇させるだけになる。」
俯瞰(ふかん)で見てみたいの。お願いします。」
「了解。」


バックバッグからドローンを取り出し、木の枝と崖に注意しながら崖の斜面に沿って垂直に上昇させる… ドローンが崖を越えると山頂付近の画像が映った。


百地三佐はモニターを凝視している…。


「東回りね… ありがとう。もう良いわ。」


何を理由に〝東から回り込む〟事を決断したのかは不明だった。
隊長は百地三佐だ… 従っておこうと思う。


私達は崖を左に見ながら東方向へと進んだ。


山頂域へと近付くにつれて木が少なくなっている。
木の密度が減った分、直射日光に晒される時間が増えていた。
勾配もきつくなっている。
神田警部補の額には汗の粒が目立ち始めている。


更に30分ほど進んだ。


ふと、先頭を進んでいた百地三佐の後ろ姿が見えなくなった。
岩場の緩斜面を20mほど登ると急に視界が開けた… 眼下には、一面の森林が広がっている… 遠くには町並みと海が見えている。


私達は急峻な崖の上に立っていた。


「2時の方向、距離約600…」


百地三佐の声が聞こえた… 片膝立ちで双眼鏡を覗いている。
単眼鏡で2時の方向を確認した。


町並みと海を背景にした山の右肩側から、Z字が数回繰り返される道が下っている… 道の終点にある緩やかな斜面が切り開かれていた。
灰色の塀で囲われた敷地の中心には、山を背にした豪壮な純和風の建物が鎮座しているのが目視出来た。
山を背にしているので街からは目視する事は出来ない…。
”秘密の別荘” と呼ぶにはぴったりのシチュエーションである。


「百地三佐、ドローンを飛ばします。」
「お願い。」


私がバックバッグからドローンを取り出すと、神田警部補はリュックから巨大な望遠レンズが装着された一眼レフを取り出した。


障害物はない。
ドローンを下降させながら、真っ直ぐに敷地へと向かわせた。
塀の全景が映る位置でホバーリングさせる… 録画モードのボタンを押した。


「うわ… 凄いな。築地塀(ついじべい)だ。 金掛かってるなぁ。」


望遠レンズを上下左右に振りながら感嘆の声を上げている。


・・・神田警部補よ、着眼点はそこなのか???・・・


築地塀(ついじべい)? 初めて聞くわね。 」
「古い寺や神社で使われてる日本古来の土塀です。維持するの大変なんです。」


・・・百地三佐、貴女もか???・・・



ドローンを豪華な門へと接近させた。


両開きの立派な門である… 扉は人の倍以上はあるだろう。
遠くから見える印象は神社や寺の様に感じさせたが、門の左右上部には監視カメラが取り付けられている… 赤外線感知装置もあった。


塀を越えて建物に接近させる…


山の斜面を背にして、森に馴染む色の外壁で作られている日本建築が映った。
庭に面した側は日本建築とは不釣り合いなガラス張りの廊下が作られている。
長い廊下の突き当たりと中間点には、直立不動の男2人見えた。


「何これ… 高度を上げて全体を見せて。」
「ハリウッド映画に出てくるヤクザの豪邸って感じっすね…。」


敷地を俯瞰(ふかん)できる高度までドローンを上昇させた。


屋根は ”緑青(ろくしょう)” で染まっていた。
銅板が張られているのだ。
ガラスで覆われた長い廊下の前には日本庭園が作られている… 大きな岩から滝のように水が流れ落ちていて、池の中にはカラフルな魚がたくさん泳いでいた。
庭園の一角にはバーカウンターや簡易キッチンがあり、パーティ会場にも使えるような作りになっている。


建物の陰から見事に耳の立った犬を連れて歩いて来る男が映った。


「ドーベルマン… いたわね。」


モニターを覗き込んでいた百地三佐は ”面倒臭い” と言いたげに腕組みをした。


建物の上空を通り、東側にドローンを移動させた。


屋根付きの駐車場が映った。
シルバーのメルセデス、それに黒のレクサスとワゴン車が2台停まっている… ナンバーは全て ”・123” で統一されている。
ここでも、同じ服装をした男が洗車をしていた。


「山側に移動させてくれるかしら。」
「了解。」


建物の裏側になる山側も築地塀で囲まれていた。
山へ抜ける潜り戸が一カ所設置されているが、敷地全てが塀で囲まれている。
監視カメラと赤外線の侵入感知装置も設置されていた。
ここにもドーベルマン犬を連れて歩いている男がいる。
暗闇であっても訓練された犬からの追跡は逃れられない… 厄介な存在である。


駐車場までドローンを戻し、敷地入口への門まで飛ばしてみた。


駐車場から入口の門までは100m位あるだろう。
敷地への入口は ”のっぺらぼう” が2台並んで通れるほどの立派な門である。

表からは神社や寺の門に見えたが、裏からの景色は違っていた… この門は金属で作られている。
鋼材をクロスさせて補強も施されていた。
潜り戸の右隣には歩哨所のような小屋があり、中にはモニターで監視している男が見えた… モニターには複数の画面が映し出されている。


「監視カメラに赤外線感知装置、それにドーベルマン、やばいっす…」
「この門扉… ちょっとした要塞ね。」
「車が突っ込んでも平気そうだ。」


私は大きな疑問を抱いた。
何かと言うと… ”電力を引いている形跡が見当たらない” のである。
自家発電設備なのだろうか?


「百地三佐、電源設備が発見できない。」
「そうね。…一次的に電源を落として侵入するには場所の特定が必要よ。」


私は表示されている飛行可能時間ギリギリまで敷地を確認した。
しかし、電源供給をしていると思われる設備を発見することは出来なかった。


〝「此方、中島。定時連絡が無い。聞こえるか? どうなっている?」〟


無線から中島警視の声が聞こえてきた…


「連絡が遅れました。ごめんなさい。こちらは大丈夫よ。」
〝「了解した。」〟
「建物の位置、敷地の概要をある程度把握できました。これから戻ります。」
〝「了解。」〟


SR25のスコープで建物を覗いてみた。
この岩場からは大きな門が一部を邪魔しているが、車寄せと玄関、屋根付き駐車場までの通路、それに ”ガラス張りの長い廊下” を見渡す事ができている。
距離計で建物までの距離を測る… 約2000フィート(600m)と表示された。
SR25で狙撃可能な距離ではある。


「敷地内の概要まで確認できました。大きな成果ね。」


その通りだった。
しかし、これだけの厳重な警備が施されている場所へ真っ昼間から侵入を試みるのは自殺行為に他ならない。
侵入するには夜間がベストだが、赤外線侵入監視装置と監視カメラを突破するには一次的なブラックアウトが必要だった。

神田警部補が鳴らすシャッター音を聞いている内に、このまま夜間の警備状況を調査したい気持ちで一杯になっていた。

ドローンの録画映像と神田警部補が撮影した画像の分析にはそれなりの時間が掛かってしまう… ここまで来て戻るのは時間を無駄にするような気がしてならない。
野営セットとソーラー充電キットを持ってこなかった事が悔やまれた。


「1300時を過ぎました。 撤収します。」


百地三佐は時計を確認していた。
日暮れ前に戻るには丁度良い時間帯である。
前のめりになっている気持ちを抑えつつ、GPSに地点登録を行った。


「…了解。 撤収し・・・」
「あっ!ああっ!」


黙々とシャッターを切っていた神田警部補が素っ頓狂な声を上げた。


「どうした?」
「あれ! あれ怪しいっすよ! マジで!」


山頂の右肩部分から敷地へと繋がるZ字の道を ”黒い車” が下っているのが、肉眼でもはっきりと確認できた。
スコープを覗く…

中島警視が見せてくれた映像にあったマイバッハと良く似ている。
建物へとスコープを向けるとガラス張り廊下の動きが騒がしくなっていた。
何人かの男は走って移動している。


黒いマイバッハがZ字道路の中程まで来た時、固く閉ざされていた大きな門がゆっくりと開き始めた。


同じ制服を着た男達が出て来る… 2人だ。それに続いてスーツ姿の男が1人…
玄関前にも続々と男達が出て来ている。


私は反射的に SR25 のハイポッドを開き、伏射の体勢を取っていた。


「風間一尉、追えてる?」
「前席に2人。 後席は見えない。」
「百地三佐、玄関の状況は?」
「・・・兵隊は多いって事は確かよ。」


玄関にスコープを向ける…

踊り場は ”同じ制服を着た男達” で溢れかえっていた。
門の側に立っていたスーツ姿の男のを中心にして、同じ服を着た男達が整列を始めた… 黒いマイバッハは大きな門へと近付いて行く…

後席はスモークグラスで中は全く窺えない。


「百地三佐、風間一尉! これ、これ間違いないですって!」


マイバッハは門に吸い込まれて行ってしまった。
門がゆっくりと閉じられてゆく… 門扉の陰になって見えなくなった。


皆、同じ事を考えているだろう…


()()()()()()()()()()()()()()。”


初弾を装填してセーフティを解除した。


玄関前の車寄せにマイバッハのテールランプが光る。
その奥に見える建物の玄関が開かれた… 中から ”左のこめかみから頬に掛けてのシミがある白い総髪の男” が出て来た… 右手にステッキを手渡されている。


「王恭造を確認!」
「どういう事だ? 車には誰が乗っている?」


スーツ姿の男がマイバッハの左後席ドアに手を掛ける… 整列していた制服の男達が左後席の回りに集まってしまった。
男達の背中が視界を遮っている。


「くそっ! どけっ、見えないっ!」


スーツの男が… ドアを… 引いた… のが、辛うじて見えた。
ドアが開かれた瞬間、制服姿の男達が一斉に45度のお辞儀をした。


唐突に視界が開けた。
後席から紺のスーツに赤ネクタイの男が降りて来た… でっぷりとした体型、黒縁の眼鏡が印象的だ…。


「見えた! 中国統戦部の周葎明よ! 両方撃って!」


百地三佐が叫ぶ。
息を大きく吸い込み下腹に力を入れてゆっくりと吐き出した。


「向かい風 3メートル! 距離約600! 」
「了解っ!」


百地三佐は風速計を持っていた… ナイスなアシストだった。
お陰で私は照準を調整できた。



  …王恭造が周葎明に歩み寄る…


    …握手を交わした…


   …2人の頭部が重なった…



息を止める… 引き金を絞った。


〝ボスッッッ!〟


サプレッサーの音が空気を斬った。
同時にデジタル一眼レフカメラの連続したシャッター音が続いた。


周葎明が前のめりに倒れると同時に、王恭造の頭が後方へ弾け飛ぶ… それとほぼ同時に王恭造の身体は1mほど後方へ飛ばされた。


同じ制服の男達があたふたと動いている。
怒声や罵声が聞こえてきそうな慌て振りだ。
白い総髪が無くなっている王恭造は、男達に抱えられて豪勢な玄関へと消えていった…
周葎明は放置されたままである。


神田警部補のデジタル一眼レフカメラからシャッター音が消えた。


「下がれ! 見つかるぞ!」


射撃の方角は知られている。
岩場の斜面を半分ほど匍匐の状態で下った。


「凄いっすね! 1発で2人仕留めた。」
「決定的瞬間は撮れたか?」
「・・・撮れたと思います!」


岩の陰に横になりながら、神田警部補はデジタル一眼レフを再生モードにした。


小さなモニターに白い総髪の男が映し出された。
こめかみから頬にかけてのシミ、深く刻まれた目元の皺… 私が目に焼き付けた写真の男と同じ顔と特徴だった。

次に、車から降りて来る周葎明が映った。


・・・握手、抱擁、頭部が吹き飛び倒れ込む。
      頭部の無い恭造は男達に抱えられ、玄関に消えてゆく・・・


神田警部補は狙撃の瞬間を完璧に撮影していた。


「ビンゴ!」


神田警部補は右手で拳を作り〝やってやったぜ!〟と勝ち誇った表情をしている。
その通りだ。
もし、一眼レフを仕舞っていたら、このチャンスは逃していた。
思う存分、気の済むまで勝ち誇ってくれていい。


「神田警部補,ピューリッツァー賞ものだな。」
「本当ね。ラッキーボーイだわ。」
「恐縮です!」


神田警部補は満足げな微笑みを魅せていた。
百地三佐もホッとした顔をしている。


「中島警視、聞こえる?」
〝「はい。聞こえます。」〟
「任務完了、繰り返す。任務完了! 撤収準備!」
〝「撤収? もう一度言って下さい?」〟

「撤収準備! 風間一尉が1発で王恭造と周葎明を仕留めたの。」
〝「1発で? 本当か? 」〟
「ええ。神田警部補が決定的瞬間を撮ったの。ピューリッツァ賞ものよ。」
〝「…了解っ!」〟


百地三佐はこちらに向かってウィンクして魅せた。
この写真はアメリカ政府も大喜びだろう。


「さぁ、戻るわよ。」
「了解。」 「了解ですっ!」


岩場の斜面を小走りで下った。
射撃の方角は知られている… 1分でも早く立ち去るのが懸命である。


登録したGPSのマーカーに従い、アップダウンを繰り返す尾根を進んだ。
休むこと無く ”獣道の分岐ポイント” へと向かう。


岩場が多い下りが続く斜面に入ると神田警部補の歩くペースが極端に落ちた… 歩き方がぎこちなくなっている。
古民家から一番近い〝獣道の分岐ポイント〟まで到着した時、神田警部補は徐ろに立ち止まってしまった。


「後1時間だぞ。しっかりしろ。」
「休憩させて貰ってもいいですか? すいません…」
「…百地三佐、休憩しましょう。 神田警部補の膝が笑ってる。」
「了解。…10分休憩します」


神田警部補は〝よっこらしょ〟と言いそうな感じで岩場の一部に腰を掛けた。
膝の皿を入念にマッサージした後、取り出したペットボトルを口にしたが全て飲みきる事はしていない。
自分が置かれている状況は把握できていた… 少し休めば大丈夫だろう。


「ブーツが原因かも知れないわ。ソールが固いと膝に衝撃が伝わる。」
「スニーカーを買っておきます…」
「もう山登りはしないわ。」
「…そうでしたね(笑)」


暫くマッサージを続けていた神田警部補は立ち上がって膝の屈伸をしている。
腰の痛みは出ていないように見える。


「今夜は4人で晩飯ですね。楽しみっす(笑)」
「そうだな。ピューリッツァー賞の前祝いだ。俺が奢るよ。」
「へへっ。ゴチになりまぁす。」


ゴチニナル…???
どういう意味だろうか?


「その様子なら大丈夫そうね。」
「はい。 ご迷惑掛けました!」
「では、出発。」


此処からは緩斜面が続く。
しかし、百地三佐はスピードを落として歩いていた。
山道は下りの方が辛い… 神田警部補の膝を気遣っているのだ。

私達は1時間以上かけて ”北面の沢” まで戻った。

視線の先には裏庭の石垣と獣避けネットが見えている。
任務完了まではもう少しである。
獣道を出て ”沢” へ降りると下流から吹き上げる風に変わっていた。


風上に気配を感じて視線を送る…
河原になっている部分に鹿の姿が見えた。
振り返って、こちらを伺っている。
行きにはニホンカモシカ、帰りには大鹿に遭遇した。
この山は自然の恵みが豊かなのだろう。

立派な角が風格を醸し出している雄鹿だった… 距離約20m。
沢の音で足音が消されたのだ。
それに私達は風下の位置にいる。
お互いが近距離まで気付かない〝不意の遭遇〟というやつである。


獣道にある沢… 自分の匂いを一次的に消すには、うってつけの場所である。
…周囲に他の鹿は見えない。はぐれ鹿だろうか?


私達は鹿を一瞥しながら北側の石垣を登り、獣避けネットを越えた。
十字通路を通り基地へと向かう。
クレイモアを仕掛けた木戸を避けて裏庭に入った。
竹林の通路を抜ける。


玄関の前に置かれた椅子に座っている中島警視の後ろ姿が見えた… まるで日光浴をしながら寝てしまった様な感じである。
神田警部補が駆け寄っていった。


「先輩、晩飯食いに行きましょう! 風間一尉が奢っ・・・あれっ?」


足下の白い玉砂利が赤黒く染まっているのが離れていても見て取れた。
罠だった…。


「先・・輩・・・?」
「神田! 戻れっ! 罠だ!」


神田警部補が振り向く・・・ 一瞬、顔が膨張した・・・ 頭の右半分が吹き飛んだ ・・・ 膝から崩れ落ちる ・・・ 玉砂利へ顔から突っ伏していった・・・


「F××k!」


古民家のガラス窓が砕けたが銃声がしない。
サプレッサーを装備している…


「神田警部補っ!」


走り寄ろうとする百地三佐の肩を掴んだ。
私の手を振り解こうとする。


「落ち着け!死んでる!」


百地三佐は凄い力で私の手を振り解こうとしている。


「百地三佐! もう死んでる!こっちへ来るんだ! 」


取り乱している百地三佐の手を引き、来た通路を戻った。


…耳元を銃弾が掠める。


神田警部補の頭は吹き飛んだ… 単発で撃ってくる… という事は、大口径ライフルかハンドガンにホローポイント弾を使っている。
いずれにせよ被弾すれば一発で行動不能になるのは間違いない。

銃弾が飛んできた方向にスコープを向けた。
引き金を3回絞った。
また銃弾が掠めた… 近付いて来ている。
しかし、相手の位置は特定できなかった。


更に古民家を回り込み岩穴の倉庫側に向かった。


…中島警視と仕掛けたはずのクレイモアが無くなっている。
奴はクレイモアに気付いている… プロだった。


「っつ! クソっ!」


敷地のどこかに解除したクレイモアを仕掛けた可能性がある。
私ならばそうするだろう。
迂闊に古民家を開いたならば、サタンの使いが待っているかも知れない…


隠れる場所を考えた。


今、この敷地で身を隠せる場所は ”岩穴の倉庫” しかないだろう… 倉庫は鉄製の頑丈な扉である… 入れれば時間は稼げる。


足下に注意しなが〝岩穴の倉庫〟を目指して移動した。


鉄扉の南京錠に異常は無い。
鍵を外し、ゆっくりと扉を開きトラップの痕跡を探した。
耳元を銃弾が掠める。
鉄扉にトラップ・ワイヤーは取り付けられていなかった。
百地三佐を中に入れる。


「いいか、全部終わるまで出るな。俺以外の奴が開けたら迷わず撃て。」
「わ、分かったわ…」


肩に乗せた手に小刻みな震えを感じた
百地三佐はガンホルスターから銃を取り出した… 地面に向けてスライドを前後させ安全装置を外した。


「躊躇うな。俺以外の奴は撃て。いいな?」


鉄扉を少しだけ開ける… スコープで玄関の方向を覗いた。


鉄扉が連続で派手に弾ける… 金属の弾ける甲高い音が複数鳴った… 鉄扉を貫通させられていない…
真正面に回り込まれてしまったが、これならば時間は稼げる。


スコープで前方を確認した。


石の灯籠付近にマズルフラッシュが見えた。
見つけた… 殺してやる。


SR25を連射しながら鉄扉を出た… 玄関方面へと走って回り込む。
一瞬だが、自衛隊の迷彩服が見えた。
石の灯籠が派手に弾けると同時に、また耳元を銃弾が掠めた。
自衛隊の迷彩服と鋭い眼光がはっきりと見えた。


見覚えのある目だった…


嫌な予感は予想外の形で的中してしまった。
空挺レンジャーの石井准陸尉は気配を殺して相手に近付く訓練は死ぬほど受けている… 単独行動で此処まで移動していた中島警視は尾行られていたのだろうか?
車の運転をしながら気配を消すことなど可能なのだろうか?
石井准陸尉の心は壊したはずだった。

上手く考えが纏まらない。
しかし、石井准陸尉と戦闘状態になっているのは紛れもない事実だった。

動かずにじっとしていれば何も無かった事に出来たかも知れなかった… 結末も違った方向へ転がる可能性もあったのだ。
何故、ここまで来たんだ… 石井准陸尉の愚かさに激しい怒りが湧き上がった。


「自分から全てを壊しに来るとは思わなかったぞ!」
「うるせえぇ… 死ぬのはお前だ!」


足下には脳漿をまき散らして転がっている神田警部補の姿があった。
どうしようもない憤怒が突き上げてくる。

私は反射的に立ち上がっていた… 連射しながら石井准陸尉へと駆け寄る。
石の灯籠が砕けていく… 弾切れだった。
右もものホルスターに手を掛ける… 抜きざまにセーフティを外した。


走り寄る… 距離、5m… 石井准陸尉はリロードしていた。


左肩を撃ち抜いた… 握っていた弾倉が地面に落ちる。
続け様に右膝の皿を撃ち抜いた。


「うがぁぁぁっ!」


立ち上がろうと藻掻いている。
右足が嫌な角度で曲がっていた。


「何故、追って来た? 何もしなければ何も無かった事に出来た。」
「お前達が考えている事は・・直ぐに分かった・・娘まで・・利用しやがって!」
「汚れた金で娘の心臓を買い、ヤクザの子分になって恨み言か?」
「親分は・・俺が守る・・娘に新しい心臓を・・・くれるんだ!」


私に真っ直ぐな視線を送ってきた。


…ふと、この男と私は同じなのだと感じた。
人はそれぞれの大義や正義を基準にして動いている。
時に、自分の大義のために小義を悪をとして闘いを始める…


〝我は木偶なり つかわれて踊るなり〟


石井准陸尉の表情に、遠い昔に観た日本映画の台詞が重なった。
同時にコルクボードに貼ってあった娘の写真、中島警視と神田警部補の面影が交互に頭を過ってゆく。


「残念だな… 王恭造は死んだよ。」
「う、嘘だ… 親分が死ぬ訳ない!」


ヤクザを〝親分〟と呼ぶ石井准陸尉に激しい嫌悪を感じた。
私は神田警部補への元に行き、リュックザックから一眼レフを取り出した。
電源ボタンを押し再生モードにする。
王恭造の白い総髪が吹き飛ぶ映像を見せてやった。


「全て終わったんだ。」


画像を見た石井准陸尉の目が徐々に死んでゆく…
絶望の表情で空を見上げている。


「殺してくれ・・・頼む・・殺してくれぇ・・・」


地面に落ちているハンドガンに弾丸を1発だけ装填させた。
弾倉を抜いたハンドガンを石井准陸尉の足下へと置く…。


「軍人として結末をつけろ。」


私は石井准陸尉に背を向け、振り返る事無く神田警部補の元へと向かった。
神田警部補の手に一眼レフカメラをしっかりと握らせる…


「ピューリッツァー賞はお前の物だ…」


湿気った森の香りと血の匂いが混ざった何とも表現しがたい臭いが鼻を突く…。
ただの肉魂になってしまった神田警部補の胸ポケットから、〝同い年だ〟と言っていたジッポライターとCAMELメンソールを取り出した。
1本取り出して火を付ける… 私は血の匂いを消す様に、煙を思い切り胸に吸い込み鼻から吐き出した… メンソールの香りが鼻に抜けてゆく。


「こいつは… 俺が預かるぞ・・・いいよな、神田。中島… 」


〝バスッッ〟


サイレンサー独特の発射音と同時に左腕が弾けた… 肘から先が動かない… 指先を伝って鮮血が滴り落ちている… 不思議と痛みは感じない。


「うあぁぁぁぁぁーっ!」


諦めに満ちた咆哮が聞こえてきた。
振り返ると… 私を仕留め損なった惨めな男が藻掻いていた。
弾丸は一発しか装填されていない。
もう、自らの頭を撃ち抜く事も出来ない… 哀れな男の断末魔だった。



煙草を咥え直し、FN Fiveseven をホルスターから引き抜く…
眉間に標準を合わせる…
引き金を絞った…


サイレンサー特有の音の後、石井准陸尉がもたれ掛っていた石灯籠が赤く染まった。
口を半開きにしたまま天を仰いでいる。

咥え煙草で倉庫まで歩いた… 西部劇映画の主人公にでもなった気分だ。

鉄扉を2回叩く。
鉄扉がゆっくりと開いた。
怯えた目をした百地三佐が覗き込んでくる。


「俺だ… 終わったよ。」


私の状況を見た百地三佐は反射的に左腕の傷に手を当ててきた。


「俺は大丈夫だ。 それより2人を… 中島と神田を葬ってやらないと…」
「貴方の処置が先!」


何故か百地三佐の声には切迫感があった…。


状況をしっかりと判断できているつもりだが、夏だというのに寒い… 視界が暗くなってきた… 目眩がする… 立っているのが辛くなってきた… どうやら、大きな血管が破れたらしい…


傷を押さえていた右手が離れると大量の鮮血がボタボタと滴り落ちた。
突然、岩穴全体が大きく揺れた様な気がした。


   …岩穴の奥に祀られている白い石像が倒れた様に見えた…
   …何故か私は吸い寄せられるように石像へ近付いている…
   …元の位置に戻そうと石像に触れた…
   …石像の頬が私の血で染まった…


その時だった…


・・・・景色がぐにゃりと歪んだ・・・・
 

身体が軽くなってゆく… 目の前の世界が収束していく様に見えた。
百地三佐の叫び声が頭の中で遠くなってゆく・・・。


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