第8話 演ずる者

文字数 8,091文字

私を乗せたシボレー・エキスプレスバンはJFK国際空港へと入ってゆく…
サーキット場を彷彿させる雰囲気の道路を走り、ターミナル1へと繋がる建物の前で停車した。


後方の安全確認をしていた運転席の伍長が滑る様に車を降りる… 小気味良い動きで回り込みスライドドアを開けた。
伍長はプロテックスのトラベル・キャリーを運び出し綺麗な敬礼をした後、私以外には聞き取れないであろう小声で呟いた。


「大尉。無事のご帰還をお待ちしております。」


すると… 後方に停まった車から3人の男女が降りて近付いて来た…。
全員がアナポリスのIDカードを付けていたが、誰一人として知っている顔の者はいない。

皆、口々に〝お疲れさま〟と口にしながら握手を求めてくる。
狐に抓まれた気持ちのままスマートフォンで集合写真を撮られた後、ターミナル1の入口まで見送られた… どうやら、別れのセレモニーらしい。
状況を察した私はしっかりと日本式のお辞儀をして、惜別の挨拶をした後に手を振って別れた。

正直、CIAはここまでやるのかと驚かされた… フェーズ2(日本潜入)はアナポリスを出た時から始まっていたのだ。

JALのカウンターで係員に航空チケットを渡し、大きな荷物を預けてクレームタッグを受け取る… 軍の輸送機や強襲揚陸艦での出国ばかりだった私にとって、正規の手続きをしてからアメリカを出るのは新鮮でありつつ不思議な感覚だった。


航空会社の搭乗手続きが終わると案内をしてくれたCIAスタッフが握手を求めてきた。


「…私は此処までです。任務成功をお祈りします。」
「ありがとう。」


私は緊張感を持って搭乗チェックに挑んだ。


…だが、厳しいと噂に聞いていたX線検査や金属探知機は流れ作業で終了、手荷物検査もおざなり感が否めない。
”風間賢藏一等陸尉” は呆気なく米国の搭乗チェックをクリアしたのである…。


CIAの不気味さを再認識するとともに、日本の緑パスポート + 自衛隊将校制服 のパワーを感じさせる出来事だった。


腕時計を確認した…


搭乗開始時刻までには余裕がある。
搭乗前チェックの緊張感から解放され喉の乾きを感じていた私は、ビジネスクラスが使えるラウンジへと向かった。


レセプションで受付を済ませてドリンクコーナーに向かうと、ドリンクコーナーにはビールのサーバーが己の存在感をアピールしまくるが如く設置されている。
JFK国際空港の場合、JALはドイツのルフトハンザ航空のラウンジと提携していた。

ラウンジにはアメリカ人だけではなく、日本人ビジネスマン風の男性達も散見されている。
私を目で追っていたロマンスグレーの男性が軽く敬礼をしてきた… 軍服姿の東洋人が珍しいのだろうか? 退役軍人だからだろうか? …私も軽く敬礼を返す。


日本自衛隊将校姿の私は、ラウンジ内の人々から過剰な視線を集めてしまっている。


思わずピルスナーグラスに手が伸びそうになった私の行動を注視しているグループがいた。
今、私は陸上自衛隊将官の制服を着ている… 日本行きの便であっても制服姿でビールはよろしくないだろう。
何事も無かったようにソフトドリンク用のグラスを手に取り、ソフトドリンクのサーバーにセットしてある ”7UP” のボタンを押した。


私を注視していたグループからの視線が消えた…。
やはり、彼等は自衛官姿の私が何を飲むのか気になっていたらしい。


黄色いポテトチップスの小袋を一つ手に取り、窓際のカウンター席へ向かった。
窓の外には私が搭乗するであろうJALのジャンボジェット機が見える。
ハイスツールに腰掛けて7UPを流し込んだ… 炭酸が喉に染みる。
俺は喉が渇いていたんだと見せ付ける様に〝プハー〟っと息を吐いてやった。
これで私に視線を送って来た彼等も文句は無いだろう(笑)


周囲の視線を集める原因の一つであろう制帽を脱いだ。


ポテトチップスの封を開けて数枚を口にした頃、ラウンジに入った時に敬礼をしてきたロマンスグレーの男がビールサーバーに向かって行った。
グラスに少し残ったビールを煽ると実に見事な手捌きでサーバーからグラスへと注いでいる… 泡の量も完璧なバランスだ。
恰幅の良い横から見た姿は、さながらビールマイスターである。


溢れそうな泡に一口付けたロマンスグレーの男と目が合った… 男は無表情で私に向かって近付いてくる。 ピルスナーグラスを握った右手に不自然さを感じた… グラスの底の方を握り締めている… 目に感情は無い…。


20m・・・ 15m・・・ ロマンスグレーの男は相変わらず無表情で距離を詰めてくる。


私は脱力した右腕をテーブルの下に持っていき、作った拳を握り締めた。
右手をテーブルの上に戻し、何気なく左手を右拳の上に置く。
5m… 3m… ロマンスグレーの男が動きを止めた。


「軍人か?」
「…。」
「日本のか? 日本の軍人なのか?」


片言の日本語で問いかけてきた。


「…そうだが?」


私が日本の軍人である事を認めるや否や、ロマンスグレーの男は私との殻を割って近づいて来る… カウンターに方肘を付きながら一気に捲し立てた。


「俺は日本が大好きなんだ! 今回で5度目の日本旅行なんだぞ。こんなに日本を愛してるアメリカ人はそうは居ない。 おーい、みんな! 日本の軍人がいるぞ! 立派な軍人だぞ! 乾杯だ!」


…ただの酔っ払いだった。
一際大きな声で笑うと注いだばかりのビールを一気に飲み干し、ラウンジ中の注目を浴びながら再びビールサーバーに向かって歩いて行った。


…と、その時、急に振り返った男の手には光る物が… などという小説みたいな展開は起きなかった。
ロマンスグレーの男はサーバーからなみなみとビールを注ぐ… グラスを高く掲げて「Cheers!」と言い残し元の場所へと戻ってゆく。
昼間からたらふくビールを飲み気持ち良く仕上がっていた… 実に羨ましい限りである。


ロマンスグレーの男が元の場所に着席すると周囲からの視線は直ぐに落ちついた。
7UPを喉に流し込むとラウンジは落ち着きを取り戻していた 。


塩味のポテトチップスと7UPの相性は良い。
2杯目を注ぎに行く頃には制服姿の私もラウンジに溶け込めていた。
ガラス越しのジャンボ・ジェット機を眺めつつ、7UPの刺激を楽しんだ。


搭乗時刻が近付いて来る… レストルームに行き用を済ませた。


手を洗っている姿が映る鏡を見ていると、何とも言えない感覚に襲われた。
自分のルーツである日本に行く高揚感、任務への自信、別人に成りすました事への不安感が入り交じっている…。
しかし、鏡の中には〝風間賢藏一等陸尉〟がいて、今朝までアナポリスの教官だったケント・カザマは存在していないのだ。
私は無意識に左手へ埋め込まれたデジタル・ドッグタグの感触を確かめていた。


〝日本航空JAL101便 16時発 成田国際空港行き まもなく搭乗開始時刻となります。搭乗ゲートまでお越し下さい。日本航空、JAL101便 16時発 成田空港行き・・・〟


搭乗準備のアナウンスが私を現実に引き戻す…


身嗜みを整えてから搭乗ゲートへと向かっている私は、やたらと母の事を思い出していた。
まぁ、無理もない。
”母が生まれ育ち、父や祖父の先祖が暮らした日本という国を見てみたい” という気持ちが強かった事が任務を受けようと思った切っ掛けなのだ。
私を日本語で育て、日本の文化や武術・日本人としてのアイデンティティを教えてくれた母の祖国… 私は14時間後には日本の土を踏むのである。


高揚感と一抹の不安が混じった感情を抱きつつ搭乗ゲートを進んだ…。


搭乗チケットには〝JAL BUSINESS・CLASS No.12A〟と記載されている… タラップの先に待機していた日本人らしきCAにチケットを見せると、人の流れとは反対側のエリアに案内された。

ビジネスクラス No.12A のシートは窓に面した左側の一番後ろの席だった。
この座席は後方のエリアと隔てる仕切りを背にした場所である… 立ち上がれば、左後方からビジネスシート・エリアの全体を見渡せる。


ビジネスクラス・エリア全体に意識を向けながら、半個室状態にセットされているシートへと座った。


シートの座り心地は良い。
シートを中心にして左側には窓、正面には液晶スクリーンと引き出し式の膝上テーブル、その下にはシューズ置き場、右手の通路側には隣の個室とを仕切るパーティションが設置されていた。
パーテイションは離着陸時以外締めておく事が可能なので、ほぼ完全な個室が完成する。
まるで、ホテルのシングルルームをシート周りに凝縮した様な作りだ。
このシートであれば TOUGHBOOK を開いていても他の乗客からの視線を気にする必要も無い。


(このシートを確保したCIAスタッフが、この場所のポテンシャルを理解した上で確保したというのならば賞賛を贈りたい。)


目立つ制帽と上着を脱いだ。


TOUGHBOOK を取り出した鞄と共に足下収納に置き、背もたれに身体を預ける…。
シートは完全なフルフラットになった。
その後はシートを色々と動かして快適な姿勢を探った。

後方を気にしないで良い場所というのも相まって実に居心地が良い。

座席回りのチェックをしている私のテンションを上げる素晴らしいシステムを発見した。
何かというと… テレビモニターからアルコール類や軽食、機内販売まで注文できる事だ
CAを呼ぶ事無く飲みたい物をオーダー可能なのだ。
これは素晴らしいシステムである。
ラウンジで7UPを2杯も飲んでしまった事を心から後悔した。


暫くするとシートベルトサインが点灯した。


機長から、定時出発への感謝と旅の安全を願うアナウンスが流れた。
エンジン音が気になり始めると機体はゆっくりと滑走路へ向かい動き出す… 窓の外に見えていた独特な形をした管制塔が見えなくなった。

エンジン音が一際大きくなる… 下っ腹にGを感じた。

テイク・オフした後に〝ガタン〟と音を出しながら車輪が格納される… その後、数回に渡り〝ふわっ〟とする感覚になった。
順調に上昇している証拠でなのだが、この ”ふわっとする感覚” は何度体験しても慣れない。


機体の状態が落ち着くのを待った。


窓の外に目をやると雲の下には広大な緑の大地が広がっている… 都市部とのコントラストが美しい… 飛行機の窓からゆっくり景色を眺めたのは何年ぶりだろうか?
いや、初めてかもしれない。
豊かな山の木々に優雅な川の流れ、何処までも続くファームの光景… 美しい。
10年以上、砂漠の岩山や無機質な基地の風景を行き来していた私にとって、空からの景色と言えばブラックホークから見下ろす砂の世界と基地の光景ばかりだった。


そんな中東の任務でも強く印象に残っている光景が一つある。


・・・それは、アフガニスタンのジャラーラーバード郊外にある農地の景色だ。
この農地はフロリダのディズニーワールドの実に1.5倍もの大きさ(そう言われてもピンと来ないかも知れないが)がある。
アフガン人の為に独学で土木建築を学んだ Dr. Nakamura という日本人が、総延長25kmもの用水路を作って水を引き、一面の荒野を4万エーカー以上もの緑の農地へと生まれ変わらせた奇跡のオアシスである… まさに、岩山と砂漠の世界に広がる緑の楽園だった。
ジャラーラーバード周辺に展開するアメリカ兵士の間でも〝日本人が作った奇跡の用水路〟として敬意を持って接せられていた。・・・


岩山と砂漠を長く見過ぎた反動だろう… アナポリスの教官になってからは、大自然の中で樹木に囲まれる安らぎを求める様になっていた。

ポーラと出会う前は愛車のダッヂ・バンを駆り出して、近隣の国立公園や州立公園を回りキャンプや釣り・バードウォッチングを楽しんだ。
森の香り、木々の間を通り過ぎていく風の音、鳥たちの鳴き声、蒼い水面に反射する太陽の光… 今までの自分に足りなかった物を貪るように求めたのだ。
それらを感じていると、心の中に攪拌されていた靄みたいな物が〝澱〟のようになって心の底に沈んでゆくのである。
アフガンではアドレナリンしか出せない生活が続いた私にとって、セトロニンやエンドルフィンを感じる時間は本当に心が洗われるひとときだった。


…しかし、人間とは実に自分勝手な生き物である。


妻のポーラとの安らぎの時間を求めたというのに、〝母の生まれた祖国を見てみたい〟と理由を付けてスパイ狩りの命令を受けたのだ。
無残に殺された元部下の仇を討つというストーリーにも甘美な魅力を感じた私は、愛する妻との安らかな時間よりも ”足りなくなった刺激” を求めたのである。
その挙げ句、作った理由にこじつけて任務を期待している自分自身に矛盾をも感じている。
…良くない傾向だった。

カーテンが開く音が聞こえた。

そちらの方へと視線を送る… CAたちが通路へと出て来た。
いつの間にか、点灯していたはずのシートベルトランプは消えている。
膝上テーブルを引き出し、TOUGHBOOK の電源ボタンを押した。

風間賢藏のフォルダから〝履歴書〟ファイルを開き、頭の中に漂っている靄を振り払うように ”風間賢藏” という男の設定を何度も読み返した。
生い立ちの項目を読み直してるうちに、本当の自分が生まれ育ったバージニアビーチの光景が思い出された… 子供時代の出来事が走馬灯のように流れてゆく。


…ふと、懐かしい母の顔が浮かんだ。


母は鎌倉という街で生まれ育ち、地元の大学を卒業した後は横須賀基地内のミドルスクールで日本語を教えていたそうだ。
アメリカ海軍兵として横須賀基地に赴任して来た父が、母の姿に一目惚れをして猛アタックしたという。
母は常々〝大反対されたけど、駆け落ち同然でアメリカに来た〟と嬉しそうに話していた。

幸せそうな笑顔が昨日の事の様に思い出される…。

母は常日頃から私の事を「この子は私の分身だ」と周りに言って、日本式の育て方を止めなかったそうだ。
しかし、父と祖父母は日本人の血が流れているが、アメリカ人として育てられているので、日本で生まれ育った母の〝子供は自分の分身〟という概念を全く理解できず、時には対立する事もあったらしい。
だが、母は私に日本人としてのアイデンティティを教えようとしたのだろう、私を日本語で育てる事を頑として止めなかったという。

母から日本語、父・祖父母・学校からは英語で育てたられたお陰で、母の言う〝子供は自分の分身〟だという日本独特の考えと、アメリカ人の〝子供も一人の人間〟という異なる二つの概念をどちらも充分過ぎるほどに理解する事ができたのだ。
父と母とで違う言葉で接するのはとても大変な事だったが、英語と日本語の両方の感覚と日本の文化や礼儀作法を教えてくれた母にはとても感謝している。


もう一つ、母に感謝している事がある… それは〝空手〟を習わせてくれた事だ。


当時のバージニア州は有色人種への差別意識が激しかったので、日系人はとても苦労したらしい… 母にも相当な苦労があったそうだ。
その為か、私が5歳の時から空手道場に通わせて ”自分の護り方” を学ばせてくれたのである。
アメリカの空手は日本とは違い、”実戦的な護身術” の意味合いが強い。
日本人が師範を務める道場だったが、親の承諾があれば子供達も ”フルコンタクト(当てに行くスタイル)” で学べるのだ。
母は躊躇なくフルコンタクトを選択して入門宣誓書にサインをしたらしい(笑)
これが、エレメンタリー・スクールに入学した私の人生を変えたと言っても過言ではないのだ。


・・・母は常日頃から、「喧嘩で先に手を出してはいけない。やられたならばやり返しなさい。」と言っていた・・・


つまり、相手が先に手を出して来させるようにして〝返り討ち〟にする喧嘩だ。
この〝やられたからやり返す喧嘩法〟だが、正義を極端に振りかざすアメリカ人社会では驚くほどに効果的だったのである。

相手をぶっ倒しても「先に手を出したのは、私ではなく相手の方だ」と他の生徒達が証言してくれるのだ… このお陰で暴力やイジメという話にはならず、私の場合は ”喧嘩両成敗” として処理された。
私が通った空手道場には〝理不尽に拳を使った者は破門する〟という厳格な掟があったのだが、〝殴られたから殴り返した自己防衛〟であり、学校からは〝喧嘩両成敗〟として処理されていると母が訴えると破門にはならなかった。
今思えば、母は天才だったと思う(笑)


・・・そんな母は、もう居ない。・・・・


私がバージニア州立大学に入学した半年後に死んだ。
膵臓癌だった…。

余命を告知された母は、一切の延命治療を拒み緩和ケアを選んだのだった。
州立病院から近所のペインクリニックに転院した2ヶ月後、モルヒネの中を彷徨いながら眠るように息を引き取った…。
葬儀の後、父は私にこう言った…「彼女は〝自分の分身〟を守って死んでいった…」と。
母が延命治療を拒んだ理由は、高額な抗がん剤や先進医療を使う事で私の大学生活が続けられなくなる事を危惧したからだという。

父からそんな言葉は聞きたくなかった。
それ以来、心に棘のような物が刺さったままだ。
家族から軍人を出したくないと言っていた父に反発するかのように、私は予備役将校訓練課程を履修して海兵隊に志願したのだった。
父とは海兵隊に入隊して以来、一度も会っていない。



・・・母の死や父との確執まで思い出されてきている・・・



飛行機が離陸してから、思考があちこちに飛んでいる… こういう心理状態は本当に良くない。
思考がマイナスに働いている証拠だった。



心に迷いが生じていると思考がブレる… ブレが更にブレを呼びミスを誘発する。
小さなミスの重なりは大きなミスを連れてくる… そして出口の無い迷いに陥り ”サタンの使い” がやって来て作戦は失敗になる。
特殊作戦での失敗とは死に直結するのだ…。


…無性に鏡が見たくなった。


子供の頃に通っていた空手道場の師範代に教わった自己暗示法を無性にやりたくなっている… 心の中で ”ケント・カザマ” が騒ぎ出している。
試合前、道場の鏡に映る自分に向かって「お前は勝つ、絶対に勝つ、お前は強い。負けない、負けないぞ!」と語り掛けると不思議なほどに心が落ち着いた感覚を ”ケント・カザマ” が欲しがっていた。

隣の席は空席だったが、私はパーティションを引き上げて個室を完成させた。
TOUGHBOOK のカメラアプリを立ち上げ、モニターに映る自分へ周りに聞こえない程の小声で何度も語り掛けた。


「お前は風間賢藏だ。 陸上自衛隊一等陸尉 風間賢藏だ…」


どれくらい語り掛けただろうか?


鏡の中に映る空手着姿の少年、厳しかったが優しい師範代の姿、試合の後に傷の手当てをしてくれている母の姿が現れては消えていった。
師範代が私の両肩に手を置き… 「お前は強い。必ず勝てる。」と呟いている。
懐かしい気持ちになった。


…ゆっくりと目を閉じた。


鼻からゆっくりと息を吸い込み、丹田に力を込めながらゆっくりと口から息を吐き出す。
空手の呼吸法〝息吹〟を繰り返しながら、波打つ水面が静まっていくイメージを頭に描いた… 心を波打たせていた者達の顔を一人ずつ水面下に沈めてゆく…。
やがて、鏡のようになった水面には、陸上自衛隊員の制服を着た自分の姿が見えた。


…ゆっくりと目を開く。


モニターの中には〝風間賢藏一等陸尉〟がいた。
無理に自分を隠す必要は無いという事に気が付いた… 風間賢藏を演じる必要は無いのだ。
風間賢藏に自分を近づけるのでは無く、私自身に風間賢藏を近付けて演ずれば良いのだ。


「私は風間賢藏だ。日本国陸上自衛隊一等陸尉、風間賢藏だ。」


ネクタイを緩めて第1ボタンを外す… Yシャツの袖を肘まで捲り上げた。
早く日本を感じたい… 成田空港への到着が待ち遠しい気持ちに変わっている。



自分の中で何かが吹っ切れたのをしっかりと感じられた。


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