第1話 紫煙

文字数 14,348文字

卒業式の余韻が残る中、私は教官室で様々な光景を思い出していた。
ひとしきり感慨に耽っている私を忌々しい内線電話が現実に引き戻す…


「…はい、カザマです。」
「カザマ教官、副校長がお呼びです。至急、お越しください。」
「分かった。 直ぐに向かう。」


卒業式後の呼び出しだった。
おそらく教官としての総括話だろう。
年一回の儀式というやつだ。



・・・アナポリス(海軍兵学校)は海軍作戦部長の直轄組織である。 代々の校長は海軍中将が務め、実務は副校長の大佐が取り仕切っている。 近年は過酷な海兵隊への志願は減少傾向にあるので、現在の副校長は私の古巣である海兵隊の参謀本部から派遣されて来ていた・・・



窓から卒業式の余韻が見える長い廊下を歩きながら、突き当たりにある副校長室のドアを軽い気持ちでノックした。


「カザマ、入ります! お呼びでしょうか?」
「カザマ君、よく来てくれた。座り給え。」


デスクに座っていた副校長は満面の笑みで立ち上がると、ソファに座るようにと手招きしている… 海兵隊士官用のブルードレス(黒色)が窓から差し込む日差しに照らされて、存在感を一層際立たせていた。


「失礼いたします。」
「まぁ、楽にしてくれたまえ。紅茶でいいかね?」
「はい。いただきます。」


副校長が座るのを待ち、私もソファに腰掛ける。
紅茶を飲みながら、副大統領の祝辞や総代生の話をした。


「君の講座は卒業生たちからの評判も良い。海兵隊への志願者数も増えている。」
「頑張った甲斐があります。」
「うむ。参謀本部からも感謝の言葉を貰ったよ。彼等もとても喜んでいる… 君の実績だ。」
「恐縮です。」

「5年間、良くやってくれたね。君は生徒の人心掌握も上手いし、何よりも君の講座はとても人気がある。教官として及第点を与えて良いと思っている。」
「ありがとうございます。」


一連の儀式も終わりに差し掛かった頃、急に副校長の顔から笑顔が消えた。
束の間の沈黙の後…


「君に… 日本への赴任話が出ているんだ。」


単刀直入だった。
日本への赴任? 私はアナポリスには不適格という事か…?


「日本・・・ですか?」


私が得心していないと感じ取ったのだろう、副校長は事の次第を語り始めた。


「君の教官としての実力と人柄、特殊コマンド時代の実績を評価しての事なんだ。 君には日本での任務を実行して欲しい… この話に君を推薦したのは私でもある。」


任務? 何か引っ掛かる物の言い方だった。


”コツコツ”


私が答えに窮していると、まるで私達の話を伺っていたかのようなタイミングでドアがノックされた。


「副校長、入ります。」


海兵隊ブルー・ドレスの白人男性が入って来た。


「カザマ君、海兵隊参謀情報本部のマッケンジー君だ。」


黒いブルードレスの肩にシルバー・オーク・リーフが一つ見える。
参謀情報部付きの中佐だった。
私は起立して敬礼した。


「はじめまして。ケント・カザマであります。」


マッケンジー中佐は、私に対してほぼ完璧な答礼を行った。


「カザマ大尉、参謀本部からの命令を伝達しに来た。」


階級で呼ばれるのは5年振りである。
中佐は副校長に一礼すると隣のソファに座った。
ダークブラウンの鞄から命令書を取り出す… テーブルの上に置き私の方に押し出してくる。
一分の隙も無い話の進め方だ。
開封して命令書を確認すると次の様に記されていた。



ケント・カザマ大尉

20XX年 6月1日付けで在日本アメリカ大使館付き海兵隊大尉として着任を命ず。 着任後は日本国防衛省情報本部 統合情報部 カエデ・モモチ氏と協力し、以下の目的を達成せよ。

 ・日本国自衛隊海兵特殊戦闘団の創設に協力
 ・日本国自衛隊海兵特殊戦闘団教官の選抜と育成

貴官は目的達成の為に最善を尽くさなければならない。アメリカ合衆国海兵隊は任務達成の為のいかなる協力も惜しむ事はない。

             合衆国海兵隊参謀総長
             ジェームス・カーリー



…つまり、簡単に言うならば 「日本で海兵隊創設を手伝い、ついでに海兵隊教官も育成してこい。」 という事である。
一度も行った事の無い日本に赴任し屈強な海兵隊員を育て、おまけに教官まで育成してこいという事か?


思わず苦笑いが出てしまった。


「カザマ大尉、何か面白い事でも?」
「いえ…」


マッケンジー中佐は畳みかけるように話を続けた。


「このミッションに君が抜擢された理由は… 君が操る日本語スキル、日本人に溶け込める容姿、教官としての実績、近接格闘術のスキル、マークスマンとしての技量、中東でのシルバー・スター勲章受章歴とを総合的に評価されたからだ。」


マークスマン(選抜射撃手)の技量… どうも引っ掛かる…。

海兵隊員のモットーは〝撤退? クソ食らえ〟 なのだ。
どんな困難な状況であっても敵地に侵攻して橋頭堡を確保、どんな過酷な戦況に陥っても一歩も引かずに本隊を迎え入れる事が海兵隊員の使命なのである。

それに、マークスマンとは、戦闘支援としての狙撃力の提供だ。
日本の海兵隊は遠くから撃つ戦術をメインにしてるのか?
だったら、お笑い種である。


「副校長、マークスマンの育成ならば、グリンベレー(陸軍特殊部隊)でも務まると思いますが?」
「…カザマ君、そう皮肉を言うな。」


マッケンジー中佐の目が慇懃な色へと変わった。


「カザマ大尉、どうやらお見通しのようだ。 ならば話は早い… ここからは単刀直入に話をしようじゃないか。」


いけ好かない男だった。

初めて会った人間に上っ面の命令書で試すような事をしたのだ… 現場で血を流す兵士の気持ちなど考えが及ばないのだろう。
この手の上官の部下になった兵士は大抵の場合、不本意な死に方をする。


「大尉、レールガンの開発が中止になった事は知っているな?」


レールガン… とんでもない言葉が飛び出してきた。
日本版海兵隊の創設など、霞んで見えなくなるレベルの話だ。
この男は一体何を目的に来ているんだろうか?


「カザマ大尉。 レールガンは大統領の承認の元、次世代艦上ミサイル防衛システムとして海軍主導で開発を始めた兵器だが… 1年前、開発の中止が決定した。 これは君も知っているな? 開発がもたついている間にロシアや中国が極超音速ミサイルを実戦配備してしまった。 今から膨大な予算を掛けて実用化するよりも、他に金を掛けろと議会に判断されてしまったのだよ。」


議会が却下した案件を海軍兵学校の教官風情にどうしろというのか?
雲の上での話を仰々しく話すマッケンジー中佐に、私の不快感は募ってゆく… 嫌みの一つでも言ってやろう。


「予算を潰した上院議長でも狙撃しましょうか?」


二人の顔つきが一瞬で変わるのが見て取れた。
マッケンジー中佐が瞬きもせず鋭い視線を送ってくる。
副校長は怪訝そうな視線を隠そうともしていない。


「おいおい、カザマ君。…不謹慎が過ぎるぞ。 口を慎み給え。」


副校長は胸ポケットから取り出した葉巻の吸い口をギロチンカッターで切り落とした… 切った葉巻の一部が灰皿に転がってゆく。
マッケンジー中佐は鞄から新しいファイルを取り出し、テーブルの上に広げた。


「我が国のレールガン開発は頓挫した… これは表向きだ。 カザマ大尉、見てくれ。 レールガンの開発は同盟国日本の自衛隊で引き継がれている。」


写真には人の腕ほどもある複数のケーブルを砲身と思われる装置に繋ぐ作業をしている研究者が二人、それに迷彩服姿の男が映っていた。
顔付きからすると日本人である事は間違いないだろう。
部屋の壁には見た事のある菱形をモチーフにしたマークが飾られている。


…どうやら、日本に金を出させて開発させようという魂胆らしい。
私に日本人の血が流れていると理解して話をしているのだとしたら、本当にいけ好かない男だ。
今更、私の忠誠心を試そうとしているならば勘違いも甚だしい。


「日本に金を出させてレールガンを完成させるという計画ですか?」
「カザマ君、勘違いしないで欲しい。 この話は日本からの申し出だ。」


副校長はそう言い終わると長めのマッチに火を点し、数回に渡って葉巻に火を付け始めた。
”トロッ” とした煙を吐き出しながら天井を見上げている。
直ぐに焦がしたコーヒーのような、何とも言えない香りが漂い始めた。


…しかし、優雅な嗜好品である。


肺に吸い込むわけでもなく口で吹かすだけの為に、グラント将軍を数枚丸めて灰にしているようなものなのだ。
この感覚を私は未だに理解する事はできない。


「カザマ君。 リニアシステム… つまり、超伝導の分野で日本は我が国を遙かに凌駕した技術を持っている。 日本のリニア鉄道の話は聞いた事があるだろう?」


リニア鉄道の話は知っている。
車両を超伝導コイルで宙に浮かせた状態にして走行させる軌道システムだ。
〝人を乗せた状態で速度500kmを達成〟というCNNの特集記事を読んだ事があった。


「リニア鉄道システムはレールガンの原理そのものなんだ。 日本は超伝導技術を使って10トン以上もの物体を浮遊させ、時速500kmまで加速させられる技術を既に獲得している。 砲弾レベルの物体を発射するシステムであれば、比較的短期間で完成させられるレベルに達しているんだ。

残された課題は…

1、更なる小型化
2、艦上での数十万ボルトの電力供給
3、情報漏洩の阻止

…この3つだ。」


副校長は ”トロリ” と煙を吐き出すと諭すような静かな口調で話し始めた。


「カザマ君、いいかね… 日本は長らく専守防衛を国是としてきた。しかし今、変化しつつある。 日本の航空宇宙技術は広大の宇宙を彷徨っている直径330mの小惑星にピンポイントで着陸させられる。 固体燃料エンジンを使ったロケットは、いつでも大陸間弾道ミサイルに転用可能だ。 原子力発電所から取り出したプルトニウムも45トン保有している。 これは核弾頭に換算すると6000発分に相当する量だ。 しかも、日本の固体燃料ロケットはラップトップ・パソコンで打ち上げ制御が可能だ…。」


日本の科学力と経済力・軍事技術力に加え地政学を考慮した場合、日本が核武装しているのではないかと考えるのが多数派なのは良く知られている話である。
米日合同演習に参加した経験のある軍人であれば尚更にその思いを強くする。


「それに、レーザー技術もこの10年で飛躍的に向上している。日本が専守防衛を捨て、核兵器・レールガン・レーザー砲を備えた日本自衛隊を想像してみてくれ給え。」


自衛隊員の練度・士気・装備を知っている者であれば、彼等とは戦いたくないと思うのは当然の事である。
日本の軍事的台頭を喜ばない中国やロシアにとっては目を覆いたくなる状況になるだろう。


「しかし、日本国民は戦争で血を流す事と核兵器を持つ事には極端な拒否反応を示すようになってしまっている。 現状で ”Show The Blood” は難しい状況だ。 ならば、我が国との真の同盟を示すために、最新軍事技術の開発を肩代わりするし独占もしない、という事を申し出たのだ。 今は血を流せないが日本はアメリカの真の同盟国だという事を行動で示す… と言う話なのだよ。」


海兵隊特殊作戦チーム(MSOT)を5年前に引退した男に、大佐と中佐が熱く政治論を語っている… 良く理解し難い状況だった。

しかし、米国は日本に核を伴う軍事力の傘を提供する、日本は見返りとして次世代兵器を開発して提供する… 同盟としてはウィンウィンの関係だろう。
それだけは理解出来る。


副校長が話し終えると、隣に座っているマッケンジー中佐の眼光が鋭くなった。


「カザマ大尉。 日本のレールガン技術とレーザー技術を中国が奪いに来ているんだ… 形振り構わずにね。 中国との戦いは水面下で既に始まっている。 死者も出ている状況だ。 我が国としてはいかなる犠牲を払ったとしても、この技術を中国共産党に渡す事は絶対に容認できない。」


死者も出ている? そういう事か。
案の定である… やはり命令書は表向きで真の目的があったのだ。


・・・ この10年、米国や日本が開発に成功した最先端技術を中国の産業スパイが盗み取り、ハイテク製品の開発や兵器システムへ転用する事が繰り返されてきた。 中華思想の暴走は容認できる域を遙かに超えているのは事実である。・・・


マッケンジー中佐は訝しげな表情をしながら、シルバー製であろうボールペンを〝カチカチ〟と鳴らしていた。


「カザマ大尉。 日本の申し出は米国にとって渡りに船だが… 問題がある。 日本にはスパイ防止法が無い。 スパイ天国なんだ。 レールガンの完成が間近となった今、中国だけでなくロシアや北朝鮮・韓国なども情報を盗りに来るだろう。 情報が盗れないとなった場合、破壊工作を仕掛けてくる恐れもある。」


見えない敵がウジャウジャいる場所に潜入しろと言うのか?


「それに、日本では銃を日常的に携帯できない事は知っているな? 本国とは違い大使館を出れば、身を守る手段は非常に限られてしまう。 君の持っている徒手格闘スキルも必要なんだ。」


徒手格闘のスキルも必要という事は〝街を歩いている時も命の危険がある〟 という事だ。
これほど危険な任務を上っ面の命令書で試そうとしてきたマッケンジー中佐への疑念は深まるばかりである。



…暫く沈黙が続いた。



ボールペンを一定のリズムで〝カチッ〟〝カチッ〟と鳴らしているマッケンジー中佐が、慇懃な視線と共に沈黙を破った。


「カザマ大尉、この作戦にはカンパニー(CIA)のサポートも入る。 やってくれるな?」


CIAのサポートだと?
スパイ天国で秘密作戦をやるのはCIAの仕事だろう。
5年前に現役を引退した私に、海兵隊参謀本部の中佐が命令書を直々に伝達してお願いするスタイルをとったという事で最大限の敬意を示したと考えているのだろうが… 考え違いも甚だしい。
人を動かすポイントは、そんな事ではないのだ。

しかし、副校長も絡んでいるという事は 〝断ればアナポリスの教官で居られなくなる〟という事も意味する。
外堀は埋められているのか?


…そうだ、カマをかけてみよう。


「マッケンジー中佐。 この案件は下手を打てば一般市民を傷付ける事になる。 アメリカ海兵隊が関わるにはリスクが高い。あくまで日本政府の責任として対応すべき内容だと思われますが?」


マッケンジー中佐の目に一瞬、動揺が走るのが見て取れた。
今度は私の方から沈黙を破った。
私も畳み掛ける…


「日本には優秀なSFGP(特殊作戦群)が存在します。 彼等とは一緒に訓練をした事がありますが、我々に引けを取らない精鋭部隊でした。 アメリカ海兵隊が出る案件ではありません。 この任務は彼等の範疇だと思いますが? 」


予想外の具申だったようだ。
中佐は上位階級者である副校長(大佐)に視線を送りアイコンタクトで確認を求めた。
副校長は煙を燻らせながら、一度大きく頷くと諭すように語り始めた。


「今回の任務は… 日本に潜入している中国の工作組織を潰す事だ。 CIAは日本人に擬態して潜入している中国スパイの炙り出しを試みたが失敗した… 失敗というより大失態だ。 この任務成功の条件を満たすスキルは…

1,日本語を完璧に操れる
2,完璧に日本人に溶け込む容姿
3,特殊潜入任務の経験者
4,銃器・爆薬取り扱いのスペシャリスト
5,強靱な愛国心を持っている者

…という5つだ。
このスキル条件を満たしているのは君しか存在しなかった。」


少しの沈黙の後、2人は私の目をしっかりと見据えてこう言った。


「大尉のスキルが必要なんだ。 力を貸して欲しい。」
「カザマ君。 君の愛国心を今一度示してくれないか。」


私は迷った… 即答できずに居る私自身に疑問を持った。
アナポリスでの教官生活で肝心な何かを失ったのか? それとも、ただ心が老いたのか?
私は命令であれば、どんなに困難な状況でも逃げずに立ち向かう海兵隊員だったはずだ。
生徒達に忠誠心を説き愛国心を植え付ける毎日を送っているのにもかかわらず、私への命令には疑問を持った。
あの頃ならば、命令に対して疑問を持つ事など無かったろう。
命令を受け、砂漠の街でテロリストを狩り、完璧に任務を遂行して戻ってくる… そして熱いシャワーと冷たいビールの後、泥のように眠る… ただ、それだけだった。



ふと、アフガニスタンの村で出会った協力者の記憶が戻ってきた。



・・・私のチームはアフガニスタンの乾いた街で狂信者の足跡を辿っていた。
アフガンは大統領制を採用しているが、地域ごとに部族長が実権を握っている部族連合国家である。信頼関係を築いた部族の支配領域では自由に活動する事が可能だが、一歩違う部族の支配地域に入ったならば、信頼関係を一から築き直さなければならないのだ。

しかし、そこには一つの問題があった。

私達には誰が何処の部族の人間かを見極める方法が無かったのだ。
それに言葉が通じない。しかも、昼間は目立ち過ぎて活動ができない。
故に、地元部族の協力者を見つける事が必須の条件になる。
必死で見つけた協力者に部族長へ顔を繋いで貰う事になるのだが、この当たり外れが非常に激しいのだ。
テロリストの仲間がわざと近付いてきて騙し討ちされた事もある。

実際、このトラップで何名かの仲間が死んだ。

町や村の有力者に部族長を紹介して貰い、部族長に直接会って活動を認めて貰う… この手順を踏んで初めて、安全に活動を始める事が可能になる。
警察署長や市長よりも部族長の影響力の方が強いのだ。
特に部族を守る〝ムジャーヒディーン(イスラム教聖戦士)〟との平和的な共存には、部族長を通さなければ1ミリも前に進まない。
部族長との約束を反故にしたり裏切るような事があれば、村の住人全員から命を狙われる事だってある… その反面、信頼されれば家族のように接してくれた。
潜入ミッションは信頼関係の醸成が何よりも大事なのである・・・



そんな事を思い出していると、今回の任務は簡単な仕事だと思えた。
何故ならば、この任務の潜入先は日本なのだ。
日系アメリカ人の私は、言葉の問題と人種の隔たりという障害は最初から排除されている。
他の地域への潜入とは比べ物にならないほど難易度は低い。
反面、一抹の不安も頭を過った。

迷っている私を尻目に、マッケンジー中佐はファイルから1枚の写真を取り出すと、テーブルに置き私の方に押し出した。


「前回の作戦でMSOTの隊員4名とCIA要員の2名が死んだよ… 顔に見覚えがあるだろう?」


写真には後ろ手に縛られた状態で床に倒れ、喉を搔き切られている男の姿が映っている。
その顔には確かに見覚えがあった。

私の身体に電流のような感覚が走っている…

写真に写っているのは… スコットだった。
スコット・ウィリアムズ上級曹長だ… アフガンで共にテロリスト掃討作戦を成功させた元部下であり戦友だ。
作戦が成功した後、私はアナポリスに異動して現役を引退したが、スコットは第3襲撃大隊へ転属になり、沖縄のキャンプ・シュワブに居ると聞いていた。


「戦って、死んだのではなさそうですね…。」


「…回収班からの報告だと 爪を全部剝がされていたそうだよ。 だが、スコット・ウィリアムズ上級曹長は何も喋ってはいないだろう。 作戦に協力した日本人達は全員無事で暮らしている。」


海兵隊員の魂は売り渡さなかったという事か…。

スコットは仲間を思う気持ちが人一倍強い男だった。
拉致された部下の救出作戦を提案すると率先して志願するような男なのだ…。
待ち伏せされている事を承知で敵エリアに侵入、テロリスト集団の拠点を掃討した後、足を撃たれ拷問されていた仲間を交代で担いで2km先の脱出地点まで走った事もある。
耳元を弾丸が掠めグレネードの爆発音が近付いてくる中を敵に背中を向けて走る恐怖は、この時初めて味わった…。
この行動で私達はシルバー・スター勲章を授与されたのである。

誇り高いMSOT隊員が拷問されて殺された… 戦って死ぬのであれば海兵隊員の本望だろうが… 無念だったろう。
ゴツイ外見とは裏腹に、野良犬に自分の糧食を分け与えているスコットの姿が昨日の事のように思い出された。


私は窓の外に目をやった。


初夏の日差しが新緑の葉を照らしている。
穏やかな風景とは裏腹に心の底に沈んでいた〝(おり)のような何か〟が掻き回される感覚が湧き上がった。


だが、スコットは戦闘で囲まれて捕まるような間抜けではない。
砂漠の街での戦いと日本での環境は確かに違うが、実戦経験豊富なスコットが捕まり拷問死させられる… 何故、拷問死させられる状況に追い込まれたのだろうか?


「中佐、ウィリアムズ上級曹長たちの作戦計画は、どの様な内容だったのでしょう?」


マッケンジー中佐はゆっくりと話し始めた。


「…うむ。 CIAは過去1年間の内偵で、中国工作組織が日本政財界に浸透している事を確認している。 そして2ヶ月前、中国工作員幹部が隠れ蓑に利用しているダミー会社を突き止めた。 工作員幹部を捕らえる絶好の機会だったのだが、拠点のあった港の倉庫には10人程の工作員が常駐していたんだ。 内偵していたCIAの情報員だけでは手に余る状況だったのだよ。」


マッケンジー中佐は、そう言い終わるとテーブルに視線を落とした。


「〝手に余る〟 から沖縄のスコット班に応援要請をしたと?」
「…その通りだ。」


状況は不利だと判断したCIAが海兵隊に丸投げしたという事である。
しかし、何故だ?
日本の特殊作戦群に出動要請をするべきだろう。
MSOT(海兵隊特殊作戦コマンド)が出動する理由が見当たらない。
この話にはもっと深い何かがある筈だ…。


悲しげな目をテーブルに落としたマッケンジー中佐は、私の目を見つめると意を決した様に語り始めた。


「…沖縄キャンプ・シュワブからであれば、MSOTは3時間で展開できた。 しかし… 大きな誤算が発生した… 情報が漏れていたんだ。 罠だったんだよ… 待ち伏せされていたんだ。」


命令を受ける側からすれば最悪のパターンだった。
緊急の支援要請であればスコット達には独自に充分な情報収集をする時間も無かった筈だ… 畑違いのCIA案件であれば尚更である。


やりきれない義憤がこみ上げてきた。


・・・私達はアフガンのテロリスト達を抹殺し狂った宗教指導者を地獄に叩き落とした。 その代償として、祖国と無垢なアメリカ市民を守るという大義の下で戦った多くの仲間達を失った。
アメリカ国民として、海兵隊員として祖国の為に働いたのだという誇りだけで自分自身を保っていた私達には非情な命令が下ったのだ… 私達の作戦チームは〝任務の詳細は死ぬまで他言無用〟との命令を受けて解散させられた。 何も無かった事にされたのだった。 テロリスト掃討作戦に参加した者達は海兵隊を去る者、傷痍兵として退役軍人になる者、全く畑違いの部署に転属される者など散り散りになった。簡単に言うのであれば〝使い捨て〟にされたのである。
それでも星条旗に忠誠を誓い戦い続ける道を選んだスコットの最期は、CIAに使われて犬死にしたのか・・・


マッケンジー中佐は、全てを知る私を利用しようとしている。
感情が沸き立った。


「スコット… スコット・ウィリアムズ上級曹長にも… こんな紙切れ一枚で作戦命令を出したのですか? 碌な情報も与えずに突入させて、安全な場所から成果だけを催促する。 正しい命令だったとお思いですか? 目先の手柄に取り憑かれ無謀な命令を下した結果、命令に忠実で有能な特殊部隊員が4人も死んだ… しかも、スコットは拷問されて殺された!」


一定のリズムを刻んでいたボールペンの音が止まった。
マッケンジー中佐は、困惑したような視線を大佐に送っている。
大佐は相変わらず青っぽい煙を天井に向かってゆらゆらと立ち上らせながら、視線を私から外し後ろの壁を見つめている… 葉巻を咥え直すと一際大きい煙を吐き出した。


「マッケンジー君 …やはり、カザマ君には最初から全ての情報を話しておくべきだったな。…ここからは私が説明しよう。」


中佐は納得いかなそうな視線をテーブルに落としている。
煙の塊の後ろから、副校長の鋭くまっすぐな視線が私を射貫く…。

不思議と心の奥底に塗り固めていた懐かしい感覚が蘇って来た… そういえば、特殊コマンドの司令官もこんな目をしていた。
温かみなど塵ほども感じはしないが、不思議と命を預けても大丈夫という気にさせられた瞳だ。


「米日両政府は、日本に構築された中国工作機関網を潰す事で合意に至った。 ホワイトハウスは日本に侵入した中国の工作員達を排除する事が喫緊の課題だと判断したという事だ。 …しかし、ここで問題が発生した。」


大佐は大きく煙を吸い込むと盛大に吐き出している… 少しの間テーブルに目を落とすと、私に視線を合わせて大きく2度頷いた。


「何かというと… アンダーグラウンドで中国のスパイ活動を支援しているフィクサーの存在が判明したのだ。 その男は日本政財界と太いパイプを持っている…。 中国スパイを支援するだけでなく、レールガンの情報を盗み出す為に日本陸上自衛隊への浸透工作をも実行していたのだよ。」

「自衛隊内に工作員が存在すると?」

「その通りだ。 日本政府が主導して中国のスパイ狩りを開始した場合、前回と同様に作戦情報は漏れる。 スパイどもは、あっという間に消え去ってしまうという事だ。 それと同じく、中国がスパイ狩りに気付けば〝日本の裏切り者〟も含めて、全ての証拠を消し去ってしまうだろうな。」


大佐の言い分は確かに一理ある。


日本政府と太いパイプがあるという事は、政府系の情報はダダ漏れという事だ。
それに、逆も然りだ。
中国側も時間と金を掛けて作った工作網を簡単には手放したくない…〝日本の裏切り者〟には網を掻い潜る詳細な情報を提供しただろう… 何年も捕まえる事が出来なかった理由も説明が付く。


「カザマ君。前回の作戦失敗で中国工作員達の警戒度も上がっている。 外部からのアプローチはリスクが高過ぎる状況なのだ。 ならば、自衛隊内の協力者に近付いて、そこから〝日本の裏切り者〟へ辿り着こうという作戦だ。 我々が仲間の復讐のために中国スパイを探していると思わせておいた方が、全てに於いて都合が良いのだよ。」


日本政府が過剰な行動をしなければ、あくまで日本を舞台にした〝米国と中国の暗闘〟という構図になる… 日本側が関与していないと思わせて、そこに隙を生ませようという事か…?


「ホワイトハウスは実利を狙っている。 カザマ君… 君の指摘通り、本来であれば日本政府の仕事であり我々が血を流す案件では無い。 しかし、この作戦が水面下で成功したとしよう。 中国だけでなくロシア・北朝鮮などの反米国家に対しても〝これ以上、おまえ達の好きにはさせない〟という強烈なメッセージにもなる。」


水面下という事は、日本側の協力は期待できないという事なのか?
日本であればアフガニスタンのような手間を掛けずにあっさりと潜入は可能だろう。
しかし、地の利が全く無い状況で日本側の支援無しに何処まで行動できるだろうか…。


「現地での協力が期待できないのであれば、スコットと同じ羽目になります。」
「日本政府がノータッチという訳ではないんだ。」
「…と、仰いますと?」
「マッケンジー君、カザマ君に資料を。」


マッケンジー中佐は新しいファイルを取り出すと、テーブルの上に置いた。


「このレポートに記載されている日本防衛省の〝カエデ・モモチ主席情報管理監〟が君の行動を全面的にサポートしてくれる事になっている。」

「情報管理監…」


ファイルには、鼻筋の通った顔立ちに黒い大きな瞳が印象的な女性が写っている。
どこかで見た事があるような顔立ちだ… 誰だろうか? 誰かに似ている… クララ…? そう、クララだ。
テレビドラマの〝ドクター・フー〟でクララ役を演じたジェナ・コールマンを何処となく彷彿させる… 日本人には珍しい顔立ちだろう。


私は興味に駆られファイルを手に取った。
カエデ・モモチ主席情報管理監… 肩章には横2本ラインに桜が一つが付いている。
自衛隊出身の制服組という事だ。


調査報告書によると…


〝防衛大学校から陸上自衛隊第1師団 第1偵察隊機動偵察班、そこから陸上総隊の中央情報本部付きに昇進… その後、ペンタゴンへ出向。 帰国後は防衛省情報本部に着任… 陸上自衛隊での階級はMajor(少佐)。 独身。 居合道三段。 裏千家茶道上級、書道師範… 英語と中国語に精通…〟

文武両道の華麗なる経歴だった。
モモチ少佐の経歴をアメリカ軍に当て嵌めれば、現場を経験した後にアメリカ陸軍指揮幕僚大学を経て国防総省へ出向という事になる。


2枚目の資料にはフルフェイス・ヘルメットで大型バイクに乗っている姿が写っていた… エンブレムにはYAMAHAの文字が見える… ガソリンタンクの横にある楽器の様なエアインテークが印象的だ。
その下には剣道場で木剣を腰に携えた凜とした表情の画像が貼ってあった。


モモチ少佐の資料を見つめている私に副校長が話し掛けてきた。


「カザマ君。 資料を見て分かるように彼女は情報戦のスペシャリストだ。 防衛省の主席情報管理監は首相直属の国家安全保障局と危機管理センターとを自由に行き来できるという立場でもある。 防衛大臣直属の主席情報管理監であるモモチ少佐のサポートがあれば、君が自衛隊の何処の基地に出没したとしても、自衛隊員達に違和感を与える事も無いだろう。 心強いパートナーになり得ると思うが… どうかね?」


まさか… 自衛隊に潜入しろと言うのか?
大佐は葉巻を灰皿の上に持って行くと、人差し指で軽く〝トン〟と叩いた… ポトリと落ちた灰は葉巻に付いていた形を保っている…。


マッケンジー中佐が顔を上げた。


「カザマ大尉はMSOTを離れて5年になる。 大尉を試すような言い方をしたのは申し訳なかったと思う… 素直に詫びよう。 それに、現役を引退した大尉には大切な家族ができた事も承知している。 この任務を私が受けたなら、私も躊躇した事だろう。 よく考えて貰って構わない。」


中佐は副校長に一礼すると部屋を出て行った。
軍靴の音が廊下を遠離ってゆく。


「突然の話ですまないと思っている。」
「いえ。すみません。私も感情的になりました…。」

「マッケンジー君もスコット・ウィリアムズ上級曹長の事には心を痛めているんだ。 ああ見えても、参謀本部会議で〝海兵隊員は使い捨ての駒じゃ無い〟と吠えたそうだよ…。そこまで言うのであれば、この状況を収拾させろと命令を受けたそうだ。 確かに君への話の持って行き方は褒められたものじゃ無いが… 彼の気持ちも理解してやって欲しい。」


窓際に歩いて行った大佐が一際大きな煙を吐き出す。
窓から差し込む日差しに照らされた紫色の煙は怪しげな動きで漂っていた。


「大佐、現役のスコット班とCIAが組んだ作戦が失敗したのですよね? 私みたいな引退した元MSOTに務まるとお考えですか?」


大佐は葉巻を咥えたまま振り返ると不敵な笑みを向けてきた。


「カザマ大尉… 君から階級で呼ばれるのは5年振りかな?」


無意識に副校長を大佐と呼んでいることに気付いた… 思わず声を出して笑ってしまった。
私の心の奥底で何かが蠢き始めている。


「私も大佐から階級名で呼ばれたのは5年振りであります。」


大佐の瞳が鋭く光った様に見えた。


「さて、君の外見は… こう言っては何なんだが、どこから見ても日本人だ。 そこでだ。 君の立場を〝日本自衛隊から研修でアナポリスへ派遣されている情報部大尉〟という設定にしておく。 そうすれば君は、日本へ降り立った時点で〝アメリカ合衆国 海軍兵学校(アナポリス)から帰ってきた陸上自衛隊大尉〟に化ける事になる… この意味は分かるかな?」


上手い設定だった。


最初から身元を日本陸上自衛隊員に成りすまして米国を出国、そのまま 〝スパイ〟 のいる自衛隊内に潜入するという作戦だ。
マッケンジー中佐が 〝CIAの支援〟 を強調した理由とも辻褄が合う。


「海兵隊特殊コマンドチーム元隊長で現役のアナポリス鬼教官を日本の防衛省に送り込んだなら、日本防衛省の背広組達も浮き足出すに決まっている。 それに、中国は〝何らかの意図〟を感じ取るだろう。」


確かにその通りだった。


「あぁ、それと… 今回は中国共産党統戦部が関わっている。 大尉と家族の安全を考えて、海兵隊参謀本部には〝ここ〟を作戦指揮所にすることを了承させておいた。」


悪戯っぽい不敵な笑みを浮かべると、葉巻の火種が一際赤く点った。
重たそうな煙を盛大に吐き出しながら、〝トントントン〟とデスクを叩く。


「中国工作機関の警戒度は上がっている。 万が一、中国スパイどもが君を疑いアメリカでの活動や自衛隊での素性を調べたとしても 〝自衛隊からアナポリスへ派遣されていた情報将校” という経歴しか出なければ疑念を生じさせる事もあるまい。 君がスパイを消す任務を帯びているなどとは露ほどにも思わないだろう。」


私は大きく頷いていた。


「それに、自衛隊内へ潜入した後で私達と頻繁に連絡を取っていたとしても、君は 〝自衛隊からアナポリスへ派遣されていた情報将校〟 だったのだ。 他の自衛隊員達に違和感を与える事もない。 もし何か聞かれたら、担当業務の引き継ぎだとでも言っておけばいい。」


そう言い終わると、急に大佐の瞳から鋭さが消えて行った。


「カザマ大尉… 君の気持ちを全て理解したとは言うまい…。 ただ、一つだけ分かって欲しい。 海兵隊員たちにスコット・ウィリアムズ上級曹長達のような思いをさせない為にも、私達は今ここに居るんだ。」


大佐の目は、どこか悲しげな瞳に変わっていた。
心の奥底を見せたくないのだろうか、私に背を向け窓の外に目をやっている。
日の光に照らされた紫色の煙が大佐の体に纏わり付いてゆく…


私のチームがアフガンで任務に就いていた当時、副校長は海兵隊参謀情報部の中佐として作戦フォローを担当してくれていた。
戦場で血を流した私のチームが解散させられ、デスクワークだった自分だけ大佐に昇進してアナポリスの副校長に就任した負い目があったのだろうか、除隊願いを出そうとしていた私の噂を聞きつけた副校長は、私に先回りしてアナポリスの特任教官着任の命令書を出させたのである。
副校長は私の過去を全て知った上で、拾い上げてくれたのだった…。


大佐の背中を見ているうちに、〝日本という国をこの目で見てみたい〟という気持ちが湧いてきていた。
アメリカを祖国として生まれた日本人… 私には日本人の血が流れている… 日本は私のルーツの国でもあるが、今まで一度も日本の土を踏んだ事は無かった。

初めての日本でサマー・バケーションを過ごすのも悪くない…
私は自分にそう言い聞かせた。


「大佐、了解しました…。」


大佐の背中に向けて言葉を投げる。
ゆっくりと振り返った大佐の瞳には、強い意志を感じる事ができた。


「…うむ。 今回の作戦は前回の失敗を教訓とし、海兵隊、CIA、日本防衛省の合同作戦となる。 アメリカ側の指揮官は私だ。 今後は全ての情報を君に提供しよう。」


私は起立をすると完璧な敬礼をした。


「よし大尉、早速〝音合わせ〟を始めるぞ。 君が必要とする装備は私が責任を持って用意させる。 MSOT流で構わん。 遠慮無く言ってくれ給え。 あぁ、勿論、MSOSG(特殊作戦支援チーム)もバックアップとして参加する。」


〝音合わせ〟 懐かしい響きだった。


心の奥底に沈めておいた〝もう一人の自分〟が何かを求めて首を擡げている事がはっきりと感じ取れている。
それと同時にアフガンでの日々、屈託の無い笑顔でハイネケンを煽るスコットの顔、木剣を構えるモモチ少佐の顔が頭の中を流れて行った。


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