第18話 歪み

文字数 9,101文字

暗闇…


耳鳴り…


私は・・・何をしているのか?
倒れて・・・いる・・のか?
・・・身体の節々が痛い。


…身体中の筋肉が強ばっていた。
どうやら、タクティカル・ベストを着ているらしい… エルボー・パッドも身に着けている…


胸ポケットを探り、LEDライト取り出した。


視界の先には裸電球がぶら下がっているのが見える。
その先にはゴツゴツとした岩肌があった。
首を擡げて足下を照らしてみた。


明かりの先にはテント類、寝袋、薪割り用の斧やノコギリ、藪払い用の牛刀、DIYの工具セットなど見える… ラックには薪が積まれていた。
バーベキュー用品や業務用調味料、炭も綺麗に整頓されている。


・・・見た事のある光景だった・・・


そうだ… ここは〝岩穴の倉庫〟 だ。
私は何故、此処で倒れていたのだろうか…?
頭の芯が痺れていて考えが上手く纏まらない…。




私は大きく息を吸ってから丹田に力を込めてゆっくりと息を吐き出した。
これを数回繰り返す。




・・・徐々に記憶が戻ってきた・・・



私は中島警視を追って来た石井准陸尉と戦闘になったのだ…。
そして、左腕を撃たれた… 戦闘が終わり〝岩穴の倉庫〟に戻ると、撃たれた左腕を百地三佐が止血しようとしてくれたのだった。


左腕を照らして確認する… 何故か撃たれた傷は無かった。


LEDライトで周囲を確認すると… 光の先には、壁に山積みにされた薪にもたれ掛かったまま動かない百地三佐がいた。


呼び掛けたが、喉が張り付いて上手く声が出ない。
身体を起こすと強い頭痛に襲われた。
落ち着くまで同じ姿勢を保つ… 唾液で口の中を潤す…。


百地三佐の状況を確認する… 外傷は見当たらない。
呼吸は正常… 気を失っているだけだった。


「百地三佐… 大丈夫か? 百地三佐?」


肩を数回揺すると意識を取り戻した。
私の顔を見た百地三佐は、ハッとした表情の後にハンドガンへ手を伸ばした。


「・・・落ち着いて。 私だ。 風間だ。」


私はLEDライトで自分を照らした後、眩しくない様に天井方向へと向けた。
百地三佐は思い出したという表情をした後、床に転がっていたメディック・バッグを拾い上げ、覚束ない足取りでこちらに戻って来る。


私の左腕を治療しよとうして、今度は狐につままれた様な表情になった。


「・・・どういう事?」
「俺は左腕を撃たれていた?」
「そうよ… 大量に出血してたわ…。」

「…止血しようとしてくれた?」
「そう… あの出血は危険な量だった。」
「見てくれ、傷が無いんだ。 怪我をしていない…。」


私は左腕の袖を捲り上げてみせた。


百地三佐は自分の頬を抓っている… 私も同じようにしてみた。
…痛い。しっかりと痛い。
暫くの間、私達は言葉を失っていた。


「中島警視が椅子に!」


百地三佐の言葉で記憶が蘇ってきた…。
神田警部補の頭が吹き飛んだ光景… それに、椅子に座ったまま血を流して動かない中島警視の姿が頭の中で交互に流れた。
中島警視の最終的な安否は確認できていない。

百地三佐は弾かれるように倉庫の扉を開け放った。

フクロウの鳴き声が聞こえてくる… 扉を開けた百地三佐のシルエットは微動だにしない。
私は落ちていたライフルを杖代わりにして立ち上がり、扉に近付いた。


ようやく、百地三佐の後ろ姿に色が戻った。


それと同時に今まで味わった事の無い〝森の匂い〟が流れてくる。
フクロウの鳴き声が一段と大きく聞こえた。
月は細い三日月だ… 月齢は若い。
周囲には深い闇が広がっている。


LEDライトで周囲を照らす…。


・・・私は目を疑った・・・


目の前には丸太を組んで作られたログハウス風の建物があった。
私達が使っていた古民家ペンションではない…。
見える範囲の敷地を確認する… 私達が気を失って倒れていた〝岩穴の倉庫〟は鉄の扉ではなくなっており、木製の観音扉に変わってしまっている。


Gショックは動いてはいる。…が、日中の時間を示していた。
スマートホンは… 圏外だった。
GPSは電波を拾っていない。


私は〝岩穴の倉庫〟へと戻り、もう一度確認した。
倉庫の中は私の記憶通りの光景だった… 何故か〝岩穴の倉庫〟から出た世界だけが、見た事の無い世界に変わってしまっている。


・・・頭に断片的な画像が浮かんでは消えてゆく・・・


「百地三佐、地面が揺れて白い石像が突然倒れた。 俺は元に戻そうとした… 石像に触れた瞬間、世界が歪んで収束していった。 そして…俺達は気を失った。 違うかい?」


「…たしか、そんな感じだったわ。」


私達は〝岩穴の倉庫〟から出て、丸太で組まれた建物の周囲を確認して回った。


アジト(神田警部補がそう呼んでいた)の〝囲炉裏の部屋〟に面していた日本庭園は形跡も無い… 古民家ペンションの敷地と麓から続く林道を隔てていた瓦葺(かわらぶ)きの白壁も見当たらない。
白壁の代わりに、先を尖らせた丸太を縦に並べた壁になっている。
丸太の壁には門が取り付けられ、(かんぬき)には縄が固く縛り付けられている… その上には〝見張り(やぐら)〟が組まれていた。


私は懐剣を使い、閂に縛り付けられていた縄を切った。


門の外には、神田警部補と一緒に ”のっぺらぼう” で登って来たらしき道の跡がある。
しかし、下草に覆われてしまい周囲は深い森に変わってしまっている。
それどころか、砂利の駐車スペースに停めたはずの〝のっぺらぼう〟、百地三佐のバイク、中島警視の黒いトヨタは跡形も無く消え去っていた。


LEDライトが映し出す世界は… 深い森だけである。


やたらと星の多い空を見上げている内に、脳漿をまき散らした神田警部補と椅子に縛り付けられている中島警視の画像がフラッシュバックしてきた…。
心の中心を握り潰されるような感覚で喉が詰まった。


古民家ペンションの玄関だったと思われる場所に戻ってみたが、2人の姿は見当たらない…。


・・・目眩がする・・呼吸が荒い・・・ 立っていられなくなった・・・


そうだ… 私は死んだのだ… 死んで森の中を彷徨っているのだ… 思えば、たくさんの人間を自分の正義を振りかざして殺めてきた… 私は天国になど行ける訳はないのだ。


「神田… 中島ぁ… がぁあああっ・・・」


アナポリスでの生活、カバー・トスやポーラが作ってくれたエッグベネディクト、両親と散歩をした砂浜などの画像が断片的に頭を過ってゆく…。


襟を掴まれ引き起こされた。
目を開くと百地三佐の顔が見える… 襟を掴んだ拳が胸元を押してくる… 地面に押し倒された。
馬乗りになった百地三佐は大粒の涙を流しながら、私の右頬を平手打ちした。


「貴方がこんな事でどうするのっ! しっかりしなさいっ!」


どれ位の時間が流れただろうか。


私の隣には膝を抱えた百地三佐が座っていた。
私は上半身を起こし、百地三佐の方へと身体を向けた。


「百地三佐… もう一度、俺の頬を叩いてくれ。」


百地三佐はゆっくりと私の方に身体を向けている。
深呼吸した後、おもいきり私の頬を引っ叩いた。


「風間一尉、私の頬も叩いてくださる?」
「・・・ああ。」


左頬を叩くと、百地三佐は少し蓮っ葉な笑い声を出した… 口元に手は当てていない。

私達は暫くの間、満天の星が煌めく夜空を見つめる事しか出来なかった… 理解し難い現実を直視しようと懸命に努力した。
既視感と違和感が交互に浮き上がる不可解な時間だけが流れてゆく…。


東の空がグラデーションに染まり始めた頃、照らし出された世界には目を疑う光景が現れた。


「これは…」
「砦だ…」
「砦… よね…」
「ああ。」
「どうやら私達、とんでもない事になったみたいね…」


私達が気を失っていた〝岩穴の倉庫〟の上には丸太で櫓が組まれ、砦らしき建物の2階に繋がっている…。
神田警部補が〝アジト〟と呼んだ古民家ペンションではなくなっていた。


百地三佐は徐ろに立ち上がると、砦らしき建物に吸い込まれる様に歩いて行った。
こういう時、女性は男よりも肝が据わっているのか… 私は付いて行った。


百地三佐は、先を尖らせた丸太の壁で囲まれているスペースへと入ってゆく。
丸太の壁は高さ2m程あり、等間隔で窓穴が開けられていた。
腐食が進んでいる… かなり前から使われなくなったのだろう。


当初、ログハウスに見えた建物は… 石垣で水平が作られた土台の上に丸太の柱で作られた〝高床式の建物〟だった。
…1階部分は吹き抜けになっているのか?


LEDライトを取り出し暗闇を照らしてみた。


やはり、1階部分は壁の仕切りはなく広い空間が広がっている。
砦として作られたのであれば、武器弾薬食料の保管や人の寝泊まりにも使える広い空間である。
太い柱が等間隔に立てられて建物を支えていた。

建物の東面には梯子(はしご)が付けられており、上の階へ登れるようになっている。
梯子の上部をライトで照らすと板で塞がれているのが確認できた。


LEDライトを咥えて梯子を登る… 塞がれている板を押し上げた…。
埃臭い空気が漂ってきた。

上階部分は木作りの窓がしっかりと閉ざされ真っ暗闇だ… ライトの光には何もない空間が広がっている。
柱や天井の一部が(すす)で黒く変色している… 過去に人が居た痕跡だ。
空間の右側にLEDライトを向けると出入り口が見えた… もう一つの部屋があるのか?


私達は先へとへと進んだ。


…この部屋も何もない。ここも、木の窓はしっかりと閉ざされている。
ライトで室内を照らすと、今度は空間の左前方に出入り口が見えた。


私達は更に先へと進んだ。


3つ目の空間にも、思しき物は見当たらない。
しかし、最奥部に一段高くなっている場所が作られていた… 4人掛けのテーブル3つ分位のスペースである。
此処だけ、不自然に四方が柱で囲われているのだ。
この〝一段高くなっている場所〟は、上階へと繋がる梯子から直線的に来る事は出来ない作りになっている。


私達は〝不自然に一段高くなっている場所〟 を調査した。


柱や壁をLEDライトで細かく確認すると… 右側の柱、丁度、臍の高さ位の所に文字が掘られているのを見つけた。
刃物を使って刻んだのだろうか? 刻み方が荒っぽい。


「百地三佐、これは何と読めばいい?」
「伊勢家… 恩古臣仁科長盛・・源 太郎丸・・・鷹舞砦主也・・・」
「どういう意味だ?」
鷹舞砦(たかまいとりで)の主は… 伊勢家の古くからの家臣で仁科長盛… 源氏で名は太郎丸、かしら。」


砦に名を刻み、戦いに挑んだという事か… 背水の陣だったのか…?
やはり、この〝一段高い場所〟 は身分の高い者が使うスペースだった。


一段高い場所の周囲を更に調べると、背後の戸板が内側から外れる様になっていた。
上階部分の外へと出られる仕組みになっている。

建物の上階部分はぐるりと通路で取り囲まれており、胸の高さで丸太が組まれていた… 〝岩穴の倉庫〟の上にある櫓と繋がっている。
360度の事象に対応可能な作りになっており、構造的には間違いなく〝砦〟だった。


砦の作りを確認した後、砦が置かれた敷地の状況を確認して回った。


アジトへと到着した夜、私が念入りに掃除をした岩風呂のあったログハウスが建っていたであろう場所には、大きな納屋らしき建物が作られている… 入口の扉には真新しいが年代物の鍵が掛けられていた。
塞がれている木の窓板も手入れされた痕跡が見て取れる。
砦とのギャップが有り過ぎる… 中は窺えない… 武器庫だろうか?
…いや、廃砦に武器を保管している訳がない。
いずれにせよ、後で鍵を壊して中を確認した方が良いだろう。


私達は見た事のある竹林(グランピング用のテントスペースだった?)を抜けて、砦の裏側へと向かった。


…裏側スペースの石階段(中島警視とクレイモア地雷を仕掛けた石階段だろう)に立った私達の前には驚きの光景が広がっていた。


長方形をした広大な敷地は先を尖らせた丸太でしっかりと囲われている。
四隅には〝(やぐら)〟も組まれている。
敷地に木は1本も生えておらず、石垣と丸太の防壁で囲われた敷地の全体を見渡す事が出来た。
しかし、長期間放置されていたのだろう、雑草が生い茂っている。
敷地は十文字の通路で仕切られているのが窺えた。


頭の中で既視感と違和感が鬩ぎ合っている。


目の前にある事実から判断するとしたならば、〝岩穴の倉庫〟の外は過去へとタイム・スリップしたと言えるだろう。
いや待て…〝岩穴の倉庫〟の中だけが過去へとタイム・スリップしたのか???

しかし… 本当にこんな事が起きるのか?
私は死んでいるのではないのか?

百地三佐に視線を送る… 腕組みをしながら周囲を窺っていた。
視線を落とした後、大きな溜息をして空を見上げている。
恐らく、私と同じ事を感じているのだろう。


「何これ… 先が思いやられるわ。 コーヒーでも飲みたい気分ね。」


コーヒーという言葉で私は我に返った… この光景が現実だとしたならば… 水だ。
水を確保しなければならない。
水が無ければ人間は3日で行動不能になる。


「百地三佐。〝水の広場〟を覚えているかい?」
「ええ。 裏庭の西側。 湧き水とビオトープがあったわ。」
「行こう。」


私達は石の階段を駆け下りた。


階段脇の急斜面に巨岩の上部が見えた… 記憶通りだとすれば〝飲用可〟と札が取り付けられていた清水が湧いている岩である。


岩の周囲は雑草が一際生い茂っている… 私達は下草を分け入って進んだ。
更に進むと足下の土が湿り始めた… 水の臭いがする。
水の落ちる音も聞こえた。


苔生した巨岩の隙間から水が勢いよく溢れ出している… その下には、バスタブほどの水溜まりが出来ていた。


「百地三佐、周囲の地面に動物の足跡があるか確認しよう。」
「了解。」


周囲を回ったが、動物の足跡は見当たらなかった。
岩場の上部は急斜面で木々が生い茂り、獣道も無かった… 丸太の防壁で囲われているので獣は入って来られない状態が保たれている。
動物たちは利用していない様子でる… 糞尿で汚染されてはいないだろう。


「城や砦に新鮮な水源は絶対に必要よ。 ここは水場だったんでしょうね。」
「先に毒味する。」


流れ落ちる水を手に溜めて一口飲んでみる… 無味無臭の冷たい真水だった。
がぶ飲みしてしまった。
それを見た百地三佐も手で掬って飲んでいる。


「意外と冷たいのね。 問題なしだわ。」
「湧き水だから温度が一定なんだ。 これでサバイバルの基本はクリアだ。」


流れ落ちた先にあるバスタブほどの水溜まりは、岩の陰になり直射日光は当たっていない。
手を入れるとひんやりとしている。
湧き水から20mほど離れた所には朽ちかけた平屋の建物が見えた。


扉を開けて中を覗く…


棚や納戸らしき場所には食料らしき物は無かったが、錆びた大きな釜が3つと朽ちた水樽や柄杓が残されていた。


「この砦、300人位は賄える?」
「そうね… (かまど)も3つある。 この炊具だと1日最大で150人ってところかしら。」
「もっと入れる敷地の大きさだが?」

「…竈と釜が3セット。 あの釜は三升の米が炊ける大きさよ。 三升釜は1回でおにぎり90個炊けるの。 兵士に一日4個支給したとして2回転必要。 食料庫の大きさからして供給能力は10日位ね。」


偵察部隊出身の軍人目線になっている。
女性は現実を受け止めるのが早いというのは、何処の国でも同じなのだろう。


「私達の食料は?」
「戦闘糧食と缶詰、セーブしながら2人で食べたとして4~5日ほど。」


百地三佐は暫くの間、砦と思われる敷地を見渡していた。


「…獣道。 北のネットを越えた先に獣道があったわ。」


その言葉に私は ”ピン” ときた。
百地三佐の頭には〝狩り〟をしようという考えが浮かんだのだろう。
やはり、女性は現実を受け止めるのが早かった。
下手な男よりも頼りになる。


「よし。行ってみよう。」


地形が変わっていなければになるが、石垣で囲われた敷地の西壁から北壁に沿って沢が流れている筈なのである… 私達は西壁に向かって進んだ。


西壁の端にある潜り戸を開けると沢の流れが見えた。
石垣を下りて沢伝いに北へと向かう… 記憶通りに石垣は右へと直角に曲がった。
沢を跨いで下草を掻き分ける…


・・・あった。 山の頂上方面へと向かう小道が現れた・・・


風景は大きく変わっているが、獣道らしき小道が続いている。


石垣を右手に見ながら、獣道を東へと進む… 小さな河原へと出た。
そうだ… ここは、王恭造と周葎明を仕留めた帰りに立派な雄鹿に遭遇した場所である… 河原の状況や周囲の木々の位置は変わっているが、石垣との距離や位置からすると間違いない。


「百地三佐、この場所が分かるかい?」
「ええ。 雄の鹿と目が合った場所。」


河原の泥濘(ぬかるみ)には真新しい動物の足跡が残されている。
一匹だけじゃ無い複数の足跡だ。
此処で待ち伏せをすれば ”狩り” が可能だろう。


「ひと安心ね。 戻って敷地の状況を調べましょう。」


私達はアジトの裏庭だったはずの敷地を確認して回った。


その結果…
私達が知っているアジトの裏庭とは、全く違う様相に変わってしまっていた。
裏庭の状況はこんな感じである。


〝水の広場〟→ 湧き水、竈がある建物
〝冒険の森〟→ 兵舎と思われる長屋
〝運動広場〟→ (うまや)と牧草地
〝花と菜園〟→ 畑の跡、(かわや)と思われる建物


「水源は確保出来た… だが、今から畑を耕してなんかいられないな・・」
「そうね…」
「君ならば、どうする?」

「・・・もっと広い範囲を偵察して、人の痕跡を探す。」
「その通りだ。 ドローンが動くか確かめよう。」
「了解。」


私達は〝岩穴の倉庫〟へと戻った。


ハードケースから〝ソーラーパネル式充電パッケージ〟を取り出す。
これは、特殊装備担当のマーカス主任が持たせてくれた物だった… 作動する事を祈る。
パネルを開き太陽の方へと向ける… スイッチをONにする…。

起動した。

アサルトパックからドローンを取り出した。
USBコードを繋げて充電させる… 起動しろ…
充電ランプが点滅した… モニターの電源も入った。


「よし! これで電源は確保出来た。 ドローンが飛べば偵察が可能だぞ。」
「無線機の充電もしておきましょう。」
「ああ。」


私達は〝岩穴の倉庫〟に保管されている備品を再度チェックした。


薪は大量にある… それに周囲は深い森だ。火には困らない。
奥の棚にはバーベキュー用品、業務用調味料、炭、小さな固形燃料も大量にある… 食料さえ手に入れば自炊も暫くは大丈夫だ。


薪割り用の斧やノコギリ、DIYの工具セットに天体望遠鏡…。
テント2張り、タープ、水を入れるタイプの錘、寝袋、マット… 確か、古民家ペンションの竹林にはグランピングのスペースが作られていた… そこで使った用具一式なのだろう。


理解しがたいが… 岩穴の倉庫の中だけは変わってはいない…。
地面が歪んで倒れた〝白い石像〟や注連縄もそのままに祀られていた。


念の為、LEDライトで注連縄周辺の状況を確認してみた…


すると… 〝白い石像〟には私が触れた時に付いたであろう血痕は一切見当たらない… 倒れたり動いたりした形跡も見付けられなかった。

私は〝白い石像〟の頬に触れてみた…。


世界が歪むどころか、繰り返し起こっていた眩暈すら起こらなかった。
どうやら、私が触れた事でタイム・スリップを引き起こしたのではないらしい。
だとするならば、あの ”歪み” と ”収束” は一体何だったのだろうか?


倉庫内を隈なく観察していた百地三佐が足を止めた。


「風間一尉、このテントとキャンプ道具を使えばベース・キャンプを作れるわ。」
「グランピングでもするのかい?」
「シェフがいればの話だけど。」


テントと寝袋、それにマット類もあるのだ。
砦の1階にセットすれば雨風を防げるし、生活スペースも確保できる。



「百道三佐… 名案だよ。」



私達は砦の1階にテント用具を運んだ。


此処は吹き抜ける風が心地良い… 高床式建物の1階だから日中は光も入ってくる。
プライベート空間を確保出来れば、生活空間としては申し分ないだろう。


私達は ”落ち着けそうな場所” にテントを広げた。


テントはロープロポーションの4人用で〝前室〟が付いているタイプの物だった。
夏場仕様のネットも付いている。
室内にマットを広げて横になってみる… しっかりと平行が取られていた。
百地三佐は私と同じ向きでテントを張っている。
テントの距離は3m程あった… これが私との精神的距離という事だ… まぁ、致し方ない。 

LEDランタンをテントの天井にぶら下げた。

百道三佐のテントからも明かりが漏れている… ネットからは、うっすらとシルエットが浮かび上がっていた。
折りたたみ式のテーブルとキャンピングチェアをテントとテントの間にセットすると、それなりの雰囲気になった。
いや、立派なベース・キャンプの完成だった。


「百地三佐、こちらに入る時はノックが必要かな?」
「そうね。ノックの後に〝風間入ります〟も付けてくれると嬉しいわ。 それより、あの倉庫… 装備を置いておいて大丈夫かしら…」


再び、あの ”歪み” と ”収束” が起きたなら、また景色が変わっているかも知れないのだ… 百地三佐は的確に状況を判断して、的を得た指示を提案という形で行ってくれている。
これには素直に感謝すべきだろう。


「百地三佐、的確な助言をありがとう。」
「どういたしまして。」


私は倉庫へと向かい、全てのハードケースを砦の建物1階へと移動させた。
そうこうしている間に、ドローンとモニターの充電が完了していた。


「ドローンを飛ばしてみよう。 俯瞰(ふかん)で観察だ。」
「ちょっと、見るのが怖いわね…。」


ドローンを充電ポットから外しプロペラを回転させた。
上昇ボタンを押す。
真っ直ぐ上に飛んでいった。


モニターには砦の上部が映っている… 屋根の部分を越えた…
更に上昇… 180度転回…


古民家へ続く林道の入口までは茶畑と集落の風景があった筈である。
麓の方向へとドローンを飛ばしてみた。


来た時に見えた風景は何処にも無い… 上空からは林道の痕跡すら発見できなかった… あるのは、山と深い森を上空から映している光景だけだ… 見渡す限り、人工的な物は何も映らなかった。
GPSは電波を拾っていない… 動けば森を彷徨う事になる。


「…この状況を現実だとは思いたくないね。」
「これって、やっぱり…」


お互いに言葉には出さなかったが、考えている事は同じだろう。
目の前にある事実からは〝タイム・スリップ〟を想像させるのである。
しかし… 確定的な事実がもたらされない限り信じたくはなかった。


「糧食が尽きる前に食料を手に入れましょう。」


百地三佐の提案は的を射ていた。
食料が確保出来なければ、行動不能になるのは紛れもない事実なのである。



今やらなければならない事の順序を冷静に決めている百地三佐とは裏腹に…
私は目の前に起きている事実を現実だと受け止める事は出来なかった。


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