第9話 N班

文字数 8,674文字

腕時計を外す…
タイムゾーンを〝TYO(東京)〟に合わせた。


こいつはGショック… アフガン時代からの戦友だ。
砂嵐の(おか)でも正しい時刻や方角・高度まで知らせてくれるタフな奴である。
多少の小傷が目立つが、それも良いアクセントだと思っている。
左腕に付け直す… 任務に就いているという実感が湧いてきた。

そうこうしているうちに ”Baggage claim”(日本ではターンテーブルと呼ぶらしい)から、色とりどりのトラベル・キャリーやスーツケースが流れて来た…。

飛行機を先に降りた集団が動き出している。
ハイエンドな乗客達が一足先に荷物をピックアップしてゆく。
荷物はファーストクラスの乗客分から流されているらしい。

2周目になった頃、黒光りしているプロテックスのトラベル・キャリーが見えた。
やはり、こいつは目立つ… 一応、赤のネームプレートに刻まれている〝K.KAZAMA〟の文字を確認してから回収した。


税関検査場へと向かった。


ブースには既にハイエンドな乗客達が並んでいた。
最後尾に到着した私に、男性の税関職員が近付いてくる。


「お帰りなさい。こちらへどうぞ。」


…私の為にだろうか?
ハイエンドな乗客達が並ぶ列とは別の検査ラインを開けてくれた。
感謝の言葉を伝えた私に、男性の税関職員は口元だけの笑顔で頷いている。


促されるままに税関検査を受けた…


X線検査の機械に通しはしたが、手荷物やトラベル・キャリーへの入念なチェックは無い。
一連の入国審査手続きも、いとも簡単に終了した。
入国審査官や保安検査の職員からは「お帰りなさい。」の言葉と共に敬礼まで受けた… 私も姿勢を正してから多少オーバーな敬礼で返す。
私達のやり取りを見ていた他の乗客達からは何のクレームも出なかった。

”自衛隊将校服と緑パスポートという組み合わせ” の威力は凄まじい… 後ろめたいような奇妙な優越感を味わいながら到着ロビーへのゲートを通過した。

ロビーに流れるアナウンス、案内看板… 全てが日本語メインである。
日本人同士の日本語での会話… アメリカとは全く違う空気の香りも、此処は日本なのだと強調している。


自分のルーツに想いを馳せる気持ちが高鳴っていた。


気持ちを切り替えてから、黒鞄に入っているスマートフォンを探した。
成田空港での対応方法は 〝到着時にメール指示〟 される事になっているのだ… ルーツの国に降り立った感慨に浸っている場合ではないのである。


「風間一等陸尉!」


…張りのある大きな声が到着ロビーに響く。
声の方へと視線を送ると、自衛隊の軍服らしきものを着た男が駆け寄って来た。
20代後半くらいであろうか?
30歳を越えているようには見えない。


「長旅、お疲れ様です! お迎えに参りました!」 


”ミーティングポイント” と看板が出ている場所にある長椅子に座っている全ての日本人の視線が、一斉に私達へと集まっている… そんな事はお構いなし、という感じで軍服の男はとても綺麗な敬礼をしてきた。
手に持ちかけたスマートフォンを黒鞄に戻して姿勢を正し、私も ”完璧な答礼” を行った。


「出迎えありがとう。」
「お荷物は私が。…では、お車までご案内します。」


軍服の男は私の黒鞄を拾い上げ、プロテックスのトラベル・キャリーを押し台車に乗せている。 …唐突に歩き始めた。
軍服の後ろ姿からは強い緊張感が伝わってきている。
平然を装いつつも、周囲に視線を送りながらエレベーターの方へと向かって行った…。


日本側も潜入ミッションを開始しているという事だろう。
私は軍服男の後ろ姿に付いて行った。


エレベーターを登り ”P2” との案内が表示された渡り廊下を使って駐車場エリアに入った。
出迎え用の車寄せではなく、ほとんど車が停まっていない立体駐車場である… 一番奥右側には ”黒いバンタイプの車” が停まっているのが見えた。


軍服の男は真っ直ぐに ”黒いバン” へと向かって行く…


黒いバンへの助手席には白いYシャツとネクタイ姿の男性が確認できた。
いや、違った… 運転席だ。 日本は右ハンドル車で道路は左側通行である。
…後席はスモーク・ウィンドウなので中の人数は確認できない。

私達が ”黒いバン” の横で立ち止まる前に、左サイドのスライドドアが自動で開いた… 薄暗い室内に独立した革張りのシートが2つ見える… ウッド調の内装はとても上質だ。
チラリと見えた運転席のパネルはコックピットの様相を彷彿させている… ハンドルには見慣れたトヨタのエンブレムがあった。
車内は全体的にコンパクトだったが、私の乗っているダッヂ・バンとは比べ物にもならないクオリティの高さである。

軍服姿の男がハンドサインで乗車を即す…

私が2列目の座席に座るのを見届けた後、黒鞄とプロテックスのトラベル・キャリーをリアのハッチバックを開けて積み込んでいる。
周囲を確認しながら3列目のシートに乗り込んできた。
スライドドアが閉り、自動でドアロックが掛けられた。



…気になる… 



私は前後から挟まれる状態になっている…
前後で挟む座り方をするという事は、この2人は私に気を許してはいないという事を現わしている行動なのだ。

車がゆっくりと走り出した。
駐車場内独特のタイヤが鳴く音が響く。
駐車場を出ると運転席の男はバックミラーをしきりに確認しながら運転していた。

駐車場ビルから出て5分位だろうか、料金所を通過した… どうやらハイウェイに入った様だ。
…と思った途端、運転している男が急に左ウィンカーを出した直後、ハザードランプに切り替えて滑り込むように路肩へと停車した。


スライドドアの窓からは、高速道路の壁面に作られた〝WELCOME TO JAPAN〟の大きな文字看板が見て取れる… これは彼等なりの歓迎セレモニーなのか?


…しかし、男達には笑顔すら無い。
運転席の ”縁なし眼鏡男” は後方に意識を向け続けている。


「…尾行なし。出発。」
「了解。」


尾行…

後席の男が気になる言葉を発した。
運転席の男はウィンドウを下げて、徐ろに赤色回転灯を車の屋根に取り付けた。
けたたましいサイレン音と共に勢い良く走り出す… 滑らかな良い加速だった。
景色の流れが更に速くなる… 80マイルは出ているだろうか?

右側の車線を走っている車が続々と左に車線変更してゆくのが見えた。
目の前でアメリカのハイウェイとは全く逆の事象がリアルに展開されている。
違和感だらけだが面白い… 実に新鮮である。


「こちら、N班。対象を確保。東関道(とうかんどう)で移送中です。」


”対象を確保、トウカンドーで移送…” また気になる言葉を発した。
後席の男が誰かとスマートフォンで喋っている…。
アメリカとは真逆の世界を楽しんでいたが、ふと我に返った。


〝赤色回転灯〟は緊急車両が使うものである
〝確保〟〝移送〟と言う事は私は拘束されているのか?
〝トウカンドー〟とは何だろうか?


今更気付いたが、”出迎えに来た男は軍服” で ”運転している男はスーツ姿” だった… どう考えてもおかしい組み合わせなのだ。
嫌な感覚が頭を過る。
私は2人の素性を確認していない…。


成田空港で私をピックアップする方法は 〝空港到着時にメールにて指示〟 される手筈になっていたのだ…


1番最初にやらなければならなかった〝メール指示の確認〟を怠り、スマートフォンの電源を入れないまま黒鞄に戻していた事を激しく後悔した。
出迎えた軍服男の名前と階級すら聞かずに車へと乗り込んでしまっている… 初歩的なミスを真っ先にやっている自分に呆れてしまった。


どうやら、先程の〝Welcome to Japan〟の文字看板前で停車した意味など、これっぽっちも無かったと言う事である。
現状を頭の中で整理した私は、”何が最適解なのか?” をフル回転で模索した。


車から脱出するとした場合…

・後席から兵士に監視されている状態
・約80マイル(時速130km)で疾走している車の中


運転手を仕留めれば大事故は免れない… 私も無事では済まないだろう… 後方から監視されている今の状況では下手に動くと失敗するリスクの方が高い… この状況は完全に私の方が不利である。
私は心の中で苦虫を噛み潰した。

しかし… 幸いなのは、この2人から緊張感は伝わって来るのだが ”敵の気配” を感じない事である… 単なる運搬担当なのだろうか?
チャンスがあるとすれば車を降りる時だろう… 今出来る事は ”自分が何処にいるか” をしっかりと確認する事だけである。


私は視線だけで周囲の状況を把握する事に努めた…


このハイウェイは地面を掘り下げて作られているのか…? 両側には視界を遮る斜面が作られており、周囲の景色は一切確認できない。
時折、高所を走行している場所があったが、目印になるような建物は何も見えなかった。

高速で流れていく案内板に意識を集中させる… 私はハイウェイの案内板を読み取る事にした。

よく見ると、案内板の漢字にはローマ字で読み方が併記されている。
これならば理解できない漢字があっても大丈夫だ。
それを発見してから暫く走ると〝酒々井 Shisui〟の案内板が読み取れた。(ローマ字の記載が無ければ絶対に読めなかったろう。) やはり、日本の地名と人名は漢字で書かれると厄介だった。


〝東京52km〟


読み取れた直後、次の案内板には〝P酒々井〟の文字と数個のピクトグラムが見えた。
パーキング・エリアだろう。

…停車を期待したが、あっという間にパーキング・エリアへの入り口は遠離ってしまった。
Gショックで方位を確認する… 赤色回転灯とサイレンを鳴らしながら西南西に進んでいる。
頭を再度整理した。


〝成田空港からハイウェイに乗り、西南西に向かって走行… 東京まで約52kmの標識、酒々井パーキング・エリアを通過〟


頭の中で何度も復唱した。


緑色の案内板に〝東京〟の文字が続けて出始めた。
暫くすると〝小松川 Komatsugawa〟と〝東京 Tokyo〟と書かれた一際大きな案内板が見えた。


運転席の ”縁なし眼鏡男” が左後方を慎重に確認している… 眼鏡の中にある鋭い視線はバックミラーとサイドミラーを交互に注視していた… すると、それまで一定の間隔で鳴っていたサイレン音がけたたましい高音域に切り替わった。
周囲を威圧して煽る様なサイレンが響く… 左ウィンカーを暫く点灯させて一気に一番左の車線へと滑り込む… エンジンブレーキを使い減速をしつつ、料金所を通過した。

どうやら、”小松川 Komatsugawa” 方面に向かうらしい。

左右を確認したが遮音壁が邪魔をして景色は何も見えない… これだけの遮音壁が続くという事は住宅街が近いのだろう。

煽る様なサイレン音を響かせながら2車線の道路へと合流している。
ピクトグラムだらけの案内板が通り過ぎてゆく… 一瞬だったので何が書かれていたのかは読み取れていない。

今まで3車線だったハイウェイが2車線に変わり、ハイウェイを走る車の速度も落ちていた。
2車線の道路へと合流したかと思った数十秒後、〝武石 Takeishi〟〝八千代 Yachiyo〟と記載された出口でハイウェイを降りた。

運転席の ”縁なし眼鏡男” は料金所を通り越した直後、コンソールボックスのボタンを押してサイレン音を消している。
ウィンカーを出して右折レーンを進んだ。
…が、坂道の上にある信号に引っ掛かった。
”縁なし眼鏡男” はウィンドウを下ろし、セットされていた赤色回転灯を仕舞っている… ここからは緊急走行はしないらしい。


”武石ICを下りて右折…” 私は頭にインプットした。


車内のカーテンが自動的に引かれてしまい、外の状況を把握する事は出来なくなってしまった。
その直後、車内の間接照明が点灯した。
後席に座っている男がスマートフォンで報告を入れている。


「・・・一般道路へ降りました。15分ほどで現着します。」


一般道路へ降りて目隠しのカーテンをするという事は、私にアジトまでの経路の把握や場所の特定をして欲しくないという思考の表われだろう。
方位と走行時間だけでおおよその位置を測るのは至難の業だった… 見知らぬ土地で現在位置をロストするという事は、援軍を要請できないという事でもある。
現状を日本語で表すならば… 〝万事休す〟の状態になった事を意味した。


日本へ降り立った直後に ”サタンの使い” がやって来た。
私は天井を仰いだ…。


「…了解しました。伝えます。…では。」


後席で定時報告を入れていた軍服男が軽い咳払いをした…


「風間一尉、百地三佐より伝言です。”位置情報を把握できないのでスマートフォンの電源を至急入れて欲しい” との事です。」


…私は耳を疑った…


今、後席の兵士は〝モモチ三佐〟と言った… 私は確保された訳ではない???
ゆっくりと振り返り、後席の男に〝お前は誰だ?〟という視線を投げ掛けた。


「…申し遅れました。警察庁公安部 国際テロリズム対策課の中島です。」


軍服姿の男は胸ポケットからダークブラウンの手帳を取り出して提示した。
記章には "POLICE” ”警察庁” と刻印されている。
写真の下には、警視(Superintendent)との文字が読み取れた。
若いが役職は立派だった。


「私の黒鞄を取ってくれ。」
「…はい。」


私は差し出された黒鞄からスマートフォンを取り出し、電源ボタンを押す… 指紋を認証させて起動させた… 通信アプリを立ち上げる。
空港到着予定時間頃のメッセージには、成田空港での対応方法の詳細が書かれていた… ”警察庁 中島大輝警視” との文字もしっかりと記載されている。


つまり…

全て、私の ”誤解” だった。
スマートフォンの電源を入れる前に出迎えていた中島警視と遭遇、そのまま車に乗り込んだだけだったのだ… N班とは、中島のNだろう。
私は 〝拉致〟も〝確保〟もされていなかったのだ。


…大きな溜息が出た。


「・・・どうしました?」
「中島警視、聞いても良いかな?」
「やっと喋ってくれましたね。…何でしょうか?」
「君は、私の事を〝対象を確保〟したと報告をしていた。何故だ?」
「無線通信の場合、個人名は伏せて会話するので…。」


思わず、笑ってしまった。
軍服姿なので兵士だとばかり思っていたが、彼は警察官だったのだ。


「どうして軍服を着ている?」
「軍服? これはCIAの作戦内容に合わせたからですよ。」
「CIAに合わせた?」
「ええ。CIAから写真付きの指令書が送られてきたんですよ。風間一尉が職員たちから見送られて出国している写真です… なので、こちらも〝自衛官による出迎え〟という設定を実行したんです。」


JFK空港での出来事を思い出した。
そういえば、CIAの要員がアナポリス職員を装って簡素だが見送りのセレモニーをやってくれていた。


「そうか。最後にもう一つ質問しても良いかな?」
「どうぞ。」
「〝トウカンドーで移送〟とは… 何を意味するんだ?」
「東関道…ですか??? あ、それは〝東関東自動車道〟の略称です。」

「Higashi Kanto Expressway を短く略したという事か?」
「That's right.」


私も年を取ったという事だろうか… 致命的になりかけた思い込みの激しさに、思わず苦笑いが出てしまった。
バックミラーからは ”縁なし眼鏡男” が怪訝そうな視線を送ってくる。


「風間一尉、感じ悪いですね… そんなに可笑しい事ですか?」
「すまない。気分を悪くしないで欲しい。全て私の誤解なんだ。」
「誤解? 誤解というと?」


私は2人に対して真摯に謝罪した。


それから、勘違いして2人に拉致されたと思い込んでしまった事を順を追って丁寧に説明した。
運転席の ”縁なし眼鏡” が大笑いをしている。


「確かに。尾行確認で停めた場所に〝WELCOME TO JAPAN〟の文字看板がデカデカとありましたね。」


後席の中島警視は肩を上下に震わせて笑っている… ツボに嵌ったようだ。
運転席の ”縁なし眼鏡男” に至っては、笑い泣きになっていた。


東関道(とうかんどう)が・・拉致の・・暗号・・あははは(笑)」
「2人とも、本当にすまなかった。私がもっと早くスマートフォンの電源を入れておけば、こんな憂鬱なナイト・ドライブにはならずに済んだんだ。」


”縁なし眼鏡男” がバックミラー越しに話し掛けてきた。


「いえいえ。僕達こそ、もっと早く自己紹介をすれば良かったんです。 風間一尉、申し遅れましたが、中島警視の部下で警部補の神田です。」
「神田警部補か。よろしく頼むよ。」
「はい。こちらこそ。」


話し方から推察すると2人とも若い。
…が、それなりの役職だ。エリート組なのだろう。


そんな事を考えつつ後席の中島警視に視線を送った… 今まで私の真後ろに座っていた中島警視は3列目の左側シートに移動している。
その位置ならば、お互いの表情がしっかり確認できた。
中島警視は両サイドから襟足を綺麗に刈り込んだ軍人の様なショートヘアにしているが、笑顔で緩んだ表情からは好青年といった感じが滲んでいる。


「アフガンで銀星章を授かった特殊作戦チームの元隊長を迎えに行ってこい、と言われました。実のところ、貴方の経歴を見て身構えていたというのが本音です… めちゃくちゃ緊張してました。なぁ、神田。」
「ええ。しかも空手の師範持ちで徒手格闘術のスペシャリスト、現在はアナポリス海軍兵学校の鬼教官。この経歴と肩書きを知ってビビらない方かおかしいです(笑)」


リラックスしたのだろう、中島警視は座席に深く腰掛け直した。


「いやぁ、それにしても日本語、お上手ですね。」
「19歳まで母から日本語で育てられた。 読み書きもそれなりに出来る。 ただ、特殊な日本語の言い回しや難しい漢字は未だに苦手だよ。 トーカンドーは知らないが〝ジークンドー〟なら得意なんだがね。」


…2人がクスクスと笑った。


「意外です。なんかこう、もっと近寄り難い方かと思ってました。」
「ですよねぇ。僕はフルメタル・ジャケットに出て来た鬼教官を勝手に想像してましたし(笑)」


私のつまらないジョークが通じたようだ… 2人との距離が一気に縮まった様な気がした。
彼等は私の運搬役だけなのだろうか? それならば、勿体ないような気がする。
せっかく距離が縮まったのだから、聞いておこう。


「ところで、君達N班は私を送り届けると任務は終了になるのか?」
「いいえ。N班の任務は貴方への支援提供と行動監視です。それと、警察庁と防衛省との調整役も与えられています。…まぁ、我々は ”お目付役” だと思って下さい。」


お目付役…。


「そうか。困った事が発生したら遠慮なく相談させて貰うよ。」
「スマートフォンに私達の連絡先が登録されていますので。」


スマートフォンを確認する… 中島警視と一緒に ”神田警部補” の名前も登録されていた。


「それと最初に言っておきますが… 此処は日本ですからね。 一応、私達は〝強制力〟を使える立場なので、そこを良く理解した上で行動して下さい。」


つまり、私は日本の警察庁から逐一監視されているという事になる。


「…了解した。」


動きづらくなると思えたが、その反面、心強い味方を得た様な気もした。


「神田警部補。カーテンを開けてくれないか? 日本の夜の街を見てみたいんだ。」
「あ、ですよねぇ。了解です。」


車内カーテンが開かれ、ルームランプが消えた。

ウィンドウには住宅街の風景が映っている… ゴミが落ちていない清潔な道路、整然と信号に従って待つ人々…。
クラクションの音は全く聞こえない… 住宅街の外れだというのに緊張感の欠片も無い表情をしながら制服姿の女子学生が独りで歩いている… 車の外にはアメリカでは考えられない空間が存在していた。


…ふと、自分のルーツが気になった。


曾祖父と曾祖母がアメリカへ移住しなければ、私という人間はどんな人生を送ったのだろうか?
…いや待て。時間と空間が違っているのだから、父が母に一目惚れする出会いは無かった。
つまり、私という人間は存在しない事になるのだ。


私は幼い頃から自分のルーツである日本に興味を持っていたが、”もし、自分が日本で生まれ育っていたら” などとは考えた事も無かったのだ… 私は強い好奇心に煽られていた。


アメリカに渡った曾祖父と曾祖母は ”ありふれた移民夫婦” だが、アメリカ人になる前に日本人としての曾祖父と曾祖母が存在しているのである。

何故、曾祖父は曾祖母と2人だけでアメリカへ移住する事を決めたのか?
私の先祖達は日本で何をして暮らしていたのだろうか?
立派なサムライだったのか? それとも農民だったのか? 商人だったのか?

曾祖父と曾祖母は日本での事を多くは語ってはおらず、今では ”曾祖父達がアメリカへ来た理由” と ”風間家の人々が日本で何をしていたのか” を知っている親戚縁者は居ない。
私が知っている風間家の歴史は、アメリカン・ドリームを夢見て祖国を捨てた ”棄民” にも関わらず先祖伝来の ”懐剣” を持った日系移民だという事だけだった。


…この任務が終わったらポーラと一緒に風間家のルーツを探したり、母の生まれ育った鎌倉を旅するのも面白いかも知れない…。


任務が始まったばかりなのに、終了した後の事ばかりに思考が向いている。
そんな自分が滑稽に思えてきた。
浮ついている気落ちを宥めるように大きく深呼吸をする。


「風間一尉、何か気になる事でも?」
「…いや。何でもない。」


赤信号に引っ掛かった車の外には、母が生まれ育った日本という空間だけが広がっていた。




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