第29話 思惑

文字数 13,379文字

・・・城の真正面に屋敷を与えられてから約一ヶ月が経過していた。・・・


この一ヶ月間というものの…
誉田からの〝先ずは足下を固めた方が良い。〟というアドバイスに沿って、〝二つの対策〟を実行した日々になっていた。


一つ目・・・


【 屋敷の体勢を整える】

作左衛門と千代から屋敷で働いてくれる人を紹介して貰い、家人(けにん)衆(この時代ではこう呼ぶそうだ)を雇う事にした。


・三郎太 (二十二歳 中間勤めと戦経験あり)

三郎太は作左衛門の親戚だ。
作左衛門とは正反対の大きな瞳が印象的なジャパニーズ・アニメを彷彿させる好青年である。
言葉遣いや行儀作法は心得ていて、口数は少ないが物事を良く考えてから喋るタイプだ。
足軽としての戦経験があり剣術も多少の覚えがあるという。


・七之助 (十九歳)
・八之助 (十七歳)

七之助と八之助の兄弟は、誰が見ても兄弟と分かるほど良く似ている。
〝村の外を見てみたい〟という理由で作左衛門の誘いに乗ってきたらしい。
面白い事に弟の方が背が高い。
作左衛門からは〝一から仕込むので失礼があっても許して欲しい〟とお願いされたのだが、二人とも作左衛門は大叔父になるので大丈夫だろう。


・松 (三十六歳 元魚屋。他家にて奉公経験あり)

(まつ)〟は千代の遠縁になり、流行り病で亭主と息子に先立たれてしまったという。
城下で営んでいた魚屋を閉店したばかりだったので、この話は渡りに船だったそうだ。
松は料理が上手い。
特に〝魚の煮付け〟は絶品である。


・たえ(十三歳)
・ふみ(十二歳)

この二人も千代の親戚だ。(兄弟達の孫だそうだ。)
人見知りする傾向にあるが、素直な可愛い娘達だった。
奉公娘としても雇うにしても余りにも幼いので迷ったのだが、平均的な年齢だと言っていた… この時代の女性は十六、七歳で嫁いでゆくらしい。
私が責任を持って良い嫁ぎ先を見つけてあげようと思っている。


全員、家人として衣食住を保証する〝屋敷に住み込み〟というスタイルで雇い入れたが、作左衛門と千代の親戚なので身元はしっかり保証されている。
この時代での生活環境を維持する事、軍師として立ち居振る舞いを整える事が可能になった。
これで一安心である。



二つ目・・・


【 与えられた鷹舞郡の経営を始める準備 】


どの様にして鷹舞郡が治められているのか… 私は知る由もなかった。
知っていたのは〝七つの郷があり、七人の庄屋が存在する〟という事だけである。
現状を把握する事が先決だった。

楓殿曰く… 日本には〝郷には入れば郷に従え〟との格言があると言う。

取り急ぎ、〝郷〟を支配している〝庄屋達〟と面会する事にした。
新領主からの突然の呼び出しに驚いたというリアクションだったが、この会合で私達は色々な情報を収集する事が出来たのである。


庄屋とは・・・

・郷の支配権を認めて貰う代わりに、税と兵を供出するという立場
・戦には郷を代表する侍衆を出して参戦
・戦の無い時は米や野菜作りに専念している
・全ての庄屋が郷と同じ名字を名乗り、太刀を佩き従者を従えている
・伊勢家の軍勢は庄屋達の兵数を含めた数


つまり、〝庄屋〟とは伊勢家が支配する以前から郷を治めていた侍達だったのだ。


故に、一方的に話を聞かせるのではなく、先ずはそれぞれの郷で抱えている問題や田畑の状況を聞かせて欲しいとお願いをしてみた。
これが大正解だったのだ。

色々な話が出たのだが… 皆、口々に〝自分達の郷に利益の無い務めは辛い〟と訴えてきた。


小田原城の拡張工事や戦で破壊された城の改修工事、落とされた橋などの修繕などに〝ただ働き〟で大量の郷民が駆り出されているという… 田畑の維持や商いをするのに支障が出る程の人数だそうだ。
その挙げ句、旧領主の仁科家からは大きな戦の前に矢銭(やせん)(軍資金)を強制的に徴収されていたとも言う…。


それを聞いた私は〝伊勢家からの賦役を免除しても良い〟という話をしてみたのだが、全ての庄屋が〝ガッツリ〟と喰い付いてきた。
やはり、特に問題になっていたのが〝賦役(ふえき)〟の存在だったのである。

リーダー格である豊畠郷の庄屋に至っては涙を流し、感嘆の声を上げて喜びと感謝の言葉を述べてきた… 床に額を擦り付けるリアクションを示した程である。
それに加えて、賦役が無ければ出来る事(軍役の人数増加や治水工事など)を庄屋達から自己申告してきた。

最も心配していた〝旧領主の仁科家と私の比較〟という問題は一切発生しなかったのだ。


庄屋達と直接話をした事で、私は彼等の属性と特性(異常な程の〝土地への執着心〟)を理解する事も出来た… とても意義深いものになったのである。
賦役免除の提案は、とんでもない効力を発揮したのだった…。


そこで、私は一計を講じる事にした…。


庄屋達に〝人手が戻るのだから、新しい田畑を開墾してみてはどうか〟と提案をしてみた。
彼等はかなり悩んでいた…。
しかし、戻った人手で治水工事を行う事が出来れば〝灌漑〟も可能だと判断したのだろう、〝賦役免除の内容を書状にして欲しい〟と要求して来たのである。

口約束ではなく〝証拠を残せ〟という事だった。

私はすかさず、書状に残す条件として〝今後、嘘を吐いた者の土地は全て没収する〟という条件を付け加えた。
庄屋達は〝微妙な条件〟を付けられて困惑の表情を浮かべていたのだが、ここで楓殿のスペシャルアシストが放たれたのである。


何かと言うと…


「嘘を吐かないと約束するならば、〝新しく開墾した土地の税を三年の間は免除〟しても良い。」との提案だった。


この提案を聞いた庄屋達は黙り込んでいた。
私は先に言葉を発する事なく庄屋達の返答を待った… 根比べだ。

暫くすると、開墾するメリットとデメリットを見極めたのだろう… 庄屋達は揃って深々と頭を下げたのである。
こちらの思惑通りの交渉成立となったのだ。


( 楓殿は〝日本防衛省 主席情報管理監 百地楓 三等陸佐〟として日本政府とペンタゴンの曲者を相手にしてきた元官僚である。 鞭の後に飴を繰り出した〝百地三佐の交渉術〟に脱帽するばかりだった。)


こうして、私達は〝殿から与えられた特権〟を使い領地支配の基礎を整えたのである。


しかし、ここでも大きな問題が発生してしまった。
庄屋達との取り決めを書状にすると約束したものの… 私達は、この時代独特の文法や手紙の書き方、言葉遣いを知らなかったのだ。
そこで… 私達は誉田に書状の書き方を教えて貰う事にした。
誉田は二つ返事で〝安堵状〟(あんどじょう)なる物の書き方のレクチャーをしてくれた… 尚且つ、手本となる書状も作ってくれたのだった。

それと、私なりの〝花押(かおう)を考えろ〟ともアドバイスしてくれた。

それを聞いた楓殿は〝庄屋達に渡す書状は風間家が書いた物でなければならない〟と言い、お手本を元に書写を始めた。
すると、たった一週間ほどで〝崩し字〟に対応してしまった。


・・・侍屋敷へ引っ越してからの一ヶ月間は、こんな感じで過ぎ去ったのである。・・・



話を戻そう…。



私は〝花押(かおう)〟に悪戦苦闘していた。

小筆の筆圧加減に集中しながら練習していたのだが… いつの間にか、畳の上には庄屋達それぞれの〝安堵状〟が並べられていた。
楓殿が書いたのだが男性的な力強い筆跡である。


「たった一週間でマスターするとはね… 感心したよ。」


…ふと、CIAから送られてきた〝百地三佐〟の調査報告書に〝裏千家茶道上級、書道師範〟と記載されていた事が思い出された。
私は改めて、肝心なポイントの全てで楓殿に助けられている事を痛感させられている。


「風間賢人の下に〝花押〟を書き込んで頂戴。それで完成よ。」


私の〝花押〟はローマ字と漢字を混ぜた独特のものにしてみた。
この一週間、楓殿の徹底的な指導のもと〝花押〟なるサインの猛練習をしたのだ。
成果を見せる時である。


…小筆を使って〝花押〟を書き込んだ。


楓殿はそれぞれの書状を手に取り出来栄えを見ている…。
満足げな表情になった… 口元が微笑んでいる。


「うん。上出来。これを渡せば庄屋さん達との約束は完了。」
「ありがとう… 間に合った。」


OKが出た。
初めて使った〝毛筆〟の特訓が実った瞬間である。
母から褒められた様な錯覚に陥っている自分がいた。


書状を折り封にしていると… 三郎太が廊下から声を掛けてきた。


「揃ったのか?」
「はい。 お揃いになりました。」


「よし… 行こう。」


ぎりぎり間に合った… 田植え後の暇になった時期だったが〝書状を取りに来い〟と呼び付けたのだ… 長く待たせたなら不満が出たかも知れない。


三郎太の先導で広間へと入った。


白木の三方(さんぽう)に安堵状が入った〝折り封〟を載せた作左衛門が付いて来る…
上座には畳が敷かれ、その後ろには掛け軸がある… その下には太刀一式が置かれていた…
下座には豊畠郷の庄屋を中心にして他の庄屋達が控えていた。


私達の姿を確認した庄屋達は、両拳を床板に付けて深々と頭を下げている。
私は畳に胡座になり姿勢を正した。


「よく来てくれた。楽にしてくれ。」


評定の時の殿を真似てみたのだが… どうも、未だにしっくりと来ない(笑)
庄屋達が頭を上げた。
皆、以前とは違って柔らかい表情をしている。

リーダー格である〝豊畠(とよはた)郷の時貞(ときさだ)〟が再び頭を下げて挨拶の口上を述べた… 此処までが一連の儀式である。。


「風間様。寛大な御指図… 一同、感銘を受けた次第で御座いまする。 …本日は …お願い致しておりました約定を…頂戴しに参上致しました。」


早速、〝安堵状をくれ〟と言ってきた…(笑)

この安堵状には〝賦役の免除〟が記載されている。
他には無い格別の内容なのだ。
喉から手が出る程、手に入れたいのだろう。


「…うむ。分かった。 三郎太。」
「はっ。」


三郎太は三方から一通の安堵状を持ってきた… 恭しく私に手渡してくる。
折り封から取り出し書面を開く…


豊畠(とよはた)郷の時貞(ときさだ)。」
「ははっ!」


時貞は両拳を床に付いて腰を浮かし〝ずいっ〟と前へ出る… 深々と頭を下げた。


鷹舞郡豊畠郷庄屋 時貞

一、豊畠郷差配 之、安堵するもの也
一、軍役 之、貫高に合わせ務めるもの也
一、鷹舞郡外での賦役 之、免除するもの也
一、許可されし土地の新田新畑開発を行った場合 之、三箇年の税免除とするもの也
一、新田新畑を開墾せし時は事前に届け出たる事 之、必定也
一、嘘を吐いた者、嘘を用い他人を陥れようとせし者の土地 之、全て没収するもの也

天文十四年六月二十八日 風間賢人 (花押)


私は声を張って書状を読み上げた。
…役者になった気分である。

読み終わると同時に頭を上げた時貞は、中腰で近付いてくる…。
私が差し出した安堵状を受け取り、元の位置へと戻ると食い入る様に内容を確認していた… 折り封へと仕舞った時貞は再び平伏している。


「有り難う御座りまする…。」


安堵状を両手で額の上に翳している。
持参した黒塗りの木箱へと仕舞った。
一安心という表情をしている。


この後、儀式を六回繰り返した。(笑)


安堵状を受け取った庄屋達は一様に柔らかい表情に変わっていた。
その正反対に、私は多少ウンザリした気分になっていた。
その後… 庄屋達は口々に私の政策が如何に素晴らしいものかという事を熱く語り始めた。
ある意味、褒め殺し状態である… 新田開発ラッシュになりそうな予感がしていた。


そんな中、一人だけ笑顔一つ出さない男がいた。
柴山郷の兼綱(かねつな)である。


一人だけ若い… 場違い感が漂っているのだ。
年の頃は二十代中頃だろうか? 肩幅もあり胸板も厚い… そしてデカい(笑)
マッチョ系だった。
書状を受け取って暫く経った後、この男の視線は射る様なものに変わっていた。


端午の節句や代掻き田植えの話で盛り上がった頃、柴山郷の兼綱から手が上がった。


「どうした?」
「軍師殿は才と武勇を兼ね備えた無類の賢者と聞いた… 俺と手合わせ願いたい。」


他の庄屋達が一斉に兼綱へと視線を送っている… 皆、困惑した表情だった。
豊畠郷の時貞(ときさだ)兼綱(かねつな)を睨み付けた。


「兼綱、控えよ! 無礼であろうに… 何様じゃ。」
「これは失礼致した… では… 風間様の御技を御教授願いたい。」

「…風間様、申し訳ございませぬ。此奴は父親を去年の暮れに亡くし、家督を継いだばかりの世間知らず。 何卒、お許し下されませ。」


時貞が窘めても兼綱は不敵な笑みと共に挑む様な視線を送って来ている。
安堵状も受け取った事だし、私の腕前を試そうというのだろうか…?

まぁ、私に勝てば主導権を握れるとでも思っているのだろう。
アナポリスで私に模擬戦を挑んできた学生の顔が思い出される。
この手の跳ねっ返りは、どの時代にも居るんだと痛感させられた。


・・・ふと、私の脳裏に悪知恵が浮かんだ。・・・


今後の為にも

しておくか…。
鷹舞郡の庄屋が全員揃っているのである… 良いチャンスだった。
楓殿に視線を送る… 軽く頷いている。


「兼綱。本気か?」
「是非とも・・・御教授願いたい。」


控えていた時貞が〝ずいっ〟と兼綱の方へと向き直った…


「愚か者め! 覚悟があって言っておるのか?」
「・・・無論。」


兼綱は頑なな態度だ。
挑む様な視線を外さないでいる。


「三郎太、木剣を2本。」
「畏まりました…」


「兼綱、付いて来い。」


私は立ち上がり廊下を進んだ。
太刀を作左衛門に預けた兼綱が小走りで後に付いてくる… 他の庄屋達も慌てた様子で後を追って来ていた。


玄関の小上がりに立つと七之助が草履を揃えた。
私は〝殺風景な庭〟の方へと向かった。
玄関脇の〝控えの間〟にいた庄屋の従者達が、何事かという表情で障子を開けている。

気にせずに庭へと歩を進めた。

立ち止まり振り返る… 襷掛け姿の兼綱が不貞不貞しい表情で突っ立っている。
その後ろに見える〝控えの間〟の縁側は即席のギャラリー席に変わっていた。
好都合である… ギャラリーは多い方が良い。

長廊下では、楓殿が〝ほどほどにしておきなさい〟という視線を腕を組みながら送って来ている… その下では、七之助兄弟が膝立ちで控えていた。

屋敷の端にある土間の戸板に目をやると… 引き戸が中途半端に開けられている。
上から順に 〝松・たえ・ふみ 〟の顔が見えた。
一様に心配そうな視線を送って来た。


三郎太から木剣を手渡された… 兼綱も受け取っている。


「…よし。兼綱、何を教えればいい?」
「首級の挙げ方・・・御教授願いましょうぞ。」


腰を低く落とした姿勢で木剣を構えた兼綱は〝殺気〟を放ってきた…。
そうか・・・そういう事ならば容赦する必要は無いだろう。
殺気を感じた私の中で〝スイッチ〟が入った気がした。


「うおおおぉぉぉーっ!」


徐ろに雄叫びを上げて突進してきた。
右脇腹に抱える様に木剣を構え、突き刺す様に突進して来る。
兼綱を左ステップで往なす… 振り上げられた木剣は地面へと叩き付けられた…。

単純過ぎる攻撃が三回繰り返された。

気迫はそこそこ良いのだが… まるで、猪みたいである(笑)
私は右手に木剣を握ったまま、構えすらしていなかった。


・・・どうやら、この時代の戦闘スタイルは斬り合うというよりも〝組み付いて倒し、鎧の隙間から刺し殺す〟というものなのだろう。・・・


「ぬおおおーっ!」


懲りずに野太い雄叫びと共に突進して来た。

鋭く上段に振り上げられた木剣が振り下ろされて来る… だが、太刀筋はゆっくりと見えた…
ステップと軽いスウェイバックで躱す事が出来る。
思い切り振り下ろされた木剣を真横に薙いでくる… 後ろへと飛んで躱した。

兼綱は〝がっちりしたマッチョ系〟の体躯で背も高い。
鎧兜を身に着けたとしても、それなりの闘いは出来る様な気がした。
…だが、いかんせん攻撃が単調なのだ。
それに、攻撃する場所を凝視する癖がある。

突進を右に飛んで躱した私の膝辺りを凝視している… 次の攻撃が丸分かりだった。

案の定、膝下を払う一撃が飛んできた… ギリギリまで見切って真上に飛び上がった。
兼綱のウィーク・ポイントは〝視線〟だ。
これは悪癖と言って良いだろう。


私はギャラリーに見せ付けるかの様に〝ギリギリまで見切って往なす〟という動作を何度も繰り返してやった。
木剣で受けようとしない私に、苛ついているのが伝わって来る。


兼綱には〝ウィーク・ポイント〟がもう一つあった。
…それは、マッチョ型特有の〝体力不足〟である。
突進してから振り回すという単調な攻撃は、既に闇雲に振り回すだけになってしまっていた。
飽き始めている私がいた… 身体も温まっている。
遊びはこれ位にしておこう。


兼綱の突進を左ステップに合わせたスウェイバックで躱しつつ、木剣に狙いを定め左下から右上へと思い切り振り抜いた。


ギャラリーのざわめきと共に、くるくると回転しながら木剣が宙に舞ってゆく…


私は握っていた木剣を落ちた方へと投げ捨てた。
三郎太が木剣の方へと走って行く。


「…俺も素手だぞ。やる気なら掛かって来い。」
「・・・・。」


私はジークンドーの構えを取った… 前後のステップを始める。
すると、縁側の下で控えていた作左衛門は〝ニヤリ〟と不敵な笑みを作った。
これから起こる事の想像が出来たのだろう。


一瞬、迷いの表情を見せた兼綱だったが、我に戻るとラグビー選手の様に低い姿勢で組み付いて来ようとした…。
右に躱しつつ、左顎へと右ストレートを打ち込んでやった。


兼綱の耳がみるみる真っ赤になってゆく…
間合いを取り直すとギラついた目で睨み付けてくる…
大きく呼吸をすると拳を握り締めた…


ジークンドーのステップを取りつつ、右手で〝かかって来い〟と挑発してやった。
ブルース・リーの決めポーズなのだが… ギャラリーは無反応である(笑)


ガードの意識がこれっぽっちも無い兼綱が突進してきた…
躱しながら教科書通りのワン・ツーを当てると頭を仰け反らせている…
スリーはガードされていない腹にアッパー気味のボディを打ち込んだ…
面白いようにキマった…


腹を抱えて後退りしている… 顔は首まで真っ赤だ…
顔を上げた途端に鼻血を吹き出させた。
血を見る事に慣れているのだろう、鼻血を出している事を全く気にしていない。
暫く肩で呼吸をしていたが、袖で鼻血を拭くと突進はせずに立って構え始めた。


どうやら学習したらしい…。


兼綱は何かを考えているかの如く動きを止めている。
呼吸を整えつつ間合いを取り直すと、両手を前に出しながら近付いて来た。

執拗に私の袖を掴もうとしてくる… 襷を持っていない事が悔やまれた。
それよりも、〝ボタボタ〟と垂らしている鼻血が気になった。
袖を取られる事よりも兼綱の鼻血で汚れたくない。


袖を掴めないと判断したのか、兼綱は拳を振り回し始めた…
私をぶん殴る事だけに意識が向かっている…
下半身のガードなど気にしてはいない様子だ…


左右のジャブを細かく出して、顔のガードへと意識を持って行かせてやる。


カードが顔へと向かった兼綱の踏み込むタイミングに合わせて、左太股に体重の乗ったローキックを当ててやった。
動きを止めたのを見逃してはやらなかった… 追い込みながら、続け様に深いローキックを打ち込んでやった。

兼綱は目をギラつかせながらも立っている…。

立ってはいるが、思う様に足が言う事を聞かないのだろう。
棒立ち気味で拳を〝ブンブン〟と振り回し始めた… しかし、ここまでローキックを打ち込まれて立っている男は珍しい。

間合いを取り直してからローキックを出す素振りを見せると… 兼綱は腰を捻った。
明らかに嫌がっている。
フェイントを掛ける度に左脚を持ち上げて除けようとしていた。


私のローキック責めを食らって立っている男は兼綱が初めてだった。
見上げた根性である。

…だが、そろそろ潮時だろう。

持ち上げた左脛の裏側に体重を乗せた〝カーフキック〟を打ち抜いてやった。
兼綱は苦悶の表情を浮かべながら地面へと崩れ落ちた。


(すね)の裏側(ふくらはぎ)には足首を動かす神経が集まっている… ここの神経がダメージを受けると足首に力が入らず立っていられなくなる。
ふくらはぎの筋肉は細くダメージを吸収する力が弱いのだ。


「まだやるか?」
「…なんの・・これしきっ!」


兼綱は何度か蹌踉(よろ)けながらも立ち上がった。
左脚を引き摺りながら向かって来る。
往生際が悪いのか? それとも根性が据わっているのか?


飽きていた私は一気に殻を割って間合いを詰めてやった…
〝ギョッ〟とした表情になった兼綱は瞬時に身構えている。


フェイントを掛けたワン・ツー…
体重を乗せながら…
左回し蹴り…


首元に決まった。


兼綱の頭と上半身が〝くの字〟に曲がったのが見て取れた。
兼綱の身体から力が抜けてゆく… 白目になった後、棒みたいに倒れて行った。
顔から地面に突っ込んでいる。

久しぶりの〝綺麗に入った左回し蹴り〟だが・・・死んだかも知れない。
恐らく、目覚めたとしても記憶は飛んでいるだろう。


「お見事っ!」


作左衛門から声が掛かった。
土間の方からは嬌声が上がった。
控えの間から〝二人の若い従者〟がすっ飛んで来る…。


いつの間にか、作左衛門が太刀を持って私の横で片膝立ちになっていた。
両手で太刀を差し出している。
どうやら… 全員手討ちにしろという事らしい。


それを見た若い従者達は青ざめていた… 地面に額を付けて土下座姿になっている。
肩を震わせているのが分かった。


無言で太刀を差し出している行動とは裏腹に、作左衛門は悪戯っぽい表情と視線を送って来ている… 私は大きく頷いて太刀を受け取った。
屋敷の方から多くの視線が私へと注がれているのを背中に感じた。

誰一人、一言も発していない… 鳥の鳴き声だけが聞こえる不思議な空間の中心に私はいた。


「三郎太。」
「・・・」
「三郎太っ! 息はしているか? 」


呆然としていた三郎太は、跳ねる様に反応すると兼綱の元へと走って行った。
兼綱の鼻近くに頬を近付けている。


「 気を失っているだけかと…。」
「手当てを。」
「はいっ。」


太刀を右手に持ち直し踵を返す…
控えの間の縁側では無表情の庄屋達がフリーズしている。
私は何事も無かったかの如く歩み寄り、笑顔で庄屋達に声を掛けた。


「もう梅雨だな。皆、田んぼを宜しく頼む。・・・今日はこれで散会だ。」


誉田からアドバイスされた〝稲刈りが終わるまで大人しくしていた方がいい〟という言葉が頭を過った。
田植えはとっくに終わっているし、自分の屋敷内での出来事だ。
まぁ、問題は無いだろう。


笑顔のまま縁側に腰を下ろす… すると、土間の方から水桶を下げた〝ふみ〟が歩いてきた。
絞った手拭いを差し出してくる。


「旦那様、血が…」
「すまない。」


両手の甲は兼綱の鼻血で汚れていた。
足も砂埃で汚れていたが〝ふみ〟が綺麗に拭き上げてくれている。
縁側で胡座になった私に〝たえ〟が麦の茶が注がれたお椀を持ってきてくれた。
私は麦の葉を一気に飲み干した。


「二人とも気が利くんだな。ありがとう。」


二人に褒め言葉を掛けたのだが、ちょっと照れ臭そうである。
楓殿が隣で正座になった… 最近は〝奥方様〟が板に付いてきていた。


「鼻血よりも… 左脚。暫くまともに歩けないわよ。 可哀想に。」
「良く耐えた。タフな奴だよ。」


私のローキック責めを喰らって、まともに立っていた奴を見た事がない… 兼綱はカーフキックをもらうまで立っていた… クソ生意気な性格と闘い方の悪いクセを矯正できれば、赤鬼の孫六みたいに成れそうな気がする。


「それと… 貴方… 太刀の使い方、得意じゃないって言ってなかったかしら?」
「得意ではない。教わった事も無いからね。」
「…でも、完全に太刀筋を見切ってたわ。」

「ああ。見切れてる。…信じて貰えないかも知れないが、相手の動きがスローモーションで見えるんだ。」

「・・・え?」

「どうした?」
「実は私もなの。鷹舞砦で黒装束と闘った時から… 相手の動きがゆっくりと見えてた。」
「君もか…。」


楓殿も〝相手がスローモーション〟で見える様になっていると言う。
百地三佐… いや、楓殿が魅せる相手の斬撃をギリギリまで引き寄せてからの抜刀、太刀筋を完璧に読んだ躱し方は〝スローモーションで見ている事〟を物語っていた。


「私に向かって飛んできた矢、掴めるかと思うほどゆっくり飛んで来たわ…。」


その一言で私は確信した。
私達の身体はタイム・スリップで何かしらの変化が起きているのだ。
その証拠に〝蒼白い光と歪み〟に包まれて意識を失ってから目が覚めると、石井准陸尉に撃たれて大量出血した左腕の傷は跡形も無く消え去っている。
反面、佐久間との〝一騎打ち〟で斬られた頬と二の腕の傷はしっかりと残っていた。


「こんなに長い夢は〝走馬灯〟じゃないよな。」
「走馬灯?」
「・・・いや、何でもない。」


私は死ぬ間際に見るという〝走馬灯の夢〟に漂っているのではない… 死んでもいない。
目の前に起きている事実は〝現実〟なのだ。
そんな事を考えていると、玄関が騒がしくなっていた…。


庄屋達が従者を連れて出て来た。
先頭で歩いて来た豊畠郷の時貞を中心に、他の庄屋達が横一列に並んだ… その後ろには従者達が控えている。

唐突に時貞が片膝立ちになり、右拳を地面に付けて頭を下げた…
庭に居並ぶ者達が一斉に同じ姿勢になった。


「重ね重ねの寛大な思し召し… 痛み入りまする。 我ら鷹舞衆一同、風間様の元にて一所懸命働く所存… どうぞ、宜しくお願い致しまする。」

「宜しくお願い致しまする。」


時貞の声の後、居並ぶ物達が声を揃えた。


「皆、此方こそ宜しく頼む。」
「・・・では、これにて失礼仕りまする。」


庄屋達は従者と共に〝そそくさ〟と帰って行った…。


〝たえ〟に麦茶のおかわりを頼み、夏の日差しになっている庭を眺めていた。
隣に座る楓殿も無言で庭を見ている。
騒ぎなど無かったかの様に、屋敷は穏やかな雰囲気に戻っていた。


「作左衛門は名演技だった。」
「そうね。あの演出のお陰で〝風間様は怖いけど寛容な御方〟っていうイメージが完全に出来上がったわ(笑)」

「…あれで本当に斬っていたら、どうなったかな?」
「全ての人間関係、崩壊ね。」


楓殿は〝やれやれ〟という表情をしている。


「話は変わるけど… 〝嘘を吐いたら全ての土地没収〟…これ、よく考えると凄く怖い約束よ。 良く思い付いたわね。」


学生時代の光景が蘇ってきた…。


「16歳の時、ハーレーの883(パパサン)が欲しくてね。 でも、母から大反対されたんだ。 あの手この手で何とか認めて貰ったんだが… 買う条件として、一つだけ約束させられた。 〝今後は絶対に嘘は吐くな〟ってね。簡単な約束だと思って、聖書に手を乗せて誓っちゃったんだ。」


楓殿は口元に手を当てて笑っている。


「欲に目が眩んで、無理な約束しちゃったんだ(笑)」
「ああ。簡単だと思ったら大間違いだった。その後は大変だったよ。」

「庄屋さん達、今頃どう思ってるのかしら…。」

「三年間の税免除と約束の重さを天秤に掛けているだろうな。」
「でも、賦役に取られていた人達も養わなければ… 私だったら必死で開墾するわ。」
「開墾させる場所、許可を出しちゃいけない場所、俺達も把握しておかないと…。」

「・・そうね。 ねぇ。私に馬の乗り方を教えてくれないかしら。」
「馬か…。」


楓殿は馬に乗れなかった。
つまり、この時代では〝長距離の移動手段が無い〟という事である。
徒歩だけでの行動範囲は極端に狭められる事を意味していた。

領内を廻るのであれば馬は絶対的に必要になる。


「分かった。明日から始めよう。」


廊下から足音が近付いてくる…
三郎太が声を掛けてきた。
正座になった三郎太は困惑の表情をしながら俯いている。


「どうした?」
「・・・申し訳ありません。」
「…何が申し訳ないんだ?」


「・・・。」
「黙っていては分からんぞ。」


「…申し訳ありません。玄関までお越し頂きたいと存じます。」


三郎太は平伏してしまった… 何かあった様子である。
玄関で謝る事しか出来ない事が起こったのだろうか…?
立ち上がった私に、助けて欲しいと言いたげな視線を送って来た。
次に、私の太刀を凝視している… 持っていけという事か… 頷いてやる。


「失礼致します…。」


そう言って一礼した三朗太は、私の太刀を両手で恭しく持った… 廊下を進む私の左後ろで太刀の柄を私に向けて持ち直した。
何時でも鞘から払える様にする持ち方だった。
私の左後方にぴったりと付いて歩いている。


私は緊張感を持って廊下を進んだ… すると…


「三朗太、あれは何事だ?」
「はっ… 柴山の兼綱様が… 彼処から動こうと致しませぬ。」


玄関先にある石階段の下には、気絶させた兼綱と従者達が平伏していた… 作左衛門は玄関前に陣取りながら槍の穂先を兼綱に向けている。
背中からは〝それ以上は進ませない〟という気迫が感じられた。

一悶着有ったのだろう。

兼綱は殺気では無いオーラを漂わせていた… 後ろで平伏している二人からは何も感じない… 太刀も見当たらなかった。


「…作左衛門、どうしたんだ?」
「へい。旦那様に会わせろと… 勝手に入ろうといたしやしたんで。」
「そうか。」


作左衛門が三郎太に目配せをした… その表情は真剣そのものだった。
三郎太が緊張の面持ちで太刀を差し出してきた。
どうやら… 本気で手討ちにしろと言っている。

私は悩んだ…

配下の庄屋である兼綱を屋敷内で斬り殺したとしたらどうなるのか?
庄屋を手討ちにしたとなれば、これ程の〝目立つ行動〟は他に無いだろう。
殿、誉田と赤鬼の顔が交互に浮かんだ。


「・・・俺を・・・儂らを・・・」


嫌な間を埋める様に兼綱が何かを喋り始めた。


「儂を・・・儂らを… 殿の家臣にして頂きたいっ!」


「はぁ?」


思わず語尾の上がる〝はぁ?〟が出てしまった… このリアクションが自然に出たのは実に何年振りだろうか?
先程まで張り詰めていた作左衛門の緊張感が一瞬で消えて無くなっている。
三朗太は大きな目をパチクリさせている… 太刀を持つ手も下がっていた。


「風間様は聞いていた以上の素晴らしき御方。儂らを家臣に… 家臣にして頂きたいっ!」


困惑している私達の事など全くお構いなく、兼綱達は地べたに平伏しながら〝家臣にしてください〟と連呼している。
千代達も騒ぎを聞きつけて集まってきた… 周囲を確認すると〝たえ〟と〝ふみ〟が柱の陰から顔だけを出して此方を窺っている。


暫くの沈黙が続いた。
すると…


「儂を・・・家臣にしてくださいませ!」
「お願い申し上げまする! 私も… 私も殿の家臣にして下されませっ!」
「お願い申し上げます!」


若い従者達も兼綱に続いた… これは、少しばかり厄介だ。
その反面、手討ちにしないで済んだ事に救われたような気持ちにもなった。
私は玄関の小上がり部分へと腰を下ろした。


「兼綱… 顔を上げるんだ。」
「…ははっ!」


一向に頭を上げようとしない…


「兼綱、顔を上げろ。」
「ははっ!」


今度はゆっくりと頭を上げた…。
右の瞼は青紫色だ… 鼻と左唇は嫌な感じで腫れ上がっている。
如何にも〝ボコられた〟といった顔に変わっていた。


「なぁ、兼綱。俺の家臣になりたい… 決めたのは何時だ?」
「はっ。気を失い… 目が覚めて… その後、三人で話し合い決め申しました!」


どうやら、事の経緯は記憶から飛んでいない… タフな奴だ。


ボコられて気絶した後、プライドを傷付けられた相手を師匠と仰ぎ入門を乞う… ベタな武術家にありがちな思考パターンに陥ったのだろう。
簡単に言えば、精神的に救いを求めているだけである。
こういうシチュエーションで弟子入りした場合、後悔して不義理な別れ方をするのだ。


「そうか。・・・帰れ。」
「・・・待って下さ…」
「帰れ!」

「嫌で御座りまするっ!」

「もう一度言うぞ… 帰れ。」
「儂は… 風間様の家臣に成り申す!」


無性に腹が立った。

…というか、悲しい気持ちにさせられた。
私は立ち上がり、三郎太に持たせていた太刀を鞘から引き抜いた。
抜かれた太刀の音にビクついているのが遠目から見て取れる… 構わずに土間を進んだ。


「…だ、旦那様。」


作左衛門が焦った表情で私を見つめている。
構わずに玄関を出て兼綱の前まで歩いて行った。
地面に付いている兼綱の大きな手が小刻みに震えている。
兼綱の後ろで土下座をしている従者達は身体を丸めて〝ガタガタ〟と肩を震わせていた。


「兼綱! お前は一時の感情で柴山郷を捨てるのか? いとも簡単に家と家臣を捨てる侍なのであれば、今此処で首を刎ねてやる! 覚悟しろっ!」


嗚咽が聞こえてきた… 肩を震わせている… 兼綱のデカい身体が小さくなった気がした。
地面の両手がプルプルと震えている。


「申し・・・申し訳・・御座いませぬ・・・」


これ以上、話す事も無い。
変に期待を持たれてしまっても困るのだ。
兼綱達に言葉を掛ける事はせず… 私は踵を返した。

三郎太が走り寄ってくる… 緊張の面持ちで太刀の鞘を差し出しながら片膝を付いた。

鞘を受け取り太刀を治めると… 作左衛門が大きな溜息を吐いたのが分かった。
土間には千代と松が伏し目がちに正座をしている。
柱の近くで座り込んでしまっている〝たえ〟と〝ふみ〟の姿が見えた。


その奥には・・・〝百地三佐〟の表情をした楓殿がいた。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み