第16話 獣道(1) 胸騒ぎ

文字数 10,495文字

部屋をノックする音で目が覚めた…


Gショックを確認する… 0500時を過ぎた頃合いだった。


「・・・誰だ?」
「神田です。 おはようございます。」


ドアを少しだけ開けた。
寝癖頭の神田警部補が立っていた… 眼鏡は掛けていない。


「すいません朝早く。 動きがありました… 来て貰っていいですか?」
「分かった。」


廊下を歩いて行く…


作戦テーブルでタブレット端末を凝視している中島警視が立ち上がった。
無精髭が目立っている。
独りで此処まで来たのだろうか。
…ならば、事態は切迫しているという事である。


「中島警視、おはよう。…・独りで来たのか?」
「はい。 これを見て下さい。」


挨拶もそこそこに、タブレットの画面をクリックしてテーブルに置いた。


「こいつらは ”本所一家” っていいます。」


目つきの鋭い男達が運転する車が門から出てくる映像が2バージョン、それにハイウェイでマイバッハを挟んで走行する車列の映像が流れた。
映像を見終わった神田警部補は腕を組んで天井を見上げている。


「厄介ですよ… これ。」


警視庁公安部のエリート2人が真剣な表情で悩んでいる。


「この台数だと… 確かに厄介だな。」
「はい。 黒のマイバッハに王恭造が乗っている可能性がある。」
「目視できたのか?」
「いえ、未だです。」
「本所一家とやらが動き出すという事に、どういう意味があるんだ?」


中島警視の表情が怪訝なものへと変わった。


「本所一家、根津組ナンバー1の武闘派です… 面倒臭くなりましたね。」
「面倒臭いとは?」
「本所一家の連中はヤクザというより狂信者の集団です。 王恭造の為なら何でもやる。 タチが悪いんですよ。」

「…タチが悪い?」
「根津組のメンツを護る為の懲役は勲章だと思ってる奴だらけです。 マウントの取り合いレベルの揉め事でも簡単にチャカを弾きますから。」

「ん? 〝チャカ〟を弾くとは?」
「拳銃をぶっ放すって意味です。」


ドンへの忠誠心が最も高い組織という事だろう。
中島警部は大きな溜息をすると、私に視線を向けてきた。


「本所一家、全員が武装していると考えた方がいい。」
「そうか… それなりの装備で近付く事にしよう。」
「ポイントは… そこですか? でも間に合って良かった。 神田に連絡したら、風間一尉達は未だ寝てるって言うんで安心しましたよ。 あ、取り敢えず、あれ… 差し入れです。」


中島警視が指差した先には、大きなビニール袋が2つと段ボール箱が1つあった。
神田警部補は小走りにテーブルへと向かい、袋の中身を並べ始めている。
作戦テーブルの上はカップ麺やパン、M&Mチョコレート、カロリーメイト、ペットボトル類などで一杯になった。


「助かる。」
「少し休ませて貰っていいですかね? 徹夜なもんで。」
「…分かった。休んでくれ。」


私達の会話を聞いていた神田警部補が得意げな顔で立ち上がった。


「先輩! 風呂、沸いてます!」
「おお、いいねぇ。」
「ですよねぇ。案内します!」


風呂を掃除したのは俺だ、という言葉は飲み込んだ。

ジャケットを脱いだ中島警視の左脇にはガンベルトが装着されている。
ベレッタらしきグリップが見えた。
2人が浴室棟の方へ歩いて行くと、百地三佐は作戦テーブルに広げられている地図を真剣な顔で眺め始めていた。


風呂の案内を終えた神田警部補がベレッタの装着されたガンベルトを大事そうに抱えて戻ってきた… ホルダーには予備マガジンが2つセットされている。
中島警視は銃撃戦を意識しているという事である。
やはり、事態は緊迫しているのだ。


「では、我々も準備に取り掛かりましょう。 中島警視が起きたら行動開始よ。」
「了解。」
「はい。」


私は ”岩穴の倉庫” へと向かった。


ハード・ケースから迷彩服とミリタリー・ブーツ、タクティカル・ベストを取り出す… 星条旗や海兵隊のワッペン類は外されており、その代わりにスカル(髑髏)や死神のワッペンが着けられていた。


…マーカスの奴、また遊んでやがる(笑)…


NIKE のジャージから迷彩服へと着替えた。
レッグホルスターにベルトを通し、右の太ももに巻き付ける。
ニーパッドとエルボー・パッド… これを身に付けるのは5年振りだ。
軽い緊張感が湧いている。


SR25のライフル・ケースを開けた。


 …光学スコープ、レーザーサイト、ハイポッド、サプレッサー
 …アンモボックスから空のマガジンに弾丸を装填
 …装填済みマガジンを4つ
 …SR25にマガジンをセットしセーフティを掛ける
 …装填済みマガジン3つをタクティカル・ベストの前ポケットへ


ハンドガンケースから FN Fiveseven を取り出した。


サプレッサーを取り付け、マガジンを装填してセーフティを掛けた。
ホルスターにセットする。
予備マガジンに20発詰め込み、これもホルスターへとセットした。


…この感覚、久しぶりである。


GPS、距離計、単眼鏡、LED小型ライト、拘束用の結束バンドをタクティカル・ベストにセットした。
ドローン・パッケージをバックバッグへに詰め込む。
骨伝導イヤホンマイク、WILEY-Xのアイガード… 革袋から懐剣を取り出し、革紐をベルトに通して腰の後ろへと差した。
最後に… スナイパー・グローブを着ける。



・・・ 忘れていた感覚が蘇ってきた。・・・



着替えと準備を整えて1号室へと戻った。



TOUGHBOOK の液晶画面を本体へとセットした直後、着信アラートが点滅した。
液晶画面にタッチする…


イヤホンマイクを装着した男性隊員の姿が映った。


「大尉、お久しぶりです。」


アメリカを発つ時、自宅まで迎えに来てくれた伍長だった。


「久しぶりだな、伍長。元気だったか?」
「はい。」
「何か連絡はあるか?」
「マッケンジー中佐からの映像メッセージがあります。」
「見せてくれ。」
「はい。・・・ 録画映像に切り替えます。」



砂嵐の画面になった後、マッケンジー中佐が映し出された。



「・・・大尉、CIAから報告があった。 中国統戦部の周葎明が日本に入ったそうだ。 それと共に本所一家という戦闘集団が活動を活発化させているとの事だ。 この集団はかなり危険だぞ。 数々の抗争事件で死人も多く出している。 それに、猟犬が運ばれたという情報もある。 充分に警戒しろ。 いいか、慎重に行動するんだ。 何か分かったら、また連絡する。 …以上だ。」


画面が伍長の顔に戻った。


「伍長、この情報は何時の物だ?」
「1時間ほど前です。」


1時間前… CIAも本所一家の動きを把握していた事になる。
中島警視の情報を裏付けた。
猟犬まで警備に当たらせるのが事実であれば、王恭造が訪れる可能性が高まったという事だ… 迂闊な挑発行為は控えなければなるまい。

しかし、急展開過ぎる… 王恭造が動き出した事の表われなのか… それとも、私達の動きがバレた事による対抗策なのか?
それに、周葎明とは一体何者なのだろうか?

不確定要素が幾重にも重なっている… しかし、私達がこの別荘へと入った直後に王恭造配下の武闘派集団が動き出したのは紛れもない事実である。
何とも言えない胸騒ぎを感じた。


「日中に恭造の別荘へ偵察を掛ける事になる。 マッケンジー中佐の助言通り威力偵察はしない。 別荘の位置を把握したら、また報告する。」
「了解しました。」
「それと、マッケンジー中佐からの情報をこちらに送ってくれ。」
「了解です。気を付けて下さい。」
「うむ。通信終了。」


通信アプリを受信モードにする… 映像ファイルのダウンロードが開始された。


…〝猟犬〟ハードルが一段上がったな…


簡単な任務だと思っていたが、厄介な武闘派ヤクザの護衛も付いた。
マーカスの気遣いが初っ端から役に立ちそうである。
ダウンロードが終了した TOUGHBOOK の画面を本体から切り離す。


このアジトを攻めるとしたら、私ならばどうするか?
頭の中でシミュレートしてみた。


北側から古民家敷地の状況を監視・・・古民家周辺の確認・・・敵数の把握。
進入路の確保・・・古民家裏手の勝手口から侵入。
厨房・・・ダイニングルームの制圧・・・個室の制圧・・・裏庭から山側へと待避。


やはり、瓦葺きの表門から攻める事はしない。
面倒でも北の山側から回り込んで、敷地の内の状況を観察してから侵入する。


今一度、岩穴の倉庫に向かった。
クレイモア地雷の入ったハード・ケースを持ち、ダイニングルームへと戻った。



・・・小一時間ほど経っただろうか・・・



神田警部補が黒い戦闘服姿でやって来た。
左脇にはベレッタをぶら下げている。
腰には伸縮式の警棒も装備していた。


「やる気満々だな。」
「お互い様でしょう(笑)」


続いて、陸上自衛隊の戦闘服姿に変わった百地三佐が廊下を歩いてきた。


迷彩柄のメッシュキャップを目深に被り、透明のシューティング・グラス、腰のホルスターにはサイレンサー付きのSFP9を携えている…。
左の太股には大型のアーミーナイフが存在感を放っていた。

百地三佐の姿を見た神田警部補は、一瞬〝ギョッとした〟様な顔になった。

少し遅れて中島警視が首のストレッチをしながらやって来た。
ソファに座りコーヒーのペットボトルを手に取っている。


「中島警視、まだ2時間経ってないが、大丈夫なのか?」
「ええ。1時間寝られました。 充分ですよ。」
「よし。 皆、新しい情報がある。 これを見て欲しい。」


TOUGHBOOK をテーブルに置き、マッケンジー中佐の映像ファイルを開いた。


〝「・・・大尉、CIAから報告があった。 中国統戦部の周葎明が日本に入ったそうだ。 それと共に本所一家という戦闘集団が活動を活発化させているとの事だ。 この集団はかなり危険だぞ。 数々の抗争事件で死人も多く出している。 それに、猟犬が運ばれたという情報もある。 充分に警戒しろ。 いいか、慎重に行動するんだ。 何か分かったら、また連絡する。 …以上だ。」〟


百地三佐は悲しみに似た怒りの様な表情で映像を見ていた。
中島警視と神田警部補は顔を見合わせている… 2人とも英語を理解出来るらしい。


「この情報は3時間ほど前の物だ。」
「猟犬… 周葎明。 本所一家から第2陣が出発しているかも…?」
「…その可能性は高い。」


紙コップにコーヒーを注いでいた中島警視の表情が曇った。


「中島警視、ここへ来るまでに何か変わった事は?」
「ありません。 尾行には気を付けていましたから。」

「…そうか。」


百地三佐がゆっくりと顔を上げると私に視線を送ってきた。


「周葎明… 前回の作戦は周葎明の部下にやられたの。」
「スコット達を待ち伏せしてた中国スパイのボスってのは、周葎明ですか?」
「そう…。」


百地三佐の顔が悲しげに曇った。
周葎明… 見つけ出して必ず仕留めてやる…。


「まさか、こんなに早く日本に来るとはね… 日本は完全に舐められてるわ。」
「周葎明の顔写真は?」
「ええ。持ってる… 後で見せるわ。」


しばらくの間、私と百地三佐は地図を凝視していた。
百地三佐が徐ろに顔を上げた。


「中島警視、貴方は警察庁側の責任者です。 此処の安全確保をお願いしたいと思います。」
「…と言うと?」
「退路は確保しなければなりません。 それに、いざという時の支援要請方法があれば、とても心強い状況になりますから。」


中島警視は少し考えていた。
コーヒーを一気に煽った。


「先輩、いざという時はSATを寄越して下さい。 警部補の僕より、警視である先輩が要請する方が話が通りやすいでしょうし。」

「・・・分かった。神田、足を引っ張るなよ。」
「はい。」
「決まりね。」


中島警視が独りで後方支援に回る…
本所一家から第2陣が出発したというの確証は今のところないが… やはり、アジトの守りを固めておいた方が良さそうだ。


「百地三佐、中島警視。行動開始前に裏庭を見て欲しい。 」
「分かりました。行きましょう。」
「はい。」


2人を裏庭へと続く木戸の前に案内した。


百地三佐は木戸の横に立てられた ”裏庭の案内図” をまじまじと見ている。
その後、双眼鏡で裏庭全体を探っていた。

百地三佐は裏庭が北側に向かってせり上がっている地勢である事、敷地全体を目視出来ない事、この2つを問題点として上げてきた。
私と全く同じ事が気になっている様子である。


私はバックバッグに入れておいたドローン・キットを取り出して、ホバリング状態にさせた。


「こんな小型に… それに、とても静か。偵察隊の作戦行動を変えるわ。」


ドローンを見た百地三佐は驚いたようだ。
神田警部補はポカンとしながらドローンを見上げている。


山頂方向へ飛行させる…

下草のギリギリまで高度を下げる…

180度転回… 機体を建物方向へ…


モニターには石垣の獣避けネット、古民家裏の全景、風呂場の窓がしっかりと映っている… 沢と石垣で隔てられてはいるが、山頂方向からは古民家裏手の全景と浴室棟の窓が丸見えの状態が映し出された。


「これじゃ、監視し放題ね。攻撃側が有利。」
「クレイモア地雷が3つある。 貴女ならば何処に仕掛けます?」


古民家や裏庭を見ながら、暫く考えていた百地三佐が口を開いた。


「そうね… 私なら表門からアプローチしないわ。 それに… 浴室棟窓の内側は監視カメラをセットするには絶好の場所、正面から近付くのはナンセンス。 そうね…トラップを仕掛けるならば… 裏庭への出入口ゲートであるここ。 表門に繋がる西側の通路… それに厨房の勝手口、 その辺りかしら。」


流石、偵察隊出身だった。
その3カ所は〝人が侵入しようとしなければ通らない場所〟である。
石垣と獣避けネット、ゲートがあり、猪や鹿などの野生動物は侵入できないのだ… 〝意図を持って侵入〟してきた人間しか入って来ない場所である。


「これからクレイモアを仕掛ける。皆、手伝ってくれ。」
「了解。」


「…やり過ぎでは?」


百地三佐は乗り気だったが、中島警視は及び腰だった。


「我々が偵察に行っている間、君は独りになる。これ位はやっておくべきだ。」
「そうよ、中島警視。念には念を入れて損はしないわ。」


クレイモア地雷の設置を開始した。


「中島警視、クレイモアの構造を説明するぞ。 この扇型のケースには700個の鉄球とC4爆薬が入ってる。 この曲面を中心にして前方60度の角度内に鉄球が飛び散る仕組みだ。 有効範囲は 40m、20m以内にいる人間は蜂の巣状態になる。 …という事は、どちらの方向に向ければいい?」

「建物を背にして山側に向ける。」
「そうだ。〝ワイヤー・トラップ〟にして、ゲートへの設置するとしたら、何処に置けば一番効果的だ?」

「ゲートの内側・・ここら辺でしょうか。」
「その通りだ。 石階段を上りゲートを開いたら上半身は吹き飛ぶ。」
「扉を閉めておけば目隠しにもなりますね。」
「ああ。」


花が枯れてしまってる花壇にクレイモアの脚を深く差し込む。
扉を少し開けた状態になった時に起爆する様にワイヤーの長さを調節した後、起爆信管をセットした。


「中島警視、2個目はどの角度で置く?」
「有効角度は60度… クレイモアを少し上に傾けて・・この角度でしょうか?」
「正解だ。で、ワイヤーはどの角度で張ろうか?」

「この角度なら… 通路に対してワイヤーをL字に引けば足に引っ掛かる。」
「大正解だ。合格だよ。」


大きなプランターの陰にクレイモアを挿し信管を繋げる。
ワイヤーが脛の真ん中辺りになるよう、階段に対して平行に張った。
引っ掛かれば敵の左側から山の斜面に向けて爆発する。


「最後の勝手口だ。 どうするかな?」
「そうですね… ここを突破されたら直接戦闘になる。 …それに最もトラップを仕掛ける可能性が高い場所でもありますね。」
「そうなるな。」


中島警視は勝手口のドアを開けると中へと入っていった。
私達も続いた。


「私だったら、敵を厨房内へ引き込んでから爆発させます… ここでしょうか?」


中島警視は厨房から廊下へと出る開き戸の上を指差した。


「いいね。 そこで炸裂したら角度的にも厨房内にいる全員が蜂の巣だ(笑)」


私はクレイモアの角度を調節しながら、ビニールテープを使い開き戸の上部へと貼り付けた。
トラップワイヤーを厨房設備の脚に潜らせてから、開き戸に手が届く手前になる距離で張った。


「みんな、クレイモアの設置場所を忘れないでくれよ。 このワイヤーに引っ掛かったら木っ端微塵だからな。」


3人は真剣な顔で大きく頷いている。
設置を一緒に行ったのだ。
よもや、引っ掛かる事はあるまい。


「あのー…?」
「どうした? 神田警部補。」
「朝飯、食べませんか? 緊張したらめっちゃ腹減りました…。」


百地三佐は口元に手を当てて笑っている。
中島警視は呆れた様な視線を送っている、目は笑っていない。


「腹が減っては戦は出来ぬ、でしたね。 神田警部補(笑)」
「はいっ、準備してきます!」


すかさず、百地三佐がフォローを入れた。
神田警部補は ”ニコッ” と笑顔を作ると古民家の方へ走っていた。
空気は読めないが、雰囲気を和ませてくれる男だった。


百地三佐の表情は元の真剣な眼差しへと変わっている。


「これだけ隠れる場所があって、地勢は ”撃ち下ろし” になるのね。」
「…はい。 攻められた場合、こちらは防戦一方になるでしょう。」
「クレイモア地雷が炸裂しない事を期待します。」


私達もダイニングルームへと向かった。


テーブルには、中島警視が差し入れてくれた品々が並べられていた。
グリーンティの大きなペットボトルもある。
キャップを開けてコップに注ぐ… とても香りが良い。
缶コーヒーもそうだったが、日本のボトル飲料はレベルが高い。


「もうちょっとでお湯が沸きますから。」
「すまない。」


テーブルに個別に包装されたパンとカップヌードルが大量に並べられた。
クロワッサンとシナモンロール? ロングウィンナー、ベーコンポテト、揚げ物やパスタの様な物が挟んであるパン… この丸ごと揚げたようなパンは何だろうか…?
全て4袋ずつで数を揃えてあった。
中島警視の性格が良く表れている。
隣には、アメリカのコンビニでも見た事のあるカップヌードルがあった。


神田警部補は〝どん兵衛〟なる緑色の図柄なカップ麺を手に取ると、封を開き白い麺にパウダー状の物を振り掛けている。
カップの中に茶色く乾燥した板状の物が見えた。


・・・しかし、この〝どん兵衛” とは一体何だ・・・


「神田警部補、それは… 何のヌードルだ?」
「これっすか? ”うどん” ですよ。」


ソーメン・ヌードルなら食べた事がある。
暑い夏のランチに祖父が振る舞ってくれた記憶が蘇ってきた。
しかし、それとは全く違う太い麺だった。

ふと、誰が何の食材を手に取るかを観察してみようと思った。
コップのグリーンティを飲みながら窓際へと移動する… それぞれが食材を手に取っていった… それぞれの嗜好が如実に表れている。
これは面白い。


「中島警視、この〝丸ごと揚げたようなもの〟と〝パスタが挟んであるパン〟は何なんだ?」
「あぁ、”カレーパン” と ”焼きそばパン” ですね。」


私はカレーパンと焼きそばパンなる物を手に取った。

焼きそばパン… ソース味のパスタとパンの組み合わせだという…。
日本人とは実に面白い発想をする。
ミラクルな組み合わせだ。

カレーパンの袋を開けた。

半分にしてから一口頬張ってみた。
濃厚でスパイシーなカレーとサクサクでモッチリとしたパンとの相性は絶妙だ… 存在感たっぷりの牛肉の塊にも味が染みている。
口の周りと指先がテカテカだった… 食べ難いが、これはハマる旨さである。
パン生地にカレーを包んで油で揚げる、この手法を最初に思い付いた日本人に会ってみたいと本気で思った。


そんな事を考えていると、神田警部補は〝うどん〟を豪快に啜り上げ始めた。


神田警部補は床にドカッと腰を下ろし、眼鏡を曇らせながら 、”そんな事はお構いなしだ” という感じで ”どん兵衛” を啜っている。
ダイニングテーブルでは百地三佐が紅茶のペットボトルに手を伸ばす… コップに半分だけ注いだ… ベーコンポテトが乗ったパンを一口サイズに千切りながら、上品に口へと運んでいる。
その隣では、中島警視がシナモン・ロールを缶コーヒーで流し込んでいた。


迷彩服と黒い戦闘服の者達が、それぞれの嗜好と性格を如実に表わしながら朝食を共にしている… 実におもしろい(笑)


「中島警視、君が持っている装備は?」
「ベレッタと予備マガジン2つ、テーザー銃、警棒。それにクレイモアが3カ所。 ヤクザ者から身を守るには充分ですよ。」


缶コーヒーを飲みながら、中島警視は不敵な笑みを浮かべた。


私は ”焼きそばパン” を千切ろうとして止めた。
ヌードルを上手く引き千切れる自信が無かったのだ。
パンの端から齧り付いた。


・・・微妙な組み合わせである。


”どん兵衛” を啜り終えた神田警部補は庭に面した扉へ移動している… 扉を開けると縁側に腰を下ろした。
ポケットからキャメル・メンソールを取り出している… ジッポライターの〝カシャン〟という小気味良い音が耳に残った。
日に照らされた煙が庭へと漂ってゆく。


百地三佐は紅茶を飲みながら時計を確認している。


「0950時に裏庭のゲート前に集合よ。 」
「了解。」


集合時間まで30分以上ある… それまでは各々の自由時間という事だ。
私は充電していたドローンをバックバッグに仕舞い、GPSに現在位置の登録をした。
テーブルにあったカロリーメイトと500mlの水をバックバッグに入れる。


レストルームに行き用を済ませ、先に集合場所へと向かった。


荒れた庭園には日差しが降り注いでいる… 鳥たちの賑やかな囀りが聞こえた。
柔らかい日差し、小鳥の囀り、風に乗って流れてくる森の香りが心地良い。

後ろから玉砂利を歩く音が聞こえてきた。
振り返ると百地三佐が歩いてくるのが見えた。
私の隣に立つと裏庭を見渡している。


「勿体ないわね。」
「ええ。手入れされている風景を見てみたい。」


これだけの花壇やビオトープがあれば、夏は昆虫たちもたくさん集まって来るだろう… 今は雑草が目立つが、手入れされていた頃は見栄えの良い庭園だった筈だ。
そんな事を考えていると中島警視達がやって来た。
時計を確認する… 集合時間の5分前だ。
良く訓練されている証拠だった。


「3人ともグローブを外して此処に並んで。」


百地三佐はアサルトバッグを足下に置き、中からスプレーボトルを取り出した。
私達は軍服の上から全身にスプレーを入念に吹き掛けられた。


「手を出して。」


掌にたっぷりとスプレー液を吹き掛けてくる。
顔と肌が露出している部分に塗れという。
スプレーには〝虫除け〟と書いてあった。
実に女性らしい気遣いである。


「無線機のチェックよ。皆聞こえてる?」
「良好。」「OKです。」「クリア。」

「王恭造の別荘を特定後、可能であれば別荘を監視できる場所を見つけて、日が暮れるまでに此処へ戻る。中島警視、定時報告は1時間毎。 良いですか?」
「OK。」

「では、偵察任務を開始します。」


私達はクレイモアを仕掛けたウッドデッキの出入口を避けて庭園を抜けた。
そのまま十字通路を真っ直ぐに北へと向う。
遠目に水を引いているビオトープに小鳥たちが集まっているのが見えた。
人が訪れる事がなくなったビオトープは野鳥たちの憩いの場なのだろう。


最北端の獣避けネットを越える。
石垣を降りた… 沢を渡る…


沢の両岸には下草が生い茂り邪魔をする場所もあったが、その先はなだらかな登り斜面が続いていた。

広葉樹の森の中に細い小道が出来ている。
この小道は〝獣道(けものみち)〟だろう。
所々に岩が剥き出しの部分があるが比較的歩きやすい山肌だった。

頂上方面に向かい1時間ほど歩くと、人の背丈以上ある巨岩と巨岩の間に〝獣道〟が通る場所を発見した。

良い目印だった。
何故なら、ここまで戻って来れば古民家までは1時間で帰る事が出来る。
GPSに地点登録をした。
無線機から百地三佐の声が聞こえてきた… 中島警視へ定時連絡をしている。

更に30分ほど登った後、百地三佐は急に立ち止まった。

前方を確認する… 獣道が頂上方面と中腹方面へと別れている。
山頂方面へ進むか、山頂を回り込むように移動するか悩む状況だった。
〝獣道〟の分岐点、此処を間違えると反対側の山の中腹へとダイレクトに向かってしまうかも知れない。
要注意の場所である。
ここもGPSに地点登録を行った。


「風間一尉、尾根伝いに山頂に向かおうと思います。どうでしょう?」
「よろしいかと。」
「あれ・・休憩じゃないんですか・・・?」


此処から先は岩場が多く、やや傾斜がきつくなっているが… 恭造の秘密別荘を〝見下ろせる場所〟で監視できるのがベストの状況なのだ。
多少、傾斜がきつくても行くべきだった。


此処から更に北西方面へ30分ほど進んだ。


視界が下方に広がった。
吹き上げてくる風に変わっている。
どうやら尾根の部分に辿り着いたようだ… しかし、広葉樹が邪魔をして周囲の視界は広がっていない。


「尾根部分まで来ましたね。 風間一尉、地点登録して下さい。」
「了解。」


百地三佐は地図とコンパスだけでしっかりと位置を把握している。
頼もしい偵察隊長の顔になっていた。
神田警部補の顔色を見た後、中島警視へ2回目の報告を入れている。


「少し休みます。」
「やった… ふう… 結構登りましたね。後、どれ位ですか??」
「頂上付近までは後1時間で到着出来る筈です。帰りの水は残しておく事。」
「あ、はい。」


森の中の行軍は、次の目標地点を目視しながら移動する事ができない。
行軍の進捗状況を目視出来ないのはストレスが溜まるのだ。
距離感を把握できていない神田警部補には、疲労感が余計に蓄積されている筈だ。


神田警部補は膝の辺りを入念にマッサージしている。


神田警部補の縁なし眼鏡の奥にある表情には疲れの色が滲んでいるが、汗は出ていない。
ペットボトルの水も半分以上を残していた。


「…偵察が終わったら4人で晩飯に行きましょうよ。」
「何だ、もう晩飯の事を考えてるのか?」
「その様子ならば、まだ大丈夫ね(笑)」




少々呆れ気味の私達に…
神田警部補は少年の様な屈託の無い笑顔を向けてきていた。


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