第12話 30秒の壁

文字数 3,557文字

百地三佐から送られてきた〝プランB〟には、石井准陸尉が暮らしている官舎の情報や勤務予定表、過去の詳細な行動パターンが記されていた。


送られてきた資料によると…

石井准陸尉は特別な行事や訓練の無い場合、週に3~4日は娘の病院へ顔を出していた。
妻は1日置きに病院へ泊まっている… 休みの前日は夫婦で泊まり込む事もあった。
娘が入院している病院には、毎日必ず夫婦のどちらかが泊まり込んで付き添うというスタイルである。


・・・つまり、妻が病院に泊まり込んでいる平日の3日間は〝石井準陸尉は官舎の部屋で独りだけ〟の状態になるのだ。・・・


問題は病院の行き帰りにも根津組の監視が付いている事だった。
病院や街中で手を出せる状況ではない。

駐屯地内でアプローチするしかない状況だが、ここにも問題があった。
駐屯地内でモニターを覗きながらドローンを飛ばす行為はリスクが高い… 24時間体制で警備兵が巡回しており、官舎には精鋭無比のレンジャー隊員が暮らしているのである。
それにプラスして、テロや有事に即応体制を整えた特殊作戦群が配置されているのだ… 派手な騒ぎは自殺行為に他ならない。

駐屯地内を怪しまれずに偵察する方法を熟慮した結果、最も古典的な方法に行き付いた。


その方法は…

駐屯地内では基礎体力作りやレンジャー資格試験通過を目指し、勤務時間外の朝夕の時間帯には多くの隊員達が自主的にトレーニングを行っている。
隊員が身体作りをする為に駐屯地内を走る行為は極自然で当たり前な光景であり、トレーニングしている事に対して誰も文句を言わないし、言われる筋合いも無いのだ。


私は ”勤務後に駐屯地内をジョギングする方法” で偵察を行う事にした。
偵察の成果は以下の通りである。


【1日目】 レールガン開発場の状況を再確認

研究棟に朝と夕方の定刻に乗客不明(恐らく研究者を乗せていると思われる)のマイクロバスが発着している事を確認。 恐らく、レールガンの開発は研究棟の地下で行われている。 この周囲だけ完全武装の兵士が24時間体制で警備を行っていた。


【2日目】 石井准陸尉が暮らす ”官舎エリア” の状況把握

全ての官舎は横通路ではなく、上下の階段で繋がっている古いタイプである。
それぞれの建物には5階まで続く階段が4つ設置されており、入口には監視カメラどころかゲートすらない。アメリカであれば泥棒にWELCOMEしているかの様な無防備さだ。 レンジャー隊員の官舎に泥棒に入る馬鹿はいないという事だろう。
官舎の階段まで辿り着いてしまえば、階段の陰に身を隠す事が可能な作りになっている事が分かった。


【3日目】 石井准陸尉の部屋がある〝5号棟101号室〟周辺の状況確認

5号棟は駐屯地内の外周路に面しており目立つ場所に建っていた。
おまけに警備兵の巡回コースに面している。 外周路近くでの長時間の工作は出来ない事が判明した。 101号室前の階段に ”監視カメラに写らずに辿り着く方法” を模索中。


【4日目】 団本部中隊から5号棟101号室までの監視カメラ状況を確認

駐屯地外部からの侵入に対しては巡回兵と監視カメラによる厳重なチェックが行われているが、駐屯地内部には死角が多い事、官舎のある区域内は軍用犬を伴った巡回監視だけであり、監視カメラは殆ど設置されていない事が判明した。


【5日目】石井准陸尉家族が暮らす101号室の状況確認

101号室のドアはとても古いタイプのもので、ドアキーは年代物のディスクシリンダーだった。 ピッキングで簡単に開けられそうである。
しかし、窓や玄関ドアの作りは古いので大きな物音には警戒が必要である。
監視カメラの死角を辿りながら、石井准陸尉が勤務している団本部中隊から5号棟101号室前までの導線の把握を完了。



これらの状況から判断した場合…
駐屯地内で ”完全な死角” になる場所は〝石井准陸尉の部屋だけ〟という結論に達した。
私は石井准陸尉家族が暮らす101号室に使われている年代物のシリンダー錠をスマホで写真に撮り、中島警視に実物を手に入れて貰うように依頼をしたのである。



・・・今夜、年代物シリンダー錠の現物を中島警視達が持って来てくれる予定になっている・・・



予定時刻の少し前にインターフォンのチャイムが鳴った。
モニターに中島警視が映っている… 神田警部補の顔半分も見えた。


解錠ボタンを押す…


およそ3分で玄関のチャイムが鳴った。
鍵を開けるとズカズカと上がり込んで来る。


「ご所望のブツをお持ちしました!」


神田警部補は興味津々という表情である。
反面、中島警視は訝しげな表情を崩していない。
神田警部補は抱えていた段ボール箱から古いシリンダー錠と鍵を取り出し、ダイニング・テーブルの上に置いた。

やはり、ドアキーの形状は〝ディスクシリンダー〟だった。
このタイプならは比較的簡単に開けられる。


「写真と同型の物です。古いタイプなんで手に入れるのに苦労しましたよ。」
「これで発見されるリスクを大幅に少なく出来る。」
「住居不法侵入の手伝いをしている… 複雑な心境ですよ、私は。」
「中島警視、まぁ、そう堅い事は言わないでくれ。 騒ぎを起こさないやり方は、これしか見当たらないんだ。」


椅子に座りピッキング・ツールを広げると、神田警部補が覗き込んでくる。


「これ、空き巣の七つ道具ですよね…」


その通りだった。
空き巣泥棒はピッキングツールを使ってシリンダー錠をいとも簡単に開ける事が出来る。

理由は…

ディスクシリンダーには、鍵のギザギザと同じ形になる様に鍵穴に沿って多数のピンが付いている。
このピンは設定した鍵のギザギザと同じ形状にならないとシリンダーを回転させない様にロックをしているのだ。
ならば、全てのピンを強制的に外側に落とす事によって、シリンダーをロックさせているピンを全開の状態にしてしまえば良いのである。

かなりのコツを要するが、ロックさせているピンを全開にした瞬間にシリンダーを回す事が出来れば、鍵が無くてもシリンダー錠は解錠させる事が可能なのだ。


…何故、そんな事を知っているかって?


隠密急襲作戦でド派手に扉を破壊したなら ”襲撃しに来ましたよ!” と敵に教える事になる。
ここだけの話だが、MSOT隊員はドアキーを破壊せずに開ける方法を ”実戦的に” 教えられているのだ。


「神田警部補、時間を計ってくれないか。よーい、スタート。」
「え? あ、はい!」


鈎棒(かぎぼう)で引っ掻いてピンを外側に落とした後、鈎棒(かぎぼう)の先端を回転板に引っ掛けてシリンダーを捻ると… 鍵板が内側に収納され・・・・ない。
上手くいかなかった。


同じ行程を繰り返す…


久しぶりの鍵開けで手こずってしまった。
3回目でやっとロックが解除された。


「ストップ。」
「53秒! こんな簡単に開くんですね。」
「目標は30秒以内だ。」


もう何年もピッキングはやっていない… 感覚が鈍っていた。
それに、アフガンのテロリスト達の隠れ家はもっと簡単な構造のピンシリンダーだった… 鍵のギザギザが片方しか付いていないタイプの物だ。
ピンシリンダーであれば10秒で開けられるが… 今の状態であれば何度か鍵開けを繰り返して、ディスクシリンダーの構造に慣れなければならない。

警備兵が巡回している官舎の部屋に侵入するのだ… 悠長にピッキングしていれば発見されてしまうだろう。
解錠のコツを掴むには時間が掛かりそうである。
ポケットからメモを取り出してテーブルに置いた。


「先に明日の手順を確認する。これを頭に入れてくれ。」


① 1700時に妻が船橋西総合病院にいる事を確認する。
② 病院に妻がいる事を私に連絡する。
③ 私はピッキングで部屋に侵入、成功と待機開始を中島警視へメール報告。
④ 私からの完了メール受信まで、妻の監視を継続。
⑤ 1900時までに私からの完了報告が無い場合、百地三佐へ対処方法を仰ぐ。


メモを見ていた中島警視の表情が神妙なものへと変わってゆく。


「妻が家に戻らない事を祈りましょう。」
「そうだな。平日、娘の看病は夫婦のローテーションで組まれている。余程のイレギュラーが無い限り大丈夫だと思うが。」


神田警部補はメモと私の顔を見比べていた…


「あの…聞き辛いんですけど・・」
「神田、どうした?」
「失敗した場合の逃走経路とかは決めないんですか?」


中島警視が神田警部補の肩をポンと叩く… そのまま玄関へ向かっていった。
神田警部補の表情が困惑から全てを察した表情へと変わった。


「習志野レンジャー、かなり強いです… 気を付けて下さい。」
「ああ、分かっている。」


日本式のお辞儀をした神田警部補は、不安げな表情を浮かべながらリビングから出て行った。



私は視線だけで2人を見送った後、目の前のディスクシリンダーへ意識を集中させる事に努めた。
今日は長い夜になりそうだ…。

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