第2話 音合わせ

文字数 2,846文字

敵を欺くには先ずは味方からである…
早速、〝音合わせ〟が始まった。


・・・海兵隊特殊作戦コマンドでは、作戦準備の事をオーケストラが演奏を始める前に行うチューニングの光景に準えて〝音合わせ〟という隠語で表現する・・・


オーボエ(作戦指令)の音に沿って、調律が必要なバイオリンやビオラなどの弦楽器達(情報・装備・補給・通信・家族のケア)が一定の音階へと揃える… つまり、ブレる事無く作戦成功への準備を進めて行くという事だ。
私は〝音合わせ〟という表現と、それに伴う緊張感は嫌いでは無かった。


副校長は朝の教官ミーティングで〝カザマ教官は海兵隊参謀本部からの依頼により、3ヶ月間の特別任務に就く事になった〟というブラフ情報を発表した。

幸いにも教官達のリアクションは薄かった。

何故なら、6月からアナポリス(海軍兵学校)はサマー・バーケーションが始まり、8月末まで校外活動がメインの時期になる。
故に、他の教官達への負担は少ないのだ。


ミーティングの後、副校長室に呼ばれた。


副校長室ではMSOSG(海兵特殊支援群)のフォロースタッフ、CIAスタッフ達を交えた打ち合わせが行われていた。

打ち合わせのお題は…
”私の妻に悟られずに3ヶ月間の日本潜入をカモフラージュする設定の立案〟 である。
簡単に言えば、皆で〝優しい嘘〟を考えようという会議だ。

海兵隊特殊作戦コマンドには、任務に就いている隊員の家族に対するケアを専門に行う組織が存在する。
(おか)にいる家族の精神面までもサポートするのを不思議と感じるかも知れないが、これはとても重要な事なのである… 何故なら、極秘任務や特殊作戦に従事するコマンド隊員は、家族へのしっかりとしたフォローがあるからこそ100%の能力を発揮できるからだ。

家族を護って貰えているという実感があれば、後顧の憂いも無く安心して任地に赴く事が出来るし、任務の最中に中途半端な考えを起こす事も少なくなる。
それにプラスして、しっかりとした事前準備、多角的な作戦プランを提示すれば、現場でのサプライズへの対応は容易になり少しの度胸で大胆な行動も取れる。

任務の成否は、準備7割・現場での応用力2割・度胸1割で決まるのだ。
故に、海兵隊特殊コマンドは隊員の家族を〝チームの仲間〟と考えて行動する。


…しかし、愛する女性を心配させない為の優しい嘘だとしても、皆で嘘を大真面目に話し合っている会議に参加している自分に多少の疑問を感じた。


椅子の座り心地が悪いと感じ始めた頃、私の軍務経歴書を読み込んでいたCIAの若手スタッフから提案があった。

〝海兵隊員の指導監察官に命じられ、各地の海兵隊基地を巡検する〟という設定案である。

元MSOT隊長の大尉が海兵隊員の規律をチェックして回る… ちょっとおかしな感じもするが… まぁ、あり得ない話じゃ無い。


「大きな嘘を真面目に演ずるほど真実味は大きくなる、と言う事か。」


大佐が悪戯っぽい視線を送ってきた。
CIAのスタッフ達も仰々しく頷いている。
大佐は全員を見渡すと大きく2度頷いた。


「よし。では、〝指導監察官殿〟に基地を巡検して貰おうじゃないか。」


いとも簡単に… ”優しい嘘” の設定が決まった。
これで全てが動き出す。


先ずは、日本潜入任務で使いたい装備類のオーダー票を作成した。
オーダー票の書式が若干変わっている事と、もう二度と作る事は無いと思っていた事が重なり多少もたついてしまった。


次に、教官仲間と関係各部署へ〝一次的な出向〟の挨拶回りを済ませた。
夕方には、参謀情報部からカモフラージュ用の命令書が届いていた。
慌ただしい一日だった。


帰宅した私は、命令書をポーラに見せ〝8月末まで各国に展開している海兵隊基地へ指導監察官として派遣される事〟と〝指導監察官は隠密行動なので任務が終わるまで居場所は秘密だという事〟を説明した。

割とあっさりしているので拍子抜けしてしまった…。
ちょっと悲しい気持ちになりつつ荷造りをしていると、ポーラと出会った頃の事が思い出されてきた。


・・・ポーラは地元のエレメンタリー・スクールで教師をしている。
ポーラと知り合ったのは、私がアナポリスの教官になりたての頃にスキルアップの為に通ったセミナーで知り合った。
初日の自己紹介タイムで〝海兵隊勤務が長かった事〟と〝アナポリス(海軍兵学校)の新米教官だ〟との自己紹介に興味を持ったらしく、彼女の方から話し掛けてきたのである。

最初に掛けられた言葉は「そんなに怖い顔をしてちゃダメよ。誰も近づかないわ。」だった。

どうやら私は緊張感を丸出しにしていたらしく、その姿がとても滑稽に見たそうだ。
ポーラの父親は退役軍人で再就職するのにとても苦労したらしい。
現役を退いた直後にアナポリスの教官になれたのは、とてもラッキーな事だとも言われた。
軍人の父親を持っていたポーラは、軍隊生活が長く俗世間の生活に疎い私みたいなタイプの男の心理は手に取るように分かったのだろう。
連絡先を交換した日の週末にはランチに誘い出してくれた。

ポーラはプエルトリコ系で浅い褐色の肌、薄いグリーンの瞳と黒髪が綺麗な女性である。
小柄でスリムなタイプの女性だったが、メリハリのある身体をしていた。
大学時代に付き合っていた女性はいたが、空手とジークンドーに明け暮れた学生生活の後直ぐにストイックな海兵隊に進んだ私にとって、二人でカフェに行き課題について話し合ったり、小論文をお互いに批評し合ったりするのは、新鮮で充実した時間だった。

私はいつの間にか、週2回のセミナーに行く事がとても楽しみになっていた。
健全な大人の友人関係を続けていく間に、平和な社会で生きていくコツや人間関係で必要な感情などをポーラから教えて貰ったのである。
私があっさりと社会復帰できたのは、ポーラとの出会いのお陰なのだ。

2ヶ月半続いたセミナーの最終日、私は思いきって彼女にこう伝えた…

「これで君に会えなくなるのは寂しすぎるよ。」

ポーラは少し照れくさそうに「私もそれを伝えなきゃいけないと思っていた」と言ってくれた。それから私達は極自然に男女の関係になった。
付き合い始めて半年後には、一緒に暮らす事になったのである。
一緒に暮らし始めて3年、籍を入れて2年ちょっとだが子供は未だ授かっていない。
子供が欲しいという言葉もお互いに口にした事は無い。
子供が居なくてもお互いを人生の良きパートナーだと認識しているからだ・・・


そんな事を思い出しながら、〝とびきりの美女を連れて帰ってくるよ〟というクソつまらないジョークを飛ばしてみた。

バックパックに詰める下着やソックスを掻き集める私を見ながら、ポーラは腕を組み壁に寄り掛かると〝そう、ならば斬新な歓迎方法を考えなきゃ〟と笑って見せた。

つまらないジョークだったと多少後悔しつつ、書斎のデスクに飾っていたポーラと二人で写っている写真やipad、iPodをケースに入れてバックパックに放り込む…


ポーラの皮肉っぽい笑顔に安心感と戸惑いが混ざった複雑な感情を抱きつつ、私はダミーの荷造りを続けていた。


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