第23話 赤鬼と黒豹

文字数 9,894文字

早足で進む赤鬼は〝ガシャガシャ〟と派手な音を立てている。
櫓の兵達が〝何事か?〟というリアクションをしていた。


兵達からの視線を感じながら、二の丸へと続く石段を駆け下りた…


二の丸に避難していた農民達の姿は既に無い。
殿は無事に戻り出陣中止の命令が出されていた… 戦は無くなったので、それぞれの家に戻ったのだろう。
殿は〝領民を戦から護る為に城の中に避難させる場所を作る〟という概念を持っていると思われる。 …この概念の発展型が〝城塞都市〟である。
侍が支配する中世日本で〝城塞都市〟の概念が生まれた初期段階に接している自分がいると考えると、不思議な高揚感が湧いてきた。


そんな事を考えつつ、無人になった長屋群を抜けて三の丸へと向かった。


天守を小さくした櫓の門前には槍を持った兵が歩哨に立っていた
私達の姿を見ると背筋を伸ばしている…


「馬引けえぃ!」


ドスの利いた赤鬼の声に ”(うまや)” の兵達が反応している。
小気味良い動きで閂を外し、二頭の馬を引き出してきた。
赤鬼は手綱を受け取ると軽やかな身のこなしで乗馬した。


「儂と風間殿は庄屋の元へ参る! 気を緩めるな!」
「はっ!」


赤鬼は馬の腹を蹴り三の丸御門の方へと速歩で進んで行く。
私も後に続いた。


「開門っ! 開門ーっ!」


赤鬼の姿を見て取った門兵達が跳ねる様に閂を外している。


「庄屋の元へ参る。 抜かるでないぞっ!」


走り抜け際に門番に声を掛けた赤鬼は馬の腹を蹴った。


三の丸御門の吊り橋を渡り、キャンター(駆足)でL字に作られた白い壁の町を駆け抜ける… 橋を渡り田園風景の中を駆けた。
田植え前の水田が眩しいほどに輝いていた。


初めて通る畦道を暫く走った先に、立派な門と大きな茅葺き屋根の屋敷が見えてきた… 門は開かれている。


それにしても立派な屋敷だ。
瓦屋根ではなく茅葺き屋根で外壁は土色の塗り壁ではあるが、城へ向かう途中にこれほど大きな屋敷は何処にも見当たらなかった。

赤鬼は門の手前で馬を止めた。

馬から下りた赤鬼は、門の脇に作られた〝馬繋ぎ〟に手綱を結んでいる。
私もそれに倣った。
門を潜る… 赤鬼は玄関先まで小走りで向かっている。
せっかちな男である(笑)


「頼もう! 誰ぞあるかぁ!」


赤鬼の声が玄関に響く…
すると、土間の奥からエプロンのような物を付けた少年が現れた。
すこし怯えた表情をしながら ”ペコリ” と頭を下げている。


「又右衛門に佐々木孫六が参ったと伝えよ。」
「へ、へい。」


また、ペコリと頭を下げると屋敷の中へと入っていった。
直ぐに初老の男性がやって来た… 顔に見覚えがある… 城に入った時、二の丸で槍を持って殿に近付いてきた老人だった。


「おぉ、これはこれは、佐々木様。」


板の間にちょこんと正座をすると、深々と頭を下げている。


「紹介致す。この者は鈴木又右衛門。」
「…又右衛門で御座いまする。お見知り置きの程を。」


又右衛門は頭を下げた。


「又右衛門、こちらの御仁は新しく評定衆に加わった風間賢人殿じゃ。」
「若様と一緒にお帰りに為さったお方で御座いますな。」

「よろしく。」


私も頭を下げた。
それを見た又右衛門は、もう一度、深々と頭を下げた。
頭を上げた又右衛門の目は鋭い〝何か〟を宿している。
明らかに気迫を隠していた。


「佐々木様、風間様… どうぞ、お上がりくださいませ。」


私達は客間に通された。


土間で会った少年がトレーにお椀を3つ乗せて持って来た。
城の小姓達に負けない所作でお椀を配膳している… どうやら、私の服装や髪型が気になっている様子である。


「若様の無事なご帰還、本当に良かった… 村の者達も安堵致しておりまする。」
「うむ。殿も皆に心配を掛けたと申しておった。」
「そうで御座いますか… それで、本日は如何為さいましたかな?」


赤鬼は両拳を使って腰を浮かし、身体を前に乗り出した。


「又右衛門、急で済まぬが… 頼みがある。」
「何で御座いましょう?」
「〝鳴子〟を出来るだけ多く集めては貰えんか。」
「鳴子? 田畑で使う… あの鳴子で御座いますかな…?」
「そうだ。」


「はぁ…。何処ぞに大熊でも現れましたか?」


又右衛門は不思議そうな表情を浮かべている。
赤鬼と私の顔を見比べていた… 少々困惑したような表情になった。


「これからは田植えの時期。 鳴子を使わねばならぬ様になりまする… 余らしておる者は少ないかと… 佐々木様、鳴子など… 一体、何にお使いになるので?」


又右衛門は〝何か〟を宿らせた目で、赤鬼をしっかりと見つめている。
反面、赤鬼は明らかに苛立っていた… 前のめりな気持ちが先に立ってしまっている。
又右衛門が納得する言葉を伝える事が必要だろう。


「鳴子が必要な理由を説明した方がいい。」
「…承知。」


赤鬼の表情が柔らかくなるのが分かった。
少し考えた素振りを見せたが、話す事を決めたようだ。


「又右衛門。・・・殿は忍びの者に襲われた。今、この時も御命を狙われておる。」
「…なんと。」


「故に儂らは殿の御命を守らなければならぬ。 しかし、馬廻衆は忍びの者を相手にした事が無いのじゃ。 本丸に入り込まれてしもうたら殿の御命は殊更危うくなる。 忍びの者が浸入して来た事を知らせる仕掛けを作りたいのじゃ。 力を貸してはくれぬか…。」


赤鬼は両拳を畳に当てて頭を下げた。
直情的な男なのかと思いきや、赤鬼は〝人にお願いをする事〟が出来る侍だった。


「佐々木様、頭を上げてくださいませ。 村人は皆、若様をお慕い申しておりまする。 若様の御命を護るという事なれば、この又右衛門… 喜んで合力致しましょうぞ。 ・・・で、如何ほど集めれば良いので?」

「参百・・・いや、伍百ほど。」


又右衛門の顔が崩れた… 呆れたような表情になっている。


「さ… 伍百???」


反面、赤鬼は〝言ってしまった〟という様な表情を送ってきた。
それでいい。
人を動かす時には、本心を話してお願いする事が大切なのである。


又右衛門は腕を組みながら考えていた。
暫くすると〝そうだ〟という様に上半身を前に乗り出している。


「明日までに作って見せましょうぞ。」
「何じゃと?」


明日と聞いた赤鬼は目を丸くしている。


「しかし、どうやって…」
「私にお任せくださいませ。この又右衛門、老いぼれましたが二言は御座いませぬ…。」


「又右衛門、痛み入る!」


赤鬼は目を潤ませていた。
純粋に殿を護ろうとしている又右衛門の気持ちに心を打たれたのか… そうだとしたなら、理解出来る部分がある。
この男達は主君を護る為に行動しているのだ。
私も海兵隊員として祖国の為に命を賭けていた。
時代は違っても、大切なものを護りたいという気持ちは一緒だった。


…私は太ももに両手を置き頭を下げた。


「・・・ありがとう。感謝する。」
「では… 佐々木様、風間様。 ちと暫し忙しくなりまする故、失礼致しまする。」


深く一礼した又右衛門は、廊下から縁側へと向かった。
庭へ下りると鐘が吊された物見櫓へと登ってゆく… 外見とは似つかわしくない、軽快な登り方だった。


〝カンカン〟 〝カンカン〟 〝カンカン〟 ・・・


木槌を持った又右衛門は、2回連打する打ち方を始めている。
出された茶をがぶ飲みした赤鬼は客間から ”ドカドカ” と出て行ってしまった。
あっという間に土間へ降りたかと思うと、門の方へと向かってしまっている。


私は急ぎ足で赤鬼の後を追った。


手綱を解いて馬に乗った時、遠くからも同じ鳴らし方をする鐘の音が聞こえてきた。
やがて、又右衛門が打っていた鐘の音が止まった。
畦道の先には頭に布を巻いた男や鍬を担いだ男などが、又右衛門の屋敷へと向かって来るのが見て取れている。


畦道を抜けて通りへと戻った頃には、更に遠くの方から鐘の打つ音が聞こえてきた。
通りにはたくさんの男達がこちらへと向かって来ている・・・。



私達は轡を並べて城へと向かった。



「〝伊勢の赤鬼〟は有名なんだな。〝バンドウ〟で知らぬ者はいない、作左衛門がそう言っていたよ。」


赤鬼は〝ニカッ〟と笑う。


「おう。 先手大将は儂の御役目。 一番槍は儂らの十八番(おはこ)じゃ。」
「殿の命を狙っている上杉という奴にも一番槍を?」
「…当然じゃ。 しっかと天誅を与える所存。」

「そうか…。」

「卑怯な手で殿の御命を狙いおった屑め。」


赤鬼は汚い物でも扱うかの様な口調で吐き捨てた。


「なぁ赤鬼。俺が感じた事を聞いてくれるか?」


私に〝赤鬼〟と呼ばれた事を喜んでいるようだ… 鼻の穴が広がっている。
横顔でもハッキリと見て取れた。


「うむ。 話を・・・伺いましょうぞ…」


私は自分が感じている事を正直に包み隠さずに話をする事にした。


・逃げた ”お頭と呼ばれた黒装束” の事が気になっている
・誉田が指揮している馬廻衆にも鳴子の仕掛けをやってもらいたい
・赤鬼と誉田が協力し合って殿を護るべきである


話を聞き入っていた赤鬼は、鋭い視線で私を射貫いてきた。


「忍びの者を討ち取れば儂らの手柄になるが… 良いので御座るか?」
「俺は手柄など望んでいない… 殿の命を護りたいという気持ちを手伝いたいと思っただけだ。」


綺麗事を並べている自分に罪悪感を覚えた…。
混乱を回避して、元の時代に戻る切っ掛けを探す事に専念したいだけなのである。


・・・突然、赤鬼が高笑いを上げた。・・・


「風間殿。貴殿の心意気、天晴れじゃ! 流浪の身とあらば功名を立てて仕官しようとするのが侍の常。貴殿はそれを為さらん… 不思議な御仁じゃのう。」


仕官? そんな暇は無い… という言葉を飲み込んだ。
私は21世紀を生きていたのだ。
あらゆる可能性を利用して、元の世界へ戻る方法を見付けなければならない。


「せっかく救った命を刺客に奪われたら、俺の仕事は無意味になってしまう。」


美辞麗句を語っている私は鞍の座りが悪くなり始めているのだが… 赤鬼は白い歯を見せてニヤリと笑った。


私達は無言のまま白い壁の町並みを轡を並べて通り抜けた。


城門は閉じていたが、吊り橋は架けられたままである。
臨戦態勢は解けているという事だろう。
だが、門番の兵達は赤い鎧を身に着けて刀と槍で武装している… 櫓の兵達も弓を握っていた。

私達の姿を見た門兵が潜り戸へと消えてゆく。

門の左側が開かれていった…
私達は馬を並べて、二の丸へと登る階段の脇にある ”赤鬼櫓” へと向かった。


赤鬼櫓の外観は天守をギュッと小さくした作りである。
厩番の兵が駆け寄って来た。

急な石階段を上ると門の前で〝赤い鎧〟を身に着けた兵が雑談をしているのが見て取れた… 兵達は赤鬼の姿を見た直後、直立不動の姿勢になっている。
雑談を見られたのを不安に思っているのだろうか?
二人の表情は硬い… 目を泳がせている。


「小姓頭の誉田を呼んで参れ!」
「ははっ!」


赤鬼に命じられた兵の片割れが二の丸の方向へとすっ飛んでゆく。


櫓の門を潜った…


無数の樽や俵で埋め尽くされている… 空手道場ほどの広さがある赤鬼櫓の1階部分は食糧倉庫になっていた。


私達は2階へと続いている急な階段を上った…


壁面には大量の矢や数十張の弓が保管されており、窓際に畳二枚分ほどの机を囲んで四脚の椅子が置かれていた。
机上には、城の概要や周辺の地形が書き込まれた大きな和紙、それに白と黒の丸くて平たい石が見て取れた… ここは、作戦司令室として使われるのだろう。


槍や長刀、刀に甲冑、旗などもあった… どれも使い込まれてはいるが埃一つ被ってはいない… 全てがしっかりと手入れされていた。
壁面の中央に鎮座している真っ赤な兜と〝マントのような物〟が存在感を放っている。


独特な作りの兜と芸術的な〝マント〟に見入ってしまった。


中世ヨーロッパの甲冑は全身を覆ってしまう作り方なのに対し、日本の甲冑は急所と必要最低限な部分しか防護しない作りになっている。
日本の甲冑は関節を自由に使えるので ”組み合う戦い” を可能にしているのだ。

それに加えて、芸術性も高い。

赤鬼の兜には、大きな ”左右対称の三日月” に ”蜷局(とぐろ)を巻いた龍” の飾りが付けられている。
(かぶと)のおでこ部分に付ける飾りは位の高い侍が許される装飾なのだが、皆それぞれがオリジナリティに溢れているのである。

それにしても…

赤をベースにして黒と金糸で派手に装飾された〝マント〟は戦場で着るのだろうか?
背中の部分は家紋が染め抜かれてるのだが、こんなに派手で大きな紋章を戦場で背負っていたら格好の的になるのではないかと心配になってしまった。


日本の武器や武具に、私は時間を忘れて夢中になっていた。


赤鬼と目が合う… 椅子に座れと手招きをしてきた。
私が着席すると、赤鬼は真顔になった。


「輝明がどう出るかが肝…。」
「何故、そんなに誉田に遠慮する?」
「それは・・・」


下の階から〝カシャカシャ〟という音が聞こえてきた。


「誉田様のご到着ーっ!」
「よし! 通せ。」


階段の軋む音と〝カシャカシャ〟という音と共に誉田が上ってきた。
私が一緒に居る事に驚いた様子である。
兜は被っていないが鎧を身に着けていた… 準戦闘態勢に入ったのだろう。
灯明に照らされた漆黒の鎧姿が妙に艶めかしい。


「風間殿も… 孫六殿、御二人揃って如何なされましたか?」
「よう参った。 座れ。」
「はい…。」


赤鬼は机に視線を落とした後、優しい瞳で誉田を見ている。


「輝明よ、話がある…」
「なんで御座いましょう?」


「お主は殿の下知に従順過ぎる…。」


直球だった…
誉田の表情が一瞬で硬くなるのが分かった。


「私めは小姓頭、殿のお考えを具現致すのが御役目。何が悪いのでしょう。」
「悪いとは言っておらん… 殿の近くにお仕えするならば、お諫めする事も時には必要じゃと申しておるのだ。」

「…主の考えに付き従うが家臣の役目。それに、殿は筋の通らぬ下知など出した事は御座らん。 お諫めする事など何一つ御座らんっ!」


・・・頑なだった。
まぁ、呼び付けられた直後、いきなり全否定的な事を言われたのだ… 腹を立てても致し方ないだろう。


赤鬼は机に目を落としている… 大きなため息を一つ溢した。


「輝明よ… 殿が遠掛けに行くと申した時、何故に馬廻衆を付けなんだ。 殿のお側近くに使える者こそ常に先の事、万が一の事を考えねばならんのじゃ。 それに… 護衛を付けておったなら、お主の弟が斬られる事は無かったやも知れん・・・。」


・・・衝撃的な事実だった。・・・


黒装束に殺された男達の中に誉田の弟が居たと言うのか…。
あの時、誉田は目の前で弟が斬り殺されても、殿を護るために必死で闘っていたのか? …たった独りになっても黒装束達の前へ身を挺して立ちはだかった… 誉田の忠誠心は本物だった。
私と百地三佐は知っている… 一部始終を見たのだから。


誉田は怒りと悲しみが混ざった表情へと変わっていった。


腿の上に置かれた拳に力が込められている… 唇を噛みしめていた。
赤鬼は慈愛に満ちた瞳で誉田を見つめている。
ゆっくりと話し始めた。


・嫌な予感が続いている事
・忍びの者に城内へと侵入されたら、殿を護る事が難しくなる事
・明日、伍百個の鳴子が届けられる事
・館へ鳴子の仕掛けを取り付けたいと思っている事
・先に輝明へ話すのが筋だった事
・一人で抱え込まず、三人で協力し合えば必ず殿を護れると信じている事


自分の言葉を使って、諭すように気持ちを伝えていた。
赤鬼は豪傑な侍だという印象が強い男だったが、繊細な心の持ち主でもあった。
誉田は目を潤ませている… 何度も大きく頷いていた。


灯明に照らされた誉田の頬を光る物が伝ったのが見えた…。


「承知仕った… 今後、拙者に足りぬ事、思う事あらば仰って頂きたい。 殿を御護りしたい気持ちは一緒で御座る故。」


赤鬼の目と口元が緩んだ… 何度も頷いている。
これでいい… お互いが腹を探り合っていては、何時まで経っても半端な仕事しか出来ないのだ。
本心をぶつけ合って話す事はチームワークを醸成する時に必要不可欠なのである。


「誉田、一つ確認したいんだが。」
「何で御座いましょう。」
「本丸の警備兵の数はどれ位なんだ?」
「普段は五十ほどで御座るが、倍に… 足りませぬか?」

「…いや、忍者は変装や潜入が得意だ。 此方が大人数になればなるほど紛れ込みやすくなる。 城内で味方同士をどうやって識別している?」


私は無意識に左手に埋め込んだマイクロチップの感触を確かめていた。
誉田は机の地図に目を落としている。
少し考える素振りを見せた誉田は、全て悟った様な視線を送ってきた。


「風間殿、よう言うてくれました。 忍びを見破る方法を考えろという事ですな。」


静かな口調でそう言うと立ち上がり、窓の方へと歩いて行く… 暫く広場の方を眺めていたが、口元だけで〝ニヤリ〟と笑った。
目は笑っていない。


「見廻組の兵どもに〝符牒〟を使わせましょうぞ。 問うて答えられなければ則ち敵。引っ捕らえる…。」
「名案だ。」


私が笑顔で頷くと誉田は得意げに腕を組んで見せた。


符牒… つまり、合い言葉だ。
無線や識別信号など無い時代では効果的だろう。
現代の急襲作戦でも、チーム同士の相討ちを避ける為に〝合い言葉〟は使われている。


「馬廻衆の頭達を此処に呼べぃ!」


誉田は窓の下へ向かって大声で指図をした。
〝カシャカシャ〟という音が段々と小さくなってゆく…
誉田は席に戻った。


「…しかし、胸騒ぎが収まらぬ。 早う本丸を鳴子だらけにしたいわ。」

「風間殿… 忝い。」
「気にするな。 殿を護りたいというお前達の気持ち… 大事にしろよ。」
「承知…。 出来る事ならば、忍びの者達を一網打尽にしとう存じまする。」


二人の気持ちは理解する事が出来た。

現状、大将の殿は右肩に傷を負っていて斬り合いになれば圧倒的に不利なのだ。
殿が刀や槍を振れないと黒装束側は知っている… 再び襲撃に来る可能性は高い。
私が黒装束側だったとしたなら、弱った相手を仕留めたいという気持ちが起きるだろう。
少なくとも… 仕留めるのチャンスは探す。

それに、見えない敵からの攻撃を凌ぐ戦いは、護る側の精神を著しく損耗させるのだ… 私はアフガンで嫌というほど味わった。
纏めて捕まえてしまいたい、と思うのは当然の事だった。


「一網打尽…」


私の頭に一つの考えが浮かんだ。


待つのではなく、誘き寄せてしまえば良いのではないだろうか…?
サーマルビジョンと暗視スコープ、それにドローンは使える。
スナイパーライフルとアサルトライフルの銃弾は充分過ぎる数が残っていた。
状況は不利だが、火力は私の方が倒的に有利なのだ。
侵入してきた事を察知できれば勝機はある。


…いや。勝てる。


先程までは〝何でも利用して元の世界に戻りたい〟という気持ちでいた私が、赤鬼と誉田のやり取りに混ざっている内に ”手伝っていやりたい” と思い始めている。
…違う。
ゲームを楽しもうとしている感覚だろうか。


「風間殿、如何なされたか?」


「…見えない敵から護る戦いは難しい。ならば… 誘き寄せてしまえばいい。」


誉田は目を丸くして、唖然とした表情になった。


「何を仰るのか…。」


「・・・俺達が敵の大将だったとしよう。 殿が〝戦えない状況に陥ってしまった〟としたらならば… 何をしたくなる?」


誉田は眉間に皺を寄せて地面を見つめている… 表情が〝ハッ〟としたものに激変した。


「・・・殿が戦えない。 御命を奪う絶好の機会…。殿と寿王丸様の御命も奪ってしまえば上杉にとって一石二鳥、一挙両得… 伊勢家にとっては悪夢で御座る・・。」

「その通りだ。」

「・・・畏れ多い・・・余りにも危のう御座る。 如何に風間殿の策と言えど、殿を囮に使うなど言語道断… 承服致しかねる!」


誉田は誘き出し作戦の概要を既に悟っている… 頭の回転が速い男だった。
赤鬼は椅子に座ったまま、地図を見つめながら私達の話を黙って聞いている。
鎧の擦れる音が聞こえてきた… 馬廻衆の頭達が来たのだろう。


「そこで暫し待っておれ。」


下の階へ声を掛けた誉田は、階段の戸板を閉めると椅子へと座った。
笑顔は無くなり、厳しい視線に変わっている。
赤鬼がゆっくりと顔を上げた。


「輝明。…確かに、殿を囮に使うのは言語道断。 じゃが、攻撃は最大の防御ぞ。 運良くば忍びの者を生け捕りにして、誰が殿の御命を狙うているか嘔かせられるやもしれん。 上杉だと証明できれば、我らは大義名分を得られるという事ぞ。」


・・・意外だった。

上杉に〝天誅を与える〟と言っていた赤鬼の口から、生け捕りという言葉が出た… 侍大将を任されるだけあって、戦況や戦術を的確に判断する能力は長けているのだろう。


「風間殿、策があるのなら儂らに話してくれぬか。此処での話は口外致さん。」
「うむ。」


・敵を欺くには先ず味方から
・館に居る者達には、館に殿が居ると思わせるように芝居をさせる。
・評定衆には殿の容体を知られたくは無いという雰囲気を作る。
・殿の容体が悪くなって寝込んだ、という噂を城下の人々へ流す。
・上杉の領内にも〝殿の容体悪化〟の噂を流す
・暫くの間は殿と桔梗殿、寿王丸には館とは別の場所で暮らして貰う。
・鳴子の仕掛けに嵌めて敵の侵入を察知出来る様にする。


私は頭に浮かんだ〝誘き出し作戦〟の概要を説明した。


「風間殿、妙策じゃの。人は秘密にされればされるほど、知りとうなるものだ。」
「殿と御前様、寿王丸様の身の安全を確保してから罠に引き込む… 確かに妙策。」


赤鬼と誉田は目を合わせて頷き合っている。


「俺が黒装束だったら城下の村で情報収集する。 村人達が本気で殿を心配すればするほど〝殿の容体悪化説〟の信憑性は高まるんだがな。」


「…風間殿、城下の寺社に布令を出して〝御傷快癒の祈祷〟を行わせましょうぞ。」


赤鬼が〝ニンマリ〟と不敵な笑いを見せた。


「おお。それも妙案。 殿は本当に手負うておられる。 神仏を騙す事にはならぬ故、罰は当たるまいぞ。 輝明よ、寺社頭に布令を出させよ!」
「はい。」


二人は既に〝誘き出し作戦〟を実行する気になっている。


「おいおい、ちょっと待て。待て。 最大の難関が残ってやしないか?」
「・・・おぉ、そうじゃった。」
「・・・確かに。」


赤鬼と誉田は顔を見合わせている。
殿の了解を得られなければ、殿と家族を危険に晒す事になるのだ。
赤鬼が力を込めた視線を送って来る… 意を決したように立ち上がった。


「よし・・風間殿、輝明。 儂ら三人で殿へ直談判じゃ!」
「承知仕った。 善は急げ… 参りましょうぞ。」


殿の回りもせっかちが多いらしい(笑)


…いや、こうと決めたら一致団結して物事に取り掛かるのは日本人の国民性なのだろう… アメリカで生まれ育った私だが日本人の気質は〝良い意味〟で理解出来た。


「風間殿! 何をなされておる。早う下りて参られよ!」


櫓に赤鬼の声が響き渡った。
赤鬼と誉田は君主に直談判する事の出来る立場という事か… 二人の立ち位置は意外と高い… 殿から扇子で叩かれた誉田の顔を思い出しつつ、急な階段を下りた。


誉田は待たせていた馬廻衆の頭達に〝合い言葉〟の説明をしている… 説明を受けている頭達は、一様に真剣な面持ちで話を聞いていた。
誉田が重要なポイントを繰り返し説明すると頭達の険しかった表情が段々と解けて、皆が ”納得した” という様な表情へと変わった。


「素性を知らぬ者は警護の任を解け。 見廻りの最中に顔を見知らぬ者、怪しい動きをする者がいたならば〝合い言葉〟を答えさせよ。 答えられなければ捕らえるのじゃ… 抵抗したならば斬り捨てよ。 逃がすでないぞ。 …よいな。」

「はっ!」


誉田は頭の回転が速い。
そして、時には計算高い思考も巡らせる事の出来る男だった。
孫六が剛毅な〝赤鬼〟ならば、誉田は切れ者の〝黒豹〟といった感じである。
二人の性格は正反対だが、殿を想う気持ちは一緒なのだ…。


殿は恵まれた部下を持っている… 私の部下達も有能だったが、”赤鬼と黒豹のコンビ” には出会った事はない。
羨ましく思えてしまう私がいた。


「風間殿、〝合い言葉〟は今夜から行わせまする。宜しいか。」
「ああ。」


櫓を出ても赤鬼の姿は見えない。
どうやら、先に行ってしまったみたいだ。



〝俺は一体何をしようとしているんだ?〟



殿を囮に使う… しかも、私の提案という形で…。
しかも、敵を侵入させない為の城に、わざわざ敵を誘き寄せるのだ… 守る側のセオリーには完全に反している。

侍のいざこざに自ら関わってゆく自分に興味が湧いた。

現実世界に戻りたいと思う反面、目の前にある不条理な事象に現実を近付けようとしている。
慣れたシューティング・ゲームをハードモードにしてプレイする様な感覚に陥っている自分が存在していた。



私の中で何かが壊れ始めている気がしてならなかった。


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