第14話 アジト(1) 眩暈

文字数 17,851文字

窓の外にはいつもと変わらない習志野駐屯地の風景があった。
石井准陸尉へ管理下へ置いてから3日が経過している…。


中島警視達は石井准陸尉へ着けた首輪とリードが外れない様にする為に動いてくれている筈なのだが、その後の連絡はまだ無い。
連絡が無いという事は〝石井准陸尉への拷問は誰にもバレていない〟という事である… しかし、待つ事へのイライラが募っている自分がもどかしい。


業務用ラップトップを立ち上げて、団本部中隊の項目から石井准陸尉のスケジュールを確認してみた。

スケジュールは変わらぬままである… 翌週の訓練にも変更は無い… レンジャー資格試験での ”助教” の任務もそのままだ…。
やはり、私の命令に従い ”今まで通りの生活を続けている” という事だろう。


メールをチェックしているとスマートフォンが鳴った。
百地三佐からだった。


「Hello」
「おはようございます、風間一尉。大きな進展がありました。」
「どうしました?」
「石井准陸尉からの情報を辿って王恭造の行動が掴めたわ。先制アプローチ作戦は大成功よ。」


中島警視達は、たった5日で王恭造の居場所を突き止めたという事か…
仕事が早い。


「王恭造は何処に居るんです?」
「現在の居場所は分かっていません。」

「…どういう事です?」
「〝これから現れる〟という情報です。」
「確かな情報なんですか?」
「ええ。中島警視達が確認済みです。貴方には明日から箱根に行って貰います。」


HAKONE? 王恭造はそこに現れるのか?


「明日? 急に習志野駐屯地から居なくなれば、他の隊員達から怪しまれる。」
「こういう時の為に私が責任者を任されています。 全て手配済みですから、何も心配要りません。不自然にならないように駐屯地を出てマンションの部屋に戻って下さい。」


…展開が急過ぎる。
また、情報が少ない状態で突入させるつもりだろうか。


「…しかし、情報が少なすぎる。」
「王恭造は近々、箱根の別荘に現れる… 情報はそれだけです。一から情報収集しなければなりません。」
「現状、プランは無いと?」
「そうです。前回と同じ過ちはさせませんわ。私も手伝います。」

「…了解。」
「直ぐに部屋へ戻って移動の準備を。詳しい話は後で。」


百地三佐は、そう伝えると電話を切った。
この5日間で… 私が想像していた以上に事は進んでいた。
先ず、今やらなければならない事を頭の中で整理した。

執務室を〝不自然に感じさせない様に〟整えてから、鍵を引き出しのトレーに仕舞った。

窓のブラインドを下げ、照明のスイッチを切る… ハンガーに掛かった制帽を取り、鞄に私物を放り込んで執務室を出た。
扉の在席プレートを〝不在〟に変えて階段を下りて行く…


総務科から前田二曹が出て来た。 どうする…? 風間賢藏…。


「風間一尉、おはようございます。」
「おはよう。」
「研修は今日からでしたか?」
「…ああ、ああ、そうなんだよ。」
「お気を付けて。」
「・・行ってくる。」


どうやら私は研修に行く事になっているらしい…
百地三佐が作った設定に任せれば大丈夫そうだ。


駐屯地の正門を出て横断歩道を渡った。


マンションの駐車場入口には、フロントノーズの無い ”のっぺらぼう” なグレーのバンが停まっていた… ルーフが高いので駐車場には入れていない。
ネクタイを外しYシャツの袖を捲り上げた神田警部補が、グレネードが入っているハードボックスを乗せた台車を押して出て来た。


「神田警部補、扱いは丁寧に。」
「あ、お疲れ様です。引っ越しですよ。」
「百地三佐から話は聞いた。急展開だな。」
「風間一尉が映像を残してくれたお陰です。」
「どういう事だ?」
「ええ。詳しくは走りながらで。取り敢えず、ボックス類は車に運んでおきました。必要な物を纏めて下さい。」

「…了解した。」


部屋に戻ると装備の入ったハードボックスが無くなっていた。
通信ルームに入り、TOUGHBOOK を取り外して衛星電話と共に鞄に入れる。


「通信システムのアンテナは新しい部屋に設置済みです。米軍仕様のルーター類は持って行きますんで、運んで貰えますか。」
「分かった。」
「部屋の中にある物は、うちのスタッフが宅急便で送る手筈になってます。 騒ぎになる様な物は残さないで下さい。 今運ぶ物はトラベル・キャリーだけで大丈夫です。」


クローゼットにあったNIKEの上下ジャージ、Tシャツに着替えた。
プロテックスのトラベル・キャリーにパスポートや現金類、衛星通信ルーターや自衛官の制服・私服類を詰め込み、アメリカから持参した私物類を放り込んだ。


10分ほどで荷造りは完了した。
神田警部補は一部屋ずつ見て回りチェックをしている。


「最終確認です。残しちゃまずい物はありませんね。」
「OKだ。」
「…では、行きましょう。」

「待った。一つ忘れていた。」


バスルームに向かう。
毎日、1800時に湯を貯める為にセットしたタイマーを解除した。


「以外と几帳面なんですね(笑)」
「最高のバスタイム・ライフを提供してくれたからね。 感謝しないとな。」


室内の照明を落とし玄関へと向かう。
NIKEのスニーカーを履き、自衛隊の革靴をシューズケースに詰め込んだ。
神田警部補は台車にトラベル・ケースを乗せている。


「シューズケース、ここにどうぞ。」
「すまない。」


エレベーターで1階まで降りた。


神田警部補は最後の荷物を ”のっぺらぼう” の荷台に載せている。
荷台には私のハードケースとは別に、駐屯地で見たコンテナボックスと ”警備部2” と書かれた折りたたみ式のボックスが数個詰まれているのが見て取れた。
神田警部補はハードケース類にネットを掛け、ラッシング・ベルトできっちりと固定している… これならば安心して長距離ドライブを楽しめそうだ。


「これならば安心だな。」
「高速道路爆破犯には成りたくありませんからね。」


…その通りである。


「ところで、このバンは神田警部補の物か?」
「これですか? 捜査車両ですよ。」
「何という種類なんだ?」
「ハイエースのスーパーロングっていいます。」


大きな窓が付いているが、スモークガラスなので外から中は見えない。
荷台の壁面にはラッシング・ベルトのレールが取り付けられている。
後席の簡易シートを倒せば、ハーレー・ダヴィッドソンが載るほどの荷台スペースであろう… ハイルーフなのでとても広く感じる。
実用的な作りだった。


「1055時、出発します。」


腕時計を確認した神田警部補はスーツの上着を後席の背もたれに掛けると、 ”のっぺらぼう” の運転席に乗り込んでいる。
マンションの裏手から、ぐるっと回り込むようにして表通りに出ると、駐屯地前の通りは朝の通勤ラッシュも終わっていた。


〝花輪〟と記されたインターチェンジから有料道路に入った。
真っ直ぐな一本道が続いている。


暫く走り、数本の川を渡った。
神田警部補の横顔の先に大きな電波塔のような建物が見える… あれが世界一の高さを誇る電波塔 ”東京スカイツリー” だろう。
広大な平野に大小様々なビルが延々と広がっている… 奥には山々が連なっていた。
私は ”Tokyo” の広大さに圧倒されてしまった。

順調に走行していたのだが、小さな料金所をすぎてから渋滞になった。
料金所を過ぎると急に一車線になっている… 不思議な道路の作りである…。


「神田警部補、このハイウェイは車線が1本になるのか?」
「ええ。 ここは首都高との合流点で渋滞の巣です。 いっつも混んでます。」


川を渡ると急に右車線が出来ていた… しかも、大量の車が合流して来る。
川と併走しながら大きく右にカーブした… 複雑な合流ポイントと細かいカーブが続く… 緑色の流れの無い川沿いを走ったかと思えば、今度はトンネルに入った。

トンネルの中は大渋滞だった。


「日本の高速道路はアトラクションみたいだな。目的地に着ける自信が無い。」
「世界一複雑な高速道路だと言われてますからね。」


渋滞が続いたトンネルから出た。
いつの間にか渋滞は解消された。…と思ったのも束の間、また渋滞になった。

近代的なガラス張りの高層ビルとレトロな商業ビルや住宅が密集している市街地を高速道路が貫いていた。
カオスである…。

〝渋谷〟と記された出口を過ぎ、左からの合流を通過すると渋滞は解消された。

暫く走ると3車線になった… 〝東京〟と書かれた大きな料金所を過ぎてから、車の流れは一気に速くなっている。


「いやいや、今日は比較的順調です。」
「これでか??」
「トラックが少ないですね。」
「もっと渋滞するのか?」
「ええ。朝晩は首都高速の全てで大渋滞です。渋滞を金で買ってるみたいな(笑)」


渋滞が解消され、3車線になったというのに真ん中の車線を流れに乗って走らせている。
私を空港から運んだ時とは別人の運転をしていた。


「今日は紳士的な走りだ。」
「皮肉はよして下さいよ。」
「悪かった(笑) 神田警部補、君のペースでやってくれ。」
「はい。…助かります。」


かなり緊張しているのが見て取れた。
軍人ではない警察官が、これだけの武器弾薬と爆発物を積んで走っているのだ… 緊張しない方がおかしいだろう。


「煙草、吸ってもいいですか?」
「なんだ、我慢していたのか? 遠慮無く吸ってくれ。」
「すいません、上着の胸ポケットに入れてあるんです…。」


後席の簡易シートに無造作に置かれているジャケットを親指で示す。
胸ポケットには、CAMELのメンソールと使い込まれたジッポライターが入っていた。
1本取り出して手渡した。


「いいジッポだ。ヴィンテージか?」
「あ、分かってくれます? 嬉しいな。 僕と同い年なんです。」


蓋を弾いた時の〝音〟が心地良い。

スーツにはこれっぽちも似合わない傷だらけの代物だが、使い込まれている事が手に伝わってくる… 真鍮製だろう。
ジッポライターは使い込んでゆくと蓋と本体を繋げている蝶番(ちょうつがい)が少しずつ緩んでゆく。
この〝緩み〟がジッポ特有の音を作るのだ。
使い込んだ年数によっても音は変わる。

数回、蓋を開け閉めしてヴィンテージ・ジッポの音色を楽しませてもらった。
火を付けて口元に持って行く…

神田警部補の頬には薄らと無精髭が伸びていた。
恐縮しながらエアコンを外気導入にして窓を少しだけ開けている。
気を遣ってくれていた。


煙草を吸い終えた頃、私達を乗せた ”のっぺらぼう” は〝厚木・小田原〟と書いてあるインターを過ぎた。


高層ビル群の光景から山と緑の景色へと変わっているのだが、遮音壁が続いていて景色を楽しめない…。


「ずっとこんな感じなのか?」
「何がですか?」
「景色が楽しめない。」
「帰り道、富士山の絶景スポットに案内しますよ。」
「楽しみだ。 よろしく頼む。」


〝中井〟パーキングエリアで休憩を取る事になった。


パーキングエリアに入るとバックで器用に停車させ、周囲を確認している。
神田警部補は私にアイコンタクトを送って来たが、周囲に怪しげな雰囲気などは全く無かった。


「風間一尉、先にトイレに行って下さい。 交代で済ませましょう。」
「ああ、分かった。」


レストルームへと向かった。


今日はトラックが少ないと言っていたが、駐車場はトラックだらけである。
レストルームは尋常では無いほどの綺麗さだった… フロアにもゴミ一つ落ちていないし便器には汚れ一つ着いていない。
だが、女性が男性のトイレルームを清掃している。
これには多少の違和感を感じた。

レストルームの隣には土産物店やフードコートがあった。

フードコートではライスボウルや麺類に定食類… 売店には目移りするほどの様々な物が販売されていたのだが、これだけのマイカーやトラックが止まっているのにもかかわらず ”ガソリンスタンド” が無いのである。


・・・実におもしろい(笑)


交代で用を済ませている事を思い出した… 急いで車へと戻った。
神田警部補は私が車に乗り込む前に降りて来る。


「車、よろしくお願いしますっ!」


神田警部補は小走りでレストルームへ向かって行った。
どうやら〝ギリギリ〟の状態だったらしい。
エリア探索をしないで良かった(笑)


数分すると、神田警部補は爽快な顔で戻ってきた。
コンソールのドリンクホルダーに缶コーヒーを置いている。


「よろしければ、どうぞ。」
「ありがとう。いただくよ。」


冷たいコーヒーだった。
蓋を捻り口元に運ぶ… ほろ苦さも丁度良い。
後から芳醇な香りが鼻孔に広がった。
このままカフェで出しても通用するではなかろうか…。
日本の自動販売機文化のレベルの高さに驚かされた。


「次のインターで降りますけど、そこからが本番です。」
「分かった。」


〝大井松田〟インターで高速を降り一般道へと向かった。


高速道路らしき道の上を通り抜けて市街地へと入る。
水量は少ないが河川敷の広い川を渡っていると、下半身を川に入れて釣りをしている人の姿がちらほらと見えた。


「この川では何が釣れるんだ?」
「今の時期は… 鮎ですかね。」
「アユ?」
「あ、北米にはいない魚でした。日本では〝清流の女王〟って呼ばれてます。」
「…ほう、優雅な呼び名だ。」
「綺麗な水と速い流れがある場所じゃないと育たないんです。」


コンソールボックスに手を伸ばし、キャメル・メンソールを取り出している。
私はヴィンテージ・ジッポに火を付けて口元に持っていってやった。
ウィンドウを少し下ろし煙を吐き出している… 大佐の葉巻とは比べ物にならないほど薄い煙である。


「鮎、食べた事ありませんよね?」
「ああ。ない。」
「鮎は成魚になると岩肌に生えた(こけ)しか食べなくなるんです。」
(コケ)だけか?」
「はい。だから川魚特有の臭みは全く無い。串焼きにすれば絶品です。」
「そうか。食べてみたいな。」
「ですよね~。任務が終わったら富士山の絶景ポイントで鮎を食べましょう!」


神田警部補の饒舌が復活している… 余裕が戻って来たようだ。


”のっぺらぼう” は住宅街を真っ直ぐ進んだ。
通行量もそれほど多くない。
神田警部補の表情はいつもの穏やかな感じに戻っていた。


「王恭造の情報をどうやって掴んだ? そろそろ教えてくれないか?」
「ですよね…」


一瞬だが神田警部補の表情が曇った。


「石井准陸尉なんですが… 王恭造と親子の盃を交わしていたんです。」
「…サカズキ・・とは?」
「ヤクザの世界で親分と子分になる誓いの儀式ですね。」
「何だって?」
「娘の心臓手術が成功した後、ボディガードとして雇って貰う事になってました。」


親子の盃を交わす… つまり、鉄の結束の一員になっているという事である。


「脅されている可哀想な奴かと思っていたが、ヤクザになっていたとは…」 
「ええ。」


表情が更に曇った。


「…だけど、中島先輩がちょっと脅したら、聞いてもいない事をペラペラ喋ったんですよ。」
「一度裏切った奴は何度でも裏切るからな。」
「はい。 それで、王恭造の居場所を教えろと詰めたら〝週明けから箱根に行く〟って簡単に謳いやがりました。」


神田警部補は眉間に皺を寄せながら首を左右に振って見せた。


「隠れ家、いや、秘密の別荘とやらは、どうやって見つけたんだ?」
「王恭造は箱根に避暑に行くと。涼しくなるまで山の中で静養だと。」

「…それで?」
「で、王恭造が別荘に移る前に ”組の若い衆が大掃除に行く” っていう話をゲロッたんです。」
「まさか、秘密の別荘まで、その若い衆とやらを尾行したのか?」
「…はい。」


避暑地の別荘へ籠もるという事は〝標的が移動しない〟という事だ。
この情報が当たっているのであれば、千載一遇のチャンスと言って良いだろう。
しかし、事が上手く運び過ぎてやしないか…?
嫌な感じがする…。


「逆に尾行された、なんて事はないよな?」
「ありません。 僕らプロですから。」


捜査や尾行には素人のヤクザ者が気配を消して、公安警察の中島警視と神田警部補に感付かれずに尾行するのは至難の業だろう… いや、無理である。


「別荘の状況は?」
「山の中を切り開いて作られてます。場所だけは把握してる状況です。」
「百地三佐が〝一から情報収集する〟と言っていたよ。 そういう事か。」
「標高1000mほどの山腹で周囲は深い森… 近付くのは容易じゃないです。」


砂漠ではなく森での狩りになる。
隠れる場所は山ほどあるが、逃げられてしまえば見付け難いという事でもあった。


…トンネルを抜けて駅を過ぎた。


山への坂道を登るにつれ、道はどんどん狭くなってゆく。
遂にはセンターラインは無くなり、対面通行になった。
山の麓にある温泉施設を過ぎると〝許可証の無い車は通行禁止〟と書かれたゲートが取り付けられている林道が現れた。


ゲートは開かれている…


「暫くカーブが続きますよ。 ここからが本番です。」
「…了解。」


細い林道だった。


古びた〝落石注意〟の看板が斜めに歪んでいる。
少し進んだだけで ”ここからが本番” と言った意味を理解した。
擁壁と深い森で周囲を確認する事も出来ない… かろうじて舗装はされているが路肩にガードレールは無かった… 途中で車に遭遇したならば、どちらかが相当な距離をバックする事になる。

神田警部補は無言で坂道の林道を走り続けていた。
私達を乗せた ”のっぺらぼう” は上下左右に大きく揺られている。
耳がキーンと詰まった感じになった… 耳抜きをする。
高度が上がっている証拠である。


数回の耳抜きの後、カーブの先で急に視界が開けた。
電波アンテナ施設が見える… 頂上付近に達したのだろう。
道は下りになり、更に1kmほど進んだ場所で徐行を始めた。


「入口はあれです。」


右側の森に車が1台通れる程の細い道が作られていた。
細い道の入口付近は森が扇型に削られており、その先に見える道はしっかりと舗装されて手入れもされていた。

…林道側から ”別荘” の概要は確認できない。


「今日はここまでです…。」
「ここまで来て別荘までの経路を探らないのか?」
「はい。戻ります… 我々の ”アジト” へ。」


”アジト” と言った神田警部補が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
扇型に削られたスペースを使い、器用にUターンをする。
来た道を戻り、山頂の反対側にある集落へ向かうという。


「尾行なし…」


1時間ほど山道を走った。


山腹を段々に切り開いた茶畑の光景が広がり、瓦屋根の和風な家屋が点々と建っている。
集落の外れまで行き、未舗装の細い林道へと入って行った。
うねった林道だがガードレールが施設されている… ”のっぺらぼう” はエンジン音が唸らせながら登って行った。

数カ所のS字カーブを登った林道は一気に標高を上げたようだ… 耳が詰まった感じがより一層強くなった… 周囲は深い森である。

更に5分ほど登って行った。

急なカーブを曲がると ”古い石垣と瓦葺きの白塀” が見えてきた。
石垣の幅は50m位はあるだろうか?
石垣の両端は山の斜面を利用しているので、白壁の部分は皿の様なデザインになっている。


瓦屋根と観音扉の門が近づいてくる。


…が、ここからでは敷地の中を窺う事は出来ない。
観音扉の両サイドは駐車場スペースだろう… 車10台分ほどの整地された場所があった。


「着きました。」
「・・・。」


”のっぺらぼう” から降りた神田警部補は重厚な観音開きの門ではなく、その隣にある人の背丈より低い戸に付いている南京錠を開けた。


門の先には荒れてはいるが〝Japanese garden〟の本で見た世界が広がっていた。
通路には敷石の間に白い玉砂利が敷き詰められ、石造りの燈台や水場が目を引く。
枝を支えられた立派な巨木が敷地に風格を与えている… 何の木だろうか?


「此処は何なんだ?」
「2ヶ月前に破産した古民家ペンションです。オーナーが夜逃げしました。」
「夜逃げ?」
「ええ。 銀行からの違法融資を喰らって破産です。」
「公安が買い取ったのか?」
「まさか。 銀行の違法融資を見逃す代わりに無償で借りました。」


〝銀行の違法融資を見逃す代わりに無償で借りた〟

聞こえは良いが、接収したという事だろう。
融資先は経営不振だが資産価値のある不動産を所有している場合、銀行は返せないと分かっているのに融資をして破産させる… そして、土地建物から全財産までも差し押さえてしまう… 差し押さえた不動産を売却すれば融資以上の金が銀行に入る。
クズな銀行屋の考えそうな事でもあった。


通路を4~50m進むと巨大な純和風の建物が現れた。


石垣を使い水平にした場所に ”古民家” が建てられている。
枯れた枝を敷き詰めた屋根… これも ”Japanese garden” とうい雑誌で見た事がある… ”茅葺(かやぶ)き屋根” だ。
古民家の先には、木目調にデザインされた比較的新しいログハウス調の建物も見えた。


神田警部補は複数の鍵が付いたキーホルダーを手にすると古民家の扉を開けた。


土を固く敷き詰めたスペースが現れた。
これも知っている… ”たたき” か ”土間” と呼ばれる場所である。

右手には下駄箱が設置されていた。
左側には受付を想像させるカウンター、その背面には山の風景画と立派な振り子時計が飾られている… 振り子時計は時を刻んでいなかった。


「しかし、こんな短期間で良く見つけたな。」
「僕ら、公安部国際テロ対策課ですよ。 テロリストがアジトにしそうな場所、日頃からリサーチしてるんです。 銀行系の物件なら朝飯前っすね。」


得意げだ。
やはり、彼等は心強い味方だった。
神田警部補がフロント裏に回り、スイッチを〝パチパチ〟と押す。
電球色の照明が室内を暖かく照らし出した。


「ここは、王恭造の別荘へ誰にも見付からずに接近するのに最適な場所です。 ちょっと道が険しいのが難点なんですけど(笑)」
「まさか、山越えをして近付くつもりか?」
「その通りです。 あの林道から車を乗り付けたら、正面から喧嘩を売る事になりますからね。 それに、特殊部隊装備の風間一尉を人目に付く場所でウロウロさせる訳にはいきませんから。」


…確かにその通りではある。
Gショックを確認すると標高は1000mを越えていた。
裏手の山は、ここ以上の標高がある… それに森は深い。


「王恭造の別荘からはどれ位の距離なんだ?」
「〝直線で5km弱〟です。」
「一気に近付いたな。」
「はい。」


険しい山と深い森という環境は〝秘密裏にターゲットを始末して証拠を残さず消え去る〟には、うってつけのシチュエーションである。
妙に安心した気分になった私は、建物への侵入経路をチェックしたくなった。
嫌な癖が疼く…。


靴を脱いで土間から建物に入った。


先ず現れたのは囲炉裏のある広いスペースだった。
囲炉裏を中心にして、床に座るタイプのテーブル6つが取り囲んでいる。
ダイニングルームだろう… ちょっとしたレストラン並みの広さだ… 吹き抜けの天井を縦断する太い梁が印象的である。
床に座るスタイルのバーカウンターもあり色々な酒瓶が並んでいる。
壁掛け式のテレビもセットされていた。


囲炉裏の部屋から廊下を挟んだ対面の部屋はフリースペースだった。


ガラステーブルを囲む様に、大きめのソファと一人掛けのソファが3つ設置されている… 棚には色々な小説や漫画、旅行雑誌、周辺の地図や観光パンフレットが置かれていた。
その中に ”周辺の広域地図” を見付けた。
こいつは使えそうだ。

フリースペースの隣の部屋には〝従業員専用〟と書かれたプレートが貼られていた… 部屋にはソファセットと何も置かれていないスチール製の網棚にパソコンデスクがあった。
休憩ルームだったのだろう。


その先に男女別のレストルームがあった。


男性用には小便器が2つ、個室が2つ。
洗面設備が2つ… 個室の便座は温水シャワー付きである。
どれも汚れやシミ一つ無い。
とても清潔なレストルームである。


玄関へと戻ると布が吊り下げられている扉があった。


中を覗くと… 厨房が作られていた。
全ての調理設備には白い布が掛けられている。
広い土間の半分を潰して厨房にしたのだ。


「建物チェックですか?」
「ああ。悪い癖でね。やらないと、どうも落ち着かない。」
「衛生通信システムのケーブルは1号室に引いてあります。」


得意げに、たくさんの鍵が付いたキーホルダーを手渡してきた。


〝お部屋はこちら〟との案内ボードが吊り下げられた廊下を進む… その先には向かい合う形で客室が4つあった。


1号室のキーを使って部屋に入った… 広い畳敷きの部屋である。
懐かしい様な牧草の香りが心地良い。
低いテーブルに向かい合うようにして座布団が敷かれている。
窓際は板が敷かれており、小さなテーブルと椅子が置いてあった。
テレビは無く、一段高くなっている板のスペースに金庫が置かれていた。
掛け軸には、鶴だろうか? 線の細い鳥が描かれている。

エアコンダクトから衛星電話用パラボラアンテナのケーブルが引かれていた。
部屋にバックパックを置き、廊下を奥へと進んだ。

廊下の突き当たりには〝浴室棟はこちら〟と書かれた扉がある… 足下は土間と同じ作りになっていて、サンダルが置いてあった。
扉の内鍵を開けて外に出た。


・・敷石が敷かれた先にログハウス調の建物が見える。
取り敢えず、あの別棟も確認しなければならない(笑)


〝浴室棟〟とシールの貼られた鍵を使って、ログハウス調の扉を開けた。
扉から脱衣場が直接見えないようになっている… 脱衣場には3人用の洗面台があった。 体重計や大型の扇風機、木製のテーブルセット、レストルームまでセットされている。

平仮名で大きく〝ぬ〟とだけ書かれた札の取り付けられた扉を開けた…

溶岩を彷彿させる岩のオブジェが目に飛び込んできた。
浴槽は地面に深く掘り下げられており、窓からは山の頂が見える… 凝った演出である。
オーナーの拘りを感じさせた。


ひとまず、ダイニングルームに戻った。
神田警部補が勝ち誇った表情で囲炉裏の側に座っている。


「納得できましたか?」
「ああ。侵入と脱出経路は確認できた。 玄関、浴室棟への扉、厨房裏の勝手口の3カ所だ。」
「ライフラインは開通してます。 直ぐに生活できますよ。」
「バスルームも??」
「もちろん、入れますっ! 掃除は必要ですけど。」
「それは楽しみだ。」


神田警部補は〝どうだ〟と言わんばかりに胸の前で拳を握った。
しかし、こんな大掛かりなアジトを接収する許可が出たとは驚きだった。
”アジト” と言うよりバケーション施設である(笑)


「銀行の物件を接収するとはね。」
「風間一尉が撮ってくれた映像のお陰です。」
「…あれは拷問映像だぞ。」
「でも、あの映像が証拠になったんですよ。 王恭造が自衛隊員をスパイに仕立て上げてるって。 オマケに石井准陸尉は王恭造と親子の盃を交わしてました。 私達の任務は、風間一尉への協力任務にプラスして、王恭造と中国スパイの監視捜査へ格上げになったんです。 予算と権限を貰いました(笑)」


あの映像を他の誰かが見たという事か… 
胸騒ぎがした。


「暗くなるまでに敷地の外周をチェックしておきたい。」
「気になりますか?」
「ああ。敷地が広大だ。外周だけでも確認しておきたいんだ。」

「・・・僕も付き合います。」


私達は古民家の玄関から山頂に対して ”時計回り” で敷地を探索した。


古民家は山の暖斜面を石垣で平地にして建てられている… 表門からは麓の集落や茶畑を見下ろす事が出来た。


古民家に対して…

東側 鬱蒼とした森
西側 大きな岩だらけの小山
南側 玄関と日本庭園
北側 山の頂上方面 …4つに仕切られた広大な裏庭


玄関から出て西側の木の生えていない岩肌に向かって歩いて行くと、人の背丈の3倍以上はあろうかという巨岩に鉄製の扉が取り付けられている場所があった。


「防空壕の跡ですかね? …でも、こんな山奥には必要ない。」


その通りだった。
今も昔も、こんな辺鄙な場所を爆撃する意味は見つからないだろう。
しかし、大きな南京錠で施錠してある… 興味が湧いた。
キーホルダーから、南京錠らしき小さなキーを選んで差し込んでみる・・・解錠できた。


鉄の扉を開く…


左の壁面には薪がガッツリと積まれていた。
手前のスペースには薪割り用の斧やノコギリ、藪払い用の牛刀、DIYの工具セットなどが置いてある。
右の壁面にはステンレス棚が置かれており、様々なバーベキュー用品や業務用調味料、炭などが置かれていた。
テント2張り、マット、ブルーシート、寝袋、折りたたみ式のテーブルや椅子、天体望遠鏡まで保管されている。

裏庭のテントサイトや厨房で使う備品庫だろうか。


「凄いな。キャンプ道具一式が揃ってるぞ。」
「そういえば、裏にキャンプサイトがありましたね。」
「ペンションでキャンプとは可笑しな話だよ。」
「今、日本じゃグランピングが大流行してます。」
「グランピング?」
「はい。自分じゃ何もせずに、テントで飲み食いするっていうスタイルです。」
「・・意味が分からんな。」


倉庫は意外なほどの奥行きがある。
窪みというよりは、ちょっとした洞窟だった。


洞窟のほぼ中央部分の天井に裸の電球がぶら下がっている… ソケットスイッチを捻ると明かりが点いた。
ここから30mほど奥には更に窪んだ場所が見えた。
電球の明かりが奥まで届いていない。

興味に駆られた私は近付いてみた…

窪みの上部に藁を編んだ太い紐が吊されている… 注連縄(しめなわ)だろうか。
その下に人の膝までの大きさの〝石のオブジェ〟らしき物と〝白い石像〟が並べられていた。

何故か、とても興味がそそられた… 

周囲は綺麗に手入れされており、小さな木の食台に白い陶器の小さな皿が置いてあるのだ。
照明の効果もあって〝(まつ)られている〟というオーラを発している。
引き込まれるような変な感覚になった… 無意識に足が前に出た。
とても懐かしい様な暖かい気持ちになってゆく…。


「風間一尉、どうしました?」
「・・・」
「風間一尉?」


一瞬だが眩暈(めまい)のような感覚に襲われた。
視界が歪んだような錯覚に陥った。


「・・・ああ、…これは墓か?」
「うーん、どうでしょう。 日本には、こういった(ほこら)道祖神(どうそしん)の石像がたくさんあるんですよね…」
「神を祀っているという事か?」
「ええ。 土地の守り神だったり、鬼門封じだったり様々です。」
「神聖な物という事か。」
「そうですね。」


日本にはたくさんの神が信じられていて、火や水、木や岩の神様まで信じられていると母が言っていたのを思い出した。


「そうか・・了解した。戻ろう。」


岩穴の倉庫を出ようとした時だった。
後頭部を引っ張られるような感覚に襲われた… 強い眩暈(めまい)がしている…。


「風間一尉? ひょっとして車酔いですか?」


うねった林道を ”のっぺらぼう” は上下左右に激しく揺らして走っていた。
それに、緊張感を張り巡らせていたのだ。
平衡感覚がおかしくなっているのだろうか?
だが、砂漠の未舗装道路を疾走するハンヴィーの揺れに比べれば天国の様な道だった… あれしきの高低差にやられたとしたなら、どうやら私も焼きが回ったらしい(笑)


「いや…大丈夫だ。行こう…」


私達は古民家の裏側(北の山頂方面)へと向かった。


途中、竹林の中にウッドデッキで正方形に仕切られたテントサイトが2カ所。
古民家ペンションの裏庭にテントスペース… ちょっと、意味が分からない。

竹林で挟まれた通路を抜ける…

すると、木と竹で作られたゲートが現れた。
ゲートには裏庭の地図が貼られた立て看板が設置されている。


立て看板の地図によると…


左上 〝冒険の森〟(昆虫王国・森の散策路)
右上 〝運動広場〟(ロッククライミング・アスレチック・芝生・ドッグラン)
左下 〝水の広場〟(湧き水・ビオトープ・ジャブジャブ池・キノコの楽園)
右下 〝花と菜園〟(お花とお料理の野菜類は、この畑で採れたものです。) 


古民家の裏手には、広大な敷地が広がっていた。
敷地が広過ぎて全体を目視する事が出来ない…。


古民家の裏手にあるゲートを出て北の裏庭へと向かう石階段を下りた。


十文字の通路の正面には山頂が見えている。
立て看板通りであるならば、現在位置から見て左側は ”水のエリア” だ。
下草を掻き分けながら進んだ…


〝水の広場〟には、その名の通り清水が引かれていた。


急峻な岩の斜面にある隙間から渾々と水が湧き出している… 山の恵みだ。
水の湧いている岩には〝飲用可〟と書かれた板が取り付けられている。
此処から流れた水が溜められたビオトープのエリアには、モスキート・フィッシュがたくさん泳いでいた。
その先には水遊び場らしきスペースと釣り堀が作られている。
水の広場は自然の岩場なので、身を隠す場所がたくさんあった…。


更に奥へと進んだ。


しばらく歩くと、木に似せたプラスチック製の杭と獣対策のネットが張られている… 土地の境界線だろう。
杭とネットは人の背丈ほどある石垣の上に作られており、石垣の下には〝沢〟が流れている。
石垣は〝沢〟の流れに沿って、北の山頂方面へと続いていた。
”裏庭の西面には湧き水があり、石垣の下には北方向へ沢が流れている”
頭にインプットしながら、石垣に沿って北へと進んだ。

暫くすると砂利道に出た。

此処から先は〝冒険の森〟エリアだろう… 深い森である。
ゲートの看板に〝昆虫採集〟と〝森の散策路〟と書いてあったのを思い出した。
暫く森の中を石垣沿いに進む… すると、獣避けネットが直角に右方向へと曲がった。
敷地の北面に到着したようだ… 北面も人の背丈ほどの石垣が作られている。
石垣の下には沢が流れており、その先は枝打ちはされていない自然の森林だった。
下草も生い茂っている。


北面の石垣に沿って東へと進んだ。


また砂利道に出た。
ここは十字通路の最北になる場所である… 振り返って南へと延びた坂道の下に目をやると、古民家と裏庭の全景が見えた。


「北にある稜線の向こう側に王恭造の別荘があるんだな?」
「そうです。」


稜線の標高は1000m以上ある…
山頂部分はそれ以上になるという事だ。

北面の最奥部は山頂に向かってせり上がる地形になり、敷地全体と古民家を見下ろす形になっていた。
沢が堀のようになっていて石垣が目隠しの様になってはいるが、石垣を登ってしまえば敷地全体を見渡せるのである…。
古民家は北側から攻めやすい地形になっていた。



北面の石垣をネットに沿って東へと進んだ。
すると… 子供の背丈ほどしか無い ”小さな神社” らしき建物が現れた。


「これは何だろうか?」
「…(やしろ)ですね。」


(やしろ)の中には長い年月を窺わせる ”石像” が安置されている。
風化してしまっている表情からは何を模しているのか分からなかった。


「仏像とかに興味あるんですか?」
「…いや、ここにある意味が分からないと思ってね。」


神田警部補は周囲を見回している…


「立て看板に示してあった方角からすると、ここは ”北東” ?」
「そうだ。」
「…ならば、この石像は ”鬼門封(きもんふう)じ” だと思いますよ。」
「鬼門…?」
「北東の鬼門を封じて地域を護った、つまり… その昔、この辺りには護りたい何かがあったのかも知れませんね。」


神田警部補は ”鬼門” と ”陰陽師” について詳しい解説をしてくれた。
古代の日本では ”北東にある鬼門から邪気や悪霊が入ってくる” と信じられていたという。
とても興味深い話だった。
簡単に言い表すのであれば ”北東は縁起の良くない方角” になるとの事である。


「詳しいんだな。古代日本か… もっと話を聞かせてくれ。」
「そう言ってくれると嬉しいです。」


この後、私は ”古代日本の信仰” についての講義を受けながら残り部分の探索を行った。
裏庭の探索を始めた時は退屈そうだった神田警部補だったが、日本神話の語っている時の表情は活き活きとしている。


探索の結果… 裏庭の概要が判明した。


1. 敷地の3方向が人の背丈ほどの石垣で囲われている。
2. 西側と北側にかけて沢が流れている。
3. 敷地は十文字の通路できっちりと4つの区画に別れている。
4. 区画はそれぞれがアメフトコート以上の大きさがある。


綺麗な湧き水、自家菜園、花畑、昆虫採集にアスレチック…
山をここまで作り上げるには大変な努力が必要とされただろう。
廃業するのは勿体ない気がした。


「何故、経営不振になったんだろうな。」
「勿体ないって感じてます?」
「ああ。森をこれだけの庭園や菜園に作り替えるのは、とんでもない労力だ。」
「そうなんですよね…。でも、費用対効果が低すぎるんですよ。」
「何故だ? 季候も良いし、自家菜園だ。自然の中で子供達も遊べる。」


神田警部補は少し悩んだような表情をしている。


「自家源泉を持っているのに4部屋しか無いんですよ。 それに、これだけの時間と金を投資したとしても全体的に的外れ感たっぷりです。 ”山奥の秘湯” っていう演出と宣伝で付加価値を付ける方向で経営すれば、客単価も上げられたんでしょうけど。」


どうやら、私にも経営センスは無いみたいである。
大金を持って投資を始めたら、失敗して大損するタイプの人間なのだろう(笑)


「日が暮れる前に車から荷物を下ろしちゃいませんか? ブツが気になって仕方が無くて…」
「そうだな。」
「風間一尉の武器ケース、どの部屋に運びますか?」
「部屋? 外の倉庫がいいだろう。」
「…そうですね。扉もしっかりしてたし。」


燃えやすい茅葺き屋根の古民家に弾薬類を置くのは気が引けた。
天然の岩穴を利用した倉庫があるのなら、そこに置くのがセオリーだろう。
鉄の扉とコンクリートの養生がされた作りなので浸水の心配も無い。


私達は駐車場に戻った。


先ず、警備部②と書いてあるボックスと自衛隊仕様のコンテナボックスを古民家内のフリールームへと運んだ。
最後に銃器と弾薬類が入ったハードケースを〝岩穴の倉庫〟へと慎重に運び入れた。


「ここの管理はお願いします。」
「分かった。」


キーホルダーから鍵を外すと私に渡してきた。
全てのボックスを運び終えた神田警部補は、これで一安心といった様な表情をしている。


その時だった…


後頭部を引かれる様な強い眩暈に襲われた。


「風間一尉、大丈夫ですか? 疲れてます?」
「いや・・ああ、少し疲れているのかも知れない。」





〝ドドドッ・・ドドドドドドッ・・・〟





遠くから波打つような耳鳴りがしている…


眩暈が落ち着いてくると耳鳴りではない事を理解した。
この音はバイクのエンジン音である。
・・・駐車場で止まったみたいだ。


神田警部補のスマートホンが鳴る。


「 ・・・ 白壁と門が見えますか? ・・潜り戸は開けてあります。」


暫くすると全身黒ずくめのライダーが現れた… 大きなリュックを背負っている。
あの林道をバイクで来たのだ… 運転テクニックも相当な腕前である。
グローブを外し、〝SHOEI〟と白文字で書かれたフルフェエイスを脱ぐと、綺麗な黒髪が流れ落ちた。


「アジトと言われたので来てみたら… 研修旅行に来たのかと思ったわ。」
「風間一尉のお陰でたっぷり予算が付いたんです。なんちゃって(笑)」
「早速ですけど状況を説明して貰えるかしら。」


百地三佐は神田警部補の ”(おど)け” を華麗にスルーした。
神田警部補はバツの悪そうな表情をしている。


「・・・あ、はい。 王恭造の秘密別荘の入口道路まで案内しました。その後は、ここの敷地内を確認して、武器ケースを危険物倉庫に運んで… 現在に至るって感じです…。」


土間でブーツを脱いだ百地三佐は興味深そうに見回している。


「中島警視は?」
「根津組と石井准陸尉の動きを張ってます。」
「…そう。」


ダイニング・ルームへと案内された百地三佐は、髪の毛をポニーテールに結ぶとライダースーツのジッパーを胸元まで下げた。


「あ、着替えたいですよね…?」
「…そうね。」
「部屋割りを決めちゃいましょう。 1号室は通信設備があるので、それ以外ならばご自由にどうぞ。 百地三佐から選んでください。 レディ・ファーストです。」


神田警部補はそう言うと、キーのたくさん付いたホルダーををポケットから取り出した。


「拝見させて貰おうかしら?」
「はい。…あ、それと、頼まれたボックスは廊下に置いてありますんで。」
「ありがとう。」
「いえ。どうぞ、ごゆっくり。」


百地三佐はキーを受け取り、黒のリュックザックを肩に掛け、部屋へ続く廊下を歩いて行った。
神田警部補は百地三佐の後ろ姿を目で追っている。


「百地三佐、すんごい色っぽいですよね。」
「そうだな… おい、馬鹿な気起こすなよ。」
「当たり前ですって! ただ、格好良くって艶っぽい女性っていいなぁと。」
「…うん。それは同感だ。」
「ですよねぇ~(笑)」


年上の女性に憧れる… 男ならば一度はやって来る。
そういう時期なのだろう。


「俺は風呂の掃除をしてくる。」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。その間に〝自分が此処を攻めて俺達を仕留めるならばどうするか?〟って事を考えてみてくれ。」



私は ”高い期待度を持って” 浴室棟 へと向かった。



先ずは浴室内の清掃からである。
岩風呂の浴槽はもちろん、浴室内の備品までも洗剤とハンドブラシを使って徹底的に洗い流す… 浴室の床はデッキブラシで入念に擦り上げた。


掃除に取り掛かる前から気になっていた赤いレバーの切り替えバルブ…。


これを捻れば温泉が出るのだろうか…?
レバーに触れてみた。 …暖かい。
鉄の配管部分は温かいというよりも熱いと感じる程である。
赤い切り替えレバーを矢印の方向へと向ける… 岩の間から ”コポコポ” と水の流れる音がした後、岩の隙間から無職透明の湯が湧き出てきた。


”岩の割れ目から湧き出た湯が、地面に掘り下げられた浴槽に流れ落ちる”


オーナーの拘りを感じさせる演出である。
しかし、神田警部補と敷地を見回った時、古民家の周囲にボイラーらしき設備は無かったのだが… どうやら、自然に湧いている温泉を掛け流している。
私の期待を予想以上に上回るも代物であった。


脱衣場出ての壁に目をやると ”温泉分析書” なるものが額縁に入れられているのに気付いた…


泉質 硫酸塩泉  ph値 2.93
効能 切り傷 火傷 皮膚炎… 美肌効果…


美肌効果?
百地三佐が喜びそうな効能である。


レディも使う浴室なのだ… どうせならば気持ち良く使ってもらおう。
やる気の出た私は、脱衣場の洗面台から床まで新しいタオルを使って拭き上げてやった。
自分で言うのも何なのだが ”ほぼ完璧” である(笑)


浴室棟の掃除が終了した頃、脱衣場は ”何かを燃やしたような 香り” がしている事に気が付いた。


浴室の扉を開けると熱い湯と共に ”何かをもやしたような香り” で満たされている。
神田警部補と敷地を見回った時、浴室棟の周囲にボイラーらしき設備は無かった筈である。
…もう一度、浴室棟の周囲を確認してみた。
やはりボイラー設備は無い。

つまり、この自家源泉は ”加熱されていない” 事になる。
この ”何かを燃やしたような香り” は湯自体から発せられたものなのだ。
私の期待を予想以上に上回る代物であった。


任務で使う場所だというのに、私はバケーションに来たかのような錯覚に陥ってしまった。
”今は任務中だ” 何度もと言い聞かせながら古民家へと戻った。


ダイニング・ルームへと向かうと、先程まで開かれていた廊下のガラス窓はカーテンで閉じられている。
庭に面したガラス扉には使わないテーブルがバリケードの様に横倒しにした状態でセットされていた。

囲炉裏のある部屋には大きなテーブル一つだけが残されており、1階の窓は全てカーテンが閉められている。
玄関ドアに繋がる通路にもテーブルを倒しバリケードを設置していた。
照明も必要最低限の物しか点灯させていない。

カーテンから庭園を覗いてみた。

庭園の照明は消されている… フロントにあるスイッチを確認すると門灯・裏庭と書かれたスイッチ類もオフにされていた。
振り返ると、神田警部補は〝やってやったぞ〟という表情でこちらを見ている。


「やり過ぎですかね?」
「上出来だ。」


やり過ぎの様に思えるかも知れないが、古民家ペンションの広大な裏庭は山頂方面から攻めれば見下ろせる地勢なのだ。
攻める側にとっては〝撃ち下ろし〟であり、身を隠す場所も無限にある嫌な地形なのである。
此処を〝アジト〟にするのであれば、ウィークポイントは潰しておかなければならない。


「…心配性なタイプなんですね。」
「やれる事はやっておきたい性分なんだ。 」


神田警部補は意外だという表情をしている。


私が戦場で生き残れたのは心配の種を一つでも多く潰して行動してきたからだ、という言葉を飲み込んだ。

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