第25話 光風霽月
文字数 8,982文字
「おはよう御座ぇます。」
「おはよう。」
千代が食事を乗せた小さいテーブルを運んできた。
これは〝おぜん 〟で、朝食の事は〝あさげ 〟と呼ぶそうだ。
それにしても…〝赤黒い色をしたライス〟と〝根菜の煮物〟のインパクトが凄い。
どちらも山盛りだ。
「こんな色をしたライスは初めてだ。」
「アメリカじゃ黒米 は無いわよね。日本でも黒米を出す店は少ないわ。」
「ああ。生まれて初めての体験をしてるよ。」
祖父母や母からも〝黒米〟なるライスの話は聞いた事がなかった。
習志野駐屯地の近くにあったマーケットで〝赤飯〟なる物が売られていたが、それの比ではない程に黒いのである。
お椀を手に取り色々な方向から観察してしまった。
「黒米 はビタミン・ミネラル・食物繊維まで、人間が生きる為に必要とされるほとんどの栄養素を含んでるの。完全栄養食ね。中世の日本人が素食でも長生きできたのは、黒米があったからと言われているのよ。」
「…そうなのか。」
焼き魚、貝の味噌スープは分かるが・・・ ニンジンやシイタケと一緒に煮てある〝穴の空いた野菜〟は一体何なのだろうか?
「それに〝味噌〟と〝ぬか漬け〟に〝納豆〟、日本人が生み出したスーパーフード。大豆から良質なタンパク質、発酵食品からは酵母菌や乳酸菌・納豆菌を摂っていたの。 肉をほとんど食べなくても充分な栄養素とカロリーを確保していたって訳。」
同じタイミングで味噌スープのお椀に手が伸びた。
一口飲んで、お互いに目を見合わせてしまった。
深い味わいがある。
「出汁が凄いわね・・・美味しい。」
この味わいは〝出汁 〟というらしい。
欧米の料理には無い〝旨味〟だ… 貝の風味と合わさって旨味を際立たせている。
ハマる美味さだった。
黒米を口に運ぶ… 香ばしさが前に出ていた。
魚や煮物、ぬか漬けとの相性は悪くない… 色に慣れれば大丈夫だろう。
私は大盛りの〝黒米〟をかき込んだ。
「黒米はよく噛んで食べた方がいいわ。 食べ慣れていないとお腹をやられる。」
どうやら、百地三佐は〝黒米〟を食べた事があるのだろう。
指摘通りの〝固さ〟がしっかりとあった… モチモチとした食感がとても強い。
よく噛んで食べろというアドバイスに納得した。
「…了解。アドバイスありがとう。」
「どういたしまして。」
・・・私は黒米を噛みしめながら、私の提案として〝誘き出し作戦〟が始まった事を考えていた。 同時に〝岩穴の倉庫〟で起きた〝歪み〟の事も考えていた 。 この城に滞在している間に元の時代へと戻る方法は見付けられるだろうか。・・・
〝あさげ〟を終える頃、千代がお茶を運んできた… 例の香ばしくて美味いお茶だ。
私は一気に飲み干した。
「もう飲っ込みんしたか。もう一杯、持ってきますに。」
「ありがとう。頼むよ。」
「はいぃ。」
和やかな笑顔で土間に下りて行った千代は、お盆に二つの茶碗を乗せている。
私の御膳を下げると、お椀を新しい物に取り替えた。
「奥方様のも此処に置いておくでね。」
奥方様と呼ばれた百地三佐は頬を赤らめている… 俯いてしまった。
反面、千代は何の疑問も感じていない様子だった 。
愛嬌のある笑顔を振りまきながらテキパキと配膳をしている。
「奥方様? 御膳は… 下げてもいいだかね。」
「あ、ご馳走様です・・・」
奥方様の二連発を喰らった百地三佐はモジモジしていた… 。
そんな百地三佐を尻目に、千代はマイペースで後片付けをしている。
ティータイムを楽しもうとしていた矢先、作左衛門が土間から声を掛けてきた。
「旦那様、お頭からの使いが来ておりますき。」
私は縁側に向かった。
そこには簡素な赤い鎧を身に着けた男が立っていた… 私の姿を確認した男は片膝立ちになり、右手を太股へと乗せている。
「お頭からの伝言で・・・〝又右衛門が登城した故、本丸御門まで御足労願いたい〟との事。」
「早いな・・・分かった。直ぐに向かう。」
「はっ。」
男は一礼すると踵を返した。
「楓殿、鳴子が届いたぞ。行こう。」
「了解。」
私達は本丸御門へと向かった。
石階段の下に大きな荷車が見える… 赤鬼と又右衛門達が農民達と談笑していた。
荷車には大きな麻袋が三つ乗せられている。
「おう、風間殿! 又右衛門が本当にやりおったわい!」
又右衛門が麻袋の口紐を開く… 形や大きさ、板の色はバラバラだったが、全ての麻袋にはみっちりと鳴子が入っていた。
百地三佐は鳴子を手に取って振っている… 〝カラカラ〟と楽器の様な音を奏でていた。
百地三佐が微笑むと、荷車を押してきたであろう農夫達は得意げな顔をしている。
「これで本丸の護りは鉄壁になろうぞ。 又右衛門、村の衆に礼を言ってくれ!」
「本当に作ってくれたんだな。ありがとう。」
「…鈴木又兵衛門、二言は御座いませぬ。」
又右衛門も得意満面だった。
一晩で500個の鳴子を作らせる事が出来る〝庄屋〟と領主を護ろうとする領民達… 私はアフガニスタンの村を思い出した。
〝何かの為〟や〝誰かの為〟に一致団結出来る集団は強い。
赤鬼の大きな笑い声が響いた… 小躍りしそうな勢いで喜んでいる。
目を細めて赤鬼を見ていた又右衛門の視線に力が込められた。
「若様は… お変わりないのでしょうかの?」
又右衛門の視線に赤鬼は過敏に反応している…。
これは本心か?
それとも芝居なのだろうか?
「ああ… 変わりは・・ないが、如何した?」
「御城に上がる途中、評定衆の板倉様も仰っておりました… 何やら… 若様への御目通りが叶わぬと…。」
赤鬼の表情が固くなる…
「ああ… 儂らの思いは…必ずや届く… うむ・・・。」
「おい。」
私が声を掛けると赤鬼は芝居掛かったリアクションで額に手を当てた。
「又右衛門、改めて礼に参る! 儂は忙しい故・・・失礼するぞ。」
そう言うと配下の者に命じて麻袋を運ばせ、石階段を上って行ってしまった。
赤鬼の芝居は絶妙だったが、又右衛門の探る様な視線が私へと向けられている。
「風間様、早朝より神社や寺で若様の為に加持祈祷が行われておりまする。 心配するなと言われましてもな… あれでは村の衆は浮き足立ちまする。」
「又右衛門。…分かってくれ。」
「・・・何か策がお有りなのでしょうか?」
又右衛門の視線が鋭くなった。
この男は本丸で〝何かが行われている〟事を察知している様子である。
それに…城下への〝殿容体急変の噂〟は思った以上に早く流れているらしい。
大袈裟にせず、話に信憑性を持たせる言葉を探した…。
「殿は俺達で護ろう… 今、浮き足立っては敵の思う壺。村の皆を纏めてくれ。」
「・・・分かり申した。」
又右衛門は振り返ると、荷車を押してきた農夫に身体を向けた。
「皆の衆、今見聞きした事は他言無用じゃ。良いかな。」
農夫達は畏まったように頭を下げている… が、一様に不安な表情で顔を見合わせていた。
農夫達の表情から察するに、村の人々は殿の容体を気に掛けている様子だ… 私が思った以上の効果が出ているのだろう。
又右衛門一行は、それ以上何も言わず荷車を押して戻っていった。
私は本丸へと向かった。
中庭では百地三佐がテグスを伸ばして鳴子を括り付けていた。
テグスを見ている誉田と赤鬼は目を皿みたいにしている…。
「楓殿・・・これも異国の物で・・・御座るかな?」
「まあ、そうね。」
「透き通った細紐で・・この様に細くとも驚くほど丈夫じゃ。」
赤鬼はテグスの端をくるくると手に巻くと、数メートルほど下がってゆく。
伸びたテグスには等間隔に〝鳴子〟が取り付けられている。
「輝明よ、見てみい… まるで鳴子が宙に浮いているみたいじゃのぉ…」
「これは・・・ これならば、昼間でも仕掛けに気が付きますまい。」
「テグスに付けた鳴子、これは館に仕掛けようぞ。」
「そうしましょう。」
赤鬼と誉田はテグスに夢中になっている…。
その後ろには誉田の配下である見廻組、赤鬼配下の先手組、それに中間衆達が3つのグループに分かれて地べたへと座り込んでいた。
集められた者達は〝何をしたら良いのか?〟といった表情を浮かべている。
軍隊の縦割り組織を如実に現わしている光景だった。
「なぁ、みんな。誉田殿と赤鬼殿、それに作左衛門が〝鳴子の仕掛け〟を考えてくれた。鳴子の仕掛けが最も効果を発揮するにはどうしたら良いか、俺達に教えてくれないか? 」
そう伝えると… 皆が一様に〝キョトン〟とした表情へと変わっていった。
「この図面を元にして、敵が侵入してきた事を知らせる罠を仕掛けたいんだ。思った事があれば遠慮無く言って欲しい。」
一人、また一人… 戸惑った様な表情をしながらも、弓避けに広げられた絵図面の周りに集まって来ている…。
暫くの間、絵図面を凝視する時間が流れた。
「地面さぁ、ぶっ刺す杭が必要になるだら・・・」
「・・・そうじゃのぉ。 先んずは杭だぁ。」
作左衛門が私に視線を送って来ている… 悪戯っぽい微笑みを見せた。
どうやら、役割分担が決まった様子である。
「紐さ鳴子を結んでる間にぃ、杭さぁ切り出すべぇよ。」
作左衛門の一言を切っ掛けに〝ガヤガヤ〟と話し合いが始まった。
兵の小頭と中間衆の小頭達が何やら話を始めた… 中間衆達が荷車に積んであった材木を板状に切り出し始めている。
切り出した杭に金槌と鑿 を使って、テグスや縄を通す穴を開け始めるグループも現れた・・・皆、職人のような手捌きである。
一刻(2時間)ちょっとで大量の杭が完成した。
誉田は小姓達を連れて、殿の部屋に向かう廊下に〝テグス〟を仕掛ける場所を指定していった。
後ろに付いていた作左衛門は廊下の左右に杭を刺す印を付けている。
誉田の指示を受けた年若の小姓が脛の真ん中ほどになる様にテグスを伸ばしている… 中庭に下りた作左衛門が鳴子を結び付けたテグスを廊下の縁 部分へと取り付けた。
…すると、〝八右衛門〟と名乗る中間衆の男から〝そこは月明かりに照らされる〟という指摘が上がった。
急遽、鳴子を床板の下に設置する事になった。
誉田は嫌な顔一つせずに、自らテグスを張り直している。
「誉田様。そんなに張っちゃあだめだぁ。もっと撓 ませんと。」
再び中間衆から指摘が出た。
鳴子が吊された状態では〝適度な撓 み〟が重要なのだと言う。
撓みが無ければ、充分に鳴子が揺れず音量が出ないそうだ。
誉田は中間衆の指摘を素直に聞きながら、トラップを完成させた。
「・・・では、試しましょう。」
誉田は長い廊下を戻り、小走りで此方へと進んで来た… テグスに引っ掛かる… テグスは切れる事なく〝カランカランカラン〟と楽器を思わせる音を奏でた。
作業を見守っていた足軽達からは〝おおぉ〟という感嘆の声が上がっている。
自分の提案が通った中間衆達は手を叩いて嬉しがっていた。
「完璧ね。床下で音が反響してる。これなら館の裏まで届くわ。」
「鳴子の仕掛けは昼でも外からは見えぬ… 完璧で御座るな。」
「八右衛門さん、貴方達の提案は素晴らしいわ。」
楓殿に褒められた〝八右衛門〟は顔を真っ赤にしている。
相当、嬉しいらしい(笑)
「よし。 次は裏庭で御座るな。」
昨日、〝忍びの者の視点で割り出したポイント〟へと向かった。
兵達と中間衆達は工具や材木を乗せた荷車を押しながら後に付いて来ていたが、弓避けの盾に絵図面が広げられると〝指示〟が出る前に集まってきた。
私は再度、〝自分が忍びの者だったとして、やられたら嫌な事を考えてくれ〟という事と、〝思った事は遠慮無く申し出てくれ〟という2つのお願いをした。
すると、見廻組の兵から…
「此処は目立つからテグスを張り、鳴子を結んだ縄は植え込みや木の陰に隠そう」
「篠竹の部分を中庭に向ければ塀の上からは目立たない」
「篝の真下は意外と暗い」
…などという提案や指摘が自然に上がった。
私が礼を言うと提案した者達は腕を組んで見せた。
自分の提案が認められたからだろうか、嬉しそうである… 得意満面の者もいる。
「あのう… ちょっと、…いいですかの?」
古株の中間衆が遠慮がちに手を上げている…
「どうした?」
「へい。・・・大井戸さ毒を入れられよったら、み~んな御陀仏だら。」
見廻組の兵達も〝その通り〟という表情を送っている… 誉田も賛同していた。
赤鬼も〝感心した〟と言いたげな表情で大きく頷いている。
誉田の鶴の一声で、大井戸には専任の〝見張り番〟を付ける事になった。
「井戸に毒か… 完全に見落としていたよ。…名前は何と言うんだ?」
「へい。・・・伊之助でごぜぇやす。」
「伊之助、ありがとう。これで皆、安心して水が飲める。」
「・・・善くぞ言った。儂からも礼を申すぞ。」
赤鬼に褒められた伊之助は、先程とは全く違う表情で〝どうだ〟とばかりに腕を組んで自慢気にしていた。
ふと、周りを見渡すと… 最初は3つのグループに分かれていた集団だったが、今では入り交じって作業を始めていた。
皆の表情が和やかになっている気がするのだが… 気のせいだろうか?
和気藹々とした雰囲気の中、赤鬼と誉田は実際に見廻りをしている兵達の意見を聞き入れながら鳴子を仕掛けていた。
仕掛け作業は順調に進んでいたのだが… 館へと続く小径の〝追い込みポイント〟で、ちょっとした問題が起きた。
見廻組の小頭が「〝見えない仕掛け〟を張り巡らされたら巡回に差し障る」と言い出したのだ。
・・・確かにその通りだった。・・・
それを聞いていた赤鬼配下の小頭が植込みの竹林から一本の青竹を切り出している。
器用な手捌きで〝竹筒〟を作った。
先を鋭く切り出した竹筒が大きな木槌で地面に打ち込まれる… すると、テグスが結び付けられている杭が竹筒に差し込まれた。
良く考えられた工夫ではある…
テグスが結ばれた杭を土に直接打ち込まずに〝竹筒〟へと差し込めば、簡単に仕掛けを外す事が可能なのだ。
日中は外しておく事で、巡回中に鳴子の仕掛けに引っ掛かる事はない。
それを見ていた誉田も悩んでいる様子だった。
「 誉田、どうした?」
「…仕掛けを〝元通りにした事〟を確認せねばならなくなり申す。」
・・・それも、その通りだった。・・・
兵や中間衆に〝思った事は何でも言ってくれ〟とお願いをしたのだが、日々の手間が増える結果になってしまっている。
言い出しっぺは私である… この手間は私が対処すべきであろう。
「それは暇人の私がやろう。他にやる事もない。」
「助かり申す。 風間殿に確認して頂けるとあらば安心で御座る。」
しかし、日中の巡回に於けるリスクは軽減するが、竹筒に差し込んだだけでは杭が外れてしまい鳴子の音が出なくなるかも知れないという特大のリスクが発生するのだ。
兵達には、鳴子が機能不全に陥る最悪のリスクを認識させる必要があるだろう。
「よし、小頭。…君達の提案は正解だ。 だが、竹筒に差し込んだ杭が〝足を引っ掛けても簡単に外れない様にする為〟には… どうすれば良いだろうか?」
そう私が問いかけると・・・〝巡回の邪魔になると言い出した小頭〟と〝竹筒の案を出した小頭〟が話し合いを始めた。
「風間様、竹筒は深く打ち込んで… もっと長い物にせんといけませぬ。」
そう言うと… 二人は〝長い杭〟と〝長い竹筒〟を切り出した。
長い竹筒を引っ張られる方向に逆らう角度を付けて地面へと打ち込んでいる。
竹筒の周りを大きめの石で囲んで重しにしていた。
造作を終わらせた二人が私に視線を送って来ている。
私が大きく頷くと、小頭達は目を見合わせた後に笑顔になった。
竹筒の仕掛けに納得した見廻組の小頭は、提案した先手組の小頭に礼を言っている。
礼を言われた先手組の小頭は〝まんざらでもない〟といった表情を浮かべていた。
「よし、今度は儂が試そう!」
赤鬼は城壁へ向かって剛毅に歩いて行き、此方へと振り返る… わざとらしく縄に引っ掛かり、滑稽に躓いて見せた。
植え込みに仕込んだ鳴子が盛大に合奏を始めている… 竹筒に差し込まれた杭は抜けてはいない。
全ての櫓から一斉に弓が振り上げられている。
鳴子の音が聞こえたというサインだった。
「赤鬼さんは役者の素質があるわ。」
「愉快な男だ。」
私達の話を聞いていた兵達から笑いが起きている。
笑い声に乗せられたのだろう、気を良くした赤鬼は他のポイントに向かい縄に足を引っ掛けてから〝ゴロゴロ〟と転がってみせていた… その度に、兵や中間衆達から笑い声が起きた。
櫓の見張り番からも笑い声が返ってきている。
「首尾は上々!」
砂で顔を汚しているが… 赤鬼は上機嫌だった。
「・・・では、肝心要に取り掛かろうではないか。」
「ああ。そうだな。」
赤鬼は図面を貼り付けた弓避けの前で仁王立ちになっている…
「皆の衆、集まってくれ。」
続々と絵図面の前へと集まってくる。
赤と黒の色分けはされていない。
赤鬼は〝侵入させる位置〟と〝仕掛けの意味〟を力説している。
誉田は図面を扇子で指しながら〝侵入してきた敵を追い込む方法〟を繰り返して説明した。
二人とも芝居掛かった身振り手振りだ。
それがより一層、聞いている者達の興味を刺激している。
敵を〝本丸へと続く小径〟へと追い込む段取りに至っては、見廻組と先手組の小頭達がより一層の真剣な面持ちで聞き入っていた… ちょっとした軍議だった。
中間衆達も興味津々といった表情で赤鬼と誉田の顔を見比べている。
「よいな。では、始めぃ!」
中間衆達が図面の通りに縄を地面に引いてゆく。
杭が仮止めされた。
見廻組の小頭が櫓へと登り、城壁の瓦へと下りてゆく… 縄の引かれている角度を城壁の上から細かく確認している… テグスでなければ目立ってしまうであろう場所も、塀の上から的確に指示を出していた。
・・・日が落ちる前に、なんとか全てのポイントに鳴子を仕掛ける事が出来た。・・・
私達は絵図面を見ながら本丸を一周して、それぞれの仕掛けを確認した。
篝に火が灯され始めている… 全ての篝が灯ると〝侵入させる城壁〟の瓦が暗がりになっている場所が見て取れた。
「篝を間引く案も大当たりで御座るな。」
「人や動物は暗がりに隠れとうなる性分。 楓殿は昼間に暗くなった事を考えながら策を練っておった… 大したものじゃわ。」
誉田と赤鬼の話を聞いていた小頭達も〝感心した〟という表情で大きく頷き合っている。
「…暗くなりましたな。 そろそろ頃合いかと。」
「うむ。 一度、試してみようぞ。」
「はい。」
誉田の指示で見廻組がスタンバイを開始している。
赤鬼は〝剛の者達〟が館の方へと戻って行ったのを確認した後、山側の〝侵入させるポイント〟へと向かって行った。
私と百地三佐は〝館へと繋がる小径〟の入口へと移動した。
「よぉ~し、参るぞぉ!」
そう言うと、侵入ポイントに張り巡らされたテグスに足を引っ掛ける… 植え込みの中から〝カランカラン〟という鳴子の合奏が起きた。
Gショックのストップウォッチをスタートさせた。
百地三佐も腕時計を確認している。
音の発生場所に一番近い櫓から弓兵が矢を射る真似を始めた… 次に、櫓の下にある〝詰め番所〟から槍を構えた兵達が飛び出して来る… 赤鬼は槍兵達から隠れる様にしながら、一番近い竹林の中へと飛び込んでいった。
竹林の中でも鳴子が盛大に騒ぎ立てている。
鳴子の音で〝敵の位置〟が特定できていた。
槍兵達は音の方角へと向きを変えて突っ込んで行く。
勢い良く飛び出した赤鬼は城壁に沿って走り出した。
植え込みに逃げ込んだと思いきや、再び鳴子の大合唱が起きた。
走り回る度に鳴子の仕掛けに引っ掛かり居場所が特定されている。
やがて、前後からの槍兵に挟まれる形になり、中庭へと飛び出てきた。
上手いタイミングで横から別の槍隊が突っ込んだ…。
3方向から追い立てられた赤鬼は逃げ場を失い、館へと続く小径へと追い込まれてゆく… 小径の入口に仕掛けられたテグスに赤鬼の右足が引っ掛かった… それとほぼ同時に〝離れ〟の植え込みに繋げた鳴子が大合唱を始めている。
一瞬、赤鬼は立ち止まった。
振り返った先には… 槍兵達が半円状に隊列を整えて突進している。
戻れない事を確認した赤鬼は一目散に館への小径を駆けて行った。
私は後を追った。
赤鬼が〝離れ〟に差し掛かった所でストップウォッチを止めた。
ここまで2分27秒…。
これだけ時間があれば迎撃体勢は整えられる。
赤鬼は本丸へと向けて走り続けていた。
少し遅れて、館の方から〝剛の者達〟が抜刀しながら走り込んでくるのが見て取れた。
後方からは槍隊の穂先が追い立てている。
本丸の中庭に到着する遙か手前で、赤鬼は挟み撃ちにされた。
赤鬼が立ち止まり、両手を挙げている・・・此方へと振り向いた。
戯ける事のない真剣な表情だ。
「皆の衆ーっ。完成じゃあーっ!」
赤鬼の野太い声が響き渡った。
私が〝おう!〟と右手の拳を挙げて答えると、追い掛けてきた中間衆達からも盛大な拍手が湧き上がった。
すると、黒と赤の兵が進み出てきた。
竹筒の造作をした小頭達である。
両名とも誉田の前で片膝を付いている・・・。
「誉田様、申し上げたき事が…。」
「なんじゃ。遠慮無く申せ。」
「はっ。…本丸警護役、先手組も入れては如何かと。」
提案を受けた誉田は満面の笑みを浮かべている。
私に視線を向けると大きく頷いた。
「…相分かった。 孫六殿には私から申し入れよう。」
見廻組小頭からの提案で、本丸と館は〝赤の先手組〟との共同で警備を行う事になった。
戦術的に問題だった〝身内同士の蟠り〟は現場サイドからの提案で解消される事になったのである… これは〝盾の馬廻衆〟と〝矛の先手組〟に情報が同じタイミングで伝わるという事だ。
状況把握と対応スピードが格段に向上する事を意味した。
黒と赤の鎧、それに鉢巻きに襷掛けをした中間衆や剛の者達が入り交じりながら中庭へと戻ってゆく… 皆、自信に満ち溢れた良い顔をしていた。
誉田と赤鬼、作左衛門が歩み寄って来た。
「光風霽月 ・・・皆の顔付きが変わり申した。」
「風間殿が軍師であれば… 伊勢家は一層纏まるじゃろうに。」
「・・・孫六殿も、そう思われまするか。」
「儂が出来んかった事を一日でやってしもうたわ。…ちと、悔しいがのぉ。」
赤鬼は大きな笑い声を上げた。
「殿に準備は整うたと伝えて参れ。 儂は見廻の隊を作る故。」
「…承知。」
赤鬼は私達を一瞥すると本丸御門の方へと歩いて行った。
何故だろうか…
赤鬼の背中に哀愁に似たものを感じた気がした。
「おはよう。」
千代が食事を乗せた小さいテーブルを運んできた。
これは〝
それにしても…〝赤黒い色をしたライス〟と〝根菜の煮物〟のインパクトが凄い。
どちらも山盛りだ。
「こんな色をしたライスは初めてだ。」
「アメリカじゃ
「ああ。生まれて初めての体験をしてるよ。」
祖父母や母からも〝黒米〟なるライスの話は聞いた事がなかった。
習志野駐屯地の近くにあったマーケットで〝赤飯〟なる物が売られていたが、それの比ではない程に黒いのである。
お椀を手に取り色々な方向から観察してしまった。
「
「…そうなのか。」
焼き魚、貝の味噌スープは分かるが・・・ ニンジンやシイタケと一緒に煮てある〝穴の空いた野菜〟は一体何なのだろうか?
「それに〝味噌〟と〝ぬか漬け〟に〝納豆〟、日本人が生み出したスーパーフード。大豆から良質なタンパク質、発酵食品からは酵母菌や乳酸菌・納豆菌を摂っていたの。 肉をほとんど食べなくても充分な栄養素とカロリーを確保していたって訳。」
同じタイミングで味噌スープのお椀に手が伸びた。
一口飲んで、お互いに目を見合わせてしまった。
深い味わいがある。
「出汁が凄いわね・・・美味しい。」
この味わいは〝
欧米の料理には無い〝旨味〟だ… 貝の風味と合わさって旨味を際立たせている。
ハマる美味さだった。
黒米を口に運ぶ… 香ばしさが前に出ていた。
魚や煮物、ぬか漬けとの相性は悪くない… 色に慣れれば大丈夫だろう。
私は大盛りの〝黒米〟をかき込んだ。
「黒米はよく噛んで食べた方がいいわ。 食べ慣れていないとお腹をやられる。」
どうやら、百地三佐は〝黒米〟を食べた事があるのだろう。
指摘通りの〝固さ〟がしっかりとあった… モチモチとした食感がとても強い。
よく噛んで食べろというアドバイスに納得した。
「…了解。アドバイスありがとう。」
「どういたしまして。」
・・・私は黒米を噛みしめながら、私の提案として〝誘き出し作戦〟が始まった事を考えていた。 同時に〝岩穴の倉庫〟で起きた〝歪み〟の事も考えていた 。 この城に滞在している間に元の時代へと戻る方法は見付けられるだろうか。・・・
〝あさげ〟を終える頃、千代がお茶を運んできた… 例の香ばしくて美味いお茶だ。
私は一気に飲み干した。
「もう飲っ込みんしたか。もう一杯、持ってきますに。」
「ありがとう。頼むよ。」
「はいぃ。」
和やかな笑顔で土間に下りて行った千代は、お盆に二つの茶碗を乗せている。
私の御膳を下げると、お椀を新しい物に取り替えた。
「奥方様のも此処に置いておくでね。」
奥方様と呼ばれた百地三佐は頬を赤らめている… 俯いてしまった。
反面、千代は何の疑問も感じていない様子だった 。
愛嬌のある笑顔を振りまきながらテキパキと配膳をしている。
「奥方様? 御膳は… 下げてもいいだかね。」
「あ、ご馳走様です・・・」
奥方様の二連発を喰らった百地三佐はモジモジしていた… 。
そんな百地三佐を尻目に、千代はマイペースで後片付けをしている。
ティータイムを楽しもうとしていた矢先、作左衛門が土間から声を掛けてきた。
「旦那様、お頭からの使いが来ておりますき。」
私は縁側に向かった。
そこには簡素な赤い鎧を身に着けた男が立っていた… 私の姿を確認した男は片膝立ちになり、右手を太股へと乗せている。
「お頭からの伝言で・・・〝又右衛門が登城した故、本丸御門まで御足労願いたい〟との事。」
「早いな・・・分かった。直ぐに向かう。」
「はっ。」
男は一礼すると踵を返した。
「楓殿、鳴子が届いたぞ。行こう。」
「了解。」
私達は本丸御門へと向かった。
石階段の下に大きな荷車が見える… 赤鬼と又右衛門達が農民達と談笑していた。
荷車には大きな麻袋が三つ乗せられている。
「おう、風間殿! 又右衛門が本当にやりおったわい!」
又右衛門が麻袋の口紐を開く… 形や大きさ、板の色はバラバラだったが、全ての麻袋にはみっちりと鳴子が入っていた。
百地三佐は鳴子を手に取って振っている… 〝カラカラ〟と楽器の様な音を奏でていた。
百地三佐が微笑むと、荷車を押してきたであろう農夫達は得意げな顔をしている。
「これで本丸の護りは鉄壁になろうぞ。 又右衛門、村の衆に礼を言ってくれ!」
「本当に作ってくれたんだな。ありがとう。」
「…鈴木又兵衛門、二言は御座いませぬ。」
又右衛門も得意満面だった。
一晩で500個の鳴子を作らせる事が出来る〝庄屋〟と領主を護ろうとする領民達… 私はアフガニスタンの村を思い出した。
〝何かの為〟や〝誰かの為〟に一致団結出来る集団は強い。
赤鬼の大きな笑い声が響いた… 小躍りしそうな勢いで喜んでいる。
目を細めて赤鬼を見ていた又右衛門の視線に力が込められた。
「若様は… お変わりないのでしょうかの?」
又右衛門の視線に赤鬼は過敏に反応している…。
これは本心か?
それとも芝居なのだろうか?
「ああ… 変わりは・・ないが、如何した?」
「御城に上がる途中、評定衆の板倉様も仰っておりました… 何やら… 若様への御目通りが叶わぬと…。」
赤鬼の表情が固くなる…
「ああ… 儂らの思いは…必ずや届く… うむ・・・。」
「おい。」
私が声を掛けると赤鬼は芝居掛かったリアクションで額に手を当てた。
「又右衛門、改めて礼に参る! 儂は忙しい故・・・失礼するぞ。」
そう言うと配下の者に命じて麻袋を運ばせ、石階段を上って行ってしまった。
赤鬼の芝居は絶妙だったが、又右衛門の探る様な視線が私へと向けられている。
「風間様、早朝より神社や寺で若様の為に加持祈祷が行われておりまする。 心配するなと言われましてもな… あれでは村の衆は浮き足立ちまする。」
「又右衛門。…分かってくれ。」
「・・・何か策がお有りなのでしょうか?」
又右衛門の視線が鋭くなった。
この男は本丸で〝何かが行われている〟事を察知している様子である。
それに…城下への〝殿容体急変の噂〟は思った以上に早く流れているらしい。
大袈裟にせず、話に信憑性を持たせる言葉を探した…。
「殿は俺達で護ろう… 今、浮き足立っては敵の思う壺。村の皆を纏めてくれ。」
「・・・分かり申した。」
又右衛門は振り返ると、荷車を押してきた農夫に身体を向けた。
「皆の衆、今見聞きした事は他言無用じゃ。良いかな。」
農夫達は畏まったように頭を下げている… が、一様に不安な表情で顔を見合わせていた。
農夫達の表情から察するに、村の人々は殿の容体を気に掛けている様子だ… 私が思った以上の効果が出ているのだろう。
又右衛門一行は、それ以上何も言わず荷車を押して戻っていった。
私は本丸へと向かった。
中庭では百地三佐がテグスを伸ばして鳴子を括り付けていた。
テグスを見ている誉田と赤鬼は目を皿みたいにしている…。
「楓殿・・・これも異国の物で・・・御座るかな?」
「まあ、そうね。」
「透き通った細紐で・・この様に細くとも驚くほど丈夫じゃ。」
赤鬼はテグスの端をくるくると手に巻くと、数メートルほど下がってゆく。
伸びたテグスには等間隔に〝鳴子〟が取り付けられている。
「輝明よ、見てみい… まるで鳴子が宙に浮いているみたいじゃのぉ…」
「これは・・・ これならば、昼間でも仕掛けに気が付きますまい。」
「テグスに付けた鳴子、これは館に仕掛けようぞ。」
「そうしましょう。」
赤鬼と誉田はテグスに夢中になっている…。
その後ろには誉田の配下である見廻組、赤鬼配下の先手組、それに中間衆達が3つのグループに分かれて地べたへと座り込んでいた。
集められた者達は〝何をしたら良いのか?〟といった表情を浮かべている。
軍隊の縦割り組織を如実に現わしている光景だった。
「なぁ、みんな。誉田殿と赤鬼殿、それに作左衛門が〝鳴子の仕掛け〟を考えてくれた。鳴子の仕掛けが最も効果を発揮するにはどうしたら良いか、俺達に教えてくれないか? 」
そう伝えると… 皆が一様に〝キョトン〟とした表情へと変わっていった。
「この図面を元にして、敵が侵入してきた事を知らせる罠を仕掛けたいんだ。思った事があれば遠慮無く言って欲しい。」
一人、また一人… 戸惑った様な表情をしながらも、弓避けに広げられた絵図面の周りに集まって来ている…。
暫くの間、絵図面を凝視する時間が流れた。
「地面さぁ、ぶっ刺す杭が必要になるだら・・・」
「・・・そうじゃのぉ。 先んずは杭だぁ。」
作左衛門が私に視線を送って来ている… 悪戯っぽい微笑みを見せた。
どうやら、役割分担が決まった様子である。
「紐さ鳴子を結んでる間にぃ、杭さぁ切り出すべぇよ。」
作左衛門の一言を切っ掛けに〝ガヤガヤ〟と話し合いが始まった。
兵の小頭と中間衆の小頭達が何やら話を始めた… 中間衆達が荷車に積んであった材木を板状に切り出し始めている。
切り出した杭に金槌と
一刻(2時間)ちょっとで大量の杭が完成した。
誉田は小姓達を連れて、殿の部屋に向かう廊下に〝テグス〟を仕掛ける場所を指定していった。
後ろに付いていた作左衛門は廊下の左右に杭を刺す印を付けている。
誉田の指示を受けた年若の小姓が脛の真ん中ほどになる様にテグスを伸ばしている… 中庭に下りた作左衛門が鳴子を結び付けたテグスを廊下の
…すると、〝八右衛門〟と名乗る中間衆の男から〝そこは月明かりに照らされる〟という指摘が上がった。
急遽、鳴子を床板の下に設置する事になった。
誉田は嫌な顔一つせずに、自らテグスを張り直している。
「誉田様。そんなに張っちゃあだめだぁ。もっと
再び中間衆から指摘が出た。
鳴子が吊された状態では〝適度な
撓みが無ければ、充分に鳴子が揺れず音量が出ないそうだ。
誉田は中間衆の指摘を素直に聞きながら、トラップを完成させた。
「・・・では、試しましょう。」
誉田は長い廊下を戻り、小走りで此方へと進んで来た… テグスに引っ掛かる… テグスは切れる事なく〝カランカランカラン〟と楽器を思わせる音を奏でた。
作業を見守っていた足軽達からは〝おおぉ〟という感嘆の声が上がっている。
自分の提案が通った中間衆達は手を叩いて嬉しがっていた。
「完璧ね。床下で音が反響してる。これなら館の裏まで届くわ。」
「鳴子の仕掛けは昼でも外からは見えぬ… 完璧で御座るな。」
「八右衛門さん、貴方達の提案は素晴らしいわ。」
楓殿に褒められた〝八右衛門〟は顔を真っ赤にしている。
相当、嬉しいらしい(笑)
「よし。 次は裏庭で御座るな。」
昨日、〝忍びの者の視点で割り出したポイント〟へと向かった。
兵達と中間衆達は工具や材木を乗せた荷車を押しながら後に付いて来ていたが、弓避けの盾に絵図面が広げられると〝指示〟が出る前に集まってきた。
私は再度、〝自分が忍びの者だったとして、やられたら嫌な事を考えてくれ〟という事と、〝思った事は遠慮無く申し出てくれ〟という2つのお願いをした。
すると、見廻組の兵から…
「此処は目立つからテグスを張り、鳴子を結んだ縄は植え込みや木の陰に隠そう」
「篠竹の部分を中庭に向ければ塀の上からは目立たない」
「篝の真下は意外と暗い」
…などという提案や指摘が自然に上がった。
私が礼を言うと提案した者達は腕を組んで見せた。
自分の提案が認められたからだろうか、嬉しそうである… 得意満面の者もいる。
「あのう… ちょっと、…いいですかの?」
古株の中間衆が遠慮がちに手を上げている…
「どうした?」
「へい。・・・大井戸さ毒を入れられよったら、み~んな御陀仏だら。」
見廻組の兵達も〝その通り〟という表情を送っている… 誉田も賛同していた。
赤鬼も〝感心した〟と言いたげな表情で大きく頷いている。
誉田の鶴の一声で、大井戸には専任の〝見張り番〟を付ける事になった。
「井戸に毒か… 完全に見落としていたよ。…名前は何と言うんだ?」
「へい。・・・伊之助でごぜぇやす。」
「伊之助、ありがとう。これで皆、安心して水が飲める。」
「・・・善くぞ言った。儂からも礼を申すぞ。」
赤鬼に褒められた伊之助は、先程とは全く違う表情で〝どうだ〟とばかりに腕を組んで自慢気にしていた。
ふと、周りを見渡すと… 最初は3つのグループに分かれていた集団だったが、今では入り交じって作業を始めていた。
皆の表情が和やかになっている気がするのだが… 気のせいだろうか?
和気藹々とした雰囲気の中、赤鬼と誉田は実際に見廻りをしている兵達の意見を聞き入れながら鳴子を仕掛けていた。
仕掛け作業は順調に進んでいたのだが… 館へと続く小径の〝追い込みポイント〟で、ちょっとした問題が起きた。
見廻組の小頭が「〝見えない仕掛け〟を張り巡らされたら巡回に差し障る」と言い出したのだ。
・・・確かにその通りだった。・・・
それを聞いていた赤鬼配下の小頭が植込みの竹林から一本の青竹を切り出している。
器用な手捌きで〝竹筒〟を作った。
先を鋭く切り出した竹筒が大きな木槌で地面に打ち込まれる… すると、テグスが結び付けられている杭が竹筒に差し込まれた。
良く考えられた工夫ではある…
テグスが結ばれた杭を土に直接打ち込まずに〝竹筒〟へと差し込めば、簡単に仕掛けを外す事が可能なのだ。
日中は外しておく事で、巡回中に鳴子の仕掛けに引っ掛かる事はない。
それを見ていた誉田も悩んでいる様子だった。
「 誉田、どうした?」
「…仕掛けを〝元通りにした事〟を確認せねばならなくなり申す。」
・・・それも、その通りだった。・・・
兵や中間衆に〝思った事は何でも言ってくれ〟とお願いをしたのだが、日々の手間が増える結果になってしまっている。
言い出しっぺは私である… この手間は私が対処すべきであろう。
「それは暇人の私がやろう。他にやる事もない。」
「助かり申す。 風間殿に確認して頂けるとあらば安心で御座る。」
しかし、日中の巡回に於けるリスクは軽減するが、竹筒に差し込んだだけでは杭が外れてしまい鳴子の音が出なくなるかも知れないという特大のリスクが発生するのだ。
兵達には、鳴子が機能不全に陥る最悪のリスクを認識させる必要があるだろう。
「よし、小頭。…君達の提案は正解だ。 だが、竹筒に差し込んだ杭が〝足を引っ掛けても簡単に外れない様にする為〟には… どうすれば良いだろうか?」
そう私が問いかけると・・・〝巡回の邪魔になると言い出した小頭〟と〝竹筒の案を出した小頭〟が話し合いを始めた。
「風間様、竹筒は深く打ち込んで… もっと長い物にせんといけませぬ。」
そう言うと… 二人は〝長い杭〟と〝長い竹筒〟を切り出した。
長い竹筒を引っ張られる方向に逆らう角度を付けて地面へと打ち込んでいる。
竹筒の周りを大きめの石で囲んで重しにしていた。
造作を終わらせた二人が私に視線を送って来ている。
私が大きく頷くと、小頭達は目を見合わせた後に笑顔になった。
竹筒の仕掛けに納得した見廻組の小頭は、提案した先手組の小頭に礼を言っている。
礼を言われた先手組の小頭は〝まんざらでもない〟といった表情を浮かべていた。
「よし、今度は儂が試そう!」
赤鬼は城壁へ向かって剛毅に歩いて行き、此方へと振り返る… わざとらしく縄に引っ掛かり、滑稽に躓いて見せた。
植え込みに仕込んだ鳴子が盛大に合奏を始めている… 竹筒に差し込まれた杭は抜けてはいない。
全ての櫓から一斉に弓が振り上げられている。
鳴子の音が聞こえたというサインだった。
「赤鬼さんは役者の素質があるわ。」
「愉快な男だ。」
私達の話を聞いていた兵達から笑いが起きている。
笑い声に乗せられたのだろう、気を良くした赤鬼は他のポイントに向かい縄に足を引っ掛けてから〝ゴロゴロ〟と転がってみせていた… その度に、兵や中間衆達から笑い声が起きた。
櫓の見張り番からも笑い声が返ってきている。
「首尾は上々!」
砂で顔を汚しているが… 赤鬼は上機嫌だった。
「・・・では、肝心要に取り掛かろうではないか。」
「ああ。そうだな。」
赤鬼は図面を貼り付けた弓避けの前で仁王立ちになっている…
「皆の衆、集まってくれ。」
続々と絵図面の前へと集まってくる。
赤と黒の色分けはされていない。
赤鬼は〝侵入させる位置〟と〝仕掛けの意味〟を力説している。
誉田は図面を扇子で指しながら〝侵入してきた敵を追い込む方法〟を繰り返して説明した。
二人とも芝居掛かった身振り手振りだ。
それがより一層、聞いている者達の興味を刺激している。
敵を〝本丸へと続く小径〟へと追い込む段取りに至っては、見廻組と先手組の小頭達がより一層の真剣な面持ちで聞き入っていた… ちょっとした軍議だった。
中間衆達も興味津々といった表情で赤鬼と誉田の顔を見比べている。
「よいな。では、始めぃ!」
中間衆達が図面の通りに縄を地面に引いてゆく。
杭が仮止めされた。
見廻組の小頭が櫓へと登り、城壁の瓦へと下りてゆく… 縄の引かれている角度を城壁の上から細かく確認している… テグスでなければ目立ってしまうであろう場所も、塀の上から的確に指示を出していた。
・・・日が落ちる前に、なんとか全てのポイントに鳴子を仕掛ける事が出来た。・・・
私達は絵図面を見ながら本丸を一周して、それぞれの仕掛けを確認した。
篝に火が灯され始めている… 全ての篝が灯ると〝侵入させる城壁〟の瓦が暗がりになっている場所が見て取れた。
「篝を間引く案も大当たりで御座るな。」
「人や動物は暗がりに隠れとうなる性分。 楓殿は昼間に暗くなった事を考えながら策を練っておった… 大したものじゃわ。」
誉田と赤鬼の話を聞いていた小頭達も〝感心した〟という表情で大きく頷き合っている。
「…暗くなりましたな。 そろそろ頃合いかと。」
「うむ。 一度、試してみようぞ。」
「はい。」
誉田の指示で見廻組がスタンバイを開始している。
赤鬼は〝剛の者達〟が館の方へと戻って行ったのを確認した後、山側の〝侵入させるポイント〟へと向かって行った。
私と百地三佐は〝館へと繋がる小径〟の入口へと移動した。
「よぉ~し、参るぞぉ!」
そう言うと、侵入ポイントに張り巡らされたテグスに足を引っ掛ける… 植え込みの中から〝カランカラン〟という鳴子の合奏が起きた。
Gショックのストップウォッチをスタートさせた。
百地三佐も腕時計を確認している。
音の発生場所に一番近い櫓から弓兵が矢を射る真似を始めた… 次に、櫓の下にある〝詰め番所〟から槍を構えた兵達が飛び出して来る… 赤鬼は槍兵達から隠れる様にしながら、一番近い竹林の中へと飛び込んでいった。
竹林の中でも鳴子が盛大に騒ぎ立てている。
鳴子の音で〝敵の位置〟が特定できていた。
槍兵達は音の方角へと向きを変えて突っ込んで行く。
勢い良く飛び出した赤鬼は城壁に沿って走り出した。
植え込みに逃げ込んだと思いきや、再び鳴子の大合唱が起きた。
走り回る度に鳴子の仕掛けに引っ掛かり居場所が特定されている。
やがて、前後からの槍兵に挟まれる形になり、中庭へと飛び出てきた。
上手いタイミングで横から別の槍隊が突っ込んだ…。
3方向から追い立てられた赤鬼は逃げ場を失い、館へと続く小径へと追い込まれてゆく… 小径の入口に仕掛けられたテグスに赤鬼の右足が引っ掛かった… それとほぼ同時に〝離れ〟の植え込みに繋げた鳴子が大合唱を始めている。
一瞬、赤鬼は立ち止まった。
振り返った先には… 槍兵達が半円状に隊列を整えて突進している。
戻れない事を確認した赤鬼は一目散に館への小径を駆けて行った。
私は後を追った。
赤鬼が〝離れ〟に差し掛かった所でストップウォッチを止めた。
ここまで2分27秒…。
これだけ時間があれば迎撃体勢は整えられる。
赤鬼は本丸へと向けて走り続けていた。
少し遅れて、館の方から〝剛の者達〟が抜刀しながら走り込んでくるのが見て取れた。
後方からは槍隊の穂先が追い立てている。
本丸の中庭に到着する遙か手前で、赤鬼は挟み撃ちにされた。
赤鬼が立ち止まり、両手を挙げている・・・此方へと振り向いた。
戯ける事のない真剣な表情だ。
「皆の衆ーっ。完成じゃあーっ!」
赤鬼の野太い声が響き渡った。
私が〝おう!〟と右手の拳を挙げて答えると、追い掛けてきた中間衆達からも盛大な拍手が湧き上がった。
すると、黒と赤の兵が進み出てきた。
竹筒の造作をした小頭達である。
両名とも誉田の前で片膝を付いている・・・。
「誉田様、申し上げたき事が…。」
「なんじゃ。遠慮無く申せ。」
「はっ。…本丸警護役、先手組も入れては如何かと。」
提案を受けた誉田は満面の笑みを浮かべている。
私に視線を向けると大きく頷いた。
「…相分かった。 孫六殿には私から申し入れよう。」
見廻組小頭からの提案で、本丸と館は〝赤の先手組〟との共同で警備を行う事になった。
戦術的に問題だった〝身内同士の蟠り〟は現場サイドからの提案で解消される事になったのである… これは〝盾の馬廻衆〟と〝矛の先手組〟に情報が同じタイミングで伝わるという事だ。
状況把握と対応スピードが格段に向上する事を意味した。
黒と赤の鎧、それに鉢巻きに襷掛けをした中間衆や剛の者達が入り交じりながら中庭へと戻ってゆく… 皆、自信に満ち溢れた良い顔をしていた。
誉田と赤鬼、作左衛門が歩み寄って来た。
「
「風間殿が軍師であれば… 伊勢家は一層纏まるじゃろうに。」
「・・・孫六殿も、そう思われまするか。」
「儂が出来んかった事を一日でやってしもうたわ。…ちと、悔しいがのぉ。」
赤鬼は大きな笑い声を上げた。
「殿に準備は整うたと伝えて参れ。 儂は見廻の隊を作る故。」
「…承知。」
赤鬼は私達を一瞥すると本丸御門の方へと歩いて行った。
何故だろうか…
赤鬼の背中に哀愁に似たものを感じた気がした。