第11話 習志野駐屯地

文字数 9,826文字

横断歩道の左先は習志野駐屯地の正門である。


歩哨所の前にアサルトライフルの銃床を地面に付けて ”気を付け” をした兵士が真正面を見据えている。
その隣に掲げられている〝第一空挺団〟の銘板前には、迷彩服姿でパトロールキャップを目深に被った兵士が ”休めの姿勢” で立っていた。

腕時計を確認すると… 0856時だった。

日本側から与えられたマンションの5階にある部屋から習志野駐屯地正門までは、5分ちょっとで到着可能な距離である。


信号がグリーンに変わった…。


赤信号を待つ道路には車が延々と連なっている… 大して広くない片側1車線の道路なのに、トレーラーや大型の貨物トラックだらけだった。

近くに大きな工場地帯があるのだろうか?
…そんな事を考えつつ横断歩道を渡り終えると、”第一空挺団” の銘板の前で立っていた兵士が小走りで近付いて来た。


「…風間一尉、でしょうか?」
「そうだ。」


私との殻を割る手前で気を付けの姿勢をして綺麗な敬礼をする。
自分が一瞬で軍人モードに切り替わったのを実感した。


「おはようございます。前田2曹であります。お迎えに参りました。」
「おはよう、前田二曹。出迎えに感謝する。」


答礼をしながら、敬礼の姿勢をチェックする視線を送った。
前田二曹の目に緊張の色が流れた… 私が右手を下ろすと前田2曹も手を下ろす。
その手と共に緊張感も消えた。


「早速ですが…。 百地三佐より伝言があります。」
「聞こう。」
「はい。本省に顔を出すので、此方には昼頃の到着になるとの事。」
「…了解した。」
「百地三佐が到着するまで、私が駐屯地内をご案内します。」
「宜しく頼む。」


挨拶を終えると歩哨所に案内された。
中にいた兵士に自衛隊IDを提示する… 綺麗な敬礼の後、兵士は一瞬だが殺気に似た様なものを発してきた… 私は反応しないように努めた。


IDチェックを終えた兵士は何事も無かった様な笑顔で敬礼してくる。


「風間一尉、おはようございます。どうぞ。」
「おはよう。」


私達は綺麗に刈り込まれた緑の生け垣に沿って歩いた。
すれ違う兵士達は敬礼をしつつも、見慣れない将校姿の私に対してそれとなく警戒感を発しているのを感じる。

数分歩くと、林の中に歴史を感じさせる白壁の建物が見えてきた。

建物の入口には一人用の歩哨所があり、腰にハンドガンを携帯した兵士が任務に就いている。
前田二曹はそちらの方向へと向かった… 歩哨に向かって軽く敬礼をする… 私も続いた。
歩哨が私達に姿勢を正して答礼をしてくる… 此処でのチェックは行われず、前田二曹は建物入り口へと続く石の階段を軽快に上がって行った。
入口の右脇には、〝空挺団本部〟と刻まれた青銅の銘板が掲げられている。


「風間一尉、空挺団長に着任報告をしていただきます。 空挺団長が習志野駐屯地司令を兼務しております。ご理解下さい。」


つまり、習志野駐屯地は ”空挺団の為に存在する基地” という事である。


「…了解した。」


総務科、厚生科の前を通り過ぎる… その先には衛生科のプレートが見えた。
手前右側の赤絨毯が敷かれた階段を上る… 赤絨毯は2階の一番右奥の部屋に続いている。
歴史を感じさせる重厚な扉が近付いてきた… 頭の中で自分の所属と着任挨拶を反芻した。


前田二曹はドア前に着くと左側の壁を背にして直立している。
此処からは独りで行けという事だ。
日本式の挨拶をイメージしながら脱帽し、左脇に納めた。


〝コツコツ〟とドアを2回ノックする…
ドアを半分開き、姿勢を正した…


「風間一尉、着任の御挨拶に参りました。」


「・・・よし、入れ。」
「はいっ! 失礼します。」


入室してドアを両手で閉める。
CIAのスタッフから教えられた通りに、45度のお辞儀をした。
頭を上げると団指令が席から立ち上がった。


背後の壁面には〝精鋭無比〟と書かれた大きな額縁が掲げられている…。


デスクの前まで歩み寄り、姿勢を正した。
空挺団長の襟章には大きめの桜が2つある… 陸上自衛隊陸将補だ。
アメリカ軍で言うならば ”陸軍少将” である。


「陸上総隊中央情報部 風間賢藏一尉であります。 本日より、主任情報管理官として着任を命じられました。よろしくお願い致します。」


私は完璧な敬礼を贈った。


「よく来てくれた。楽にしろ。」
「はい。」


制帽を左脇に抱えたまま、姿勢を ”休め” に戻す。


「本省と団の情報管理官を兼務すると聞いている。」
「はい。」


空挺団長が右手を差し出してきた… 私は一歩前に出て握手に応じた。


「本省との距離が近くなると団司令部の皆も喜んでいるぞ。よろしく頼む。」
「こちらこそ、御指導、よろしくお願い致します。」
「君が風通しを良くしてくれる事に期待している。」


手にぐっと力が込められた。
私も力を込めた。


「はい。一所懸命、任務を全う致します。」
「うむ。」
「では、失礼致します。」


回れ右をしてドア前まで移動する… 45度の礼をしてから退出した。
ドアを閉めた後、大きな溜息が出てしまった。
それを見ていた前田二曹が ”お疲れさま” という笑顔を投げ掛けてくる。


「…それでは、執務室にご案内します。」
「あぁ。…よろしく頼むよ。」


2階の赤絨毯が敷かれていない部分には、右手に管理科と補給科、左手には広報科、通信科、情報科の部屋が配置されていた。
私の部屋は廊下の突き当たり、非常階段手前左側の部屋だった。

”中央情報管理官室”

大袈裟な名称が書かれたプレートが掛けられている。
前田二曹がポケットから鍵を取り出してドアを開ける… L字型にデスクがセットされ、正面の窓下に4人分の応接セットが置かれていた。
角部屋なので2方向の窓から光が差し込む、とても明るい部屋だった。


前田二曹はドアの前で、しきりに時計を確認している…。


「前田二曹、この後も何か予定が入っているのか?」
「いえ、今ならば各課の責任者が在席している時間帯だと思いまして…。 このタイミングを逃すと暫くは全員揃いません。」

「…そうか。ならば先に済ませてしまおう。」


私達は団本部の各課を巡った。


前田二曹の指摘通りに団本部の各課には責任者が在席しており、どの科の責任者も ”朝一番での着任挨拶” に感謝を伝えてきた。
”団司令官への着任挨拶” は難なく終了、各科責任者への自己紹介も前田二曹の計らいで早々に終わってしまった。


時間を持て余す事になった私を尻目に、前田二曹は〝困った〟という表情をしながら時計を気にしている…。


「風間一尉、演習場を御覧になった事はありますか?」
「・・ない。」
「時間が余りました。散歩にでも行きましょう。」


そう告げると、前田二曹は業務隊の責任者が居る部屋へと入って行った。
ほんの数十秒で戻ってきた前田二曹の表情は笑顔に変わっている。


「許可が出ましたので ”習志野演習場” をご案内します。」


百地三佐が到着するまでの時間はたっぷりあるという事で、私達は車で ”習志野演習場” へと向かった。


駐屯地の正門から直線で500mほど離れた場所に、原野を模した広大な〝習志野演習場〟は存在していた。
車を使い郊外に行くのかと思った私は、少々呆気に取られてしまった。
余りにも民間エリアと近い。
近いと言うよりも、住宅地のど真ん中で落下傘降下訓練を行っているのだ。

更に私を驚かせたのは、演習場の入口には歩哨所は無く警備する兵士が1人も見当たらない事である。

”習志野演習場” と銘板が付けられ、小高い木々と鉄条網のフェンスで囲われてはいるのだが… フェンスの先には球技用のグラウンドしか見えない。
知らない人が見れば ”何かの競技場か?” と勘違いさせる雰囲気なのだ。


無防備な ”習志野演習場” へと車は滑り込んで行った…


空挺団の隊員だろうか?
数名がジョギングをしている… 外周路をトレーニングウェアで走る姿は ”競技場” そのものの雰囲気を醸し出している。

そう感じたのも束の間…
カーブを曲がり、演習場の外からは見えない場所に車が進むと雰囲気は一変した。

道路の両サイドは腰高のコンクリート壁が張られ、ジグザクに配置された黄色と黒の ”車両停止装置” が現れたのである。
その先には、大型コンテナほどの歩哨所が見えた。
見張り台が乗せられ、銃座とサーチライトが物々しい雰囲気を醸し出している。
銃座には弾除け板が取り付けられたM2重機関銃が黒光りしていた。


車はゆっくりとジグザグ走行しながら歩哨所へと近付いてゆく…。


歩哨のヘルメットにはアイガードが取り付けられており、肘と膝には黒いアーマーも装着していた… アサルトライフルにはグレネードランチャーと銃剣が付いているのが見える… 防弾ベストには装弾済みの予備弾倉が3つ、腰のベルトには閃光弾と手榴弾… 完全武装である。


前田二曹が車のウィンドウを下げると、小麦色に日焼けした精悍な顔立ちの兵士が中を覗き込んできた。


「総務科 前田二曹と主任情報管理官の風間一尉です。」
「業務隊からの連絡を確認しています。どうぞ。」


敬礼で見送られた私達はゲートの先へと進んだ。


ゲートの真正面50mほど先には装甲車が停められており、重機関銃の砲身がこちらに向かって照準を合わせている。
左手に視線を送ると… 林を背にした草叢には、土嚢で覆われた地対空誘導ミサイルを発射するトレーラーが発射筒を上空に向けていた。


「表からの印象とは別物だ。」
「本省から来た方は皆、そう仰ります。」


視界が開けた先には、民間の住宅やビルを模した建物が多数設置されていた。
目隠しパネルで覆われたエリアの中には、ジャンボジャット機が翼を切り取られた状態で鎮座している… どれも急襲作戦の訓練で使用される物だった。

急襲作戦訓練エリアと思われる先には 700フィ(200m強ほど)ート以上はあるであろう、完全防音が施された巨大屋内実弾射撃施設も存在した。
駐屯地では感じなかった特殊部隊の存在を演習場ではしっかりと感じる事が出来る。


「特殊作戦群も此処で訓練をする…?」
「はい。誰も見た事はありませんが…。」


外周路を少し走った先に木々が密集している場所が見えた。
その中には周囲の穏やかな雰囲気に似合わない ”気” を発している歩哨の姿があった。
…歩哨は2名、小ぶりな体育館ほどの大きさのある建物の入口に立っている。
建物の横には戦車砲を搭載した8輪装甲車と自走式の迫撃砲が停まっているのが見える… その後方にはアパッチ戦闘ヘリコプターが駐機されているのが窺えた。

恐らくだが、あの建物が ”特殊作戦群” の司令部だ。

特殊作戦群の話をした直後だというのに、バックミラー越しの前田二曹は ”何も見えていない” という表情をしている。
軍隊内でよくある ”暗黙の約束” という事だろう。


見えていた光景には触れずに、車は演習場の奥へと進んで行った。


視界は更に開けて広大な原野が広がる光景へと変わった。
これが噂に聞いたパラシュート降下訓練エリアだろう。


「輸送機から住宅街のど真ん中に降下するのは度胸が必要だ。」
「はい。地上340mから時速240kmで降下ですからね。」
「一寸でも判断を間違えば民家の屋根に着地か…。」
「私には無理です(笑)」


そんな会話をしながら走っている最中、芝生の広場にプロテクター姿の兵士達が集まっている光景が目に留まった。


「前田二曹、停めてくれないか。」
「…はい。」


屈強な男達が赤と青のプロテクターに別れて座っている。
すると、プロテクターを着けた2人が対峙した… やはり、徒手格闘戦の訓練だ。
レンジャー資格を持つ隊員が数多く所属する空挺団員の訓練である… 見ておく価値は十二分にある。


私達の車が停まっても、誰一人としてこちらに反応する者はいなかった。


ウィンドウを下ろして雰囲気を感じ取ろうとした矢先… 対峙した兵士から発せられた、とんでもない殺気が伝わって来た。
徐ろに、審判役と思われる隊員が持っている黄色の旗が頭上から振り下ろされた。


「始めぃ!」


数秒間のにらみ合いの後、赤い防具の男が先に動いた。
飛び掛かりながらの前蹴りから、左胸辺りに正拳突きを放つ… 青い防具の男が後方へと下がり間合いを計り直す…。

プロテクターを打つ〝ボスッ〟という鈍い音がここまで聞こえていた…
当て身ではなく本気で急所を狙っている。

…と、思った瞬間だった。

青い防具の男が軽やかなステップで下から蹴り上げた右足は、鞭の先端かと思わせる曲線を描いた後、赤い防具の男が出した防御の左腕を貫き首筋に決まった… 赤い防具の男の膝が抜ける。
青防具の男は隙を見逃さなかった。
素早く屈み込むと腰に組み付いている… 両足を赤防具の胴に蛇のように巻き付けながら後方へと回り込み、左腕を首に巻き付けた…。


蛇という表現が似合う ”いやらしい動き” である。


ロックした右腕で暫く締め上げると赤防具の顎が上がった。
その瞬間、腰からゴム製の模造ナイフを取り出し、赤防具の右腹に2度3度と突き立てる仕草をする。


「待てぇいっ!」


審判役から声が掛かる… 青い防具の男が組み技を解いたが、赤防具の男はピクリとも動かない… 完全に〝落ちて〟いた。

審判役が素早く赤防具のヘッドガードを外し、首に腕を回して気道を確保した… マウスピースが吐き出される… 他の隊員がクーラーボックスから取り出したペットボトルの水を頭から掛け、赤防具男の頬をパンパンと叩いた。

赤防具の男はしきりに頭を左右に振っている… 立ち上がろうとするが膝に力が入っていない。

恐らくだが、最初の右上段蹴りを喰らった時点で意識は飛んでいるだろう。
ひょっとしたら、模擬戦をやった事も記憶から飛んでいるかも知れない。


青防具の男がヘッドガードを脱ぎマウスピースを外した。
…見た事のある顔だった。


「前田二曹、あの青い防具の兵士は誰だ?」
「兵士…あ、はい。石井准陸尉です。」
「空挺のか?」
「はい。〝泣く子も黙る石井最先任〟です。」


意外な展開だった。
潜入初日から、最重要監視対象の石井凌准陸尉と遭遇した。


「噂には聞いているが、そんなに凄い男なのか?」
「空挺レンジャー隊員の中で3本の指に入る猛者ですよ。 若い隊員達は 〝石井最先任が先に降りているから安心して飛べる” って言いますね。 訓練では助教も任されてますから、隊員達からの信頼は絶大です。」


浅黒い肌に鋭い眼光… 写真で見た石井凌准陸尉に間違いは無かった。


「石井准陸尉の所属は?」
「はい。空挺団本部中隊 ”先遣降下偵察小隊” です。 」


先遣降下偵察小隊…。
本隊到着前に目標地域へ降下、状況確認と敵陣営の情報を収集する部隊だ。
待ち伏せされていたならば、落下傘降下中に的にされる危険性がある。
…待ち伏せに遭う… つまり、目標地点は不適格という事になり降下地点が変更になる可能性が大なのだ。
降下地点が変更になったなら援軍は暫く来ない… 高度な作戦遂行スキルと鋼のメンタルが要求される小隊である。


「それにしても、最先任上級曹長としては若いな。」
「習志野レンジャーでは古株ですよ。」


石井准陸尉の顔を目の当たりにして、ふと疑問が湧いた…。

鋼のメンタルを持った先遣降下隊長が、娘への新しい心臓を手に入れる為にジャパニーズ・マフィアの犬になってしまうのだろうか…?
私は同じ軍人として同感できるポイントを探してみた。


「風間一尉、どうなされました?」
「・・あ、いや。私は空手をやっていてね。 10年若ければと思ったんだ。」
「そうですか。空手を。」

「…すまなかった。出してくれ。」
「はい。」


私達は習志野演習場を後にした。


演習場見学の後、何気ない会話の中で〝単身赴任で基地周辺の事を何も知らない状態で引っ越してきた〟という事が伝わると、前田二曹は気を利かせて基地周辺を車で案内してくれた。

案内してくれたコースには地元で人気の弁当テイクアウト店やスーパーマーケット、官舎で暮らす隊員御用達のラーメン店や定食屋・飲み屋などが点在していた。
駐屯地周辺の地の利が全くない私にとって、本当に有り難い情報だった。

百地三佐の到着が遅れた事で石井准陸尉を探す事無く発見できただけでなく、基地周辺の事もある程度の状況を把握する事が出来たのである。


「前田二曹、とても有意義な時間になった。感謝する。」
「いえ。基地周辺のドライブは任務外なので内密に願います(笑)」
「そうだな。了解した。」
「何か不明な事があれば総務科に連絡を下さい。」
「ありがとう。」


部屋の鍵を受け取り ”中央情報管理官室” へ戻った。


デスク周りには、新旧入り乱れた空の本棚や書類ケースがセットされている。
ソファセットも草臥れ感があったが、床はもちろん窓枠・ブラインドに埃一つ見当たらない。
急遽作った執務室である事は否めないが、しっかりと手を掛けて部屋作りをしたという敬意を感じられた… 私も敬意を持って部屋を使わせて貰おうと思う。


デスクトップ画面の右上には、業務システムへの初期アクセス方法が付箋で張られていた。
赤字で〝初期設定済み 要パスワード再設定〟と書かれている。

指示通りにアクセスしパスワードの設定を行った。

業務システムには各科のスケジュールが共有されており、勤怠システムとも連動している… 基地内での行動予定が個人レベルで管理されていた。
管理部門の隊員は3ヶ月先までの予定を自分で登録している様だ… このシステムを利用すれば、”何処に誰がいる” のかを把握できるだろう。


先ずは、日本陸上自衛隊 ”最強” を誇る第一空挺団の項目をクリックした…


【 第一空挺団 】

・団本部中隊(中隊本部、先遣降下偵察小隊、降下誘導小隊)
・第1普通科大隊(第1、第2、第3中隊)
・第2普通科大隊(第4、第5、第6中隊)
・第3普通科大隊(第7、第8、第9中隊)
・空挺特科大隊(本部中隊、3個砲撃中隊)
・通信中隊
・施設中隊
・後方支援隊(落下傘整備中隊、整備中隊、補給小隊、衛生小隊)


予想していた通り、連隊級の部隊編成だった。
特殊作戦群も駐屯していると聞いていたが何処にも記載は無い。
まぁ、それはそうだろう… 特殊部隊が行動をおおっぴらにする訳がないのだ。

業務システムでは、演習場での降下訓練を大隊毎に確認する事も可能だった。
石井准陸尉の ”団本部中隊 先遣降下偵察小隊” は全ての降下訓練に参加となっている… 毎回、パラシュート降下しているのだろうか?
…だとすれば、相当ハードな小隊だ。


スケジュールの最下段に〝空挺レンジャー訓練〟の項目があった… クリックする。


7月から4週間、レンジャー隊員資格試験が実施される予定になっていた。
参加士官の欄には〝助教 石井凌准陸尉〟と記載されている。
…これは、悠長に構えてはいられない状況である。
7月になってしまえば、石井准陸尉へのアプローチは4週間も途絶える事になる。
訓練開始前にレールガンへ何らかのアクションを起こす可能性も高い…。



〝コツコツ〟



ドアがノックされた。
ドアが半分開く…


「はい。」
「百地です。入りますね。」


突然の登場だった。
自衛隊の制服を着用して、黒髪をアップに束ねた百地三佐が立っている。
華美ではないナチュラルなメイクをしているが… 目の力強さと引き込まれる様な美しさを放っていた。
立ち上がり敬礼しようとする私を右手で制止した。


「そのままで良いわ。遅くなって申し訳ありません。」
「モモチ少佐、いや、百地三佐。レンジャー資格訓練の件、ご存じでしたか?」
「あら、情報収集能力が高いのですね。 …昼食でも食べながら話をしましょう。」


腕時計を見ると正午少し前だった… ランチの時間でもある。
百地三佐の後追って部屋を出た。
妻のポーラとは違った何とも言えない ”甘い残り香” が鼻孔を擽っている。

赤絨毯の階段を下って総務科の前を通った… 受付の大きなガラス窓の向こうから、総務科隊員たちの熱い視線を浴びている。
本省の三佐(主席情報管理監)と着任したばかりの一尉(主任情報管理官)が連れ立って歩いているのは、管理部門の人間にとっては興味津々なシチュエーションなのだろう。


百地三佐は一瞥しながら軽く会釈をしつつ建物を出た。


食堂までの道すがら、すれ違う隊員も何事だと言いたげな視線を送ってきていた。
将校姿のまま食堂へと入った私達は、目立ち過ぎるほど目立っている。
若い隊員たちは百地三佐の後ろ姿に釘付けになっていた。


「百地三佐、私達は目立ち過ぎでは?」
「部屋の中で2人きりの方が目立ちます。 総務科の様子を見たでしょう? 情報本部の新設部署を本省の管理監が視察しに来た。 昼食を一緒に食べて帰って行った。 …その方が、何ら不自然はありません。」

「…確かに。」


上司と部下がランチをしながら話をしているだけだ。確かに… 何ら問題は無い。
百地三佐の手順に習い、ランチをプレートに運んだ。
見本として置かれているプレートには 〝本日のランチ 鶏の唐揚げ中華風あんかけソース〟と記載されている。



・・・朝食は昨夜に食べきれなかったフライドチキンだった事は黙っておこう、心からそう思った・・・



百地三佐は隊員からの視線を一身に集めながら、広い食堂の窓側まで歩いて行った… 窓側から回り込み対面側に着席する。

〝どうぞ。〟という手招きで私に着席を促す… 私は軽く会釈をしてから着席した。

正午を過ぎたので、隊員達が続々と食堂に集まって来ている。
しかし、不思議と私達の周りに他の隊員が着席する事は無かった。

百地三佐はバッグから取り出した紙ナプキンでルージュを拭き取った後、小声で〝いただきます。〟と言って食べ始めた。懐かしい所作だ… 目の前で母と同じ所作を見たのは本当に久しぶりである。
百地三佐の調査書に〝裏千家茶道〟と書かれてあったが、所作の美しさは茶道が影響しているのだろうか…?


少しの間、百地三佐の綺麗な所作に見入ってしまった。


「さぁ、冷めないうちにいただきましょう。」
「あ、いただきます。」


子供の頃、チキンの唐揚げは我が家の定番メニューだったのを思い出した。
あんかけではなく、表面がカリカリでソイソースの香ばしさとジンジャーとオニオンの風味が効いたものだった。
この唐揚げはせっかくのカリカリ感を〝あんかけソース〟とやらが台無しにしてしまっている。


「お箸の使い方、お上手ですのね。」
「海兵隊に入るまで、箸で食事をしてましたから。」
「お箸の運び方、お椀の持ち方も完璧ね… お母様が貴方を日本人として育てたというのが良く分かります。」


黙々と食事をする私達の近くには、相変わらず他の隊員は寄って来なかった。
少々、窮屈なランチだったが私は敢えて話を振る事をしなかった。


食事を終えた百地三佐は箸を揃えてトレーに置いた。


「百地三佐、質問があります。」
「…何でしょう?」
「根津組よる石井准陸尉への監視は今でも続いている?」
「ええ。駐屯地を出る時から。自ら根津組に連絡していると思われますわ。」
「ならば、石井准陸尉へのアプローチは基地内でしか行えない。 私に策があります… 任せて貰えませんか?」


小首を傾げながら視線を送って来た。
見つめられた私は、一瞬だが ”はっ” とさせられてしまった。


「策とは?」
「先手を打ちましょう。ちょっと手荒なやり方になりますが。」
「手荒と言うと?」
「娘の心臓手術を逆手に取る。」

「…心臓手術が決まるまで、逆スパイとして働いて貰うと?」
「その通り。」


視線を斜め下に落とす…
愁いを帯びた表情が妙に艶っぽい。


「心が痛みますわね…。」
「軍人の魂を売って娘の心臓を買った… その話が真実であれば代償は高いという事です。」
「・・・。」

「百地三佐、石井准陸尉の行動パターンを知りたい。」


百地三佐は答えを言わずに箸を進めていた。

紙ナプキンで口周りを押さえてから、お茶を口に運ぶ… 一連の綺麗な所作の中での会話だった。
食堂にいる他の隊員は私達の会話に気付いていないだろう。


百地三佐はトレーを持って立ち上がると歩き出した。


ヒールの音が食堂に響く。
百地三佐の腰回りに若い隊員達の視線が集中している… その視線を遮るようにして私も続いた。
食堂から出た百地三佐は、駐車場まで無言で歩き続けた。


車の前で振り返った百地三佐は… 意を決したような力強い視線を送ってくる。


「プランBを発動します。詳細はラップトップに送りますので確認して下さい。」


プランB… 私達の決断は作戦にどう影響するのか…
基地内の隊員達と同様に初夏の木漏れ日もざわついていた。

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