第10話 懐剣と家紋

文字数 12,053文字

高速道路を降りてからは片側1車線の道を走っていた。
車は何度も ”ストップ・アンド・ゴー” を繰り返している…


自分のルーツである日本に降り立ったというのに、何故かぼんやりと夜の街を眺めていた。


左ウィンドウにはブルーの屋根をした小さな駅舎が見えている。
駅舎入口の銘板には ”実 籾(Mimomi)” と書かれていた。

(漢字が苦手な者にとってローマ字が併記されているのは有り難い)

踏切の警報音が聞こえてきた…
ホームに停まっていた電車が動き出している。
遮断機が上がるかと思ったのだが、警報器には右側からも電車が来る表示が出てしまった。


…すると、小さな駅舎には似つかわしくない大量の人々が出て来た。


右ウィンドウの先にはインド料理、ショット・バー、ラーメン店が入った建物が見える… 建物の隣には、家の1階部分を店にした様な作りの小さな飲食店があった。
店の軒先には淡いブルーの ”布の様な物” が取り付けられているが… 何の料理を出すかは外見では判断できない… しかし、何故かとても興味をそそられた。

人の多さ、狭い道路、大量の車、小さな建物、多国籍な飲食店… カオス的なアジアンの雰囲気もあるのだが、行き交う人々や街の雰囲気には他のアジア圏では感じない ”独特な洗練さ” を醸し出している。

日本の道路を走って最初に感じた事は ”飲食店の看板がどれも個性的” という事である。
アニメチックな絵や実物の画像などを多用していて、個人経営的な小さな店であっても特徴のあるシンボル・マークなどを使っているのだ。
目に入った者の食欲と興味をいやが上にも沸き立たせる。


小さな店の軒先に取り付けられている ”布の様な物” の先にはどんな空間があるのだろうか… あの先を見てみたい… そんな事を考えている間に本格的な渋滞に捕まってしまっていた。


「おい、神田。 裏道を使うぞ。」
「…了解です。」
「その先の交差点を左折。」


私の後ろでスマートフォンを見ていた中島警視が指示を出した。

住宅街に入って行く…

すれ違うには減速しなければならないほどの細い道である。
神田警部補は器用なハンドル捌きで進んで行った。
左のウィンドウには ”鉄条網の張られたフェンス” が見えている。
鉄条網の向こう側には軍用トラックやハンヴィーに良く似た車両が停車していた。


…経験上、連隊級の部隊が配置されているように思える。


暫く走ると鉄条網の張られた光景はぷっつりと途切れてしまい、交通量のとても多い道路に突き当たった。
左折すると、直ぐに軍の基地らしき正門が現れた。

銘板には〝第一空挺団〟と刻まれている…。

バリケードに挟まれた歩哨所が1ヶ所、その左右にアサルトライフルを肩に掛けた歩哨が2名、その後ろには軍用犬を連れた兵士が歩いている後ろ姿が確認できた。
此処が ”日本最強” の称号を持つ部隊が配置されている ”習志野駐屯地” だろう。


それにしても民間エリアとの距離が近い… 。
落下傘部隊と即応特殊作戦群で組織される習志野駐屯地は、住宅街のど真ん中に存在していた。


神田警部補は基地には入らずに、基地の前ある丁字路を右折している。
直ぐに細い路地を左に曲がった… 基地の目の前に立っているアパートメントの駐車場に入って行く… 建物の1階が全て駐車場になっているスタイルのアパートメントである。
ヘッドライトに照らされた薄暗い駐車場には様々な日本車が停められていた。


エントランスから一番近い駐車スペースが不自然に空いている…。


空きスペースを通り越した神田警部補は不自然な位置に停車させたかと思うと、徐ろにギアをバックに入れた… どうやら、後ろ向きで駐車するらしい。
ドアミラーとバックカメラの画面を見比べつつ、まるで神業のようなハンドル捌きを披露した… こんな狭い駐車場の中、バックで切り返しもせずに一発で駐車させたのだ。
他人の運転に感心したのは本当に久しぶりだった。


「神田警部補、Amazing!」
「え? 何がでしょうか?」
「君の駐車テクニックは最高だ。」
「あー、ありがとうございます・・」


エンジンが停止する… スライドドアが自動で開いた。
車から降りると更に驚かされた。
全ての車が顔を見せて駐車されていたのだ。
しかも、どれも新車同然である… 目立った傷一つ見当たらない… スポーツタイプからバンタイプまで様々な日本車が並んでいる。
さながら、日本車博覧会の様相を呈していた。
トラベル・ケースを下ろした後、駐車場に整然と並ぶ日本車を眺めてしまった。


「…どうかしましたか?」
「うん。実に日本人らしいと思ってね。」
「何が…です?」
「車の停め方だよ。全員が決められた様にバックで駐車されている。」
「アメリカじゃバック駐車はしないのですか?」
「しない訳ではないんだが、こんなに理路整然とは駐車しないね。」


神田警部補が車から降りて来ると〝ピッ〟という音と共にオートロックが掛かる… ハザードランプを派手に点滅させながら、ドアミラーが内側に倒れた。
車内カーテン、スライドドアに続きドアミラーまでも自動で格納された。
日本に到着して1時間ほどだが、感心ばかりしている自分がいる。


「…行きましょう。」


中島警視を先頭にアパートメントのエントランスへと向かった。

ガラス扉の脇にあるリーダーにカードを翳すとガラス扉が開いた… 神田警部補がエレベーターのボタンを押す。
3階に停止していたエレベーターが降りてきた… 大人4~5人が乗ったら満員になるであろうエレベーターに乗った。

神田警部補が5のボタンを押した。

壁面に貼られているフロア図によれば、エレベータと階段を中心にして左右シンメトリーに部屋が配置されている構造である。
2~4階は左右で8室の計24室… 5階は半分の計4室。合計で28室という作りのアパートメントだった。


5階に到着… エレベーターを降りて左方向のエリアへと向かった。


中島警視は一番奥の部屋まで行き、カメラ付きインターフォンの横にあるリーダーにカードキーを翳した。ドアのロックが外れる音がした…。
ドアには〝501〟のプレートだけが付いている。

時計を確認した… ここまで約3分ちょっとだ。
階段を駆け降りれば1分少々で駐車場まで行けるだろう… しかし、エレベーターと階段を押さえられたなら ”逃げ場のない最上階の角部屋” だった。

ドアを開けると玄関の照明が自動で点いた。

2人が靴を脱ぎ部屋に入っていゆく… 廊下には防音マットが敷かれていた。
そのまま入りそうになったが、私も靴を脱いで続いた。
中島警部補は廊下の左右に2つづつある部屋の扉へは構いもせずに奥の扉まで行ってしまった。

神田警部補が扉を開き照明のボタンを押すと広いリビング・ダイニングが現れた。
右手に4人掛けのダイニングテーブルがセットされている… その先にはカウンターキッチンが見えた。
キッチンテーブルにはスツールが3つ並んでいる。


… しかし、生活感は一切無い。


床一面に防音マットが敷かれている… 階下には人が住んでいるのだろう。
リビングには壁掛け式の大きな液晶テレビを中心にして、ゆったりとしたソファが ”コの字型” に組まれていた… 天井が高いからか部屋はとても広く感じる。


「早速ですが、説明に入ります。」
「…よろしく頼む。」
「部屋は自由に使ってもらって構いません。 これが部屋のキーカード… 入室手順は先程の通りですので。」


カードを受け取り、自衛官のIDカードを入れているパスケースに仕舞った。


「…あ、そのパスケースは必ず身に付けておいて下さいね。トラブルなどで警察官が風間一尉の免許証番号をシステム照合に掛けた場合、直ぐに私の所へ連絡が入る様になっています。」
「・・・了解した。」


私が警察に拘束されるような事になった場合、面倒になる前に彼等が私を迅速に確保する手筈になっているのだろう。


「おい神田、開けてくれ。」


指示を受けた神田警部補がリビングに繋がっているスライド扉を全開にした。
一段高くなっている畳の部屋に、私がオーダーした銃器類と装備一式が入っているハード・ボックスが置いてあった。


「…中身は確認させていただきましたよ。 狙撃銃にアサルトライフル、それに手榴弾… 戦争でもする気ですか?」


…アサルトライフル? それは持って来ていない。


「まぁ、…場合によってはね。」


怪訝な顔付きの中島警視の後ろで、神田警部補は装備ケースを開いている。
何の躊躇いもなく私の ”懐剣” を取り出して手渡してきた。


「勝手に見てしまいすいません… これ、凄い価値があるかも知れませんよ。」
「…と、言うと?」
「鎺(はばき)と目貫(めぬき)にある家紋なんですけど… とても由緒ある家系の ”家紋” なんです。」


何を言われているのかさっぱり分からなかった…
私は革袋から懐剣を取り出してみた。


「今、”松笠菱の家紋” が刻まれた懐剣を風間と名乗る日系アメリカ人が持っている… 刀剣好きには堪らない状況です。 どうしてこれを?」
「父から ”御守刀(まもりかたな)” として受け継いだ物だ。」

「…代々受け継がれている?」
「ああ。風間家の長男が受け継いでいると聞いている。」
「・・・そうなんですね。実に興味深い。」


海兵隊へ入隊する日、〝いつの日かお前の子供に渡せ〟と、父から託された懐剣である… その父も海軍へ入隊する日に、祖父から託されたと聞いている。
私はこの懐剣を護身用ナイフの代わりとして任務に就いていた… 今では身体の一部の様な物になっている。


「松笠菱の家紋は細川京兆家が使った由緒ある家紋で、遡れば天皇家に行き着く家系なんです。」


…どうやら、血筋が良い家紋という事らしい。
心配そうに眺めていた見ていた中島警視だったが、いつの間にか私達の話に聞き入っていた。


「おい、神田。 細川京兆家って… 総理大臣をやった熊本のお殿様か?」
「熊本の細川家は支流です。この松笠菱紋は細川の宗家が使ってました。」


天皇家に繋がっている家紋が装飾された懐剣を受け継いでいるという事は、とても光栄な事だったが… 誰がどうだという内容は、何を言っているのかさっぱり分からない。
父や祖父が家紋の由来を話していた事も私の記憶には無い。


「祖父からは ”ムラマサ” という男が作った懐剣だとは聞いている。」
「村正・・ですと・・・?」


刀身を見せてやろうと思った。
懐剣を鞘から抜く…


「神田? おい神田…大丈夫か…?」
「大丈夫です…」

神田警部補は瞬きもせず刃文に見入っている。

「神田警部補、どういう事だ?」
「あまり知られていませんが、村正は太刀や打刀よりも短刀を多く残してるんです… それに、鞘と柄の拵えも素晴らしい。 村正作で松笠菱の家紋… 細川宗家に繋がる懐剣だと認定されれば、博物館が喉から手を出す程の逸品かも知れませんよ…」


家紋の事は良く分からない。
だが、刀鍛冶と研ぎ師の力量で斬れ味が決まるという事なら知っていた。
神田警部補の鼻息が荒い… 鼻息を荒げている人間を久しぶりに間近で見た。
どうやら、”ムラマサ” は有名な刀鍛冶らしい。


「有名な刀鍛冶なんだな。 良く斬れる訳だ。」
「えっ・・・?」


2人が同時に反応した。


「もしかして…人…ですか?」
「そうだ。何人か仕留めたが刃毀れ一つしない。癖になる切れ味だよ。」


中島警視が一歩下がった… 両手を見せてくる。


「もういいです… いいですから …仕舞ってください。」


神田警部補はとろける様な眼差しで刀身を見つめている。


「人を斬った村正… 初めて見ましたよ… 堪りませんね・・・」
「持ってみるか? 振り回すなよ。」


懐剣を手に取ると切っ先を人のいない方へ向けている…


「人間の血を吸った村正… 妖刀村正…」
「おい… 神田?」


神田警部補は恍惚に近い表情で暫く見つめていた。


「おい、神田! それ位にしておけ。」
「あ…はい。」


刃を上へ向けて左手を峰に添えて返してくる。
刀身には直に触れてはいない。
刃物の扱い方を知っている作法だ。
私が懐剣を革袋に入れてケースへ収めたのを確認した中島警視が口を開いた。


「風間一尉、いいですか? その懐剣も含めて… この武器弾薬が市中に漏れたら一大事です。 貴方に万が一の事があった場合、全て回収して破棄しなければなりません。」

「…だろうな。」

「それに、我々は大いに心配しています。こんな殺戮マシーンみたいな装備を持たせて単独行動を許して良いのかと。」


日本は銃社会ではない。
私にとっては〝普通の装備〟でしかないが、これらが反社会的勢力やテロ思想の人間の手に渡れば丸腰の一般市民にとってはとてつもない脅威だ。


「我々は ”貴方の任務を成功させて無事に帰国させろ” という命令を受けていますが… それと同時に一般市民に被害が出る恐れがある場合は… その… 現場の判断で… まぁ、何というか… ”作戦を中止させろ” との厳命も受けています。」


奥歯に物の挟まった様な言い方から推測するならば、私が命令に従わずに暴走した場合は 〝射殺許可〟 が出ていると考えるべきだろう。
アメリカのスパイ掃討作戦に協力はしているが警察庁としてのプライドがあるのだ… その命令は充分に理解が出来た。


「・・・私は独りで静かな狩りをしに来た。 映画のみたいな派手なドンパチをやらなくて済むように情報は小出しにせず提供してくれ。」


中島警視と神田警部補がアイコンタクトで会話をしている。
2人は頷き合った後、私に視線を向けた。


「私達が空港へ迎えに行ったのは ”風間一尉の人柄を確認する為” でもありました。 書類だけじゃ分かりませんからね。」


中島警視が皮肉めいた表情を送って来た。


「…それで、私は2次審査に合格かな?」


中島警視は〝ははっ〟と笑うと、私の目をしっかりと見ながら右手を出してきた。


「困った事があれば遠慮無く言って下さい。 我々も思った事は遠慮無く言わせていただきますので。」


力強い握手を交す。
神田警部補は敬礼をしている… 私も答礼をした。
中島警視は安心したかのように大きく息を吐いた。


「…では、衛星通信回線を開通させてしまいましょう。あちらの部屋へ。」


リビングから出て右側の部屋に案内された。
ドアの鍵穴には鍵が刺さっている。
部屋には無機質なデスクとチェアがリビング側に向けて設置されていた。
デスクにはラップトップパソコンとプリンター、複数のルーターが置いてある。
部屋の全ての壁には防音ボードが貼られ、床も防音マットが敷かれていた。
隣室に会話を漏らさない為だろう。

中島警部補はタブレットと機材を見比べている。

「このルーターが衛星回線システム。 米軍仕様だと聞いています… 接続方法はお分かりですよね?」
「ああ、大丈夫だ。」
「これが… Wi-Fiルーター。 スマホとノートパソコンに使えます。 通常のネットサーフィン用に使って下さい。」

「了解した。」


日本ではラップトップ型パソコンを〝ノートパソコン〟と言うらしい。
面白い表現だ… 言われてみればノートに見えないでもない。
TOUGHBOOK のプラグを電源タップに差し込み、衛星回線ルーターに繋いだ。


中島警視がスマートフォンを取り出す…。


「こちら中島です。 懸念事項の確認は済みました・・・はい。現時刻でそちらの管轄になります。 ・・・分かりました・・・はい、伝えます。」


スマートフォンを胸ポケットに戻した中島警視が神田警部補に何かを耳打ちした。
神田警部補は部屋を出て行った。


「百地三佐からの伝言です。〝今夜はマンションの部屋を離れずに過ごして欲しい。明朝0900時、習志野駐屯地正門にて制服着用の事。〟…以上です。」
「明朝0900時、習志野駐屯地正門、制服着用。…了解した。」


部屋を見回した後、スマートフォンで室内を撮影した中島警部補はドアノブに手を掛けた。


「…では、我々はこれで本部に戻ります。」
「色々とありがとう。 君達に感謝する。」


2人を玄関まで見送った。
ドアが閉まりオートロックが掛かる。
日本ではこういう建物を〝マンション〟と呼ぶらしい… また一つ学習した。


通信室に戻った。


スマートフォンのW-iFi設定を行う… ラップトップは既に設定済みだった。
TOUGHBOOK を開き顔認証させて立ち上げる… 通信アプリから〝司令部〟のチェックボックスを選択してスタートボタンをクリック… 〝connecting〟の点滅と共にグリーンのバーがメモリを上げてゆく。


暫くすると〝Setting completed〟の文字に変わり、画面が立ち上がった。
モニターにイヤホンマイクを装着した女性隊員の姿が映っている。


「大尉、お待ちしていました。ジャクソン軍曹です。」
「ジャクソン軍曹、ご苦労。定期報告と通信状況の確認だ。」

「…はい。第1目標クリアを確認。」

「よし。現在、日本側が用意した部屋に入った。 装備も届いている。 明朝0900時にモモチ三佐と接触する事になった。…そちから何かあるか?」
「特殊装備班のマーカス・フレッド主任より伝言が。」
「聞こう。」
「〝足りない物があれば言って下さい。〟…との事です。」
「それだけか?」
「はい。それだけです。」

「…了解した。通信終了。」


そう言えば、中島警視が〝アサルトライフル〟がどうのと言っていた… 装備品を確認した方が良さそうだ。


ハード・ケースが置かれていた部屋に戻り装備をチェックすると、先程は懐剣と家紋の話に花が咲き気付かなかったが色違いのライフルケースが2つ重ねて置いてあった。


未確認のケースを開く…。


中にはステアー社製アサルトライフル ”AUG” が入っていた。
ご丁寧に ”Trijicon社製 ACOG TA31Hスコープ” と ”Aptialレーザーサイト” に ”サプレッサー” もセットされている。

手紙らしき物を見つけた…


カザマ隊長

日本のヤクザをやっつけると聞きました。
最近のヤクザはマカロフ程度の武装は当たり前になっています。
私が日本にいた時、ヤクザから手榴弾やロケットランチャーを押収したという案件がありました。マークスマン・ライフルだけだと、いざという時には心細いですのでコイツを入れておきます。(勝手にやってごめんなさい!)
日本での任務で持っていれば便利であろうと思われる装備は別のボックスに纏めて入れておきました。

追伸 ヤクザをやっつける話を誰から聞いたかは秘密です!
マーカスより


・・・「マーカスよ… 俺はヤクザを殲滅しに行く訳ではないぞ。」・・・


…思わず声が出た(笑)


AUG… 数あるアサルトライフルの中でも最も反動が少ない。
弾丸は5.56mだが連射速度も速く、30発カートリッジと3連バースト・モードとの相性も良い。
高強度ポリマー樹脂を多く使用しているので軽いのも利点だ。
故に取り回しも良く、建物内での近接戦闘にも威力を発揮してくれる。
中距離用の光学スコープを付ければ、サプレッサーを装着した状態でも200m程の狙撃にも充分対応可能である。
こいつはブルパップ方式の最高傑作と言っていいだろう。


一番大きなハードケースの中をチェックするとアンモボックス(弾薬ボックス)が倍の数になっている。
ケースを開けると… 驚いた。


5.56mm弾 300発
7.62mm弾 200発
ハンドガン用弾 100発


もう一つのケースには…

AUG用40mmグレネードランチャーと装弾された弾帯、クレイモア地雷が3個、オマケにC4爆薬が3セット。
私がオーダー表に書いたのは、スタングレネード、スモークグレネードを各3つだけである。
〝戦争でもする気か?〟と中島警視が感じた理由も理解できる。
銃社会ではない世界一平和な国の警察官には刺激が強かった事だろう。


アンモボックスのロックを掛けながら、未だ見ていない部屋がある事を思い出した… 私の中で新しい場所をチェックしないと落ち着かない虫が騒いでいる。


リビングから一番近い左側の部屋へと向かった。


扉の向こうはバスルームとレストルームになっていた。
未使用と思わせるほどに真新しい洗面台がある… 左手前の扉はキッチンルームと繋がった小ぶりなランドリールームになっていた。


次に、玄関から一番近い場所にある部屋を開けた。


此処は広いベッドルームだった。
セミダブルのベッドがぽつんとセットされている… 部屋の2方向に窓がありバルコニーへ出る事が可能である… 日光が良く差し込むだろう。
此処は最上階の角部屋なので壁の向こう側に隣室は存在しない… この部屋ならば落ち着いて熟睡できそうだ。


ベッドの脇を通り抜けてウォークイン・クローゼットへと入ってみた。


中には、様々なシチュエーションに対応するための衣服がセットされている。
シューズ類も箱のまま積み上げてあり、引き出しの中には未開封のアンダーウェア類やデニムなどのパンツ類が入っている。
全てアメリカ製だ… CIAが用意した物だろう。


最後に通信ルームと並んだ部屋に向かった。


扉を開けると防音ボードと防音マットが敷かれただけの〝何もない部屋〟だった。
全ての部屋には防音シートが貼られている… やはり、隣室と階下の部屋には住人がいるという事である。

強烈な違和感を覚えた…

何故、この部屋に装備と弾薬を入れなかったのだろうか?
軍人ではない者も立ち入る部屋のリビングルームの和室にグレネード… クレイモア地雷にC4爆薬… 落ち着ける訳がない… C4を一気に爆発させたならば、このアパートメントの半分は吹っ飛ぶのだ。

…そう言えば、神田警部補は何の躊躇いもなくハードケースを開けていた。


不安に駆られた私は畳の部屋に戻り、グレネード類の安全ピンを確認した。
全て問題無い。


しかし、リビングルームにC4爆薬… 尻の座りが悪かった。
爆発物が入っているケースとアンモボックスを〝何もない部屋〟に移動させた。
…が、此処で3ヶ月暮らす事を考えた場合、リビングルームの景色に武器ケースと軍用ハード・ケースは似合わない。
残りのハード・ケースも全て移動させる事にした。


リビングよりも一段高くなっている畳部屋に敷かれていたシートを剥がすと、仄かに牧草に似た香りが舞っている。
初めて嗅いだ香りだったが何処か懐かしい気持ちになった… 不思議だ。


ハードケースの山に隠れていて見えなかった畳部屋の壁には掛け軸が掛かっていた… モノトーンの絵柄からすると ”水墨画” だろう。
ここは床の間と言うのだ。(仏壇を置く場所だと母から聞いた事がある。)
隣にある両開きの扉を開ける… 中には寝具が綺麗に畳んで収納されていた。
これも知っている… ”ふとん” である。
床に直接敷く日本式のベッドだ。


次にキッチンへ向かった。


我が家と同じ位な大きさの冷蔵庫が鎮座している…。
扉を開けて思わず笑ってしまった。
食べ物は一切無い… その代わりに、バドワイザーの缶が大量に入っているのだ。
冷凍食品はおろか棚にはシリアルさえも入っていなかったが、冷蔵庫の脇にはウォルマートのプライス・ステッカーが貼ったままのバドワイザーが5ケース積まれていた。


日本で初めての食事は糧食とビールになるという事か… 気が滅入る。


まともな食べ物がない事を理解した私の脳は急速に食欲を湧かせ始めた。
此処へ到着する前に美味しそうな看板の飲食店が脳裏に焼き付いているから幻滅度は高い。
任務が終わったら、CIAの調達スタッフに文句を言ってやろうと思う。


空腹感を紛らわそうと思い、バスルームに向かった。


照明を点けると新品同様の洗面台が出迎えてくれた。
鏡と洗面台にはシミ一つ無い… 此処にも生活感は感じられない。
バスルームの照明ボタンを押すと…

黒を基調としたデザインに電球色の間接照明が艶めかしい。
ジェット・バス装備のバスタブは足をしっかり伸ばせる程の大きさがある… まるで高級ホテルにいるかのようだ。
母からの影響で湯に浸かる習慣がある私には、とても喜ばしいバスルームである。
しっかり湯に浸かって暖まった後のビールは格別なのだ。


シャワーの栓を捻りバスタブを念入りに洗い流す…


排水栓をして… フリーズしてしまった。
シャワー以外の蛇口がないのだ…バスタブに湯を溜めるにはどうするのだろうか?
バスルームでお湯を溜めるのに悩んだのは、生まれて初めてだった。


周囲を確認する…


壁面にシルバー色の隠しパネルを見付けた。
左側のパネルを開くと ”電源” と ”自動” のボタンがある。
取り敢えず、電源ボタンを押す… シャワーが水からお湯に変わった…。

次に 〝自動〟のボタンを押してみる… すると、バスタブの下部に付いている丸いシルバー色の部品から、ちょろちょろと温水が出てきた。
シャワーの栓を閉じると勢いよく温水が吹き出してくる。


「OK!」


バスルームでガッツポーズをしたのも、恐らく人生で初めてである(笑)
右側部分の隠しパネルを開けると中には湯温や湯量などのボタンがあった… ”優先” とは何を意味するのだろうか?
それに湯温は摂氏表示だ… まぁ、湯を溜められれば後はなんとかなるだろう。


自動で湯船に湯を張る方法を確認していた時、スマートフォンが鳴った…。


「Hello」
「あ、ハロー。」


スマートフォンの画面には ”警察庁 神田警部補” と表示されている。


「神田警部補か。どうした?」
「あの、懐剣… 勝手に見てしまって申し訳ありませんでした。ご先祖伝来の物だとは知らなくて…」
「気にするな。別に構わんよ。」
「そのお詫びに・・と言っては何なんですが、ピザのデリバリーを注文しておきました!」


その言葉を聞いた私の脳は、ピザとバドワイザーの画像を交互に表示させまくっている… 段々とピザの画像が大きくなっていった。


「本当か? それは助かるよ。見事に冷蔵庫は空だったんだ。」
「ですよねぇ。その話を中島先輩としてたんですよ。 今夜は部屋に居ろと命令が出てしまって、今晩と明日の朝飯はどうするんだろうって…。」


意外と気が利く2人だった。


「・・ああ、糧食でも囓ろうかと思っていた所だった。」
「本当は晩飯に誘いたかったんですけど、これから本部に戻って上司に報告しなきゃいけないんです。」


悪い奴らではない… いや、良い奴等である(笑)


「そうか。ならば、以外とハンサムな男だったって報告してくれよ。」
「わっかりました! ピザ、もう暫くしたら届くと思いますんで!」
「了解した。感謝する。」


リビングに戻ると頭はピザの画像で一杯になっていた。
気を紛らわせようと遮光カーテンを少し開ける… ベランダ越しに習志野駐屯地の内部が見えた。
赤と白の鉄塔が見える… パラシュート降下訓練用の鉄塔だろう。
昼間ならば駐屯地のかなりの部分を見渡せる。

しかし… 基地が近い。

基地正門の正面が5階建てのアパートメント、周囲は閑静な住宅街である…。
正門の重々しさとは真逆の雰囲気が通りを一本隔てただけで共存していた。
この基地は民間人エリアとの距離が近すぎる。


〝It's hard to see what is under your nose.〟(灯台下暗し)
…心の中で呟いた。


基地が近い場所に潜入拠点があるのは便利な事である。
その反面、目の前に空挺団と特殊作戦群が配置されているのだ… この状態でふざけた事をやれるものならやってみろ、という意趣返しでもある。
それに、此処は最上階の角部屋だ。
エレベーターと階段を押さえられてしまえば逃げ場はない…。


不安に駆られた私は、ベランダの扉を開けて外へ出てみた。


ベランダにはエアコンの室外機と思われるボックスが3つ並んでいる。
その先には、隣室のベランダとを隔てる仕切り板があった。
仕切り板は薄い… 良く見てみると簡単に割れる仕組みになっていた。

仕切り板の下には床の一部に扉が付けられており、避難用の ”巻き取り式はしご” が設置されている… どうやら、各部屋の避難はしごを伝って1階まで降りられる仕組みだ。
流石、日本のマンションだ… 抜け目がない。

それに、もう一つ面白い事に気が付いた。

各部屋毎にエアコンが設置されているのだ。
アメリカの場合、1台の空調機を使って各部屋にダクトを引いて風を送る仕組みである。
全ての部屋を一定の温度にするのと、各部屋で温度調節を行う方法の何方が効率的なのかは暮らしてみなければ分からないだろう。


日本の ”マンション” を一通りチェックしてからリビングへと戻った。


ソファに座ろうとした時、リビングにオルゴールの音が鳴った。
続いて〝お風呂が沸きました〟という女性のアナウンスが流れた… 流石、メイド・イン・ジャパンである。
トイレの蓋は自動で開き、バスルームは喋る(笑)


ソファへと腰を下ろし、リラックス出来た頃にインターホンの音が鳴った。


エントランス用モニターには、ドミノピザのマークが入ったヘルメットを被った青年が映っている… 見慣れたマークと制服を見て、ホッとした気分になった。


解錠ボタンを押す… 時計で到着時間を計った。


やはり、解錠から約3分で玄関ドアのチャイムが鳴った。
ロックを解除してドアを押し開ける… 私を見た配達員の青年は ”ギョッとしたような表情” で私の顔から爪先までを見ている。
自分が自衛隊将校服を着たままだった事にようやく気付いた。
デリバリーの青年は一瞬、たじろいだ様な素振りを見せながらも商品の説明を始めた。

クワトロ・ピザにフライドポテト、フライドチキン… 全てLサイズだ。
2種類のサラダと1.5リットルのコカ・コーラゼロ、ハーゲンダッツのアイスクリーム2つとタバスコまで注文されている。


中島警視と神田警部補… 本当に気の利く奴等だった。


ヘルメット姿の青年にチップを渡そうとポケットに手をやる…。
「代金はいただいております。」と告げるとペコリと頭を下げて戻っていった。

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