10 絶対の守護
文字数 3,332文字
二階の窓から外へ飛び降りようとするソラリアとアニスを、リヒトは腕を引いて止めた。一刻も早く現場に向かいたいのは分かるのだが、物事には順番というものがある。
「階段を降りようね」
「緊急事態なので多少の無茶も許されるかと!」
「ここから飛び降りたら気持ち良いのにー!」
「却下」
ぶつくさ文句を言う二人を宥めながら、階段を降りる。
途中で宿屋の娘のモモに声を掛けた。
「モモさん、街の人に避難を呼び掛けてくれる?」
「……」
「モモさん?」
呆然としていた彼女は、はっと我に返ってリヒトの肩を掴んだ。
「スサノオを、あいつを止めて!」
「……どうして? 天魔の力を持ってたら危険なんでしょ。危険なスサノオさんは、クラーケンに踏み潰されても問題ないんじゃない?」
「それは……」
リヒトはわざと頼まれたことは無視して、逆にモモに問い返す。
意地悪い返答にモモは口ごもった。
「……っ、分からない! おじいちゃんは天魔が危険だと言ってたけど、何が本当か私には分からないの。けど、あいつには死んで欲しくない!」
うつむいたモモの頬に涙が伝う。
あの時、スサノオを拒絶してから、彼女も悩んでいたのだろう。邪魔者扱いして追い払ったりしていても、モモとスサノオは仲が良さそうに見えた。きっと、スサノオが守りたいのは街ではなく彼女だ。
リヒトは床に落ちていた空のコップを拾い上げて、モモに差し出した。
「泣かないで。僕らと一緒にスサノオさんも戻ってくるから、戻ってきたら、二人で話し合いなよ。天魔を持っていても持っていなくても、大事な幼馴染みなんだろう?」
「……うん」
しゃくり上げながらモモはコップを受けとる。
宿屋の出入り口でアニスが「リヒト、早くー!」と手を振った。リヒトは早足でアニスの元に向かう。
通りに出ると、異変に気付いた人々が騒然としていた。
ソラリアが銀色の聖剣を頭上高くに掲げた。
松明の光を反射して剣が輝く。
「皆さん! もうすぐここにはクラーケンの群れが襲ってきます。早く街を出て山に向かって下さい。私は歌鳥の勇者ソラリア! 魔物は私が引き受けます!」
淡い金髪を翻して宣言したソラリアは、不思議な威厳を身にまとっている。人々は一瞬、静まりかえった。
「さあ、落ち着いて、逃げ遅れる人がいないように避難してください!」
「あ、ああ……分かった」
気圧された街の人が頷く。
町長らしき人が先頭に立って、避難の指揮を始めた。
彼らに後を任せて、リヒト達は昼間タコ焼き合戦をしていた浜辺へ走った。
暗い砂浜には、赤い目をぎらつかせたクラーケンが次々と上陸しているところだった。そして、赤毛の勇者スサノオが一人、徒手空拳でクラーケンと戦っている。
「っ、お前ら、なんできた?!」
彼は複数のクラーケンに囲まれつつあった。
聖剣を手に切り込んだソラリアが、囲みを崩す。
群れに囲まれて各個撃破されないように、リヒト達は固まって背中を預けあった。
「スサノオ、あなたにばかり良い格好をさせません!」
「きゃー、ヌルヌルして切りにくいー!」
聖剣を振ってクラーケンの触手を切り飛ばしながら、ソラリアが答える。
場違いにも聞こえる高い声はアニスだ。剣術も修めていない彼女は適当に剣を振り回しているだけだが、それでも敵の数が多いので役に立っている。
しばらくスサノオを加えた5人で、無駄口を叩かずにクラーケンを押し退ける作業に集中する。何匹かは地面をズルズル這って街へ向かったが、それを構っている余裕は無かった。
足元の海水の水位が、段々上がってきている。
このまま上がり続ければ街に海水が流れ込むのではないだろうか。どこまで水位が上がるか不明だが、今は地上で動きが鈍いクラーケンも、街が水に浸かれば動きやすくなるだろう。
街の人の避難が間に合えば良いのだが。
リヒトは冷静に頭の片隅で戦況を把握しながら、ナイフで触手を切り飛ばす。砂が靴に入って重くなるので、靴は脱ぎ捨てた。砂浜で戦うことなんて無いと思っていたのに。
「俺は何故こんなことをしているんだろう……」
「と言いつつ、カルマが一番活躍してるよね」
天魔のスキルで、一瞬で敵に死を与えられるカルマが地味に活躍している。彼が指差した先に光線が射して、クラーケンがドサッと倒れた。
強力な攻撃だが連射は難しいらしく、溜めに入っている間カルマは無防備だった。リヒトは彼の前に立って、クラーケンの触手を払いのけることに専心する。
「もう、いつまで戦えばいいのー?!」
疲れてきたらしく、アニスが泣き言を言った。
最初は勢いが良かったスサノオとソラリアの動きも、鈍りつつある。
息つく間もない連戦が体力を削っているのだ。
「くっ、俺ひとりなら、ここら一帯に死を撒いて終わらせるんだが」
カルマが荒い息を吐きながら呟く。
「私だって街を沈めていいなら……」
「やめろっ、頼むからお前は天魔を使うな!」
一人言を聞き付けたソラリアが自分も天魔を使いたいと言うが、ものすごい勢いでスサノオに却下される。
ちなみに彼女の親しい友である鳥達は、夜は活動できないので今回は出番が無い。
「それだ!」
会話に聞き耳を立てていたリヒトは、振り返ってカルマを見た。
「その死を撒くって奴をやって、カルマ!」
「い、いや。それをやると俺以外の付近の人間が死んでしまってだな……」
躊躇するカルマ。
どうやら無差別に範囲内の生命を断つスキルらしい。
だが、リヒトには勝算がある。
「物理じゃなくて、特殊だよね? なら、僕の天魔で防げる」
「リヒト?」
出し惜しみしている場合ではない。
リヒトは普段は隠蔽のために使っている絶対絶縁 を、本来のやり方で改めて使用するつもりだった。もともと、このスキルは絶縁の剣と対になるものなのだ。
「大丈夫だから、カルマ!」
「くそっ、お前を信じるからな、リヒト。死ぬなよ!」
白髪の青年は暗い空に手をかざす。
その掌から光が溢れた。
光は明るさを増していき、やがてカルマの手から離れて光球となり、戦場の空に昇っていく。
「命を刈り取る、月光の雨よ。降りそそげ、全てが静寂に沈むまで……!」
月に見立てた光球から、光の雨が降り出す。
その直前にリヒトは空を見上げて、ナイフの先で空中に円を描いた。
「これは世界さえも拒絶する、絶対の守護 ……」
リヒトを中心に青白い光の輪が広がる。
光の輪は固まって戦っていたリヒト達を取り囲んだ。同時に降ってくる光の雨は、リヒトの発動した守護に触れると消え失せる。あらゆる魔法的、精神的な干渉をはね除ける絶縁の盾は、その効力を十分に発揮していた。
普段は常時発動させている絶対絶縁 を、スキルとして表に出して使うと、隠蔽の効果は失われる。今のリヒトを鑑識のスキルで見れば、天魔を持っていることが分かるだろう。
だが今は正体を隠す必要は無い。
「これは……こんな強力な天魔を使える奴が、歌鳥 以外にいるなんて」
光の輪の外側で次々とクラーケンが息絶える。
手を休めてその様子を見ながら、スサノオが感嘆の声を上げた。
「歌鳥の勇者?」
「……なんでもありません」
ソラリアは何かを心配するような表情で、天魔のスキルを使うリヒトを見つめている。リヒトは絶縁の盾の維持に集中しているため、彼女の視線には気付いていない。
やがて光の雨が止み、周囲のクラーケンは一掃された。
範囲外だった一部のクラーケンが海を泳いでいるが、その数は僅かだ。
「やった……!」
天魔を解除すると、リヒトは大きく息を吐く。
「……リヒト!」
「うわっ!」
大技を使った直後で敵の姿もなく、リヒトは油断していた。
ソラリアの警告は間に合わず、少年の足に海から伸びた触手が巻き付く。バランスを崩したリヒトは、そのまま海に引きずりこまれた。
「階段を降りようね」
「緊急事態なので多少の無茶も許されるかと!」
「ここから飛び降りたら気持ち良いのにー!」
「却下」
ぶつくさ文句を言う二人を宥めながら、階段を降りる。
途中で宿屋の娘のモモに声を掛けた。
「モモさん、街の人に避難を呼び掛けてくれる?」
「……」
「モモさん?」
呆然としていた彼女は、はっと我に返ってリヒトの肩を掴んだ。
「スサノオを、あいつを止めて!」
「……どうして? 天魔の力を持ってたら危険なんでしょ。危険なスサノオさんは、クラーケンに踏み潰されても問題ないんじゃない?」
「それは……」
リヒトはわざと頼まれたことは無視して、逆にモモに問い返す。
意地悪い返答にモモは口ごもった。
「……っ、分からない! おじいちゃんは天魔が危険だと言ってたけど、何が本当か私には分からないの。けど、あいつには死んで欲しくない!」
うつむいたモモの頬に涙が伝う。
あの時、スサノオを拒絶してから、彼女も悩んでいたのだろう。邪魔者扱いして追い払ったりしていても、モモとスサノオは仲が良さそうに見えた。きっと、スサノオが守りたいのは街ではなく彼女だ。
リヒトは床に落ちていた空のコップを拾い上げて、モモに差し出した。
「泣かないで。僕らと一緒にスサノオさんも戻ってくるから、戻ってきたら、二人で話し合いなよ。天魔を持っていても持っていなくても、大事な幼馴染みなんだろう?」
「……うん」
しゃくり上げながらモモはコップを受けとる。
宿屋の出入り口でアニスが「リヒト、早くー!」と手を振った。リヒトは早足でアニスの元に向かう。
通りに出ると、異変に気付いた人々が騒然としていた。
ソラリアが銀色の聖剣を頭上高くに掲げた。
松明の光を反射して剣が輝く。
「皆さん! もうすぐここにはクラーケンの群れが襲ってきます。早く街を出て山に向かって下さい。私は歌鳥の勇者ソラリア! 魔物は私が引き受けます!」
淡い金髪を翻して宣言したソラリアは、不思議な威厳を身にまとっている。人々は一瞬、静まりかえった。
「さあ、落ち着いて、逃げ遅れる人がいないように避難してください!」
「あ、ああ……分かった」
気圧された街の人が頷く。
町長らしき人が先頭に立って、避難の指揮を始めた。
彼らに後を任せて、リヒト達は昼間タコ焼き合戦をしていた浜辺へ走った。
暗い砂浜には、赤い目をぎらつかせたクラーケンが次々と上陸しているところだった。そして、赤毛の勇者スサノオが一人、徒手空拳でクラーケンと戦っている。
「っ、お前ら、なんできた?!」
彼は複数のクラーケンに囲まれつつあった。
聖剣を手に切り込んだソラリアが、囲みを崩す。
群れに囲まれて各個撃破されないように、リヒト達は固まって背中を預けあった。
「スサノオ、あなたにばかり良い格好をさせません!」
「きゃー、ヌルヌルして切りにくいー!」
聖剣を振ってクラーケンの触手を切り飛ばしながら、ソラリアが答える。
場違いにも聞こえる高い声はアニスだ。剣術も修めていない彼女は適当に剣を振り回しているだけだが、それでも敵の数が多いので役に立っている。
しばらくスサノオを加えた5人で、無駄口を叩かずにクラーケンを押し退ける作業に集中する。何匹かは地面をズルズル這って街へ向かったが、それを構っている余裕は無かった。
足元の海水の水位が、段々上がってきている。
このまま上がり続ければ街に海水が流れ込むのではないだろうか。どこまで水位が上がるか不明だが、今は地上で動きが鈍いクラーケンも、街が水に浸かれば動きやすくなるだろう。
街の人の避難が間に合えば良いのだが。
リヒトは冷静に頭の片隅で戦況を把握しながら、ナイフで触手を切り飛ばす。砂が靴に入って重くなるので、靴は脱ぎ捨てた。砂浜で戦うことなんて無いと思っていたのに。
「俺は何故こんなことをしているんだろう……」
「と言いつつ、カルマが一番活躍してるよね」
天魔のスキルで、一瞬で敵に死を与えられるカルマが地味に活躍している。彼が指差した先に光線が射して、クラーケンがドサッと倒れた。
強力な攻撃だが連射は難しいらしく、溜めに入っている間カルマは無防備だった。リヒトは彼の前に立って、クラーケンの触手を払いのけることに専心する。
「もう、いつまで戦えばいいのー?!」
疲れてきたらしく、アニスが泣き言を言った。
最初は勢いが良かったスサノオとソラリアの動きも、鈍りつつある。
息つく間もない連戦が体力を削っているのだ。
「くっ、俺ひとりなら、ここら一帯に死を撒いて終わらせるんだが」
カルマが荒い息を吐きながら呟く。
「私だって街を沈めていいなら……」
「やめろっ、頼むからお前は天魔を使うな!」
一人言を聞き付けたソラリアが自分も天魔を使いたいと言うが、ものすごい勢いでスサノオに却下される。
ちなみに彼女の親しい友である鳥達は、夜は活動できないので今回は出番が無い。
「それだ!」
会話に聞き耳を立てていたリヒトは、振り返ってカルマを見た。
「その死を撒くって奴をやって、カルマ!」
「い、いや。それをやると俺以外の付近の人間が死んでしまってだな……」
躊躇するカルマ。
どうやら無差別に範囲内の生命を断つスキルらしい。
だが、リヒトには勝算がある。
「物理じゃなくて、特殊だよね? なら、僕の天魔で防げる」
「リヒト?」
出し惜しみしている場合ではない。
リヒトは普段は隠蔽のために使っている
「大丈夫だから、カルマ!」
「くそっ、お前を信じるからな、リヒト。死ぬなよ!」
白髪の青年は暗い空に手をかざす。
その掌から光が溢れた。
光は明るさを増していき、やがてカルマの手から離れて光球となり、戦場の空に昇っていく。
「命を刈り取る、月光の雨よ。降りそそげ、全てが静寂に沈むまで……!」
月に見立てた光球から、光の雨が降り出す。
その直前にリヒトは空を見上げて、ナイフの先で空中に円を描いた。
「これは世界さえも拒絶する、絶対の
リヒトを中心に青白い光の輪が広がる。
光の輪は固まって戦っていたリヒト達を取り囲んだ。同時に降ってくる光の雨は、リヒトの発動した守護に触れると消え失せる。あらゆる魔法的、精神的な干渉をはね除ける絶縁の盾は、その効力を十分に発揮していた。
普段は常時発動させている
だが今は正体を隠す必要は無い。
「これは……こんな強力な天魔を使える奴が、
光の輪の外側で次々とクラーケンが息絶える。
手を休めてその様子を見ながら、スサノオが感嘆の声を上げた。
「歌鳥の勇者?」
「……なんでもありません」
ソラリアは何かを心配するような表情で、天魔のスキルを使うリヒトを見つめている。リヒトは絶縁の盾の維持に集中しているため、彼女の視線には気付いていない。
やがて光の雨が止み、周囲のクラーケンは一掃された。
範囲外だった一部のクラーケンが海を泳いでいるが、その数は僅かだ。
「やった……!」
天魔を解除すると、リヒトは大きく息を吐く。
「……リヒト!」
「うわっ!」
大技を使った直後で敵の姿もなく、リヒトは油断していた。
ソラリアの警告は間に合わず、少年の足に海から伸びた触手が巻き付く。バランスを崩したリヒトは、そのまま海に引きずりこまれた。