05 恋人は羊さんだけ?

文字数 2,069文字

「羊が見つかったら、バブーンに寄ってくれよ! タコ料理をご馳走するぜ!」

 海際の街でスサノオはリヒト達に別れを告げた。
 竜の姿をした魔物、フェイの背から飛び降りた彼に、リヒトは手を振って叫び返す。

「ここまでありがとう、スサノオさん!」
「こっちこそ世話になったな。これから先、苦難が待ち受けるだろうが、お前らなら大丈夫だ。俺の天魔がそう言ってる」

 スサノオはリヒト達の旅路を祝福するようにそう言うと、背を向けて浜辺を歩き出した。
 去っていく彼を見送った後、リヒトはフェイの首筋を軽く叩いて合図する。フェイはゆっくり翼を広げると、再び空へ舞い上がった。
 四枚も翼があるだけあってフェイの飛行速度は中々のものだった。
 眼下には二つの大陸を隔てる海峡がある。セルリアンブルーの海面は、流れるように通り過ぎていった。この速さだと、すぐにコンアーラ帝国に着きそうだ。

「ねえ、リヒト。私のこと好き?」

 リヒトの肩に乗り上がるようにして、アニスが覗きこんでくる。彼女の伸びかけた紅茶色の髪が、頬をくすぐった。

「急にどうしたの?」
「私はね、リヒトのことが好き! 恋人になって!」

 唐突な告白を受けたにも関わらず、リヒトは冷静だった。

「僕の恋人は羊さんだけだよ。人間の女の子には興味ないから」
「嘘つき! 浜辺でモモさんの胸の谷間見てたの、アニス知ってるよ!」
「む、目敏いな……でも、女の子の胸やお尻を鑑賞することと、恋人を作ることは、また別の問題だと思うんだ」

 執拗に引っ付いてくるアニスを、リヒトはやんわりと引き剥がそうとした。二人は地味な攻防戦を繰り広げる。

「アニスだって、背が高くて格好いい男性を見ると目を輝かせてるじゃないか」
「あれは趣味だもん!」
「僕だって趣味だよ。それはそれとして、恋人は羊さんだけだから」
「……ヒツジはタベモノだよ。コイビトにナラナイよ……」

 背中の会話を聞いていたのか、フェイが遠慮がちに呟いているが、肝心の二人は竜の声に気付いていない。

「羊のどこがそんなに良いのよ!」
「あえて言うなら、毛?」

 アニスは「毛?」と呆けたように聞き返した。

「あのフワフワで滑らかでずっしりした羊毛。癖になるよね。刈っても次から次へ生えてくるし」
「アニスの髪の毛は駄目なの!?」
「ボリューム不足というか何というか」

 羊ラブを譲らないリヒトに、とうとうアニスは涙目になった。

「酷いよリヒト……嘘でも良いから、ずっと一緒にいるって、私を一人にしないって、そう言ってよぉ」

 嗚咽混じりに訴えられて、さすがのリヒトも良心が痛む。
 天魔が暴走した事件でアニスの絆の糸を切ったのは、リヒトだ。そのせいで彼女は記憶が曖昧になっている。そして生まれ育った村を放逐され、教会に入ったと思ったらソラリアと共に旅に出て、ジラフでは牢獄に閉じ込められ。
 はっきり言って踏んだり蹴ったりだ。
 不安定な境遇に置かれ、頼れる者のいないアニスが、リヒトに執着するのも無理はない話だった。
 しかし、リヒトは彼女に対して特別な感情を抱いていない。同情したからと言って、恋人の振りをしてあげる程、優しくもないし、大人でもなかった。

「オンなのコ、泣かしチャ、ダメ」
「うん、分かってるよ、フェイ……」

 竜の姿をしているフェイの性別は、どうやら男らしい。
 背中の愁嘆を聞きつけてリヒトを責めた。
 こればっかりはリヒトも理屈をこねて言い返せない。

「ごめん、アニス……」

 両腕を回して彼女の身体を抱き締めると、驚いたのか動きが止まる。

「君を一人にはしない。君が誰か大切な相手を見つけるまでは、ずっと側にいるから」
「リヒトは、駄目なの?」
「僕は今は正直、そういうのは考えられないんだ。だから、ごめん」

 女の子と付き合うということ、その先を、リヒトはまだ想像できない。知識として知っていても、誰か一人に執着して大事にするという感情は、まだ知らなかった。
 アニスの背中を撫でながら、リヒトはふと、海中でソラリアと交わしたキスを思い出していた。触れあった冷たい唇。あの時ソラリアは何故、危険を冒してまで海に潜ってリヒトを助けに来てくれたのだろう。

「コンアーラみえてキタ!」
「もう?!」

 竜が突然、大声を出したので、物思いに耽っていたリヒトはアニスから腕を離す。二人は身を乗り出して地上を確認した。海峡は越えてしまったらしい。
 彼方に正方形をしたコンアーラ帝国の都が見えてきている。

「な、なんだあれ……」

 近付くにつれて、異様な都の様子に気付いたリヒトは絶句する。
 紫色のおかしな植物が建物や壁に絡みつき、都の屋根は斑になっている。都の上空にはフェイと同じような姿をした魔物が旋回し、大通りには魔物が徘徊していた。人の姿が見当たらない。
 今や魔都と化したコンアーラ帝国の都からは、おどろおどろしい気配が目に見えるほどに立ち込めていた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リヒト


主人公。灰茶色の髪に紺色の瞳で、大人しい雰囲気の細身の少年。

一般人を自称するが、そのマイペースぶりは一般人の枠を超えている。

空気を読んでいるようで読まずに周囲の思惑とずれた発言をするが、

薄情なようで人情に厚く、人当たりが良い癖に飄々とした性質は不思議と人に好かれる。

羊を愛し、自分の天職は羊飼いであると思っている。

ソラリア


腰まで伸びた淡い金髪と水色の瞳に冴えた美貌の、涼しげな印象の少女。

ランクの高い天魔の能力を持ち、鳥達を操ることから聖女と崇められている。

実は鳥の魔物(ハーピー)達に育てられた過去を持つ。

友達はカラスだけ、人間は信じられず、生きるために教会を利用していたが、

リヒトとの出会いによって少し考えが変わってきたようである。

メリーさん


リヒトの飼っている羊。

人の言葉を理解しており、リヒト達の会話に突っ込みを入れているが、

読者以外は誰も彼女の言葉の意味に気付いていない。

普通の羊より小柄な体格で真っ白で綺麗好き。いつでもふわふわ。

巨大化したり分裂したりする。羊だが手紙も食べる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み