07 目指すは羊さん王国
文字数 2,155文字
リヒトの母親は天魔の能力者で、父親は武人だったそうだ。二人が生まれた国では天魔の能力者は差別されていて、結婚ができなかった。だから両親は遠く離れたアントイータの山中まで駆け落ちしてきたのだ。
天魔の欠片を持つ子供が生まれて、両親は悩んだ末、子供を教会に届けたりせずに隠して育てることに決めた。
二人はリヒトが天魔の能力を隠して生きていけるように、様々なことを教えた。天魔の能力のコントロールの仕方、読み書き、地理や世界情勢について。
知識や技術だけではない。
両親はリヒトに大事なことを教えてくれた。
「リヒト、普通って何だと思う?」
「ふつう?」
首をかしげる幼いリヒトを、母は愛おしそうに見つめる。
「暖かい家で、朝ご飯と夕御飯を食べて、家族と一緒に眠る……当たり前のことだけど、本当はとても難しいことなのよ。リヒト、あなたには当たり前のことを大事にできる人生を送ってほしいの。地位、名誉、国……そして天魔。大きな力は人を当たり前から遠ざけるわ」
母親の言ったことは難しくて、その時のリヒトには分からなかった。
けれど山火事に巻き込まれて両親が死んだ後、だんだん母親が何を言いたかったのか理解できるようになった。
家族で平和に穏やかに過ごす日常は崩れ去った。独りになってリヒトは、今まで当たり前だと思っていた全てが、とても尊く得難いものだったのだと気付いたのだ。
リヒトは大きく息を吸って、吐いた。
亡き両親が願った平穏は、魔王信者の野望と相容れないものだ。答えは決まっている。
「……僕は天魔の王国じゃなくて、羊さんの王国を作りたいんだ」
「はあ?」
一緒に来ないか、と誘ったフレッドは眉を上げた。
仮面の男オーディンも微妙な顔をしている。
「柔らかい草がいっぱい生える、綺麗な小川が流れる山地を見つけて、羊さんを放牧するんだ。毎日、新鮮なミルクやバターを作って皆で食べたり、羊さんの毛でセーターを作るんだよ」
「……」
「羊は百匹以上がいいなあ。可愛い羊が一匹、白い羊が一匹、黒い羊が二匹、ブサ可愛い羊が三匹……」
「やめろっ! 眠くなるわ!」
眠る前の呪文を唱え始めたリヒトを、慌ててフレッドが遮った。
百匹まで数えるつもりだったリヒトは残念に思う。
「くそっ、やっぱり羊ラブかよ! 聞いた俺が馬鹿だった!」
「うん、そういう訳で魔王には興味ないから。友達として遠くから応援するよ、気持ちだけ……今時、魔王とか格好悪いと思うけど、まあ個人の好みだよね」
「応援する気ゼロじゃねえか!?」
交渉は決裂した。
二人の少年の結論を聞いたオーディンは腕を広げる。
「良いではないか! どのような道を選ぶかは少年の自由だ。フレッド、君の前途を俺の天魔で祝そう! いでよ、海獣!」
地面が大きく揺れ、洞窟の入り口から射し込んでいた光が陰る。ゴゴゴ……と音を立てて、巨大な生き物の頭部が洞窟をのぞきこんだ。
「いざ行かん、海の彼方へ! 我々、魔王信者の本拠地は海の向こうにある。この海獣に乗せていってもらおうではないか」
巨大な海獣は洞窟の入り口に頭突きをお見舞いする。
洞窟の天井がガラガラと崩れて、リヒトは破片が飛んでこない壁際に退避した。天井が崩れて空と海が見えるようになる。
オーディンが海獣と言っていたのは、毛のないのっぺりとした皮膚をした四つ足の獣だった。頭は平べったく、手足には水掻き用の皮膜が付いている。
男はさっと海獣に駆け寄ってフレッドに合図する。フレッドは戸惑うリヒトを置いて、海獣に飛び乗った。
「あばよ、リヒト!」
オーディンとフレッドは海獣の頭に乗る。海獣は水面から頭だけを出して、海を泳いで去っていった。
「行ってらっしゃーい」
リヒトは何となく手を振って彼らを見送る。
「レイルは冒険者になりたいって言ってたけど、魔王も危険な職業だし、うん、大した違いは無いよね」
「メエー(全然ちがうと思う)」
いつの間にか、羊のメリーさんが近くに来ていた。
メリーさんはトコトコと近付いてきて、リヒトの服の裾をくわえる。
「どうしたの?」
「メエメエ(タコ焼き合戦が、大変なことになってるよ)」
「そういえば、ソラリアやアニス達はタコを捕れたのかな」
リヒトは岩を伝って街の方に戻り始める。
用は済んだので心開眼 はもう使っていない。連続で天魔を使用したので、体力を消耗していた。今日はもう使用を控えた方が良さそうだ。
反対側の浜辺ではタコ焼き合戦をしているはずだが、歩きながらそちらの方向を見たリヒトは、海におかしなものが出現しているのに、気付いた。
「巨大な、タコ……?」
「メエー(タコを食べるっていうか、タコに食べられるっていうか)」
メリーさんの報告内容はリヒトに伝わっていないが、遠目に赤黒い巨大な生き物が、人々に襲いかかっているのは確認できた。
「大変だ……!」
たぶん、勇者のソラリアが何とかしてくれるだろうと、リヒトは楽天的に考えていた。しかし、リヒトは忘れていた。勇者の獲物の聖剣は、宿屋の片隅で荷物と一緒に放置されていることを。
天魔の欠片を持つ子供が生まれて、両親は悩んだ末、子供を教会に届けたりせずに隠して育てることに決めた。
二人はリヒトが天魔の能力を隠して生きていけるように、様々なことを教えた。天魔の能力のコントロールの仕方、読み書き、地理や世界情勢について。
知識や技術だけではない。
両親はリヒトに大事なことを教えてくれた。
「リヒト、普通って何だと思う?」
「ふつう?」
首をかしげる幼いリヒトを、母は愛おしそうに見つめる。
「暖かい家で、朝ご飯と夕御飯を食べて、家族と一緒に眠る……当たり前のことだけど、本当はとても難しいことなのよ。リヒト、あなたには当たり前のことを大事にできる人生を送ってほしいの。地位、名誉、国……そして天魔。大きな力は人を当たり前から遠ざけるわ」
母親の言ったことは難しくて、その時のリヒトには分からなかった。
けれど山火事に巻き込まれて両親が死んだ後、だんだん母親が何を言いたかったのか理解できるようになった。
家族で平和に穏やかに過ごす日常は崩れ去った。独りになってリヒトは、今まで当たり前だと思っていた全てが、とても尊く得難いものだったのだと気付いたのだ。
リヒトは大きく息を吸って、吐いた。
亡き両親が願った平穏は、魔王信者の野望と相容れないものだ。答えは決まっている。
「……僕は天魔の王国じゃなくて、羊さんの王国を作りたいんだ」
「はあ?」
一緒に来ないか、と誘ったフレッドは眉を上げた。
仮面の男オーディンも微妙な顔をしている。
「柔らかい草がいっぱい生える、綺麗な小川が流れる山地を見つけて、羊さんを放牧するんだ。毎日、新鮮なミルクやバターを作って皆で食べたり、羊さんの毛でセーターを作るんだよ」
「……」
「羊は百匹以上がいいなあ。可愛い羊が一匹、白い羊が一匹、黒い羊が二匹、ブサ可愛い羊が三匹……」
「やめろっ! 眠くなるわ!」
眠る前の呪文を唱え始めたリヒトを、慌ててフレッドが遮った。
百匹まで数えるつもりだったリヒトは残念に思う。
「くそっ、やっぱり羊ラブかよ! 聞いた俺が馬鹿だった!」
「うん、そういう訳で魔王には興味ないから。友達として遠くから応援するよ、気持ちだけ……今時、魔王とか格好悪いと思うけど、まあ個人の好みだよね」
「応援する気ゼロじゃねえか!?」
交渉は決裂した。
二人の少年の結論を聞いたオーディンは腕を広げる。
「良いではないか! どのような道を選ぶかは少年の自由だ。フレッド、君の前途を俺の天魔で祝そう! いでよ、海獣!」
地面が大きく揺れ、洞窟の入り口から射し込んでいた光が陰る。ゴゴゴ……と音を立てて、巨大な生き物の頭部が洞窟をのぞきこんだ。
「いざ行かん、海の彼方へ! 我々、魔王信者の本拠地は海の向こうにある。この海獣に乗せていってもらおうではないか」
巨大な海獣は洞窟の入り口に頭突きをお見舞いする。
洞窟の天井がガラガラと崩れて、リヒトは破片が飛んでこない壁際に退避した。天井が崩れて空と海が見えるようになる。
オーディンが海獣と言っていたのは、毛のないのっぺりとした皮膚をした四つ足の獣だった。頭は平べったく、手足には水掻き用の皮膜が付いている。
男はさっと海獣に駆け寄ってフレッドに合図する。フレッドは戸惑うリヒトを置いて、海獣に飛び乗った。
「あばよ、リヒト!」
オーディンとフレッドは海獣の頭に乗る。海獣は水面から頭だけを出して、海を泳いで去っていった。
「行ってらっしゃーい」
リヒトは何となく手を振って彼らを見送る。
「レイルは冒険者になりたいって言ってたけど、魔王も危険な職業だし、うん、大した違いは無いよね」
「メエー(全然ちがうと思う)」
いつの間にか、羊のメリーさんが近くに来ていた。
メリーさんはトコトコと近付いてきて、リヒトの服の裾をくわえる。
「どうしたの?」
「メエメエ(タコ焼き合戦が、大変なことになってるよ)」
「そういえば、ソラリアやアニス達はタコを捕れたのかな」
リヒトは岩を伝って街の方に戻り始める。
用は済んだので
反対側の浜辺ではタコ焼き合戦をしているはずだが、歩きながらそちらの方向を見たリヒトは、海におかしなものが出現しているのに、気付いた。
「巨大な、タコ……?」
「メエー(タコを食べるっていうか、タコに食べられるっていうか)」
メリーさんの報告内容はリヒトに伝わっていないが、遠目に赤黒い巨大な生き物が、人々に襲いかかっているのは確認できた。
「大変だ……!」
たぶん、勇者のソラリアが何とかしてくれるだろうと、リヒトは楽天的に考えていた。しかし、リヒトは忘れていた。勇者の獲物の聖剣は、宿屋の片隅で荷物と一緒に放置されていることを。