04 リヒト v.s. オーディン
文字数 2,549文字
「目立つ傷だろう。天魔の能力者だとすぐに分かるように、捕らえられた時に罪人の目印として付けられたのだ」
仮面の下から現れたのは、顔全体に及ぶ特徴的なバツ印の傷痕だった。
思わず言葉を失ってしまったリヒトに、オーディンは説明する。
「君も天魔の能力者のようだが、我々より恵まれた境遇のようだね。我らの大義を理解できないのも、仕方ないか」
「大義……? 大勢の人を魔物に変える理由に大義があるんですか?」
リヒトは聞きながら腰のベルトから作業用ナイフを外した。手の中で一回転させて刃を引き出す。
目標は男の持つ覇者の杖だ。
まともに戦う必要は無い。
「そのような質問が出てくるのは、君が我々と敵対すると覚悟を決めているからだ。違うかね?」
「……」
「ならば問答は無用。我が天魔は百獣王 ! 行け、我が忠実なる配下達よ!」
男が錫杖で床を叩くと、床石の下から次々と小さな生き物が飛び出てきた。
「ね、ネズミ?!」
足元を駆け回る灰色のネズミの群れに、リヒトはぎょっとする。
「はーっはっはっは! 我が配下に噛まれると高熱が出て倒れてしまうぞ!」
「それが貴方の天魔のスキルですか。残念ながら僕には効かない」
「何?!」
リヒトには、あらゆる魔法的な攻撃を無効にする絶対絶縁 がある。いつもは隠蔽に使っているこのスキルを、防御向けに切り替えた。身体を覆うように蒼い光の粒が立ち上る。
足に噛みついてくるネズミを蹴飛ばして、リヒトは走り出した。多少、噛まれた傷が痛むが、動けない程ではない。
オーディンの前まで駆け込む。
敵は錫杖を振り回してリヒトを追い返した。
今持っている作業用ナイフでは、杖ごと切るなんて荒業は不可能だ。
リヒトは冷静に下がると、天魔のスキルを使用した。
「強奪縁帯 !」
絆の糸を操るスキル。盗むのは、オーディンとオーディンが大切に思っている誰かを結ぶ絆。人間を操ることはできないが、絆を乗っ取って一時的にリヒトに繋ぐ。
おそらく今のオーディンの目には、リヒトが大切な誰かの姿に見えているはずだ。
錫杖を振り回すオーディンの動きが鈍った。
その隙にリヒトは敵の懐に潜り込み、肩と肘を前にした体当たりで巨漢を吹き飛ばす。
「ぐうう……卑怯な」
強奪縁帯 の効果時間は短い。
騙されたと気付いたオーディンは、瓦礫を背に崩れ落ちながら悪態をついた。
油断なく彼との距離を詰めながら、リヒトはナイフを構える。
「卑怯で結構。覇者の杖を渡してよ、オーディンさん」
「やはり杖が目当てか。むう、俺も全力を出さねばならんようだな!」
杖を床に置くと、オーディンは両腕を胸の前で交差させる。
ただでさえ盛り上がった筋肉が大きく膨らみ、背中が膨張して皮膚の色が金色に変わった。
「グウウオオオオ!」
みるみるうちに巨大化した男の身体が毛皮に覆われ、口元から牙が生える。もはや人語を話せないだろう、その姿はサーベルタイガーという魔物にそっくりだった。違いは豊かな鬣 と身体の大きさだろうか。
突進してくる獣を、リヒトは頑張って避けた。
獣化したオーディンは敏捷度が上がっており、天魔の力で身体能力を補強したリヒトを上回る。
「そっちがその気なら、僕も本気でいくよ」
図体の大きなオーディンは、瓦礫の隙間を潜り抜けたりできない。周囲に散らばる瓦礫を上手く盾に利用しながら、リヒトは獣の鼻先を逃げ回った。
「……この刃は、あらゆる縁 を切り裂く絶縁天魔のレピドライト!」
手にしたナイフで、オーディンを取り巻く絆の糸を次々と断ち切る。
一本ずつ、糸を切る度に獣は唸り声をあげた。
絆の糸に触れたリヒトを、男の記憶が通り過ぎていく。
それは、幸せだった頃の家族の記憶。
妻と思われる垂れ目の女性と、小さな男の子。オーディンには息子がいたのだろうか。断片的な記憶が流れては消えた。
絆を断ち切る時に感じる他者の記憶は、リヒトに切ない痛みを与えた。
記憶と命、どちらがより重要なのだろうか。
絆を切ることへの罪悪感が、一瞬、リヒトにそんな疑問を抱かせる。
「それでも、僕の命と引き換えにできない」
手加減すれば死ぬのはリヒトの方だ。
オーディンは、記憶を失うことで特殊な攻撃を受けていると気付いただろう。徐々に動きが鈍くなっている。
全ての絆を切ってしまうと人間はどうなってしまうのか。
絆の糸を半分、切ったところでリヒトは唐突に怖くなった。
攻撃を躊躇し始めたリヒトに、追い詰められた獣特有の必死さで、追いすがってきたオーディンの鋭い牙が迫る。
「しまった……!」
「メエエー!」
噛みつかれる寸前。
上空から白いモコモコが降ってきて、オーディンを踏み潰した。
落下してきたのは巨大化したメリーさんだ。
バリバリバリ……!
羊毛が眩しく光ると、激しい電流が流れる。
「グァアアアアア?!」
獣の姿のオーディンは感電した。
近くにいるリヒトもパチパチと雷の欠片を浴びる。
電撃を受けたオーディンは痙攣しながら絶叫した。ちょっとの間じたばた抵抗していたが、やがてふかふかの羊の下で動きを止める。
「メリーさん、電気溜めてたの?」
「メエメエ(羊毛に蓄えてたの)」
哀れ、敵は羊に敗北した。
リヒトは動かない敵の様子を観察する。そして、いまだ獣の姿のままのオーディンが、意外に幸せそうな顔で気絶しているのに気付いた。
「……おじさん、良く寝てるね。疲れてたのかな」
「メエー(たぶん人生に疲れてたんだよ)」
敵の制圧を確認したリヒトは、羊さんに後を任せて引き返すことにした。
戦闘の爪痕が残る道を辿り、瓦礫の少ない大広間まで戻る。
確か、覇者の杖はここに転がっているはずだが。
「よう、遅かったな」
「フレッド……」
杖を拾い上げたフレッドは、戻ってきたリヒトを見てニヤニヤ笑う。
素直に渡してくれる気は無さそうだ。
リヒトは幼馴染みの少年と向かいあった。
仮面の下から現れたのは、顔全体に及ぶ特徴的なバツ印の傷痕だった。
思わず言葉を失ってしまったリヒトに、オーディンは説明する。
「君も天魔の能力者のようだが、我々より恵まれた境遇のようだね。我らの大義を理解できないのも、仕方ないか」
「大義……? 大勢の人を魔物に変える理由に大義があるんですか?」
リヒトは聞きながら腰のベルトから作業用ナイフを外した。手の中で一回転させて刃を引き出す。
目標は男の持つ覇者の杖だ。
まともに戦う必要は無い。
「そのような質問が出てくるのは、君が我々と敵対すると覚悟を決めているからだ。違うかね?」
「……」
「ならば問答は無用。我が天魔は
男が錫杖で床を叩くと、床石の下から次々と小さな生き物が飛び出てきた。
「ね、ネズミ?!」
足元を駆け回る灰色のネズミの群れに、リヒトはぎょっとする。
「はーっはっはっは! 我が配下に噛まれると高熱が出て倒れてしまうぞ!」
「それが貴方の天魔のスキルですか。残念ながら僕には効かない」
「何?!」
リヒトには、あらゆる魔法的な攻撃を無効にする
足に噛みついてくるネズミを蹴飛ばして、リヒトは走り出した。多少、噛まれた傷が痛むが、動けない程ではない。
オーディンの前まで駆け込む。
敵は錫杖を振り回してリヒトを追い返した。
今持っている作業用ナイフでは、杖ごと切るなんて荒業は不可能だ。
リヒトは冷静に下がると、天魔のスキルを使用した。
「
絆の糸を操るスキル。盗むのは、オーディンとオーディンが大切に思っている誰かを結ぶ絆。人間を操ることはできないが、絆を乗っ取って一時的にリヒトに繋ぐ。
おそらく今のオーディンの目には、リヒトが大切な誰かの姿に見えているはずだ。
錫杖を振り回すオーディンの動きが鈍った。
その隙にリヒトは敵の懐に潜り込み、肩と肘を前にした体当たりで巨漢を吹き飛ばす。
「ぐうう……卑怯な」
騙されたと気付いたオーディンは、瓦礫を背に崩れ落ちながら悪態をついた。
油断なく彼との距離を詰めながら、リヒトはナイフを構える。
「卑怯で結構。覇者の杖を渡してよ、オーディンさん」
「やはり杖が目当てか。むう、俺も全力を出さねばならんようだな!」
杖を床に置くと、オーディンは両腕を胸の前で交差させる。
ただでさえ盛り上がった筋肉が大きく膨らみ、背中が膨張して皮膚の色が金色に変わった。
「グウウオオオオ!」
みるみるうちに巨大化した男の身体が毛皮に覆われ、口元から牙が生える。もはや人語を話せないだろう、その姿はサーベルタイガーという魔物にそっくりだった。違いは豊かな
突進してくる獣を、リヒトは頑張って避けた。
獣化したオーディンは敏捷度が上がっており、天魔の力で身体能力を補強したリヒトを上回る。
「そっちがその気なら、僕も本気でいくよ」
図体の大きなオーディンは、瓦礫の隙間を潜り抜けたりできない。周囲に散らばる瓦礫を上手く盾に利用しながら、リヒトは獣の鼻先を逃げ回った。
「……この刃は、あらゆる
手にしたナイフで、オーディンを取り巻く絆の糸を次々と断ち切る。
一本ずつ、糸を切る度に獣は唸り声をあげた。
絆の糸に触れたリヒトを、男の記憶が通り過ぎていく。
それは、幸せだった頃の家族の記憶。
妻と思われる垂れ目の女性と、小さな男の子。オーディンには息子がいたのだろうか。断片的な記憶が流れては消えた。
絆を断ち切る時に感じる他者の記憶は、リヒトに切ない痛みを与えた。
記憶と命、どちらがより重要なのだろうか。
絆を切ることへの罪悪感が、一瞬、リヒトにそんな疑問を抱かせる。
「それでも、僕の命と引き換えにできない」
手加減すれば死ぬのはリヒトの方だ。
オーディンは、記憶を失うことで特殊な攻撃を受けていると気付いただろう。徐々に動きが鈍くなっている。
全ての絆を切ってしまうと人間はどうなってしまうのか。
絆の糸を半分、切ったところでリヒトは唐突に怖くなった。
攻撃を躊躇し始めたリヒトに、追い詰められた獣特有の必死さで、追いすがってきたオーディンの鋭い牙が迫る。
「しまった……!」
「メエエー!」
噛みつかれる寸前。
上空から白いモコモコが降ってきて、オーディンを踏み潰した。
落下してきたのは巨大化したメリーさんだ。
バリバリバリ……!
羊毛が眩しく光ると、激しい電流が流れる。
「グァアアアアア?!」
獣の姿のオーディンは感電した。
近くにいるリヒトもパチパチと雷の欠片を浴びる。
電撃を受けたオーディンは痙攣しながら絶叫した。ちょっとの間じたばた抵抗していたが、やがてふかふかの羊の下で動きを止める。
「メリーさん、電気溜めてたの?」
「メエメエ(羊毛に蓄えてたの)」
哀れ、敵は羊に敗北した。
リヒトは動かない敵の様子を観察する。そして、いまだ獣の姿のままのオーディンが、意外に幸せそうな顔で気絶しているのに気付いた。
「……おじさん、良く寝てるね。疲れてたのかな」
「メエー(たぶん人生に疲れてたんだよ)」
敵の制圧を確認したリヒトは、羊さんに後を任せて引き返すことにした。
戦闘の爪痕が残る道を辿り、瓦礫の少ない大広間まで戻る。
確か、覇者の杖はここに転がっているはずだが。
「よう、遅かったな」
「フレッド……」
杖を拾い上げたフレッドは、戻ってきたリヒトを見てニヤニヤ笑う。
素直に渡してくれる気は無さそうだ。
リヒトは幼馴染みの少年と向かいあった。