03 約束の花嫁
文字数 2,386文字
リヒトはぶつかってきた少女リリィの家に一晩泊めてもらうことになった。クリームパンの話の流れで「それならウチで作るから食べていけば」という事になったのだ。勿論、タダとは言わない。リヒトは宿泊費に相当するお金を払うと申し出たので、これは双方にとって利のある取引だった。
現在、商店の類は店を閉じているか、開けていても商品が少なく閑古鳥が鳴いている。原因は例のゴブリンの襲撃である。毎日のようにアローリアの街近辺でゴブリンが通行人を襲うため、物資の運搬が滞っているのだ。
リリィの家はパン屋だが、原料の小麦粉や調味料が不足しているので、今は生活の必需品である棒パンの一種類くらいしか作っていない。
今回は迷惑を掛けたお詫びで特別に、残っている材料を使ってクリームパンを作ってくれるそうだ。
「ところで、なんでゴブリンは君を狙ってるんだい?」
椅子に座って荷物を下ろしたリヒトは、食事の用意が整うまでの間、暇なので雑談がてらリリィに話し掛ける。
リリィは弾かれたように勢いよく答えた。
「よく聞いてくれました、お兄さん! 実はウチのお父さんがね、旅の途中でゴブリンの王様に助けられたんだって!」
「ほう」
モンスターと名高いゴブリンが人間を助けるとは奇怪な。
リヒトは興味深く相づちを打った。
「その時にウチのお父さん、お礼に娘を嫁に出しますって言ったそうよ」
「そりゃまた……マジで?」
「大マジよ! 私が12歳になったら、ゴブリンの王様が迎えに来るから渡すって話だったの。でも、お父さんったら、すっかりその事を忘れてたから、ゴブリンの王様が怒ってるのよ!」
少女は憤りながら説明する。彼女は、約束を重視する正直で潔癖な性格の子供らしい。
食器を運んできた母親が話に割って入った。
「そんなの、お父さんの作り話に決まってるじゃないの。この子ったら本気にしちゃって」
「お母さん!」
「もし本当だとしても、そんな魔物との約束なんて守る必要はないわ。放っておけばいいのよ。きっとゴブリンは勇者様がやっつけて下さるから」
「……」
話題の勇者様を教会に差し出して自分は帰ってきたリヒトである。
「リリィちゃん」
「何よ」
「ゴブリンは醜くて人間の言葉が通じない化け物だよ。そんなところにお嫁に行くなんて怖くないのかい?」
えらく積極的にゴブリンの元に行きたがる少女を疑問に思ったリヒトは、理由をたずねる。
少女は不思議そうにした。
「え? おとぎ話ではゴブリンって妖精の仲間よね。絵本ではすごく可愛いかったよ?」
予想外の返答。
リヒトは咳払いした。
「リリィちゃん……さては君、ゴブリンの実物を見たことないね」
「そ、それは確かに見たことないけど。でもきっと、妖精の王様だからスマートで格好いい金髪のお兄さんなのよ!」
少女は胸の前で拳を握って目をキラキラさせた。
彼女の頭の中には、ゴブリンという名前の妖精 が金冠を被って居座っているらしい。
リヒトは悲嘆にくれて目頭を押さえる。
「ああ……無知とは幸せなことだ。僕は今更ながらに思い知ったよ」
「ちょっと、お兄さんは私より数個年上なだけでしょ! 分かった風に言わないでよ!」
「数個も年上さ。僕はゴブリンを実際に見たことがある。あれは君の想像のような綺麗な妖精じゃない」
淡々と諭すように言うと、少女はへの字口になった。
「皆、そう言って私を街の外に出さないようにするのよ。聞き飽きたわ!」
リリィは同じ事を複数人に言われたのか、一向にこちらの言うことを信じようとしない。
知らない方が幸せな事も世の中にはある。
リヒトは説得を諦めた。
パン尽くしの夕食をご馳走になった後、空き部屋で毛布を借りて眠りにつく。
事態が急変したのは、その夜のこと。
ズガーンと大きな音が遠くで鳴って、目が覚める。
「なんだ……?」
不穏な空気を感じたリヒトは上着を羽織って部屋の外に出た。
夜は真っ暗になる街に、騒ぎに気付いた人々が起きて次々に非常用の灯りを付けていく。物音は街を囲む壁の方から聞こえているようだった。
「ゴブリンの襲撃だーっ! 南の壁が破られたぞー!」
誰かの叫ぶ声。
人間の三倍以上の高さの分厚い壁を、ゴブリンのような小さな魔物が破るなんて通常考えられない。何が起こっているのだろう。
「行かなきゃ!」
「リリィ?!」
止める間もなく、少女が外に飛び出していく。母親の手が宙をきった。
「僕が連れ戻してきます!」
返事を待たずにリヒトは少女の後を追いかける。
逃げ惑う人々の中を逆走する。
暗闇の中、大人達の足元をくぐりぬけて走る少女の背中を見失わないように、必死に目を凝らした。
やがて街の人がいなくなり、破壊音の発生元と思われる、壁の壊れた場所にたどり着く。
付近では松明を持った人々が、壁の裂け目に向かって矢を射かけている。壁の破片が間断なく散っていた。壁の向こうから、巨大な太い腕が現れて、矢を玩具のように払う。
ちょうどリヒト達が到着したのを待ち構えていたように、怪物がその全容を現す。
緑がかった肌や尖った耳などゴブリンの特徴は残しつつも、身長は人間の倍、筋肉隆々の身体に錆びた甲冑を付けて厳めしい顔をしたソレは、もはやゴブリンなどではあり得なかった。
おそらくゴブリンロードと思われるその魔物は、手に巨大な棍棒を持っている。あれで壁を叩き壊したらしい。
「……ヤクソクノ、ムスメ、ムカエニ、キタ……」
ゴブリンロードは辿々しい口調で要求を口にした。
応戦に出てきた人々はゴブリンが人間に話し掛けるとは思いもしない。幻を聞いたのかと考え、戦いを続行しようとしていた。
現在、商店の類は店を閉じているか、開けていても商品が少なく閑古鳥が鳴いている。原因は例のゴブリンの襲撃である。毎日のようにアローリアの街近辺でゴブリンが通行人を襲うため、物資の運搬が滞っているのだ。
リリィの家はパン屋だが、原料の小麦粉や調味料が不足しているので、今は生活の必需品である棒パンの一種類くらいしか作っていない。
今回は迷惑を掛けたお詫びで特別に、残っている材料を使ってクリームパンを作ってくれるそうだ。
「ところで、なんでゴブリンは君を狙ってるんだい?」
椅子に座って荷物を下ろしたリヒトは、食事の用意が整うまでの間、暇なので雑談がてらリリィに話し掛ける。
リリィは弾かれたように勢いよく答えた。
「よく聞いてくれました、お兄さん! 実はウチのお父さんがね、旅の途中でゴブリンの王様に助けられたんだって!」
「ほう」
モンスターと名高いゴブリンが人間を助けるとは奇怪な。
リヒトは興味深く相づちを打った。
「その時にウチのお父さん、お礼に娘を嫁に出しますって言ったそうよ」
「そりゃまた……マジで?」
「大マジよ! 私が12歳になったら、ゴブリンの王様が迎えに来るから渡すって話だったの。でも、お父さんったら、すっかりその事を忘れてたから、ゴブリンの王様が怒ってるのよ!」
少女は憤りながら説明する。彼女は、約束を重視する正直で潔癖な性格の子供らしい。
食器を運んできた母親が話に割って入った。
「そんなの、お父さんの作り話に決まってるじゃないの。この子ったら本気にしちゃって」
「お母さん!」
「もし本当だとしても、そんな魔物との約束なんて守る必要はないわ。放っておけばいいのよ。きっとゴブリンは勇者様がやっつけて下さるから」
「……」
話題の勇者様を教会に差し出して自分は帰ってきたリヒトである。
「リリィちゃん」
「何よ」
「ゴブリンは醜くて人間の言葉が通じない化け物だよ。そんなところにお嫁に行くなんて怖くないのかい?」
えらく積極的にゴブリンの元に行きたがる少女を疑問に思ったリヒトは、理由をたずねる。
少女は不思議そうにした。
「え? おとぎ話ではゴブリンって妖精の仲間よね。絵本ではすごく可愛いかったよ?」
予想外の返答。
リヒトは咳払いした。
「リリィちゃん……さては君、ゴブリンの実物を見たことないね」
「そ、それは確かに見たことないけど。でもきっと、妖精の王様だからスマートで格好いい金髪のお兄さんなのよ!」
少女は胸の前で拳を握って目をキラキラさせた。
彼女の頭の中には、ゴブリンという名前の
リヒトは悲嘆にくれて目頭を押さえる。
「ああ……無知とは幸せなことだ。僕は今更ながらに思い知ったよ」
「ちょっと、お兄さんは私より数個年上なだけでしょ! 分かった風に言わないでよ!」
「数個も年上さ。僕はゴブリンを実際に見たことがある。あれは君の想像のような綺麗な妖精じゃない」
淡々と諭すように言うと、少女はへの字口になった。
「皆、そう言って私を街の外に出さないようにするのよ。聞き飽きたわ!」
リリィは同じ事を複数人に言われたのか、一向にこちらの言うことを信じようとしない。
知らない方が幸せな事も世の中にはある。
リヒトは説得を諦めた。
パン尽くしの夕食をご馳走になった後、空き部屋で毛布を借りて眠りにつく。
事態が急変したのは、その夜のこと。
ズガーンと大きな音が遠くで鳴って、目が覚める。
「なんだ……?」
不穏な空気を感じたリヒトは上着を羽織って部屋の外に出た。
夜は真っ暗になる街に、騒ぎに気付いた人々が起きて次々に非常用の灯りを付けていく。物音は街を囲む壁の方から聞こえているようだった。
「ゴブリンの襲撃だーっ! 南の壁が破られたぞー!」
誰かの叫ぶ声。
人間の三倍以上の高さの分厚い壁を、ゴブリンのような小さな魔物が破るなんて通常考えられない。何が起こっているのだろう。
「行かなきゃ!」
「リリィ?!」
止める間もなく、少女が外に飛び出していく。母親の手が宙をきった。
「僕が連れ戻してきます!」
返事を待たずにリヒトは少女の後を追いかける。
逃げ惑う人々の中を逆走する。
暗闇の中、大人達の足元をくぐりぬけて走る少女の背中を見失わないように、必死に目を凝らした。
やがて街の人がいなくなり、破壊音の発生元と思われる、壁の壊れた場所にたどり着く。
付近では松明を持った人々が、壁の裂け目に向かって矢を射かけている。壁の破片が間断なく散っていた。壁の向こうから、巨大な太い腕が現れて、矢を玩具のように払う。
ちょうどリヒト達が到着したのを待ち構えていたように、怪物がその全容を現す。
緑がかった肌や尖った耳などゴブリンの特徴は残しつつも、身長は人間の倍、筋肉隆々の身体に錆びた甲冑を付けて厳めしい顔をしたソレは、もはやゴブリンなどではあり得なかった。
おそらくゴブリンロードと思われるその魔物は、手に巨大な棍棒を持っている。あれで壁を叩き壊したらしい。
「……ヤクソクノ、ムスメ、ムカエニ、キタ……」
ゴブリンロードは辿々しい口調で要求を口にした。
応戦に出てきた人々はゴブリンが人間に話し掛けるとは思いもしない。幻を聞いたのかと考え、戦いを続行しようとしていた。