01 羊飼いの少年

文字数 2,288文字

 地味って素晴らしいとリヒトは思う。
 注目されないのは楽だし、誰かに期待されて仕事を押し付けられたりすることもない。地味最高、一般人は天職だ!

「君もそう思うでしょ? メリーさん」
「メエエエー」

 ブラシで毛をすいてやりながら声をかけると、羊が心得たように鳴いた。メリーさんは小柄ながらフカフカの羊毛を持つ、柔らかくて可愛いリヒトのお気に入りの羊だ。

 リヒトは農業中心の小国アントイータの村に生まれた。
 職業はご覧の通り羊飼い。
 貧しい農村なので、リヒトのような少年も大人の仕事を手伝って働いている。働くといっても羊飼いの仕事は、羊を連れて山を移動するだけなので楽だ。
 そろそろ十代も中頃の年齢で、街の教会に読み書きを習いに行くように通達が来ているが、リヒトは行くつもりはなかった。勉強何それめんどい。田舎の農村は国の法律など関係ないゆるゆるの雰囲気なので、別に教会に行かなくても怒られない。

「毎日、羊と日向ぼっこして何が楽しいんだよ。理解できねー」

 一緒に羊飼いをやっている村の少年、レイルは、リヒトと意見が違うらしい。
 彼は目鼻立ちの整った金髪碧眼の貴族のような容姿の少年だった。
 灰茶の髪に濃紺の瞳の地味なリヒトと違って、街に出ればさぞかし目立つし女性にモテることだろう。
 レイルの背はリヒトより頭ひとつ分高い。自分の背が低く童顔で、年齢より幼く見えることを、リヒトは密かに気にしていた。

「俺は街に出て冒険者になる!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「俺がいなくなったら、お前は一人で羊を見ることになるんだぞ!」
「うん。僕は羊さん大好きだから、面倒みる頭数が増えても構わないよ。むしろウェルカムだ」
「そうじゃなくて、寂しくないのかよ!?」

 いきり立つ友人に、リヒトは首を傾げる。
 少し考えて、ようやくレイルの言いたいことに気付いた。

「そうか、君は寂しいのか。ごめん、僕は全然寂しくないや。大丈夫、君なら街に出ればすぐに友達が沢山できるさ」
「違う! いや寂しいのはそうだけど俺の言いたいことはそうじゃないんだ! お前も一緒に街に行かないかって、誘ってやってるのに!」
「え? そうなの?」
「ああもうっ!」

 論点が色々ずれているが、レイル少年の言いたいことは明白だ。
 彼は年の近い友人に一緒に来て欲しいのである。
 しかし天然なのかリヒトの返答はズレていた。

「誘ってくれて嬉しいけどレイル、僕は羊さん達を愛してるんだ。この子達を置いてどこかに行くなんて、考えられないよ」
「メエー」
「俺の友人としての価値は羊以下だったのか……?!」

 レイルは友人との間に横たわる大いなる価値観の相違に戦慄した。横で羊さんが暢気に鳴く。今日も天気が良い。

「くそっ、後で後悔しても知らないからなー!」
「あ、レイル」

 少年は男泣きしながら丘を駆けおりていった。

「メエー(後を追わなくていいの?)」
「羊さん、男には触れてはいけないプライドがあるんだよ」

 羊のメリーさんは、レイル少年の追いかけて欲しいオーラを察していたが、肝心のリヒトは全く察していなかった。

「追い付かないように、ゆっくり村に帰ろう」
「……メエー(天然は残酷)」

 数頭の羊を引き連れて、ゆっくり村に向かって歩くリヒト。
 村に帰りつくと、いつもは平和な農村の人々が何故か、ざわめいていた。

「困ったぞ……」
「どうしたんですか?」
「ああ、リヒトか」

 道端に集まって深刻そうに話をしている大人達に、リヒトは近付いて事情を聞いた。聞き分けが良く仕事ができるリヒトは大人達の受けが良い。帰ってきたリヒトに気付いた彼らは表情を和らげた。

「村外れの岩に刺さっている伝説の聖剣のことは知っているだろう」
「ああ、昔の勇者様が残していったものを村の観光資源にするために、岩に固定したヤツですね」
「リヒト、そういうことは小さい声で言いなさい……その聖剣なんだが、お前も知っている村娘のアニスが引き抜いてしまったのだ」
「なんですって……?!」

 リヒトは思わず息を呑んだ。

「あの特製強力接着剤で岩に固定された聖剣を、いったいどんな馬鹿力で……というか、抜けて何か困ることがあるんですか?」

 聖剣なんて言っても、ちょっと豪華な只の剣だ。
 抜いた者が勇者になるとか、そういった副次効果は特にない。

「うむ。聖剣はどうでもいいのだが、問題はあのアニスに剣を持たせてしまったことなのだ。あそこの親子仲は相当悪いを通り越して崖っぷち、転落寸前の崩壊状態。武器を手に入れたアニスは父親を切り殺すと息巻いていてな……」
「それは滅茶苦茶ヤバいじゃないですか! なんで誰も止めようとしないんですか?!」

 見回すと集まっていた大人達は明後日を向いた。

「他の家の教育方針には口出しできん……」
「というか凶器を持ったアニスちゃん怖い……」
「間に入ったら殺されそう」
「……あんたら、それでも責任ある大人ですか?!」

 誰も噂話をするばかりで止めようとはしていないらしい。
 呆れ果てたリヒトは身をひるがえした。

「リヒト、お前まさか今からアニスのところへ行くつもりか?!」
「そんな訳ないじゃないですか」

 幼馴染みの少女を止めに行くつもりかと、大人達は彼の身を案じた。しかし、リヒトは否定する。

「ちゃんと羊さんを畜舎に帰してから行きますよ!」

 結局行くんだ……微妙にずれた会話に、聞いていた人々は遠い目をした。
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登場人物紹介

リヒト


主人公。灰茶色の髪に紺色の瞳で、大人しい雰囲気の細身の少年。

一般人を自称するが、そのマイペースぶりは一般人の枠を超えている。

空気を読んでいるようで読まずに周囲の思惑とずれた発言をするが、

薄情なようで人情に厚く、人当たりが良い癖に飄々とした性質は不思議と人に好かれる。

羊を愛し、自分の天職は羊飼いであると思っている。

ソラリア


腰まで伸びた淡い金髪と水色の瞳に冴えた美貌の、涼しげな印象の少女。

ランクの高い天魔の能力を持ち、鳥達を操ることから聖女と崇められている。

実は鳥の魔物(ハーピー)達に育てられた過去を持つ。

友達はカラスだけ、人間は信じられず、生きるために教会を利用していたが、

リヒトとの出会いによって少し考えが変わってきたようである。

メリーさん


リヒトの飼っている羊。

人の言葉を理解しており、リヒト達の会話に突っ込みを入れているが、

読者以外は誰も彼女の言葉の意味に気付いていない。

普通の羊より小柄な体格で真っ白で綺麗好き。いつでもふわふわ。

巨大化したり分裂したりする。羊だが手紙も食べる。

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