03 彼女の歌

文字数 2,288文字

 歌が聞こえる。
 冷たく透き通った秋空のように、高く響く女性の声だ。
 
 リヒトは夢を見ていた。
 天魔の欠片が見せる夢だ。

 夢の中でリヒトは古い城のテラスに立っている。
 見下ろした城下町は、見る影もなく炎に巻かれている。空には不穏な黒雲が渦巻き、月光を覆い隠していた。
 世界の終わり。
 それを目前にしながら、リヒトの心は不思議と穏やかだった。
 リヒトに天魔の欠片を与えた元の主は、この危機に対して腹をくくっているようだ。冷静に状況を見定めて、最後の決断を下そうとしている。
 部屋の中からカツンカツンと足音が鳴って、背後に誰かが立った気配がした。

「何をするおつもりですか……?」

 柔らかく高い女性の声が問いかけてくる。
 夢の中のリヒトは振り返らないまま腕を上げて、前方を指し示した。

「見てごらん」

 暗い空から降るは、滅びの流星。
 凄まじい速度で落下してくるそれは、目の無い暗黒の龍魚達。小屋ほどの大きさで、身体は暗い鱗に覆われている。透明な尾びれで彼等は空中を泳いだ。
 空から無数に降ってくる暗黒の魚は、地上に辿り着くと次々に呆気にとられる人々を飲み込んでいく。

「あれらは外界より来たりし滅びの星。世界を襲う災厄そのもの」

 彼らが世界の外からやってきた当初、この世界の者達は言葉を交わし、友好を為そうとした。特に寛容で穏和な気質の神々や天使は、異なる世界の者達でも受け入れようとしたのだ。しかし、敵は友好の手をはねのけ襲ってきた。天使達は真っ先に侵略の犠牲となった。
 言葉は通じなかった。
 ただ一方的な侵略が始まったのは、いつのことだっただろう。
 最初は優勢だったように思う。
 しかし敵は無限に沸いてくるようで、戦いはいつ終わるともしれなかった。
 やがて世界と外界を隔てる最後の壁は壊され、大量の龍魚が降ってくるようになって、天魔達は打つ手を失ったのだ。

「気付いているかい? あの災厄は人のかたちをした者ばかりを襲っている。動物や鳥は襲われていない」
「そういえば……」

 後ろに立つ彼女は、指摘されてようやく気付いたというように呟いた。

「あれらは目がない。だから視覚ではない独自の感覚で標的を決めているようだ」

 彼女に説明するために、夢の中のリヒトは淡々と言葉をつむぐ。
 いや、彼女ではなくリヒトに説明するためか……?
 分からなくなる。
 彼とリヒトの意識の境目は、今、限りなく溶け合っている。

「子供が食われた後は親、親が食われた後は、親戚や友人が犠牲になっている。枝葉を辿って、あれらは一種の感染病のように、目に見えぬ絆の繋がりをさかのぼり、殺戮を続けているのだ。だったら……」

 その繋がりを、断ってしまえばいい。

「私は世界を断ち切ろう」

 この"私"こそは最弱にして最後の天魔の王。
 無能だ地味だと散々馬鹿にされてきた。剣のひとつもまともに振れない、魔法のひとつも放てない、お飾りの魔王。
 長い間、意味もなく苦労しながら玉座を暖め続けてきた。
 そんな"私"が最後に生き残った天魔とは、つくづく皮肉なものだ。

「我が(つるぎ)は全ての(えにし)を断ち切る、絶縁天魔のレピドライト」

 これは世界を滅ぼす絶縁の(レピドライト)
 本来は終焉を導く武器であるこれを今、命をつなぐために振るおう。この滅びは終わりではなく始まりを謳う。

 世界は分断される。繋がりを絶たれた人間達は誰もお互いの言葉を解せなくなり、世界は混沌の淵に落ちるだろう。
 歌も物語も語り継いでいく人々がいてこそ。
 ゆえに、誰も"私"のことは思い出さないだろう。
 魔王が世界を救った、なんて。
 そんな笑い話は後世の誰も知ることはない。

「これでお別れだ。君も、私のことは忘れてしまうだろう」
「……いいえ」

 しかし、最期まで付き従ってくれた側近の彼女だけは、"私"の考えを否定する。

「いいえ、いいえ。私は覚えています。絶対に忘れません。世界がバラバラになって、すべてが終わってしまっても、お慕い申し上げております。我が君」

 別れの言葉を背中で聞きながら手にした剣を振った。
 己の生命、魂の全力を剣に込める。
 世界などという大それたものを断ち切るには、そのくらい全力でなくてはならない。いや、足りないくらいであろう。しかし、この魔剣と"私"自身の特殊な天魔の力が不可能を可能にする。

 今、この視界には世界に張り巡らされた人々の絆が、青白い線となって見えている。蜘蛛の巣のように世界をおおうそれを、手にした剣で切り裂いた。
 一瞬、精神を切り裂かれた無数の人々の悲鳴が聞こえた気がした。
 すぐにそれは収まり、地上で人を食っていた暗黒の龍魚達の動作が止まる。
 目標を失った龍魚達は夢から覚めたように跳ねて、そのまま次々と空に逆戻りしていく。

 退却していく災厄を見送って、仰向けに倒れた。
 意識が遠ざかっていくのを感じながら、最後に夜空を見上げる。いつの間にか闇は晴れて無数の星が漆黒の天涯に煌めいていた。
 満天の星空は例えようもなく美しい。夢の中で溶け合っていたリヒトから彼の意識が分離して、星空に吸い込まれるように消えていった。
 
 歌が聞こえる。
 彼女の歌だ。
 最後まで一緒にいてくれた……が口ずさむ歌が、世界を包み込んで天に還る魂を見送っている。

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登場人物紹介

リヒト


主人公。灰茶色の髪に紺色の瞳で、大人しい雰囲気の細身の少年。

一般人を自称するが、そのマイペースぶりは一般人の枠を超えている。

空気を読んでいるようで読まずに周囲の思惑とずれた発言をするが、

薄情なようで人情に厚く、人当たりが良い癖に飄々とした性質は不思議と人に好かれる。

羊を愛し、自分の天職は羊飼いであると思っている。

ソラリア


腰まで伸びた淡い金髪と水色の瞳に冴えた美貌の、涼しげな印象の少女。

ランクの高い天魔の能力を持ち、鳥達を操ることから聖女と崇められている。

実は鳥の魔物(ハーピー)達に育てられた過去を持つ。

友達はカラスだけ、人間は信じられず、生きるために教会を利用していたが、

リヒトとの出会いによって少し考えが変わってきたようである。

メリーさん


リヒトの飼っている羊。

人の言葉を理解しており、リヒト達の会話に突っ込みを入れているが、

読者以外は誰も彼女の言葉の意味に気付いていない。

普通の羊より小柄な体格で真っ白で綺麗好き。いつでもふわふわ。

巨大化したり分裂したりする。羊だが手紙も食べる。

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