第 8話

文字数 5,053文字

 代志乃の家から帰る道すがら、芳斗はいたくはずんだ気分だった。これまで代志乃をアイドル級に可愛くて素敵な子だなと眺めていて、あこがれの感情も持っていた。しかし本命がジャニーズ系男子の西崎瑠蘭では、太刀打ちできないとあきらめていたのである。午前中の彼女の過剰好意にあってさえも、むしろ西崎へのあてつけと邪推したほどだった。
 ところが芳斗を部屋に引っ張り込んで、長々語り聞かせた親の経歴。且つ尻切れトンボになった問題の「あたしのこと……」である。続きは「両親が元ヤンキーだけど、どう思ってる?」だろうし、頑なに否定した西崎との関係。半分は冗談として「惚れちゃったかも」を加えると、日登美が推察したように二股もしくは乗り換えようとしている可能性十分と考えていい。
 そのきっかけが『未来か、並行世界の芳斗?』の言ったケーキ試食によることも間違いないようだ。そして気になるのが『八幡宮に』の書き置きである。この界隈に八幡宮がいくつくらいあるのか、高い場所から確かめてみようという考えを起こしたのは自然の成り行きだった。
 呉服屋時代より数えると創業百年、繁華街の老舗百貨店〈(まつ)瓦屋(がや)〉へ行ってみることにした。
 デパート近くまできて急ぎ足で追い越していった女性に肩をぶつけられても、気分がいいと笑って許せる。
 店に入っていくと、偶然にも担任の木村先生にばったり出くわした。
「こんなところで会うとは思わなかったな。買い物か」
「え、まあちょっと用があって。それより先生こそどうして」
「おれか、おれもちょっとした用があるんだ」
 芳斗は槙田代志乃の一件を話すチャンスだと思った。
「先生、実はご相談したいことがあるんです。もし時間があれば、用事をすませたあとにでもつきあってほしいんですが」
「おまえに話があるとは珍しいな、よし数学でも理科でもなんなりと聞いてやるぞ」
 月曜日ということもあり、客数はまばらだった。ゆるやかに上昇するエスカレーターにのっかると芳斗はたずねた。「ところで先生の用って何階にあるんですか」
「六階催事場の恐竜ロボット展さ。今日が最終日なんだ」
 芳斗は木村先生の顔をまじまじと見つめた。「えー、先生それって子供が見に行くものじゃないですか?」
「教師たるものはあらゆる方面における理解と知識が必要なんだ。実物二分の一サイズで実物とほぼ同じ動きのティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴサウルスという人気恐竜の三体の登場だ。目玉はこの三体によるバトルロイヤルとくる。大人でも見て損ないじゃないか」
 芳斗の脳裏に、()(たけ)びあげながら押し合い噛みつき合っている恐竜ロボットたちのド迫力ビジョンが浮かんだ。たいていこの手のものは期待したほど面白くないのだが、興味が湧いてきた。「それだったらぼくも観てみたいですね」
 まあまあの客数を集めた会場にはビートの利いた音楽が流れており、合成樹脂製の結構リアルボディの恐竜三体がリズム無視で体を揺らしていた。しばらく退屈な前フリが続くようなので、先に神社の確認しておこうと屋上駐車場へ向かった。
 老舗デパートだけには建造が古く、隣接する立体駐車場が後で建てられている。そのためかデパートとの間に三、四メートルほどすきまがあり、各階の出入り口は橋というか通路で連結されていた。両親とクルマで来たことは何度もあるが、屋上にでるのは今回が初めてだった。この時間帯ともなると屋上駐車場はがらがら。五十台以上駐車できるスペースにわずか数台の少なさで、人の姿はどこにもなかった。
 高く張りめぐらせた金網に顔をくっつけるようにして、まずは代志乃宅の方角に視線を走らせた。と、にぎやかな話し声とともに三人の人影が屋上に現れた。目をやるなり、芳斗は背を向けすみやかに移動を始めた。下校途中、彼と代志乃をからかったチンピラ信号機トリオなのだ。また冷やかされるのはいやである。
「やあ、にいちゃん。また会ったな」
 気づかれないように努力したつもりだが、すでに勘づいていたらしい。近寄ってきて声かけた。仕方なく芳斗は立ち止まり、今気づいたといったように、はっと顔を向け「あ、どうも」という感じにお辞儀した。
 両頬が腫れたように突起した、背に金ピカ龍が舞うリーダーらしき赤髪男が陽気に声かけた。「どうしたの、ひとりぼっちで。彼女とケンカ別れしたのかい」
 彼らは心底おかしくてならないという具合に、体を折り曲げてゲラゲラ笑った。三人とも目付きが据わっている。そしてやはり、吐く息が酒臭かった。
「タケ兄ぃ、きっとこいつぁここで夕焼けなんか眺めながら、彼女にふられた傷心を癒してたんだよ。〇〇ちゃんぼくが悪かった、思い直してくれえ…… なんちゃってよう」でっぷり太って貫録のある、お経の文字が入った薄紫のジャケットもハチ切れそうな、どちらかといえばこちらが兄貴ふうの黄髪男がそれを受けて更に茶化し、またどっと笑った。日中から酔っ払うほど飲酒し、しかもデパートにくること自体理解できないが、この連中にとってはそれが常識なのだろう。となると、どうからんでくるかわからない。
「ところでにいちゃん、金貸してくんねえかな」
 からみつくような赤髪男の口ぶり。やっぱりきたかと芳斗は覚悟した。
「あのう、いくらぐらいあれば」とりあえずおとなしく従うことにした。下手に逆らって感情を刺激するよりは、持ち金を犠牲にしても身の安全を図ったほうが得である。
「そうだな、二、三万でいいや」
 芳斗はとびあがった。中学生が普段そんな金持っているわけない。冗談なのかと思ったら、相手はいたって真面目なのだ。へらへら笑いながら本気なのだ。
「あの、二千円じゃだめですか」誰かこないかなとあたりを盗み見ながら、蚊の泣く声で言った。こういう時に限って誰もいない。
「なにイ二千円。その程度か、じゃ要らねえよ……ってわけにはいかないんだな」
 黒い箱状のものをつきだした。「おい、これが目に入らぬか」
 まさか黄門(こうもん)様の印籠? と思って眼をこらすと、でかいスタンガンだった。大きさからするに十万ボルト以上の出力はありそうだ。当てられたら気絶は確実である。
 つきだしながらじわじわ接近した。まっすぐ後退していった芳斗は、まもなく金網のフェンスにぶつかり行き止まりになった。
「おとなしく有り金全部だしたほうが、身のためだぜ」
 だから二千円が全部なの、と主張しようとしてやめた。タケ兄ぃが吐く息のかかる距離まで近づき、目の前でバチバチ放電させた。
「ひゃあ!」
 のけぞる様を面白がり、「おらおら……」と脅しつつ放電を繰り返した。
「おっ、こんなところに長~い髪の毛が付いてる。やっぱ彼女といちゃいちゃしていたんだな」
 芳斗の肩から三十センチ以上ありそうな毛髪をつまみ上げタケ兄ぃはひひひと笑った。ご丁寧にもまた肩に戻して言った。「抱き合っていたんだろうが、この野郎」
「そんなことありません」芳斗は早口で否定した。代志乃の髪はそんなに長くない。
 人というものは、別の案件に気を取られているとき(ひらめ)きが起きることもあるらしい。鼻先に電極を最接近させた瞬間、とっさにタケ兄ぃの後方斜め六十度を指さし絶叫した。「あっ、UFOだ」
 実はこの街は昔から全国でも有名なほど異常にUFOの目撃例が多く、市民の百人に一人が見ている勘定になる。中には深夜遅く大編隊のUFOがピンク色の光線を舐め回すが如く地上に当てて飛び去った……夢を見ていたとしか思えぬ目撃者もいる。芳斗が度々見る悪夢もその話が原因らしい。
 そうなると目撃未経験の人は、信じる信じないにかかわらず乗り遅れた気分になり、一度は見てみたいと願うようになる。すなわち空を指し「あっ、」と叫んだら念願のUFOかと眼を向ける確率が高いわけで、このタケ兄ぃも例外ではなかった。速攻、示した方角に視線を向けた。とたん、芳斗の右手はスタンガンを目一杯押し出していた。
 冷淡な青白い放電を続ける電極がタケ兄ぃのこめかみをガチで捉えた。「ぎゃっ ……」と、悲鳴一声残し白眼をむいて膝から崩れるように倒れていった。
 全身ぴくぴく痙攣中のタケ兄ぃを、仲間二人が腑抜(ふぬ)けのように口を開けたまま数秒間眺め、ゆっくり芳斗に視線を移した。
「このやろう!」黄髪の肥満体(デブ)がとびかかる前に、芳斗は出入り口めがけ走り出していた。入り口の扉は開けっ放しになっている。店内に入ってしまえば大丈夫だ。連結通路を渡り終えたところで、追いかけてきた肥満体が元ラグビー部らしく豪快にタックルした。が、距離半歩足りず、デブの両腕は芳斗の背中を突き飛ばす格好になった。
「わーっ」前のめりで倒れ、床に顔面を打ち付けて転がった瞬間、頬骨に走る激痛で暗闇をバックに北斗七星が見えた。今日は痛い思いする度に星が現れることをいぶかりながら起きあがり、振り返ると……
 出入り口内部の照明が落ちてあたりは本当に暗闇になっており、デブの気配は感じられなかった。闇の中、後戻りして突きだした手にガラス扉の感触があった。押してみると開いた。その先の鉄製の扉も同じく開いた。
 外は夕暮れ空の明るさがあった。通路を渡り屋上を見渡すと、チンピラ仲間の二人もいなかった。さらには駐車中の数台のクルマもかき消え、見覚えのないトラックと商用車らしきワンボックス車だけが出入り口近くに駐車していた。
 屋上駐車場には彼ひとりしかいないのだった。
「これは、どうしたことだ?」しばし、彼は呆然と突っ立っていた。何度目をこらしても景色に変わりはなく、複数の人間や車両が一瞬のうちに消滅したのである。
 また例の現象が起きたのだ。そういえば空気がひんやりと身にしみる。まるで朝方のような寒さだ。眼下を見渡すと、クルマはほとんど走っていなかったし、通行人に至っては全然見かけない。町全体が休息している印象なのである。
「まさか」
 彼は没しようとしている夕日を見た。方角を調べ、確信した。あれは夕日ではなく朝日、それもあの時刻から未来なのか過去なのかもわからない夜明けごろなのである。となると、店内に入るわけにはいかない。見つかったら不法侵入になってしまう。
 芳斗は泣きたくなった。今日はどうしてこう不思議なことばかりいっぺんにふりかかるのだろう。夢ならどんなにいいだろうかと思った。
 一陣の風が吹き抜けた。その身を切るような冷たさはこれが現実であることを示唆していた。起きてしまったことを嘆くより、これからどうすべきかが大事なのだ。
 連結通路と屋上の境目は一段低くなっており、彼はその段に腰を下ろした。ここにいれば警備員に見つかることはないだろう。問題はこの寒さだった。徐々に和らぐとはいえ、開店時間までこうしていたら凍えてしまう。
 待てよ、と彼は思った。元の時間に戻ることはできないのか。さきほど転んで顔を床に擦ったことを思い出した。昼休みのラーメン屋でもカウンターに頭をぶつけた直後、不可解な現象が起きた。どうも突発的な痛みが引き金になっているらしい。試しに胸の高さまである通路の柵というか鉄製の手すりに額を二、三度打ち付け、その都度あたりの景色を確かめたが、何の変化もない。
 やはり故意の痛みではだめらしい。とはいえチャンスがいつやってくるともしれないし、とんでもない時間に跳ばされても困る。明日の朝六時に必ず起床するぞと言い聞かせると、その時刻に目が覚めるのと同じ理屈かもしれないので、元の時間に戻るんだ、という言葉を唱え続けることにした。
 ふとあたりを見渡し、二トントラックとワンボックス車がまた目に入り急に疑問が湧いた。何でこんな時間に駐車しているのか。あれは業者がエレベーターや階段で運ぶには困難な機材かなんかを搬入してきて、内装工事しているのじゃないか。デパートの内装工事は夜中に行い徹夜になることも珍しくないというし、もし未来に跳んだのであれば恐竜ロボット展が終了だから、後かたづけや次の催事の準備がまだ済んでいないのかもしれない。業者がここから出入りしていて、鍵が開いていたのだろう。
 などと考えながら無意識にまた出入り口に近寄っていた。扉のすぐ近くだったら見つかることもないだろうし、これほど寒くもないと考えたのだ。
 両開きの鉄製の右扉を少し開け、すぐに閉めた。誰かがやってくる足音がかすかに聞こえたのだ。(はじ)かれたように数メートルほど駆け出し振り向いた。と同時にドアが開き勢いよく人がとびだしてきた。        
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