第15話

文字数 5,111文字

 夕食時、一家の話題は芳斗に集中した。昨日はデパートで失神し、入院。一夜明けて今日は同級生のひき逃げ事件の目撃者。おまえも忙しいやつだなあ、と父が苦笑した。彼は事件後、代志乃が病室を訪ねてきたことは伏せていた。そのため両親は未だに代志乃が行方不明と思っており、安否を気遣うと共に犯人への怒りをあらわにした。
 テレビがニュースの時間帯に入った。そろそろ代志乃無事帰宅という報道がでる頃である。そのニュースを聞いた父母がどんな顔するか多少楽しみでもあった。
 しかしあまりに謎だらけの事件だけに規制がかかっているらしく報道されず、病院から逃走し病死した杉伊小夜子という女性のニュース、そしてデパートの立体駐車場から転落者があったこと等が続いた。
 気がかりなことに代志乃からメールの返信もないし、ケータイにかけてもつながらない。固定電話で確かめようとし、槙田家の番号を捜すうちに思いとどまった。事実を知ることの怖さもあったが、槙田宅では現在、親族知人警察関係者でごった返ししているおそれもある。そこに電話を入れるのはやはり気がひけた。
 なに本当はもう自宅に戻っていて、ケータイをいじる暇もないほどあわただしいのだ、と無理に思いこむことにした。
 翌日、代志乃との約束を果たすためいつもより三十分早く家を出た。朝早くだけあって登校中の生徒は見かけない。歩きながら芳斗はふと誰もいない教室で代志乃と二人っきりで話し合う様を想像し、ある種の後ろめたさを意識した。そういえば最近彼女と一対一でふれあう機会が多い。もし同級生が入ってきたら、という危惧が心をかすめた。
 校門の少し向こうに濃紺のキャスケットを目深に被った、茶系のコートに同色のフレアースカートという地味を強調した装いの若い女性がうつむき加減でたたずんでいた。水色のブラウスの襟が鮮やかに目立っている。コートのポケットに両手をつっこみ、人目を忍ぶようにあたりをちらちら伺って落着かぬ様は、誰かを待っていると見た。許されぬ恋、という雰囲気がどことなくしないでもない。こんな朝早くから、こんな場所で待ち合わせかよ。芳斗はそうつぶやきつつ歩を進めた。
 門をくぐろうとしたときだった。その女性が駆け寄ってきて安堵したようにほほ笑んだ。「あー、よかった」
 芳斗は周囲を見回した。誰もいない。ということは、この女性の待ち人とは芳斗らしい。
「ぼくが……ですか?」
「忘れっぽいのね」
 相手女性はあきれたように言った。顔に見覚えがあった。名前を思いだし、そして震えだした。「しかし、あなたは亡くなったはずじゃ」
 彼女はまた微笑した。「いいえ、まだ生きています」
「で、では、どうしてここにいるんですか。まさかぼくに」
 相手がうなずいた。
「あのときのお礼を述べたいし、もひとつ、お願いがあって」
 病死したはずの女性が目の前にいる。それに彼がこの学校の生徒で、こんな時間登校してくるのをなぜ知っていたのだろう。彼は名状しがたい恐れを感じた。
「待ってください。ぼくだって訊きたいことは山ほどあるけど、今はだめです。じきクラスメートと相談することがあるんです」
「相談がすんだ後なら、いいわけね」
「いえその後は、授業があります。放課後じゃないと困ります」
「わかりました。放課後までここで待っています」
 笑みは浮かべていたが、冗談を感じさせぬ口調でそう言った。
「自己紹介が遅れたけれど、わたしは杉伊小夜子です」
「え? ええ、ぼくは秋山芳斗といいます」
「では芳斗君、放課後、忘れないでね」軽く念を押し、校内に入るよう促した。
「あ、じゃ失礼します」
 思わず芳斗は会釈した。生徒玄関に入るまで何度も振り返った。
「一体、どうゆうことなんだ?」誰もきていない教室に着くとひとりごとが口をついて出た。杉伊小夜子には双子の姉妹がいたのだろうか。亡くなったのは逮捕され脱走したほうで…… いやそれはおかしい。彼女はあのときの礼を述べたいと言ったではないか。芳斗を知っているのであれば同一人物ということになる。ということは、これもタイムリープが絡んでいるのか。
 五分経ち十分過ぎても代志乃は現れなかった。少々気になった。廊下の窓から校門のあたりを眺め、杉伊小夜子が門に寄りかかってこちらを見ているのに気づいて顔を隠した。一度帰ってから放課後また来るものと思っていた彼としては、放っておくわけにもいかなくなった。外へとびだした。
「あら、もう相談すんだの」
 駆けよってきた芳斗に小夜子が意外な顔をした。
「そうじゃないけど、ただ杉伊さんが気になって。用って妙ちくりんなオブジェのことでしょう。だったらありませんよ」
「ない!」相当がっかりしたような小夜子の溜息が聞こえた。 
「昨日、ある人にあげたんです」
「その人って、知っている人?」
 芳斗は返事をためらった。白状することで代志乃に迷惑が及んでも困る。
「重要なことなの、教えて」
 必ず聞きだすといった強い意志を表す眼だった。
「同級生の女生徒です。もうきてもいい頃なんだけど」
「きみはどこで手に入れたのかしら」
「つい最近のフリーマーケットですよ」
 少し考えこむ小夜子から視線を外し、芳斗は代志乃が登校してこないかと周辺に気を配った。「それでその子がとても奇妙な体験をしたとか、聞いてない?」
「あのオブジェがタイムリープを起こしていたんですね」
「そう、あれは、ほんとはオブジェじゃなくてコファーという、サイキックマシーンなのよ。どんなことがあったの、その子に」
「昨日ひき逃げされたうえいなくなっちゃったんです。ところがしばらくしてぴんぴんしてぼくの前に現れたんです。そのコファーとかを渡したのはそのときです」
 小夜子は目を見張った。「昨日ひき逃げがあったの? それでその後、きみに会いにきたわけ」彼女はまた黙考し、ほどなく判断を下した。
「これからその子……名前はなんというの」
「槙田代志乃、です」
「槙田さんを捜しに行きましょう。一緒にきてくれるね」
「えっ、じき登校してくるんですよ。そもそも相談ってその槙田君と話し合って、事件を担任の先生に伝えることなんです」
 きっぱりと小夜子は言った。「わたしは、槙田さんはこないと思う。捜しに行かない限り」
「でも授業に遅れたらまずいし、そう言われても」
 半信半疑で渋々顔の芳斗に彼女は厳しい態度をみせた。
「わたしたちが動かなければ、槙田さんは永遠に帰ってこないでしょう。授業は心配しないで、わたしがなんとかする」
 永遠などと聞くと事の重大さにとらわれる。授業をなんとかするとは具体的にどういうことなのか気がかりではあるが、切迫感ある彼女に押され同意してしまった。
「それに、わたしについて知りたいことが山ほどあるのなら、いい機会よね」
 歩きだしてまもなく、登校してきた遠藤日登美と出会った。芳斗と見るや泣きださんばかりの顔でしゃべりまくった。
「あたし昨夜、代志乃と連絡がつかないから、自宅に電話したらひき逃げされて行方不明と聞いてびっくりしたのよ。そういえば秋山君、事故を目撃したって言ったじゃない、どういうことだったの、教えてよ?」普段、元気がいいと逆にとりみだしかたもひどい。最後のほうは涙声になった。ここでわんわん泣かれては大変である。
「いや、それだったら心配ない。ぼくの見間違いだったんだよ」
「えっ、でも今、代志乃の家に行ってきたんだけど、まだ戻ってないし犯人らしい者からの連絡もないって聞いたよ」
 全身に冷たいものを感じた。思わず小夜子を見ると、曇った表情でひとつうなずいた。どうやら彼女の言うことは事実らしい。
「代志乃、殺されてどこかに捨てられていたらどうしよう」
 日登美がとうとう泣き出した。「ところで秋山君、これからどこへ行く気なのよ」
 ぐすんぐすんいいながらも、目線を芳斗と小夜子に交互に移し不審をありありと浮かべてたずねた。
「うん、だから彼女を捜しに行くんだよ」
「え! じゃこの女の人、まさか刑事さん?」
「いや違うけどさ」
 芳斗と日登美の姿を見て、下平雄星が近寄ってきた。鼻水すすりあげて日登美が言う。「あ、下平君。代志乃まだ行方不明だから、これから捜しに行くんだって秋山君」
 事件のことは日登美から聞いていたらしく、芳斗を睨みつけて訊き返す下平。
「捜すってきみが。それは警察の仕事だろ。第一授業はどうする気だよ、今日も欠席か」ちょっと痛いところを突かれたが、芳斗は動ぜず小夜子のセリフをぶつけた。
「ぼくたちが捜さない限り、槙田さんは永遠に戻ってこないんだよ。きみも協力しろよ」歩きだした。なに言ってんだこいつ、てな顔で下平が追いかける。
「待て、それにその女の人は誰なんだ。きみとどんな関係があるんだ。待て、言え」
 誰なんだも、どんな関係なんだも彼自身はっきりわからないのだから、こたえようがない。
「そのうち話すよ」ふりきるように小走りで駆けだし、小夜子がついてこないのにふり向くと、彼女は下平と日登美に話をしていた。短いやりとりの後、二人は十分納得した様子であっさり引きあげた。小夜子が追いつくと芳斗は感心したように訊いた。
「どうやって追い返したんですか」
「芳斗君は欠席しません、授業にも遅れません。と言っただけ」
「はあ、それだけで」
 単純な二人だな、とまたあきれた。しかし、そんな短時間内に代志乃を見つけられるものか不安にもなった。たしかなあてでもあれば別だが、それだったら何も芳斗を同行させなくてもよさそうなものである。
「まずどの辺から捜すんですか」
 向かう場所を決めているように、どんどん歩を進める小夜子にさぐりをいれてみた。
「その前に、会ってもらいたい人がいるの。そこですべてを説明し、きみの質問にもこたえるから」
 話がおかしな具合になってきた。会ってもらいたい人。すべて説明する。魂胆があるようないやな予感にかられた。
 五分ほど歩き、一、二階合わせて八世帯の小さなコーポラスに着いた。新築らしい(まばゆ)いばかりの白で統一された現代感覚ただよう建物である。敷地の周囲も白い柵で囲んでおり住んでいるのがみな若者に思えてくるしゃれたたたずまいだった。
 ひとつのドアの前にきて呼び鈴を押す小夜子。まもなく出てきたのは彼女より二、三歳年上とおぼしき男性だった。温厚そうな顔立ち、ひょろりとした痩身には知的な雰囲気があった。だが、小夜子と顔を合わせるや目をむき、すごい勢いでしゃべりまくった。
「どこへ行ってたんだ朝早くから。心配してたんたぞ、おまえってやつはもう……」
 小夜子の陰にいた芳斗を見て、おやという表情に変わった。激しい叱責にびびりもせずにっこり笑って小夜子は紹介した。「そう、彼が、命の恩人の秋山君よ」
「ああ、どうも失礼しました。だけどなあ、それならそうとひとこと断ってくれよな。ま、いいや。とにかくあがってください」
 愛想よく青年に勧められ、小夜子にも促され芳斗はおずおずと室内に足を踏みいれた。どうやら彼は小夜子の無断外出が不満らしいが、芳斗を連れてきたことは歓迎らしい。芳斗はぐちっぽいところがむしろ善良そうな青年に好感を持った。一組の若夫婦家庭に招かれた気分で、さきほどの不安はどこかにけしとんでいた。
 八畳のリビングルームに案内された。中央にデコラのテーブル、三人がけのソファがひとつあって反対側にはテレビやオーディオ類。よく整理されているが独身男性の室内という印象を受けた。芳斗をソファに坐らせると青年は玄関でしばらく小夜子と立ち話をして戻ってきた。「わざわざ足を運ばせて申しわけない。ぼくは、ここでは田村輝彦ということになっている」彼はおかしな自己紹介をした。
「と言ってもそれはこの身体の持主の名前であって、躰に宿っている心は違う。信じられないだろうが、ぼくたちの心というか人格はこの時代より十年後の未来からやってきたんだ」
「未来から、心だけですか」
「そう、簡単に言うと、この田村輝彦さんの心が逆に十年後のぼくの躰に移ったわけだ。本当の名前は、沖野翔一郎。同じように杉伊小夜子さんと入れ替わったのは、妹の若奈だ。ここで呼ぶときは、田村、杉伊でかまわない」十年後といえば芳斗は二五歳、自分はどんな大人になってどんな暮らしをしているのか、ふっと想像してみた。
 小夜子が「コーヒーしかなくてごめんなさいね」と言いながらカップを芳斗の目の前に置いた。「さて、すぐにでも本題にはいりたいところだけど、ものには順序がある。きみに納得してもらえるよう、まずはぼくらの時代のことから話そうか」
 田村はいくらか楽しそうに語り始めた。
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