第12話

文字数 3,223文字

 天井がやけに近く狭く見えた。寝かされた自分の体が揺れている。なぜ寝ているのだろう。なにか緊迫した状況にあって、それから…… 
「ここはどこ」芳斗はぼそりとつぶやいた。そのとき口に酸素マスクが装着されてい
るのにも気づいた。頭がぼんやりして、我が身に起きたことが思い出せない。
「救急車の中です。動かないで」
 ヘルメットを被った男性の顔が真上に現れた。その横には心配そうな担任の木村先生の顔があった。
「何も言うな、じき病院に着く」
 芳斗の耳に馴染みのピーポーピーポーのサイレン音が入ってきた。自分は今、木村先生に付き添われ救急車で搬送中なのだということをようやく認識した。
 病院には二、三分で到着したが、その間に頭痛と吐き気がしてきた。医師の質問に顔をしかめながら答えた後、頭部にCTスキャンをかけられ、ベッドに寝かされた。
 治療室の一画らしく何床かのベッドがあって、それぞれカーテンで仕切られている。
脳震盪(のうしんとう)です。検査の結果が出ないとわかりませんが、意識ははっきりしてますし心配はないと思います」
 医師の口ぶりは明るくはなかったが、深刻さも感じられなかった。礼を述べる木村先生を見ながら芳斗は、フライング・ボディプレスの失敗で床に激突したあの悲痛な状況をしかと思いだした。まだ痛む頭を押さえて彼は訊いた。「ぼくはどうなったんですか」
「おまえはな、駐車場の入口で気を失っていたんだ」
 さとすように先生は言った。
「気絶して」
「そうさ、なかなかこないんで探していたら、人が集まって騒いでいたんだよ。そしたらおまえじゃないか、びっくりしたぜもう。どこにどうやって頭ぶつけたんだ?」
「えーと、悪い奴に投げとばされて。それより先生、あの女の人はどうなりました」
 ふと例の綺麗な女性の身が案じられた。無事だろうか。
「あの女の人とは、どの女の人だ」きょとんとして先生が訊き返した。
「どの女の人。なにを言ってるんです。知っているはずでしょう」
 芳斗は負けず劣らずの驚きぶりで言い返した。
「ぼくと一緒に悪い男たちから逃げてた人じゃないですか」
「おまえと、逃げてた」
 先生はまだ呑みこめない様子。
「そうですよ」こんな問答ばかりしてもらちがあかない。事の顛末を話して聞かせようとし、ちらっと窓が目に入りことばを飲んだ。
「話は変わりますが先生、何時ですか今は」
「ああ? 今か、午後の五時をかなり過ぎた」
 窓はたしかに暮色を見せている。
「何曜日でしたっけ」
「月曜日じゃないか」妙なことばかり訊くやつだと首をひねった。芳斗は先生の説明を思い起こした。彼は営業時間内の店内に倒れていたのだ。すると願った通りというか狙い通りというか、明け方からまた元の夕方の時間に戻ったわけである。自分の潜在能力もたいしたものだ、と少しうれしくなった。
「そうでしたね。じゃいいんです。ぼくの思い違いでした」
 急に話を終わらせようとする態度に、木村先生は不審の目を向けた。
「おまえ頭うって錯乱しているんじゃないだろうな。気をしっかり持てよ」
「あ、大丈夫ですそれは。ちょっと痛むだけですから」
 気になっていたことをひとつ思い出した。
「関係ないですけど、恐竜ロボットのバトルロイヤルはどうでしたか」
「恐竜? ああ、あれか。見かけは本物っぽいけど動きがしょぼい。不自然にじゃれ合っているだけだった。見て損した」
「やっぱり」
「地方のデパート催事でやるんじゃ、あんな程度だろうよ。それで相談の件だが、こんなわけだから学校に出てきてからだな」
「あ、そのときはお願いします。今日は本当にご迷惑をかけました」
 ほどなく母が現れ、少し遅れて父が駆けつけた。悪い状況を想像していたのだろう、意識がはっきりし普通に会話している息子に、母なんかは泣かんばかり喜んだ。木村先生が事の一部始終を説明すると、両親はくどいほど礼を述べ、先生はほとほと恐縮して帰っていった。丸一日ぐらいは様子をみたいとのことで病室に移され、彼にとって初めての入院となった。
 三人部屋の一番手前が芳斗のベッドだった。隣はテレビをぼんやり観てばかりいる先行き永くなさそうな高齢の老人、奥の患者は頭と片腕と片足が包帯でぐるぐる巻きの、階段から転げ落ちて打撲と骨折したとおぼしき長髪の目がうつろな若者だった。二人ともぴんぴんしている芳斗が羨ましいようで、挨拶した後は全く話しかけてこなかった。
 なかなか寝付かれず頭痛にも悩まされたが、朝起きるとすっかり治っていた。昨日のうちに母が用意してくれた洗面用具で洗顔歯磨きをすませベッドに戻ったところで「おはようございまあす、朝食ですよう」
 底抜けに明るい声で女性看護師が食事を運んできた。その看護師と顔を合わせるや芳斗はあっと驚きの声をもらした。交差点で彼をスリと勘違いしたあの女性なのだ。心持ち目を伏せる芳斗に彼女は優しく、「夕べは眠れましたか、はいどうぞぉ」
 芳斗をひとりの患者にしか思ってない様子で、朝食がのったトレイを渡した。老人と骨折の男にはわざとらしいほどにこやかに食事を提供し、すぐに部屋を出ようとした。ほっとしながらも疑問は抑えられず、病室を出る寸前思いきって呼びかけた。
「あの、」
「なんでしょうか」くるりとふり返るなり看護師は業務用スマイルを浮かべた。
「つかぬこと訊きますが、前にぼくと会ったことありませんか」
 彼女は芳斗の顔をしげしげと眺め、笑顔を崩さず丁寧な口調で尋ねた。
「おとうさまのお名前はなんというの?」
 なんでそんなもの訊くんだといぶかりつつもこたえた。
秋山(あきやま)(けい)(すけ)です」
 小首を傾げ上目で天井見るという、可愛らしさを十分意識した思索のポーズと共に彼女はつぶやいた。
「秋山圭介さんですね、親戚のお方かしら」
「いえ、そういうことじゃないんです。そうですか、くだらないこと訊いてすみません」
あのとき「ケイサツつき出すからね」と凄味(すごみ)を利かせたのも未来の彼女だったわけである。ということはこの、ぶりっこ看護師と会う以前に時間移動していたのだ。
 食事がすむとあとはすることがなく、ただテレビばかり観て過ごした。みんなが授業していると思うとひとりとり残されたような焦りも感じたが、ワイドショーなんか結構面白くてつい夢中で見入ってしまうのだった。それも飽きてきて次第に眠くなり、目が覚めると昼になっていた。
 ノックの音がした。誰かと話していた直後のような笑顔で入室してきたのは、叔父の冬樹だった。
「元気そうで安心したよ。昨日は災難だったなあ」顔を合わせるなり、叔父は心からほっとしたように言った。「遅くなってすまんな、ほら持ってきたぞ」
 差しだしたのは見舞品の菓子折りらしき包みと、芳斗のスクールバッグだった。
「すいません。迷惑ばかりかけて」芳斗は頭を下げた。
「昨日、帰宅するときに気づいたんだよ、バッグがあるのに。家によったら留守だし、夜に電話入れたら怪我して入院したと聞いたから、今かけつけてきたわけだ。授業中困っただろう」
「いいんですよ。勝手に置き忘れたぼくの責任だし、授業にもたいして差し支えなかったもの」
「そうか。ま、悪いことは重なるものだからな。しかしあんなのはたいしたことじゃないよ。おれの会社になんかパジャマ着たまま出勤したとか、夕方まで寝過ごして朝だと思って「おはよう」と出てきたのもいたんだぞ」(註・芳斗は知らないが後者は冬樹自身のことである)
「たまに失態を見せたほうが人間、愛敬があって魅力的なんだよ」
 自分のことも指しているせいか力がこもっていた。
 叔父が帰るのとほとんど入れ違いに、家事も一段落したらしく母がのんびりと現れた。「どう調子は。今、先生に伺ったんだけど、今日一日様子を診たいって。退院は明日になるわね」試験近くにこれ以上欠席したくなかったが、医師が言うのであれば致し方ない。都合よく学習用具の入ったバッグは手元にあって存分に復習できるのだから、(おん)の字というものだ。
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