第24話

文字数 3,127文字

 授業も四時間目。隣席の芳斗は若奈にとって九日前の過去からきた芳斗だった。そして彼にとって隣に坐る女生徒は、槙田代志乃以外の何者でもない。
 スクールバッグをどこかに置き忘れてきたという芳斗のために、若奈は一時間目の数学からずっと自前の教科書を貸与し、自身は遠藤日登美と机をつなげて教科書を見せてもらっていた。
 彼のスクールバッグは今、若奈のロッカーに入っているのだが、置き忘れてきたことになっている芳斗に与えるわけにいかずそのままにしていたのである。
 代志乃が超洋菓子好きなことは日登美からさんざん言われていた。若奈自身も甘党だったので、休憩時間の度にその話題で芳斗と話し込み、日登美も巻き込んで大いに盛り上がった。
 ここ数日、学校内にいるときに代志乃の記憶がちょくちょく流れ込んでいる。『船員たち』が級友と触れあいたくて顔を出しているように思えてならなかった。
 垂水が教えた『階段を下りる瞑想』を繰り返し、『船員たち』とのコンタクトは十度目近くで成功したようだった。というのはなんとなく接触を感じた程度だからだ。 
『代志乃の船員たち』についてはっきりわかったのは、よくわからない存在ということだった。大きな一個の意識体とも複数の集合体とも感じられたのだ。とりあえず自分のことをどう思っているかを訊いてみた。元の船長は彼女のせいで死んだのだから、恨まれても仕方ない立場なのだ。しかし、答えにくいらしく感情を表さなかった。彼ら(彼女ら?)なりに気を遣ったのであろう。会話という言葉のやりとりはできないものの、その他の質疑には記憶の提供という形で応じてくれた。
 数日前の質問の回答がさっき届いた。それは代志乃が神社に行ってどんな方法でタイムリープを試みたかという疑問だった。特に知りたかったわけではないが、気になり続けていたのが記憶として再現されたのである。代志乃は断崖絶壁から転落するイメージを描き、地表に叩きつけられた衝撃まで脳裏に作り出した。これはどうやら彼女が自分で思いついた方法らしい。
 機能したコファーは電磁波の作用で彼女を過去へ運び、芳斗が発振機を入れて相殺された時点に現れた。間近に迫ったスポーツカーよりもロープで吊り上げられたことで本当に驚愕恐怖し、電磁波が相殺されているため今度は、タイムリープではなく若奈との人格交換になった。急激に吊り上げられて脇と胸に痛みを感じ、一瞬停止したところから若奈の記憶となっている。
 そして落下。彼女の視界に入ったのは空気の抵抗を受けたうえ枝に引っかかり、豪快に(めく)れ上がった制服のスカートだった。あ、見えちゃう。今思い返してもそんな自分がいやになる。厳密に言えばそれは他人のものなのに。こんなときでも人目を意識してしまうのだ。なんにしても芳斗が彼女の指示と勘違いして発振機を作動させたからだ。じゃなければ代志乃は出現せず、人格交換できない若奈は小夜子の肉体で死を迎えたはずである。そういう意味では指示というのも外れてはいない。
 考えてみると、人格交換は幾つかの条件が揃って成立する。同座標の過去と未来それぞれにコファーの所持者がおり、両方に苦痛や心理的ショックが起きなければならない。片方だけでは不可能なのだから、偶然の人格交換は確率上まずありえないことになる。それが短所であり長所かもしれなかった。  
 タイムリープが複数の人間で可能なら、人格交換はどうなのか。コファー所持者が二人と手を繋ぎ、未来にいるコファー所持者一人と人格交換した場合、未来側の躰に三人の人格が入るかといえばそうはならない。あくまでも一対一、コファー所持者同士にしか交換は発生しない。複数でコファーを触っていた場合は、思いの強い者が交換対象になる。タイムリープは複数乗車できる電車、人格交換は一人乗りの自転車の例えがここでも当てはまるのである。
 自習時間は自由時間でもある。催眠効果の自信を取り戻す意味も兼ねて、芳斗には今日が二六日ではなく一七日という記憶を与えた。リラックス法と称した催眠技法を日登美に教示したところ、案の定芳斗も引っかかった。黒板に記された日付も一七日と読んだはずである。
 昼休みになり、芳斗が教室を出ていった。外食するためである。昼食後は半数の生徒が体育館等に遊びに行き、あの遠藤日登美さえもいなくなった。数年ぶりの試験にそなえ教科書に目を通していた若奈は、戻ってきた芳斗を見て本を閉じた。
 芳斗は下平雄星の席へ歩み寄ると、わざとらしい笑顔で何か頼みこんだ。金策が目的であることは、もちろん若奈には判っていた。財布を持っていないことに気づいたのである。下平がすげなく断るのが聞きとれた。いよいよ彼女の出番だった。
「秋山君」
「あ、槙田さん。何か用?」愛想のよい笑顔で芳斗が近づいてくる。
「お金、必要なんでしょ」
「えっ、そりゃまぁ」
 なんでそれを、と問いたげな驚きぶりである。
「わたしが貸してあげようか」
「でも悪いよそれじゃ」
「千円ぐらい平気」
 善意のつもりが親切の押し売りと受けとられたらしい。まあ、無理もない。
「ねぇどうしたの。いやなの」
 わざとすねた笑いを浮かべ、それからやさしく諭すように言った。
「お昼まだなんでしょう。早くしないと、休み時間終わっちゃうよ」
「ほんとにいいのかい。それじゃそうさせてもらおうかな」
 財布には一万円札しか見当たらなかったが、それでかまわないという。
「ありがとう。今日中に返すからね」
 芳斗が離れていくと、後方にてわざとらしく男子が(せき)をした。今のやりとりを、おそらくは穏やかざる内心で観察していた生徒である。彼女はその人物に当てこするように、教室をでていこうとする芳斗に呼びかけた。
「なんだったらそれ、ずうっと返さなくてもいいのよ」
 しばらくして誰かが彼女のそばで立ち止まった。見なくてもわかる。その当人、代志乃と仲良しの西崎瑠蘭である。「秋山はきみになにか用でもあったのかな」
 一部始終を目撃していたくせにこの言い草である。事件の影響を気遣ってか西崎はほとんど話しかけてこなかったし、彼女もあえて近づかなかった。午前中の芳斗への献身的姿勢でやきもちも頂点に達したとみえる。
「お金を貸してあげただけ。わたし困っている人を見ると放っておけないのよ、誰でも」誰でもというところを強調しにっこり笑いかけると、彼はそれを芳斗への特別な感情と断定したようで切れ長の目を一瞬かっと見開き、ほっぺたをぼりぼりひっかいた。妙に感心したようにうなずいた。「きみ、今までと違うね。まるで別人になったみたいだ」
「そうでしょう。本当に別人かもよ」
 この数日間見る限り、若奈は西崎にいい印象を持たなかった。見た目よく成績もまあまあよく根は悪くないのだが、格好つけて自慢気にものを言い、人を見下すような面もあって他の生徒にも好かれてはいないようだった。要するに自分が常に一番、自分が話題の中心にいたいタイプなのである。生前の代志乃がなぜ彼に惹かれたのかが目下の疑問だった。
「きみの気持ち、やっぱり変わらないのかな」重々しい口調で西崎が訊いた。何のことだろうと見つめる若奈から視線をそらす様は、柄にもなく不安気だ。そういうことか。すでに代志乃から見切りをつけられていたのだ。ふる手間が省けたわけである。
「ごめん、用事を思いだした」
 床をどんと踏むように立ちあがり、足早に席を離れた。西崎にすればさぞ冷たいダメ押しなっただろうが、思いだしたのも本当だ。芳斗が『来々軒』で頭を打ちつけるのである。行ってみなければならない。芳斗のことにやたらかまいたくなり、かまうことに快感を得ている自身が妙に照れくさいのだった。

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