第22話

文字数 10,439文字

 乗用車のエンジンが停止した。間をおかず運転手が降りて後部へ回りドアをすっと開けた。
「さあ、どうぞ」流れるような動作だった。作り笑いに見えぬ愛想のよさも手慣れた感があった。軽く会釈して柴崎祐司は降車した。運転手に案内され、二百坪はあろう砂利を敷き詰めた庭から母屋へと歩を進める。砂利のきしむ音が妙に甲高く聞こえた。
 幾つかの会社を経営する富豪とは思えぬ、茅葺(かやぶ)き屋根の木造建築物が自宅だった。築年数が相当経った昔ながらの日本家屋である。玄関あがって長い廊下を歩き、十畳ほどの応接間に案内された。(ふすま)の部屋が多いなかここは洋風の作りだった。
「お待ちしておりました」
 窓を背にしたソファに腰かけていた唐木(からき)(こう)次郎(じろう)が立ち上がり、丁寧に頭を下げた。均整がとれた体型で、顔立ちも優しげでありながら凛々しさがある。四十前の有能な若社長という印象だった。唐木に勧められて向かい合った革のソファに腰を下ろした。柴崎が座ったのを見届けて、唐木もソファに身をあずけた。
 唐木の背後の窓から松の木や楓、椿の枝が見えた。駐車した庭にも数本の低木があったが、こちら側が庭園になっているようだ。
 運転手が一礼して部屋を出て行った。柴崎は何気なく辺りに目をやった。板の間にグレーの絨毯(じゅうたん)が敷かれている。決して高級な物ではない。調度品と呼べるのは目の前のテーブルだけである。絵画の額ひとつ見あたらなかった。応接間には余計な家具は置かない。若い社長の性格が出ているのだろう。
「商談は慣れているのですが、それ以外の用件でお会いするときは、先ず何から話したらいいのか迷ってしまいまして」唐木が眼に笑いを浮かべた。この一九六×年の流行りらしい襟の広い濃紺のスーツに紅色のネクタイが際立っている。
 ノックがあり、髪の長い白いワンピース姿の女性が入室した。手にしたお盆から湯呑み茶碗を二客テーブルに置いた。どこかぎこちなく、笑顔も硬い。二十歳そこそこの若さで、唐木の細君にしては若すぎるし事務員や手伝いにも思えなかった。まさか娘がこんなに大きいはずもない。一礼し退室するのを柴崎は目で追った。
「わたしどもは色んな商売に手を出しておりまして、みな中途半端なものですが、お陰様でどうにかこうにか続いています」柴崎の視線がドアに向いていたことに気づき、唐木が説明した。
「ああ、あれは娘です。ああ見えてまだ十七なんです。わたしも若く見られますがじき四十三になります」
「すごく白が似合いますね。看護婦さんになったらまさしく白衣の天使ですよ」
 柴崎は世辞を言った。半分は正直な感想だった。
「そうですか。いえ、本人も看護婦を志望しているんですよ」いくらか驚いた様子で唐木がうなずいた。一呼吸おいて話し始めた。
「ここにお呼びした理由は、柴崎さんが数十年後の未来よりこられた方との情報を耳にしたからです」
 少し身を乗り出して柴崎が訊いた。「周太が洩らしたんですね」
 唐木が笑った。
「たまたま知り合いの子供の話を小耳に挟みまして」
「それを本気にしたんですか」
「まあ、人一倍好奇心が旺盛なうえ、確かめずにはいられない性分でして」
 嘉川の家に居候して三ヶ月になる。依然、田畑の手伝いと周太の家庭教師という生活が続いていた。周太や嘉川は元より息子夫婦も柴崎の人柄を気に入り、今では彼らのほうが出て行かないでくれと請うほどだった。
 その柴崎に唐木庚次郎より連絡があったのは一週間前、口止めしていたはずの周太が学校で口を滑らせたことは十分考えられた。
 未来の情報を得たいという唐木の目的は予想していたが、T市でも指折りの事業家が自分なんかを騙して何の得もないだろうし、会うだけは会ってみようと決めたのだ。
「仮にそうだとしても、唐木さんのお役に立つかどうかは判りませんよ」
「まあ、そう話を焦らないで。先ずはわたしたち一族の紹介をさせて下さい。
 わたしの曾祖父、唐木(からき)(じん)衛門(えもん)はK岳を仕事場にした普通の木こりで、あるとき切り倒した木の下敷きになり生死をさまようほどの大怪我をし、そこからたまに聞くような話ですが、不思議な能力を発揮できるようになったといいます。今から百年以上も前のことです。
 それは場所の過去を透視する力で,何百年も前の昔にその場所で起きた出来事を見ることができたそうです。歴史や考古学の検証、よくて事件の犯人捜しには協力できるかもしれませんが、金儲けには大して役立ちません。ところが甚衛門は、透視によって埋蔵金を掘り当てたらしいのです。らしいというのは本人が明かしたわけではなく、急に裕福な暮らしを始めたことで噂がたったのです。それを資金にして材木商を興し、大きくではありませんが順調に推移しました。
 だいぶ年を取って事業を息子、わたしの祖父、定ノ助ですが、に継がせた甚衛門はK岳の中腹の滝にまつわる天女伝説の透視をしてみたのです。大昔、何人かの木こりが滝の近くで怪我していた天女に手当してやったという逸話です。お礼に何かしてくれると思ったら、その天女はすぐにいなくなってしまったという、伝説としては素っ気のないものです。
 透視を始めると、天女はそれを待っていたかのように、甚衛門の姿が見えるかのように話し出したのです。自分は天の彼方より降りてきた者で、このK岳の麓一帯の地中深くに多数の神器を埋めた。その神器は天と地の力を集めてそこに住む人々に富と才覚を与え、来世は高い世界に導くだろう。という内容の声が心の中に聞こえてきたのだそうです。
 甚衛門は天女から様々な教えを聞き、その教えを祖父、定ノ助に伝えました。そして神器が天からの力を受けやすいようにと広範囲の道路清掃を定期的に行い、使用人たちにも命じたようです」
 唐木は言葉を切り、柴崎の眼を見てためらいがちに言った。
「笑われるかも知れませんが、わたしはこの天女というのが、異星人だと考えているんです」
「異星人ですか」 
 柴崎の言い方が疑問形に聞こえたらしく、唐木は少し身を乗り出した。
「この広い宇宙に我々人間だけが唯一の知的生命体ということはないでしょうし、何万光年離れていようとも瞬間移動できる科学技術の進んだ生命体は存在すると思います。古代の壁画や中世の宗教画にも宇宙船らしき描写が幾つも確認されています。
 世間の尺度では荒唐無稽(こうとうむけい)で片づけられますが、誰も宇宙の果てまで行ってすべての星を調べ尽くしたわけじゃない。遥か昔に起きたことについても誰一人見たわけじゃない。科学理論に基づいた計算や予想で結論を出しているだけです。その科学理論だって万能じゃないのに、科学的に考えられなければ否定される。測定できないもの、証明できないことはあり得ない。それは人間の無知と傲慢じゃないかと思っているんです。
 まあ、無理に信じてくれなくても、わたしの仮説として聞いて下されば結構です。祖父の定ノ助は甚衛門から受けた知識をわたしに暇があれば教えてくれました。倫理的な内容が多かったと思います。
 太古の地球にやってきた異星人は、原始人に知能を発達させる遺伝子操作を施しその経過を見守り、時には指導している。科学技術なんて人類だけの努力で進歩したように自惚れていますが、異星人から与えられたヒントも数多くあるはずです。わたしたちは親の恩を知らずひとりで大きくなったと思いこんでいる子どもみたいなものです。異星人たちもわたしたちの知らぬところで、援助してくれているんです。
 それに加え他の惑星の住人が地球人に転生しているとも聞きました。異星人からの転生が釈迦やキリストであり、宗教として色々分かれていますが元を辿れば宇宙の法則に他なりません。しかし長い年月のうちに教えは形骸化し、人々の都合のいいように変えられてしまった。
 祖父は常々、言っておりました。どんなに苦しくても死んだら一切苦しみは消え、あの世とか天国で幸せに暮らせるというのが一般的な考えだ。だったら人間ではなく、最初から天界に生まれたらいいではないか。逆に考えると、天に生まれる徳がないから、罪があるから人間に生まれたということではないのか。何でも上へ行くのは難しく、下へ落ちるのは容易(たやす)い。天界へ行くのはそれほど困難なことだ。生前なんの修行もしないで、上位の世界に生まれ変わる教えは世界のどこにもない、と断言していました。
 定ノ助は埋設された神器が人々を天に導く一助になってくれたら、と甚衛門の後を引き継ぎ道路清掃に励みました。市民に呼びかけ協力してくれた人々には報酬を与えることまでしたのです。地球は生き物であり、その地を走る道路は血管。掃除によって大地の力が強化される。また人々の魂の汚れも清くなるという意図があったようです。わたしの父は儲け一筋の人間だったので自分の代になると、損ばかりで得のない奉仕事業を打ち切りました。その父が二年前に亡くなり、祖父の意志を継ぎ今年から再開させています。
 いつしかわたしは漠然とした願望を抱くようになりました。甚衛門が透視した天女に会ってみたい。会って教えを直に聞きたい。願望というよりは妄想でしょうな。天女もわたしを呼んでいる気がして、遠い過去へ遡る手段を探し始めていたのです」
 唐木が言葉を切った。柴崎は思わず握手したい欲求にかられた。同じような疑問を彼も抱いていたのだ。六道輪廻の教えを無視し死後はあの世や天国に生まれる、成仏するという現在の仏教観。成仏とは三界を超えることなのに、あの世や天国へ行くことが成仏だと信じている衆生。誰かに聞いたわけでなく学者の書籍を読んで様々な矛盾に気づいたのである。この人には包み隠さず話していいかもしれない。
「わたしはタイムトラベルを研究するアマチュアのグループを知って、そこの実験台になり、図らずもこの時代に迷い込んでしまったのです」
「そんなアマチュアのグループがタイムマシンを発明したのですか?」
「いえ、ドルイド研究家からタイムトラベルを可能にする小さな機械を譲り受けたと聞きました」
 唐木の瞳が一瞬笑ったように見えた。「その研究家は、桧原康雄という男ではありませんか」
「え、ご存じなんですか」
「隣の部屋にいますよ」唐木が立ち上がり、壁のインターフォンに短い言葉を発した。まもなくノックもせずに入室してきたのは、柄物シャツに麻のジャケット姿の三十歳ほどの男だった。大柄で四角い顔立ちに細い眼は、したたかな性格を連想させ、仕事は適当にやってふらふら歩き回る風来坊の印象が容姿から感じられた。地味な研究家のイメージはかけらもない。
 初対面というのに男は柴崎に「やあ」と旧知の如く片手を挙げて笑いかけ、唐木の隣に遠慮なく腰を下ろした。馴れ馴れしさはあっても、不快な太々しい態度に見えないのは機敏な動作からだろう。
 唐木も桧原の性質は熟知しているのか、いやな顔ひとつ見せず柴崎に淡々とした口調で紹介を始めた。
「元部下の桧原です。かつて彼はうちの会社で不祥事を起こし、手短かに言うと多額の使い込みをして、発覚時にはあらかた消費していました。民事刑事とも取り下げる代わりにわたしは条件を出しました。タイムトラベルに関する確実な資料、手段等世界中でも調査して持ち帰ってくること。費用は使い込みでの残金を充てる。もし結果が有意義なものであれば、弁償を免除、それ以外は全額弁償というものです。逃走した場合は親族に請求がいきます。彼は数ヶ月前、ある小さな機械を見つけて帰国しました。しかしこれまでタイムトラベルの実験に成功していません。
 もし柴崎さんがそれと同一の機械で未来よりこられたのであれば、桧原は無罪放免というわけです」
 桧原が「えっ」というように細い眼を倍に広げた。手のひらに拳を打ち付け笑い声を洩らした。
「そうか、上手くいったか。やっぱり本物だったんだなあ」
 唐木が言った。「この男は寝ているとき以外は喋っている男で、それも早口でうんざりするでしょうが話を聞いてやって下さい」
 間髪入れず桧原康雄が人差し指一本立てて喋り出した。
「ひとつ訂正、寝てるときは寝言でうるさいと言われている。それはともかく、横領の額に合わない雲を掴むような要求だったんだよなあ。で、様々な文献を調べてドルイドに行き当たったんだ。大昔、ドルイド教団の人々は過去や未来へ自在に行き来していたという伝説だ。思いきってイギリスへ飛んで、長くなるから省略するが怪しげな老ドルイド研究家に会い、タイムトラベルできるコファーを知ったわけだ。
 こう見えておれは留学経験が長くて英語ペラペラ、んなわけなくて高い金で雇った通訳の、三十前だというからぎりぎり「おねえちゃん」に訊いてもらった。これで本当に時間を跳べるのか、ここでやってみせろ。爺さんに迫ったら色々な条件が揃わないとできない、だが実例はある、やっているうちにできるようになるときた。いい加減なもんだ。売り物かと訊くと無茶苦茶な金額を提示した。帰りの飛行機代を足しても買えない金額だ。横領のおれが言うのもなんだが、詐欺じゃねえか。即、交渉打ち切りさ。
 ねえちゃんの腕をつかんで帰りかけたところに今度は、その息子と名乗るから兄弟なのにえらく顔の違う二人が追いかけてきて、大幅に値引きするぜ兄ちゃんどうだ、としつこい。実は、おれのやった使い込みには裏があって協力者がいたんだ。会社の後輩で仲のよかった蓮沼俊蔵という男で、おれは蓮沼に事情を隠して協力させたんだ。発覚したとき共犯者がいることを伏せた。蓮沼は責任を感じ、貰った報酬全部に自分の金を上乗せして渡航の際に手渡してくれていたんだ。
 奇妙にも蓮沼の金を合わせると、値引きしたコファーを買って帰国できるぴったりの金額だった。これは買えというサインか、と考えたいところだが、相手はどこ見ても詐欺グループだ。断るおれに奴らはここで証明してみせると自信ありげな態度に出た。コファーで未来へ行けないが未来の人間と意識をすげ替えることはできる。で、実験だ。兄に離れた場所に行ってもらい、弟に日本語の文句を教え込んだ。ありきたりな日本語じゃ知っているかもしれないし、無線機を隠して送信することも考え『おまえの母ちゃん、でーべそ』を耳元でそっと繰り返した。 
 憶えたところに兄を呼ぶと弟の耳元でいきなり手を叩いた。何でも驚くことで意識が飛び出すというんだ。弟がもう飛び出して意識がすり変わっているというんで兄がコファーを受け取って、今度は弟が大声出して兄を驚かせた、が上手く行かない。何度かやって脛を蹴り上げて悲鳴上げたところで弟の意識が兄に入った。痛いのも効くんだそうだ。で、さっそく兄の身体に入った弟に訊くと、片言ながら確かに『オマエの母チャン、デーベソ』を言ってのけたんだよ。
 本当だとしたら、楽に大金持ちじゃねえか、そんな物をなぜ売るって訊くと、金儲けに使おうとすると決まってすげ替えができない、できても儲けられない。それにコファーの複製は何台か作ってあって設計図もある。今だったら設計図のおまけ付きだ。その設計図だって本体をバラバラに分解して細部まで正確無比にトレースした保証書付きだぜ、買わなきゃ損だよ兄ちゃん…… 見ようによっては手品にコントを混ぜた詐欺だわな。疑えば通訳のねえちゃんだってグルかもしれない。
 そんな連中と交渉成立に至ったのは、あいつらの眼がやけに澄んでいたのよ。その上、あんたは本物を持って帰らなきゃ、大変なことになるんだろ。買ってけ、必ずあんたを救うことになるって魂を揺さぶる真剣さだったのよ。通訳とおして聞かなくてもあれは演技じゃないと確信したぁ」
 うんうんと首を振って桧原の語りが一区切りした。この男、その気になれば漫才師か講釈師で食っていけるだろう。柴崎は話の中身よりも滑舌の良さに感服していた。そして、やはり研究家と呼べる人物でなかったことには幾らかがっかりしていた。
「これですよね」唐木がテーブルの上に置いた品を見て、柴崎は自分が祠に収めたコファーじゃないかと思った。
「全く同じものです。数十年後の桧原さんから譲り受けたようです。全然機能しないということで」
「えっ、つまりおれは才能なしってことかい?」
「そうは言い切れないでしょう。できたのに事情があってわざと隠したかもしれない」
「隠し事できない質なんだよおれ。本当に見込みなかったんだ。まあ、よぼよぼのジジイなるまで生きているんなら、いいか」
「わたしもまだ成功していません」
唐木が言った。柴崎は祠の一件を打ち明けた。
「エネルギーを帯びた水で育ったせいで、タイムリープ可能な体質に変化したのだと考えられます。わたしの場合、母からの血筋らしいですが」
「わかった」桧原が叫んだ。「あの爺さんの話は本当だったんだ。長いこと身につけていれば、そういう体質に変化していくってことなんだ。時間がかかるってわけだな」
「蓮沼さんはできましたから、そうでしょうね」
「蓮沼知ってんのか、あいつどうしている。他人の保証人になって苦労してんじゃないだろうな。むやみに人を信じやすいうえ責任感が強いから」
 全くその通りになってしまいました、とは言えず柴崎は笑って繕い、自分がこの時代にきてしまった電磁波実験を詳しく説明した。
「つまり、発信源を持っていれば過去へも行けるってわけだな。多機能なんだな」
 感心したようにコファーを見つめる桧原に柴崎は言った。「その制御方法を知らずに試してこうなったんです。悪いことに発振機も紛失してしまったし。あったとしても元の時代に戻るのは難しいでしょう」
 いつどこで失くしたのか、思い返してさんざん探したのだが見つからないのだ。
「でもやってみなきゃ始まらない。電磁波の発振機を作ればどうなんですか。周波数は分かっているんでしょう」
 唐木の質問に柴崎は首を振った。
「それが、まさかこんなことになるとは思わなかったもので。コファーの形状を数値化したとは聞いていますが、詳しいことは」
「できたとしても、制御の仕方がわからなきゃ使えたもんじゃねえ」桧原が笑う。
「わたしの一念が通じて、柴崎さんが今ここにいらっしゃるとも考えられませんか」
 唐木は落ち着いた声で言った。「思ったことが現実化する。百年前に連れて行け、と念じれば案外、素直に従うかもしれませんよ」
 柴崎は虚を突かれたような気がし、実験時の記憶を呼び起こした。どうなるか知れぬ実験だから何も考えず臨んだ気がする。
「柴崎さんの実験場所に立って、強く念じてみるつもりなんです。何十年の時を越えても思念は残るんじゃないですかね」
 そういう考え方もあった。唐木が自分を呼び寄せた。
「大ありだな、それは。その発振機所持が本来の方法かもしれないな」
 うなずく桧原の肩をぽんと叩き唐木は言った。
「またまたきみの番だ。研究成果を存分に披露してもらおうじゃないか」
 仕方ねえなと鼻を鳴らしつつも桧原が自慢気に語り始めた。
「未来じゃおれはいっぱしのドルイド研究家で通っているようだが、今だって立派な研究家よ。ドルイドというよりコファー専門のね。おれはあの爺さんや息子たちから詳しく教えてもらった。もちろんねえちゃんに通訳してもらったから、多少ことばのズレはあるかもしれない。全部推定で聞いてもらいたい。
 と言いながら、ほぼ断定していいのは機械とか装置の類ということだ。装置だから当然スイッチがある。感情の急激な変化によって入るわけだ。ものすごい恐怖を感じたとか、ものすごい痛み、驚きや怒り嬉しさや哀しさ等、突発的な変化であればいいらしい。心拍数の急増とか血圧の急変でも人によってはスイッチオンだろうな。人間の発する電磁界の変化を読み取り反応しているようだ。驚きや恐怖を感知して機能するんだから、緊急避難装置の役割もあるんだろう。言い忘れたがコファーという名称は本来、貴重品箱を指すもので、その中に収められていたことから呼ばれるようになったって話だ。本当の名称じゃないわけよ。
 次に構造だが、幾種類もの幾何学的な金属線の組み合わせに、様々な鉱石の配置が見られる。機械の回路というわけだな。動力源は宇宙と地球のエネルギー、天と地からもたらされる力が作用しているということだ。幾何学模様の幾つかはアンテナの機能を果たしていて、星座の配置を縮小した金属線は星々からのエネルギーを、地球に於ける数々のデータを表した金属線は大地のエネルギーをキャッチしているらしい。銅線のコイルを磁石の近くで動かすと電気が発生するように、金属線と鉱石が天地のエネルギーを特殊な性質に変換させ、人格を躰から飛び出させる。飛び出したことがスイッチになって力場がずっと保持される。時間上に形成されるエネルギーラインだ。このラインを通って過去と未来を行き来できるって理論だ。
 ドルイドの伝説にも地中を流れるエネルギーを集め、それによって自ら持っている神秘力を引きだし過去や未来を自在に行き来することができたとあるから、当話たらずとも遠からずじゃないか。
 話は変わるが、屋根の上に建っているテレビのアンテナは人間のあばら骨を真似たもので、人の骨格もアンテナの役目を果たしていると聞いたことがあるから、コファーのエネルギーは肋骨で受けているのかもしれない」
 桧原が、あんたの感想をどうぞと眼で訊いてきたので柴崎は言った。
「わたしは研究会でこんな風に説明を聞きました。たとえるならば泥水の底に存在する灯で、そのままでは光を見ることはできない。しかし泥水に多量のきれいな水を一気に注ぎ込めば、短時間ながらも光を感じられる。コファーのエネルギーとはこの水のようなもので、人格交換の能力を瞬間的に引き出してくれるらしい。残念なのはその能力は自力で発揮できず、その都度コファーに頼らなきゃならないことです」
「おお、実にいいたとえ話。にくいこと言うじゃねえか。おれと唐木社長が時間跳躍できないのは、へばりついた泥が厚くて光が届かない状態ってわけか。お互いワルよのう、ふふふ」悪代官のような含み笑いした。
「きみと一緒にされたくないね」唐木が呆れて顔を背け、わざとらしくネクタイを直して言った。「わたしは滝の水に転写されたエネルギーの他に、大昔天女たちが地中に埋めた神器の相乗効果もあると考えているんです。瞑想によって高次元の存在から教示されたと伝えられるコファーですが、それが天女、すなわち高度な知性を持つ異星人よりもたらされた神器のひとつじゃないでしょうか。ずばり、この街に埋設されたのはコファーか、それと同質の装置じゃないかと。ドルイドの教義自体、異星人の伝えた知識かもしれないし」
 柴崎がいた時代のT市はUFO目撃談の多さで話題になった。妖しげな光線を深夜の地上に照射しながら飛び去った目撃例もある。研究会が実験で成功したのもそれ以降と記憶している。照射されたのがエネルギー波でそれによって地中の神器が活性化され、コファーと同調しやすくなったのだろうか。未来でも続いている唐木主催の道路清掃だって、町中を掃除して歩けば各所に埋設されたという神器のエネルギーを浴びることになる。
「わたしの目的は甚衛門の透視した天女の時代まで時を遡ることです。教えだけじゃなく埋設した神器についても詳しく知りたいのです。それには柴崎さんのお力がどうしても必要となります。なにとぞご協力願えないでしょうか」唐木が頭を下げる。
「今できることといえば発振機の製作しかありません。それだけでいいんですか」
 完成したとして唐木がタイムリープできる状態まで達していないとすれば、柴崎にその役がまわってくる可能性もある。
「もちろん、それで結構です。わたしの願望が過去へ行くとすれば、柴崎さんは住んでいた時代に戻ることをお望みと思います。お互いの希望をかなえるための協力です」
 何も言わず柴崎はうなずいた。この男は本気なのかという疑念を未だ拭えずにいた。複数の会社の経営者が何百年も昔へ行き、戻ってこられなければどうなるか考えなくても解ることだ。曾祖父の体験が事実としても大きなリスクを冒してまで手に入れるべき知識だろうか。
 桧原が大きく伸びをしながら口を挟んだ。「まあ、気張らず焦らず慎重に行こうや。ひとつずつ実験で確かめなきゃならんし、先は長いよこりゃ」
 会談は合意で終了となった。帰りは桧原が自身のクルマで送ってくれる旨を申し出た。
 助手席の柴崎に桧原が訊いた。「柴崎さんの時代でも社長は元気なのかな。健在だとすればかなりの高齢となっているはずだが。こんなこと訊いちゃいけないんだが、気になるんだよな」
「さあ、T市に長く住んでいたわけじゃないので、わかりませんね」
「ま、知っていても答えないよな」
「本当に知らないんです。ただこうなってみて言えるのは、将来「研究会」の発足に唐木さんが絡んでいることは確実でしょうね」
「その確率は三分の一だな。おれかも知れないし、意外に柴崎さんかも知れない。三人一緒ということもある」
 柴崎はゆっくりうなずいた。そういう考え方もあるわけだ。
「唐木社長は本気なんですかね」率直な疑問をぶつけてみた。ふんと笑って桧原は言う。「あの人は純粋で一途なんだよ。けど心配すんな。おれがなんとかする。あんたに大冒険のお伴はさせないよ。おれだって道連れは御免さ」
 無罪放免と言われた桧原だが罪は許されても負い目は残るらしく、まだまだ放れられない関係なのだ。柴崎は思っていた。自分だって道連れは嫌だ。だが唐木と自分は思想に共通の部分がある。渋々ながらの協力がいつしか逆転する気がしてならなかった。そうなったらそれでもいい。一度捨てたような人生だし、元の時代への執着も薄い。どう進もうが後悔はしない。心の内で彼はつぶやいていた。悪くないさ、大冒険も……  
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