逆鱗に触れるな

文字数 3,948文字

 ジャワジャワジャワジャワ。
 ミンミン、ジィジィ。

 高校の敷地内で聞くセミバンドの演奏は、大迫力のサラウンド。 
 これぞ、本物の野外音楽祭って感じ。
 (けやき)や桜に囲まれているこの高校は、夏は各種セミフェスティバルの会場となっていて、大変にぎにぎしい。
 そのなかで、ひときわ存在感のあるビートを刻むクマゼミを凌駕しているのが、パート練習に励む、我が吹奏楽部の部員たちだ。 

「えー、明日からOB訪問が始まりまーす」
 部活終了後の反省会。
 音楽室に半円状に設えられたイスに座る部員たちの真ん中には、右手にタクトを握った部長が立っている。
「サエちゃん、ゆっきー先輩は今年も来る?」
「来るよ、明日」
「初日から来てくれんの?やったー」
 なんて騒いでるのは、三年生の男子だ。
「ゆっきー先輩、可愛いからなぁ」
「でもさあ、すぐ帰っちゃうじゃん」
「ばか、それはさ……」
 「それは」のあとが気になるけど、声が潜められて聞こえなくなってしまった。
 すっごく気になって、今すぐ突撃して問い質したいくらいだけれど。
 新入生の俺が三年生の、しかも別パートの先輩に気軽に声なんかかけられない。
 もうすぐ会えるんだから、直接聞けばいいやと思うと尻のあたりがモゾモゾして、心がフワフワしてくる。
 それにしても。
 「ゆっきー先輩」は大人気なんだな。
 おもに男子生徒に。
 ……ちっ。
 むっとする俺の視線の先で、「サエちゃん」こと冴木(さえき)部長が、ニヤリと笑いながら全員を見渡した。
「ついでに言うと、鬼龍院(きりゅういん)先輩も来るからなー」
「げぇっ」
「……アイコ先輩かぁ」
「明日っから超スパルタじゃん」
「いや、オレは好きだけど」
「あたしもー」
「ヘンタイっ」
「ドM!」
 なんて、先輩たちのざわめきが大きくなっていく。
 「アイ子先輩」って、あの「アイ子」さんかな。
 鬼龍院(きりゅういん)っていうんだ。
「ふっ、クク……」
 おねえさんの手紙にあった姿と苗字のベストマッチングに、思わず吹き出してしまう。
「なあに、どうしたの?」
 俺の前に座る、同学年かつ同じトランペットを担当する女子が、振り返って顔を寄せてきた。
「いやべつに」
 答える義務もないので、トランペットを気にするふりをして目をそらせる。
「だって、声出して笑うなんて珍しいじゃない」
「そんなことねぇだろ」
「あるって。何がおかしかったの?」
「べつに。ほら、部長に怒られんぞ」
 ぐいぐい来るのがうっとうしくて、ちょっと大きな声を出してみた。
 そのとたん、部長の首が「ぐりん!」と音がするほどの勢いで、こっちに向けられる。
「うるさいぞ、そこの1年。木場野(きばの)、話聞いてたか?」
「ほら」
「あ、ごめん」
 無駄に近かった顔がやっと離れてくれた。
「ああ、そういえばさ。木場野(きばの)のこと知ってる先輩がいて、お前がスイブって聞いて驚いてたよ。水泳部じゃないのか、怪我でもしたのかって心配してた」
 冴木(さえき)部長が言うそれは、もしかして……。
「いや、そのOBだって、木場野(きばの)のトランペット聞いたら納得するよ。肺活量が凄いから伸びるし、テクもある。むしろ、水泳部に入ったらもったいないくらいだね」
 トランペットのパートリーダーの3年生が、後列から俺の頭をガシガシとなでてくる。
木場野(きばの)君にトランペットを譲った人って、明日は来るって聞いてる?今も連絡を取り合ってるんでしょう?」
 冴木部長の隣に立つ城田(しろた)副部長が、腕を組んで首を(かし)げた。
 背格好がおねえさんに似てて、見るたびちょっとドキっとさせられる副部長が「どう?」と聞いてくるけれど。
 なんて答えてよいのかわからず、俺は視線を下に落とした。
 二通目の手紙の約束もあるし、冴木部長も「ゆっきー先輩が来る」と言っている。
 だから、明日の再会を疑ってはいないけれど。
 二年前の手紙を受け取ったからといって、「連絡を取り合ってる」ことにはならないし、それになにより。
 俺が使っているトランペットが、手紙と一緒に田之上先生に託されていたものだということは、誰にも言いたくない。
 だって、おねえさんの顔を見る前に他人に話してしまったら、現実となるはずだった未来が、幻のように消えてしまう気がするんだ。
 そんなことになったら、俺の心はもう耐えられないと思う。
 膨れ上がった期待が砕かれて、あの虚しい日々を再び過ごす気力なんか出せっこない。
「副部長、プライベートに踏み込み過ぎるのも無粋じゃないですか?木場野(きばの)君、困ってますよ」
 距離感に問題ある女子から助け船が出されて、ちょっと見直してみる。
 ……まあ、オマエが言うなって気もするけど。
「そう、よね。相手のあることだものね。私の配慮が足りなかったわ、ごめんなさい」
 素直に自分の非を認めて、下級生にも頭を下げてくれる副部長は、うん、やっぱりおねえさんっぽいな。
 なんてほっこりしていたら、部長がタクトでカツカツと指揮台を叩く。
「はいはい、注目~。まあOB訪問っていっても、遊びに来るのも目的だからさ。大学の話でも聞いてみるかって感じで、1年生はあんま緊張しないようにな。それと、夏合宿のことだけど……」
 諸々の連絡事項が部長から伝えられたのち、今日の当番である俺たち1年生は、音楽室の片付けに入った。

 使ったホウキを掃除用具ロッカーにしまっていると、背後に人の立つ気配がする。
 振り返ると、触れそうなほど近くにいたのは、かばってくれた距離感誤作動女子だ。
 ……いつの間に?
 ”だるまさんがころんだ”をやったら優勝間違いなしだけど、オマエのパーソナルスペースって、どうなってんだ?
「なに、森本」
 半歩横にずれて、楽譜の氏名欄を確認して覚えた名前を呼んでみる。
「あれ、私の名前知ってた?」
「そりゃ同じパートだし」
「知らないと思ってたよ。呼ばれたことないから」
 まあ、さっきまで知らなかったけど。
「で、なにか用事?」
「うーんと、さ」
 モジモジしている森本が、上目遣いで見上げてくる。
 同中女子もそれやってたけど、なんなの?流行りなの?
 それでアヒル口のマネして首を傾けたら、生き別れの双子がいるって教えてやろう。
「うん。なに」
「えっと、木場野(きばの)君ってさ、副部長のことが好きなの?」
「はぁっ?」
 バチャン!!
 ロッカーの扉を閉める手に力が入って、派手な音が響いた。
「!」
 森本の肩が(おび)えたように揺れたけれど、気を使う余裕が持てない。
「んなワケねぇだろ、なに勝手なこと言ってんだよ。人の気持ちを憶測で語るなんて、副部長にも失礼だろーが。万が一そうだったとして、それが誰になんの関係が?プライベートに踏み込むのは無粋ってどの口が言った?」 
 ちょっと頭にきて、久しぶりに”たたみかけ戦法”を繰り広げてしまった。
「だって、副部長を見るときの木場野(きばの)君って、ちょっと(まぶ)しそうな顔、するから」
 オロオロと一、二歩下がっていく森本を見て、脅かし過ぎたかと反省する。
「昔お世話になった人に似てるから、少し懐かしかったんだよ。けど、特別な感情を持っているわけじゃないから、そこは誤解しないで。変なウワサが広まったら、副部長だってやりにくくなるんだぞ。二度と言うなよ。じゃ、みんなお疲れ~」
 「はい、終了!」感を押し出して、俺は自分の荷物をまとめて音楽室をあとにした。
 目の端では、森本が

輪に走って戻るのが見えたけれど。
 あれだけ念押ししたんだから、俺が副部長を好きだなんて、そんな無責任なウワサが広まることはないと信じたい。
 やっと会えるというときに、そんなことになったら退部してやる。
 そう決意しながら、俺は職員室へと急いだ。
「横田先生と待ってますから、部活が終わりしだい、職員室に来てください。あ、トランペットも一緒に持ってきてね」
 と、部活が始まる前に、田之上先生から声をかけられていたから。
 ……横田先生。
 体育教師にして水泳部の顧問。
 なんで呼ばれたんだろう。
 もしかして、まだ諦めてないのかな。
 清水はとっくに諦めてくれたけど。


「いや、オマエ今、なんつった?」
 俺の座る机に両手をついた清水が、目をむいたまま固まっている。
「え?スイブに入る」
「いやいやいや、スイとブの間にエイが抜けてんぞ?」
「それ、水泳部の顧問も言ってた」
「だろーよ!いいか?もっかい確認するけど、部活、何にするって?」
「スイブ」
「なんだよそれ!」
「吹奏楽部」
「正式名称なんて聞いてねーよ!」
 清水が珍しくヒートアップしていて、目に涙も浮かべてるっぽい。
「あのな、清水」
「ああ”?!」
「俺、スイミングスクールは、中2の途中でやめてるんだよ」
「知ってるっつーのっ。それでも記録を叩き出してたじゃねぇかっ」
「部活の雰囲気がよかったからな。オマエともずいぶん競ったし、合宿とかで盛り上がったし」
「……おぅ、楽しかったよな」
 トゲトゲしかった清水のトゲの先端が、多少、丸くなったようだ。
「だから、水泳は結構やり切った感があるんだ。んで、スイミングやめたあと、塾の合間に始めたのが、たまたまトランペットでさ」
 「たまたま」は大嘘だけど、それは見逃してほしい。
「そ、うなのか。中学で習ってるって、知らなかったよ」
「まあ、そんな頻繁に通ってたわけじゃないしな。でも、個人レッスンだったから、大勢で演奏した経験がないんだ」
「で、スイブ?」
「うん。できる経験は、なるだけ積んでおこうかなって」
「そっか。木場野(きばの)がいたら、県大会とか余裕だと思ってたんだけどなぁ。……そだ、兼部しねぇ?」
「ムリ」
「即答?!」
「だって、水泳部って夏が本番だろ」
「スイブも夏は忙しいんだ?」
「知らない」
「知らねぇのかよ!」
 
 みたいな攻防をその後もう一度、水泳部顧問と繰り広げることになったのではあるが、まあ一応。
 俺は無事、吹奏楽部への入部を果たしたんだ。
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