犬も歩けばラッキーだった
文字数 3,527文字
名前は教えてもらったけど。
あれから、モエギおねえさんとは一回も会えていない。
家の近所だから、あの高校の制服を着ている人はたくさん見かけるけど、そのなかにおねえさんを見つけることはできなかった。
ジョギングの時間をずらしたら、もしかして会えるかもと思いついたその日の遅めの夕方。
高校まで走りに行こうとスニーカーを履いたところで、背中からお母さんの声がかかった。
「ちょっと羊介 、走りに行くならラッキーも連れてって!」
「今日の当番、僕じゃないよ」
「お兄ちゃん、部活で遅くなるって。さっき連絡が来たのよ」
ぐいぐいとお母さんが迫ってきて、「はい」とジャックラッセル”ラッキー”のリードを手渡される。
「え~」
足元にいるラッキーを見ると、その目は期待に満ちてキラキラだ。
短いしっぽをプリプリ振ってるのもカワイイんだけど、ちょっと面倒だなぁって思いながらラッキーを眺めていて……。
ひらめいた!
犬の散歩中なら、小学生が高校の校門前でウロウロしても、怪しまれないに違いない。
よし、ミッションスタートだ!
ラッキーに引っ張られるようにして走る夕暮れの街は、セミの声もずいぶん減っちゃっている。
メインボーカルのクマゼミも引退しちゃっていて、なんとなく寂しい。
「ね、ラッキー。あっちに行ってみようよ、高校のほう」
と呼びかければ、ラッキーは「今ちょっと忙しい」って言うみたいな顔で地面の匂いをかいでから、また小走りになる。
「そっちじゃないよ、こっち。こっちだってば!」
あっちこっち行きたがるラッキーを連れて、無事おねえさんの高校に到着。
そのままま走って校門を通りかかってみると、大勢の生徒たちがぞろぞろと出てくるところだった。
大きな荷物を抱 えて、おそろいみたいに髪が短い人たちは運動部かな。
楽器の音は聞こえてこないから、おねえさんの「スイブ」は終わっちゃったのかもしれない。
それとも、今日は部活のない日?
高校のブロック塀の匂いを熱心に嗅ぎ始めたラッキーの横で、僕は周りの景色を眺めるふりをしながら背伸びをした。
塀の上にあるフェンスの内側が見えないかなぁって首も伸ばしたところで、突然の大声が聞こえてくる。
「いつ志望校変えたんだよ!フザケンなっ」
雷みたいな怒鳴り声に、ラッキーもびくっとして首を上げた。
あのヤな声と乱暴な話し方は、僕を見下 すアイツに違いない。
ということは、スイブの人たちはまだいるのかな。
声が聞こえてきた方向へと走ると、植え込みのすき間から、靴箱がずらっと並んでいるのが見えた。
あそこが昇降口だなって思った、そのとき。
「模試判定の結果とか、学部選択とかいろいろよ」
おねえさんの声がした!
でも、なんか怒ってる?
……それ以上に、すごく悲しそう。
「家族と話し合って、先生とも面談したし」
「オレには相談してねぇだろっ」
「何の相談?」
おねえさんの声が低くなった。
「あなただって、一緒に入った予備校を黙ってやめちゃったじゃない。ありえないって言ってた推薦もちゃっかり取っちゃって。それだって、三木本くんから聞いたのよ?私に言ったら邪魔をするとか、嫉妬するとか思ったの?」
「……推薦枠は限られてるから、内密で動くのは当たり前だろ。志望校が同じだし、ギクシャクして、そんなんで関係壊したくなかったし」
「そこまで信用がないんだね。伝えてくれたら、その場でちゃんとおめでとうって言ったわよっ。もう、私たちは無理じゃないかな。いったん、お付き合いは解消しよう。こっちはこれからが受験本番だし」
「なんでそうなるんだよ!」
バン!!
何かを思いっきり叩いた派手な音がする。
「ふたりとも受験でギスギスするより、どっちかが余裕あったほうが支え合えるだろっ。おまえの受験が終わるまで、待っててやるっつったじゃねぇか!!」
「支え合う?……勝手なこと言わないで。いつもいつも、あなたの都合ばっかり」
「勝手なのはおまえだろっ」
だんだん小さくなるおねえさんの声にかぶせて、また怒鳴り声が響いてきた。
「ウウウウっ、ワンっ、ワンワンワン!」
「ラッキー、ダメっ。静かにっ」
「ワンワン!」
「ラッキー、お願い」
しゃがんでラッキーをなだめていると、上のほうからゴソゴソいう音が聞こえてくる。
見上げると植え込みが動いていて、その間から、おねえさんがひょっこりと顔をのぞかせた。
「……羊介 くん?」
「こ、こんにちは、モエギおねえさん」
「久しぶりだね。ワンちゃん、羊介 くんのおうちのコ?お散歩中?」
「うん。うるさかったよね、ごめんなさい」
「ううん、そんなことないよ。暗くなってきちゃったけど、おうちの人は心配しないかな。よければ送ろうか?」
「えっと、あの、大丈夫だけど、モエギおねえさんも、もう帰るの?」
「うん、ちょっと待っててね」
「おい」
姿は見えないけれどアイツの声がして、おねえさんの姿がフェンスの向こうに消える。
「あの子を送っていくから先に帰って。じゃあね」
そう宣言すると、おねえさんは校門に向かって走り出したみたい。
「急ぐよ、ラッキー!」
ラッキーのリードをクンっと引っ張ると、「承知した!」っていう顔で走り出してくれる。
「モエギおねえさん!」
校門から出てきたおねえさんに、走りながら手を振ったけど。
何の反応もないから、やっぱり怒ってるのかなって心配になった僕は、ペコリと頭を下げた。
「あの、本当にごめんなさい」
「どうして?」
「あの、ジャマしちゃった、から」
「ジャマなんかじゃなかったよ」
膝を曲げたおねえさんから「よしよし」ってなでられて、ラッキーはすごく気持ちよさそうにしている。
おねえさんが犬をキライじゃなくて嬉しいけど、それ以上になんだか悔しい。
「カワイイねぇ。お名前は?」
「ラッキーだよ」
「ラッキー、イイコイイコ」
顔をなでたおねえさんの手を、そりゃもうベロンベロンとラッキーが舐めるもんだから、僕はちょっと力任せにリードを引っ張った。
「ご、ごめんなさい。ラッキー、ダメ!」
「大丈夫よ、気にしないで。……さて、行こうか。えーと、そのカッコ、もしかしてジョギングの途中?かえって迷惑かな」
「そんなことないよ!ただの散歩だよ」
「そう?じゃあ、行こうか。羊介 くんのおうち、どっち?」
「こっち!」
駅へ行くのとは反対の道へ、僕はおねえさんと連れ立って歩きだした。
「モエギおねえさん、あの」
「羊介 くん、ジョギング続けてるんだね」
「うん。あのさ」
「えらいなぁ。スイミングはどう?」
「育成コースに上がらないかって言われた」
「えっ、すごいじゃん!」
おねえさんは頭をなでてくれたけど、その手つきがラッキーにしてたのと同じみたいで、嬉しいけど面白くない。
それからもおねえさんがずっと話しかけてくるから、
僕が聞けたのは、水曜日は部活がないってことと、「定期演奏会」っていうのが11月にあるから、今日は少し遅くまで練習してたっていうこと。
いつもだったら、もう少し早く部活は終わっちゃってたんだって。
だから、おねえさんに会えたのはホントに幸運 だったんだ。
兄ちゃんの部活ありがとう。
お母さんありがとう。
ラッキーありがとう。
「スイミングの日は、部活帰りの私より遅くなるんだね。羊介 くん、気をつけてね。繁華街を通るんだから」
「お母さんみたい」
「お姉さんです」
声に元気が出てきたみたいでほっとする。
「ありがとね」
僕の家の玄関前まで来ると、やっとおねえさんの笑顔が見られた。
「羊介 くんをダシに使うみたいなことして、ごめんね。でも、助かった」
「あの、さ」
「ん?」
「僕んちここだから」
「うん?」
「困ったことがあったら、うちに来る用事があるって言えばいいじゃん。月・木・金以外は僕、家にいる。火曜日とか水曜日とか、ラッキーと一緒に駅まで送ってもいいよ。今日のお礼、したいし」
「そう、ね。万が一のときは、頼らせてもらおうかな」
「うん!明日、校門で待ってようか?」
僕はもう、やたらと張り切ったのに。
「そんなに羊介 くんの時間をもらえないよ。今は大丈夫。万が一のときね」
「……うん」
がっかり。
「じゃあね。ラッキーもありがとう」
そうしておねえさんは、もう一度、僕とラッキーをなでてから帰っていった。
ラッキーと同じ扱いなんて、ホントに腹が立つ。
もちろん、ラッキーに。
「なんだよ。オマエなんか、今日初めてモエギおねえさんに会ったくせに」
つい、ラッキーに文句を言っちゃったけど、でも、おねえさんと会えたのは、ここまで送ってもらえたのはラッキーのおかげ。
僕はおやつのジャーキーを増やすべきかどうか、しばらく玄関先で悩んでいた。
あれから、モエギおねえさんとは一回も会えていない。
家の近所だから、あの高校の制服を着ている人はたくさん見かけるけど、そのなかにおねえさんを見つけることはできなかった。
ジョギングの時間をずらしたら、もしかして会えるかもと思いついたその日の遅めの夕方。
高校まで走りに行こうとスニーカーを履いたところで、背中からお母さんの声がかかった。
「ちょっと
「今日の当番、僕じゃないよ」
「お兄ちゃん、部活で遅くなるって。さっき連絡が来たのよ」
ぐいぐいとお母さんが迫ってきて、「はい」とジャックラッセル”ラッキー”のリードを手渡される。
「え~」
足元にいるラッキーを見ると、その目は期待に満ちてキラキラだ。
短いしっぽをプリプリ振ってるのもカワイイんだけど、ちょっと面倒だなぁって思いながらラッキーを眺めていて……。
ひらめいた!
犬の散歩中なら、小学生が高校の校門前でウロウロしても、怪しまれないに違いない。
よし、ミッションスタートだ!
ラッキーに引っ張られるようにして走る夕暮れの街は、セミの声もずいぶん減っちゃっている。
メインボーカルのクマゼミも引退しちゃっていて、なんとなく寂しい。
「ね、ラッキー。あっちに行ってみようよ、高校のほう」
と呼びかければ、ラッキーは「今ちょっと忙しい」って言うみたいな顔で地面の匂いをかいでから、また小走りになる。
「そっちじゃないよ、こっち。こっちだってば!」
あっちこっち行きたがるラッキーを連れて、無事おねえさんの高校に到着。
そのままま走って校門を通りかかってみると、大勢の生徒たちがぞろぞろと出てくるところだった。
大きな荷物を
楽器の音は聞こえてこないから、おねえさんの「スイブ」は終わっちゃったのかもしれない。
それとも、今日は部活のない日?
高校のブロック塀の匂いを熱心に嗅ぎ始めたラッキーの横で、僕は周りの景色を眺めるふりをしながら背伸びをした。
塀の上にあるフェンスの内側が見えないかなぁって首も伸ばしたところで、突然の大声が聞こえてくる。
「いつ志望校変えたんだよ!フザケンなっ」
雷みたいな怒鳴り声に、ラッキーもびくっとして首を上げた。
あのヤな声と乱暴な話し方は、僕を
ということは、スイブの人たちはまだいるのかな。
声が聞こえてきた方向へと走ると、植え込みのすき間から、靴箱がずらっと並んでいるのが見えた。
あそこが昇降口だなって思った、そのとき。
「模試判定の結果とか、学部選択とかいろいろよ」
おねえさんの声がした!
でも、なんか怒ってる?
……それ以上に、すごく悲しそう。
「家族と話し合って、先生とも面談したし」
「オレには相談してねぇだろっ」
「何の相談?」
おねえさんの声が低くなった。
「あなただって、一緒に入った予備校を黙ってやめちゃったじゃない。ありえないって言ってた推薦もちゃっかり取っちゃって。それだって、三木本くんから聞いたのよ?私に言ったら邪魔をするとか、嫉妬するとか思ったの?」
「……推薦枠は限られてるから、内密で動くのは当たり前だろ。志望校が同じだし、ギクシャクして、そんなんで関係壊したくなかったし」
「そこまで信用がないんだね。伝えてくれたら、その場でちゃんとおめでとうって言ったわよっ。もう、私たちは無理じゃないかな。いったん、お付き合いは解消しよう。こっちはこれからが受験本番だし」
「なんでそうなるんだよ!」
バン!!
何かを思いっきり叩いた派手な音がする。
「ふたりとも受験でギスギスするより、どっちかが余裕あったほうが支え合えるだろっ。おまえの受験が終わるまで、待っててやるっつったじゃねぇか!!」
「支え合う?……勝手なこと言わないで。いつもいつも、あなたの都合ばっかり」
「勝手なのはおまえだろっ」
だんだん小さくなるおねえさんの声にかぶせて、また怒鳴り声が響いてきた。
「ウウウウっ、ワンっ、ワンワンワン!」
「ラッキー、ダメっ。静かにっ」
「ワンワン!」
「ラッキー、お願い」
しゃがんでラッキーをなだめていると、上のほうからゴソゴソいう音が聞こえてくる。
見上げると植え込みが動いていて、その間から、おねえさんがひょっこりと顔をのぞかせた。
「……
「こ、こんにちは、モエギおねえさん」
「久しぶりだね。ワンちゃん、
「うん。うるさかったよね、ごめんなさい」
「ううん、そんなことないよ。暗くなってきちゃったけど、おうちの人は心配しないかな。よければ送ろうか?」
「えっと、あの、大丈夫だけど、モエギおねえさんも、もう帰るの?」
「うん、ちょっと待っててね」
「おい」
姿は見えないけれどアイツの声がして、おねえさんの姿がフェンスの向こうに消える。
「あの子を送っていくから先に帰って。じゃあね」
そう宣言すると、おねえさんは校門に向かって走り出したみたい。
「急ぐよ、ラッキー!」
ラッキーのリードをクンっと引っ張ると、「承知した!」っていう顔で走り出してくれる。
「モエギおねえさん!」
校門から出てきたおねえさんに、走りながら手を振ったけど。
何の反応もないから、やっぱり怒ってるのかなって心配になった僕は、ペコリと頭を下げた。
「あの、本当にごめんなさい」
「どうして?」
「あの、ジャマしちゃった、から」
「ジャマなんかじゃなかったよ」
膝を曲げたおねえさんから「よしよし」ってなでられて、ラッキーはすごく気持ちよさそうにしている。
おねえさんが犬をキライじゃなくて嬉しいけど、それ以上になんだか悔しい。
「カワイイねぇ。お名前は?」
「ラッキーだよ」
「ラッキー、イイコイイコ」
顔をなでたおねえさんの手を、そりゃもうベロンベロンとラッキーが舐めるもんだから、僕はちょっと力任せにリードを引っ張った。
「ご、ごめんなさい。ラッキー、ダメ!」
「大丈夫よ、気にしないで。……さて、行こうか。えーと、そのカッコ、もしかしてジョギングの途中?かえって迷惑かな」
「そんなことないよ!ただの散歩だよ」
「そう?じゃあ、行こうか。
「こっち!」
駅へ行くのとは反対の道へ、僕はおねえさんと連れ立って歩きだした。
「モエギおねえさん、あの」
「
「うん。あのさ」
「えらいなぁ。スイミングはどう?」
「育成コースに上がらないかって言われた」
「えっ、すごいじゃん!」
おねえさんは頭をなでてくれたけど、その手つきがラッキーにしてたのと同じみたいで、嬉しいけど面白くない。
それからもおねえさんがずっと話しかけてくるから、
さっきのこと
は話題にできなかった。僕が聞けたのは、水曜日は部活がないってことと、「定期演奏会」っていうのが11月にあるから、今日は少し遅くまで練習してたっていうこと。
いつもだったら、もう少し早く部活は終わっちゃってたんだって。
だから、おねえさんに会えたのはホントに
兄ちゃんの部活ありがとう。
お母さんありがとう。
ラッキーありがとう。
「スイミングの日は、部活帰りの私より遅くなるんだね。
「お母さんみたい」
「お姉さんです」
声に元気が出てきたみたいでほっとする。
「ありがとね」
僕の家の玄関前まで来ると、やっとおねえさんの笑顔が見られた。
「
「あの、さ」
「ん?」
「僕んちここだから」
「うん?」
「困ったことがあったら、うちに来る用事があるって言えばいいじゃん。月・木・金以外は僕、家にいる。火曜日とか水曜日とか、ラッキーと一緒に駅まで送ってもいいよ。今日のお礼、したいし」
「そう、ね。万が一のときは、頼らせてもらおうかな」
「うん!明日、校門で待ってようか?」
僕はもう、やたらと張り切ったのに。
「そんなに
「……うん」
がっかり。
「じゃあね。ラッキーもありがとう」
そうしておねえさんは、もう一度、僕とラッキーをなでてから帰っていった。
ラッキーと同じ扱いなんて、ホントに腹が立つ。
もちろん、ラッキーに。
「なんだよ。オマエなんか、今日初めてモエギおねえさんに会ったくせに」
つい、ラッキーに文句を言っちゃったけど、でも、おねえさんと会えたのは、ここまで送ってもらえたのはラッキーのおかげ。
僕はおやつのジャーキーを増やすべきかどうか、しばらく玄関先で悩んでいた。