少年が抱いていた大志
文字数 3,185文字
高校の入学式は、それは麗 らかな陽射しあふれる、春の一日だった。
校門の桜はずいぶん散ってしまっているけれど、その前で記念撮影をする親子連れの列は、途切れる様子がない。
「羊介 はどうする?」
「母さんが撮りたいなら、あとでラッキーと来よう」
「そうね、近所だもんね。……それにしても、羊介 が本当にこの高校に入るとは思わなかったわ」
頭をなでようとする腕をひょいと避 けて、俺は七分散りとでも言うべき桜を見上げた。
必ず入ると決めた場所に今、立っている。
あの人の周りにいた人間と同じ制服を、今の自分が着ている。
それがちょっとだけ信じられない。
母さんと別れて昇降口に向かえば、そこは教室へ向かう新入生でごった返していた。
そこには入学式用の胸章 リボンを渡してくれる上級生がいて、式場の体育館へと向かえば、手伝いをする上級生がいる。
自分と同じ制服を着た人たちのなかに、もちろんあの人はいない。
それがわかっていてもつい探してしまうのは、中学の三年間で身についた癖のようなものだ。
もう制服を着ていないと知っているけれど。
それ以外の姿を想像することができないから。
クラスでの顔合わせや4月のスケジュールの確認など、今日の予定すべてが終了して廊下に出たところで、見慣れた顔の集団に出くわした。
「よぅ木場野 !一緒に家まで帰ろうぜ」
「オマエんちは逆だろ」
「まぁまぁ、せめて校門まで。心細いじゃん、知らない人間に囲まれてると」
「高校って、思ってたより人が多いね。同中出身がそれほどいないから、ちょっと不安」
「そう?」
「木場野 君ってホントにクールだね。全然平気?」
「毎日通る場所だからな」
「ああ、オマエんち、すぐそこだっけ」
「そ」
通るどころか、秘密基地だって知ってる。
そうだ、あとで行ってみようかなと思ったところで、不安だと言っていた女子が、俺の制服の袖をつまんで引っ張った。
「ねえ、部活何にするか決めた?やっぱり水泳部に入るの?」
俺は一瞬ソイツの顔を見てから、ちょっと乱暴に腕を払う。
中3でたまたま同じクラスになっただけで、なれなれしくされるいわれはない。
「もー、ちょっとは仲良くしようよ。数少ない同中なんだから」
なれなれ女子は上目遣いでにらみながら、その頬をぷうっとふくらませた。
……フグかよ。
「ムリムリ。木場野 は気に入ったやつじゃないと、目も合わさないから」
「そんな無礼じゃねぇだろ。目も合わさないって、合ったら攻撃するサルじゃあるまいし」
「サルなんかじゃないよ、木場野 君は。それに、けっこう礼儀正しいよねぇ」
だから、なんだよオマエはさっきから。
俺の何を知っていると言うんだ、フグ女子よ。
「木場野 君、うちのクラスでも話題になってたよ。水泳の記録保持者だって有名みたいだし。背も高くてイケメンだから、体育館で目立ってたもん」
隣のクラスになった、やたらフレンドリーなフグ女子が、今度は顔を近づけて耳打ちしてくる。
「同中って言ったら、うらやましがられちゃった」
「ナニそれ。くっだらね」
ため息しか出ないんだけど。
ホント勘弁してほしい。
だから、触ろうとすんなって!
中学に入ってから、俺の背は音がしてるんじゃないかと思うくらい伸びた。
水泳部でもちょっといい成績を連発したから、俺に絡 んでくるヤツなんか、レッドデータに登録しようかと思うくらい数が減っていった。
それでも一年生のときには、まだ「グズ、キモイ」と言ってくるヤツもいたけれど。
気にもならなかったのは、黙らせる方法を教わっていたから。
勉強の仕方も、ものの見方も、全部教わっていた。
そうして罵詈雑言は浴びなくなったものの、逆に妙な関心を持たれ始めたのが、本当に五月蠅 くて。
とくに女子。
部活の大会にまでくっついてくるヤツらもいて、応援席で「きゃー、キバノくーん!がんばってー」なんて騒いでいるのを見た日には、殺虫剤をまこうかと思った。
ソイツらのなかには小学校が同じだったヤツもいて、あのころは大勢に混じって「ぎゃー、キバノが来るっ。キモイ、デブがうつるー」とか言ってたくせに。
ハブられていたあのころと比べて、俺の何が変わったっていうんだ。
外見だけだろ?
そんなんで「キャー」とか「ギャー」とか言われたって、嬉しくも悔しくもない。
今、少しはましな人間になっているというのなら、それは全部あの人のおかげ。
嘘つきで冷たくて、忘れたいのに忘れられない。
俺の記憶のなかでは、舞台上でトランペットを吹いていた高校生のままでいる、あの人の。
「モテ男がくだらないとか、ゴーマンだな。村八されんぞ」
「慣れてる。そのほうが面倒がなくていいかも」
モテ男って聞くと、ついゲジゲジを思い出しちゃうな。
「なにその余裕の笑顔。やだわー、イケメン有罪」
「俺はべつにイケメンじゃねぇだろ」
「きぃ~、無自覚ってイヤミっ!」
中学のときから同じ部活で、今回も同じクラスになった清水が、ふざけて俺の肩を小突いた。
「ヤメロ。……なんか混んできたな。無駄に固まってても邪魔だし、帰ろう」
気がつくと、周囲には生徒たちがあふれ始めている。
どのクラスも本日は終了となったようだ。
「でも、ホントどうすんの?部活。ここの水泳部、結構強いぜ」
「うん、知ってる」
「な、楽しみだよなーって、どうしたよ。なんで黙ってんの?」
すぐに返事をしない俺を、清水が不思議そうに振り仰いだ。
「ほかに入りたい部活でもあんの?」
「そーだなぁ」
答えにくい質問をどうかわそうかと考えているうちに、もう校門が見えてくる。
よし、あの人の
「あ、ちょっと忘れ物してきたわ。机の中にペンケース入れっぱだ。悪い、先に帰って」
「えぇ~、待ってるよ?」
フレンドリーフグ女子が首を横に傾けて、唇をキュッと前に突き出した。
面白い顔になってるけど、それはあれか、いわゆる”アヒル口”ってやつか?
……アヒルっていうより、カエルって感じだけど。
魚類から両生類へ進化オメデトウ。
「先に帰ってて。首、折れるほど曲げてどうした。肩でもこってんの?五十肩?まだそんな年でもねぇのにお大事に。じゃあな、お疲れ」
それだけ言うと、俺は返事も待たずに踵 を返した。
◇
「相変わらず口が悪いなぁ、木場野 は」
「言い合いになると絶対負けないしな。木場野 の”たたみかけ戦法”に勝ったヤツって、見たことねぇわ」
「でも、せっかく同じ高校になったんだし、仲良くなりたいなぁ」
「え、中学んとき、そんな感じじゃなかったじゃん」
「ほかの女子が怖かったんだもん。人気あったんだよ、木場野 君。抜け駆け禁止!なんて言うグループもいてさあ」
「そういや大会の応援とか、何気に女子多かったよな。あれって木場野 詣 でだったのか」
「そのわりには、キバノコールとかなかったじゃん」
「いや、一回だけ派手なのがあったぞ。確か……、2年の夏だったかな」
「そうなんだよねぇ」
「ファンクラブが一回やらかしたんだけど」
「大惨事になっちゃったみたいで」
女生徒3人の衝撃発言に清水がのけぞった。
「ファ、ファンクラブ?!」
「清水、同じ部活のくせに知らなかったのかよ」
「知らねーよ。普段、アイツの周りに女子なんかいなかったし」
「だよなぁ、見たことないよなぁ。ホントにそんなもんあったのか?」
「秘密クラブだったけどね」
「なにその地下組織みたいなの。表に出せないナニがあったんだよ」
「それは……」
「だってさあ」
「ねぇ」
苦笑いをする女生徒3人が互いに顔を見合わせる。
「もう卒業したし、時効だろ。ちゃっちゃと自白しろ。カツ丼食うか?」
「木場野 君が嫌がるから、ないことになってたけどさ。コアなファンがいたんだよ。”あのツンなキバノを自分がデレさせる!”みたいなこと言ってたのがさ」
「五十肩」と言われた女生徒が、清水を見上げて肩をすくめた。
校門の桜はずいぶん散ってしまっているけれど、その前で記念撮影をする親子連れの列は、途切れる様子がない。
「
「母さんが撮りたいなら、あとでラッキーと来よう」
「そうね、近所だもんね。……それにしても、
頭をなでようとする腕をひょいと
必ず入ると決めた場所に今、立っている。
あの人の周りにいた人間と同じ制服を、今の自分が着ている。
それがちょっとだけ信じられない。
母さんと別れて昇降口に向かえば、そこは教室へ向かう新入生でごった返していた。
そこには入学式用の
自分と同じ制服を着た人たちのなかに、もちろんあの人はいない。
それがわかっていてもつい探してしまうのは、中学の三年間で身についた癖のようなものだ。
もう制服を着ていないと知っているけれど。
それ以外の姿を想像することができないから。
クラスでの顔合わせや4月のスケジュールの確認など、今日の予定すべてが終了して廊下に出たところで、見慣れた顔の集団に出くわした。
「よぅ
「オマエんちは逆だろ」
「まぁまぁ、せめて校門まで。心細いじゃん、知らない人間に囲まれてると」
「高校って、思ってたより人が多いね。同中出身がそれほどいないから、ちょっと不安」
「そう?」
「
「毎日通る場所だからな」
「ああ、オマエんち、すぐそこだっけ」
「そ」
通るどころか、秘密基地だって知ってる。
そうだ、あとで行ってみようかなと思ったところで、不安だと言っていた女子が、俺の制服の袖をつまんで引っ張った。
「ねえ、部活何にするか決めた?やっぱり水泳部に入るの?」
俺は一瞬ソイツの顔を見てから、ちょっと乱暴に腕を払う。
中3でたまたま同じクラスになっただけで、なれなれしくされるいわれはない。
「もー、ちょっとは仲良くしようよ。数少ない同中なんだから」
なれなれ女子は上目遣いでにらみながら、その頬をぷうっとふくらませた。
……フグかよ。
「ムリムリ。
「そんな無礼じゃねぇだろ。目も合わさないって、合ったら攻撃するサルじゃあるまいし」
「サルなんかじゃないよ、
だから、なんだよオマエはさっきから。
俺の何を知っていると言うんだ、フグ女子よ。
「
隣のクラスになった、やたらフレンドリーなフグ女子が、今度は顔を近づけて耳打ちしてくる。
「同中って言ったら、うらやましがられちゃった」
「ナニそれ。くっだらね」
ため息しか出ないんだけど。
ホント勘弁してほしい。
だから、触ろうとすんなって!
中学に入ってから、俺の背は音がしてるんじゃないかと思うくらい伸びた。
水泳部でもちょっといい成績を連発したから、俺に
それでも一年生のときには、まだ「グズ、キモイ」と言ってくるヤツもいたけれど。
気にもならなかったのは、黙らせる方法を教わっていたから。
勉強の仕方も、ものの見方も、全部教わっていた。
そうして罵詈雑言は浴びなくなったものの、逆に妙な関心を持たれ始めたのが、本当に
とくに女子。
部活の大会にまでくっついてくるヤツらもいて、応援席で「きゃー、キバノくーん!がんばってー」なんて騒いでいるのを見た日には、殺虫剤をまこうかと思った。
ソイツらのなかには小学校が同じだったヤツもいて、あのころは大勢に混じって「ぎゃー、キバノが来るっ。キモイ、デブがうつるー」とか言ってたくせに。
ハブられていたあのころと比べて、俺の何が変わったっていうんだ。
外見だけだろ?
そんなんで「キャー」とか「ギャー」とか言われたって、嬉しくも悔しくもない。
今、少しはましな人間になっているというのなら、それは全部あの人のおかげ。
嘘つきで冷たくて、忘れたいのに忘れられない。
俺の記憶のなかでは、舞台上でトランペットを吹いていた高校生のままでいる、あの人の。
「モテ男がくだらないとか、ゴーマンだな。村八されんぞ」
「慣れてる。そのほうが面倒がなくていいかも」
モテ男って聞くと、ついゲジゲジを思い出しちゃうな。
「なにその余裕の笑顔。やだわー、イケメン有罪」
「俺はべつにイケメンじゃねぇだろ」
「きぃ~、無自覚ってイヤミっ!」
中学のときから同じ部活で、今回も同じクラスになった清水が、ふざけて俺の肩を小突いた。
「ヤメロ。……なんか混んできたな。無駄に固まってても邪魔だし、帰ろう」
気がつくと、周囲には生徒たちがあふれ始めている。
どのクラスも本日は終了となったようだ。
「でも、ホントどうすんの?部活。ここの水泳部、結構強いぜ」
「うん、知ってる」
「な、楽しみだよなーって、どうしたよ。なんで黙ってんの?」
すぐに返事をしない俺を、清水が不思議そうに振り仰いだ。
「ほかに入りたい部活でもあんの?」
「そーだなぁ」
答えにくい質問をどうかわそうかと考えているうちに、もう校門が見えてくる。
よし、あの人の
手
を使うか。「あ、ちょっと忘れ物してきたわ。机の中にペンケース入れっぱだ。悪い、先に帰って」
「えぇ~、待ってるよ?」
フレンドリーフグ女子が首を横に傾けて、唇をキュッと前に突き出した。
面白い顔になってるけど、それはあれか、いわゆる”アヒル口”ってやつか?
……アヒルっていうより、カエルって感じだけど。
魚類から両生類へ進化オメデトウ。
「先に帰ってて。首、折れるほど曲げてどうした。肩でもこってんの?五十肩?まだそんな年でもねぇのにお大事に。じゃあな、お疲れ」
それだけ言うと、俺は返事も待たずに
◇
「相変わらず口が悪いなぁ、
「言い合いになると絶対負けないしな。
「でも、せっかく同じ高校になったんだし、仲良くなりたいなぁ」
「え、中学んとき、そんな感じじゃなかったじゃん」
「ほかの女子が怖かったんだもん。人気あったんだよ、
「そういや大会の応援とか、何気に女子多かったよな。あれって
「そのわりには、キバノコールとかなかったじゃん」
「いや、一回だけ派手なのがあったぞ。確か……、2年の夏だったかな」
「そうなんだよねぇ」
「ファンクラブが一回やらかしたんだけど」
「大惨事になっちゃったみたいで」
女生徒3人の衝撃発言に清水がのけぞった。
「ファ、ファンクラブ?!」
「清水、同じ部活のくせに知らなかったのかよ」
「知らねーよ。普段、アイツの周りに女子なんかいなかったし」
「だよなぁ、見たことないよなぁ。ホントにそんなもんあったのか?」
「秘密クラブだったけどね」
「なにその地下組織みたいなの。表に出せないナニがあったんだよ」
「それは……」
「だってさあ」
「ねぇ」
苦笑いをする女生徒3人が互いに顔を見合わせる。
「もう卒業したし、時効だろ。ちゃっちゃと自白しろ。カツ丼食うか?」
「
「五十肩」と言われた女生徒が、清水を見上げて肩をすくめた。