思い出ボロボロ
文字数 3,293文字
全国中学校水泳競技大会、県大会決勝の舞台となる公立の総合水泳場は、静かな熱気に包まれていた。
その応援席には各出場校の応援幕が張られ、部員やサポーターがひしめいている。
その一角、少女の姿が妙に多い区画では、声を押さえながらの華やかな会話が繰り広げられていた。
「あ、次キバノだよ」
「うわぁ、ほんっとイケメン……」
「イイ体してるよねぇ、足も長いし」
「えっちぃ言い方しないのっ」
「きゃあ、やだー」
口元に手を当て、少女たちは笑いさざめいている。
「でも、アイツ小学校のころは、ただのコデブだったんだよぉ。ちょっとダサかったし」
ひとりの少女が得意げに話し出すと、その場の空気がさっと凍った。
「なによ、”あたしキバノの過去知ってます”アピール?うっざ」
夏バージョンネイルもカワイイ少女が、険悪に目を細める。
「悪く言うなら帰れば。キバノが努力して変わったっていうなら、それを応援すればよくない?昔がどうとか言う必要ある?」
「え、いや、だから」
得意げだった少女が、焦った様子で両手のひらをブンブンと横に振った。
「すっごく変わって、かっこよくなっちゃってって言いたかっただけ」
「だけどさぁ」
「ねぇ、キバノが出るよっ」
さらに口を開きかけたネイル女子の袖を、隣の少女が慌てて引っ張る。
「ゴーグルも似合うとかどういうこと?!」
「よし、応援しよう!」
「Take your mark.(用意)」
一触即発だった応援席が、場内アナウンスでひとまとまりになった。
選手たちがそれぞれスタート台に上がり、クラウチングスタートの姿勢をとる。
そして、電子音の合図とともに、一斉に水の中へと身を躍らせた。
「きゃー!」
「キバノはやーいっ」
「すごい、一番きれいじゃない?」
「キバノ―!」
「頑張れっ、キバノ―!!!」
その黄色い声はどこの学校よりも高く場内に響き渡り、他を圧倒した。
そうして場内の注目を集めた応援とともに、木場野 は見事大会レコードで優勝を果たしたのだが。
「あれ、キバノいなくない?」
水泳部エースの活躍に、手を取り合ってはしゃぎ続けていたひとりが選手席を指さした。
「ほんとだ」
すべてのレースが終了したタイミングで、表彰台に上がる予定の木場野 の姿が見当たらない。
「トイレかな?」
「それにしては長くない?さっきからいなかったよ」
「気づいてた?」
「そりゃもう!瞬きもせずに見てましたから」
「やだぁ、ちょっと怖くない?」
ネイル少女がキャッキャと隣の友人とふざけあっていた、そのときだった。
「黙れヘンタイ」
「え」
「あ」
「き、キバノ……」
少女たちを凍らせたのは、変声期を終えたばかりの、少年とも青年ともつかない声。
「さっきからギャーギャーうるっせぇんだよ。泳ぐのは俺だけじゃねんだぞ。俺ひとりで成果上げたわけでもねぇのに、周りに失礼すぎんだろ。なんだよ、俺の水泳部での立場失くしたいワケ?応援装ったアンチ?ほかのガッコでこんな下品な応援してるとこねぇだろ。何回名前呼ぶんだよ、こっぱずかしい」
「え、で、でも」
「言い訳いらねぇわ。コールするならせめて学校名にしとけよ。じゃなきゃ、うちの部員全員の名前叫んどけ。ふっざけんな。こんなことすんなら二度と来んなよ。スイミングスクールにもだぞ。オマエらのおかげで、ちびっ子たち見に来てる保護者が座れねぇんだぞ。スクールから何回注意されてんだよ」
「あの、それは、ごめんね?」
上目遣いをするネイル少女を木場野 は冷え冷えと見下ろした。
「スクールは今月でやめるし、入会するんでもなきゃもう行くなよ」
「え!」
「やめちゃうの?」
「あたしたちの、せい?」
不安そうにつぶやいた少女を一瞥 して、木場野 はフンと鼻を鳴らす。
「オマエらに影響されることなんかひとつもねぇよ。中2の夏だから、そろそろ考えようかと思っただけだよ」
「それって進学のこと?塾とか行くの?どこの?」
「教える必要ある?これから表彰式だけど、口閉じてろよ。できないなら帰れ。あと、写真撮ってるヤツいたろ。盗撮って犯罪だからな」
返事も待たずに木場野 がくるりと背を向けると、少女たちから一斉にブーイングが起こった。
「そんな、盗撮だなんて」
「さすがに大げさじゃない?キバノ」
「写真部とかは撮ってんじゃん」
「は?」
勢いよく振り返った拍子に、木場野 の髪から雫が舞い散る。
水滴は室内照明を反射してきらめき、その横顔にぽぅっとなった少女たちであったが。
「寝言は寝てから言えよ。写真部は許可あんだろ。お前らにいつ許可出したよ。いいか、盗撮ってのはな、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって……」
言葉も出ない少女たちをにらみ下ろして、木場野は滔々 と盗撮の定義を述べる。
「マジで恥ずかしいし、不安しかないわ、こっちは。わかったならデータ消しとけよ。あとで流失でもしたら訴えるからな」
去っていく木場野 に声をかける者はなく、それ以降、水泳大会で黄色いキバノコールを聞くことはなかったのだ。
「そんなことがあったのかぁ。そういやあの大会のとき、一瞬消えたんだよな、アイツ」
「だから、あの子たちは応援には行けなくなっちゃって。……また別の子たちは行ってたけどね」
「ファンクラブは解散しなかったんだ?そんな塩っていうか、唐辛子対応されて」
「そうなんだけど」
五十肩女子がクスクス笑う。
「あんなにしゃべる木場野 君って初めてで、声もいいしサイコー!ってなったらしいよ。怒られるから地下に潜ったけど、ファンクラブのメンバーは増えたんだって」
「……ドMクラブ……」
「ん~、違うんじゃない?だって、怒られてもさ、相手してもらえるだけ嬉しいじゃん。普段、木場野 君って、話しかけても”ああ”とか”うん”しか言わないから」
「アイツ、しゃべるのが苦手って言ってたからな」
「え、ホントに?あんなに立て板に水なのに?」
女生徒のひとりが足を止めて清水を見上げた。
「雑談が不得意なんだって。木場野 ってさ、小学校のとき、ハブられてたらしいじゃん」
「そうなの?」
「マジ?」
「……みたいだね。あ、あたしは同じ小学校じゃないよ。中1のときのクラスメートに聞いただけ」
責めるような目をする清水に、五十肩女子が慌てて首を横に振る。
「……ま、だから、いろいろ諦めてるし、どうでもいいって思ってるって」
「トラウマかぁ。小学生って、けっこう残酷なことすっからな」
「ね。でも、男子とは普通に話すじゃない?さっきもかなり口きいてもらったし!同小の子はいないから、今がチャンスだと思うんだよねぇ」
五十肩女子が両手を握りしめて、鼻息を荒くした。
「トラウマなしの同中で顔見知りって、ほかの子よりポイント高いと思わない?」
「木場野 に限って、それカンケーねぇと思うけど」
歩き出した清水のあとに皆が続いていく。
「多分だけど、アイツ好きなヤツいると思うんだよな」
「えええっ」
女生徒三人が再び立ち止まり、同時にのけぞった。
「ウソ!」
「誰?!」
「いや、知らんけど」
「知らねぇのかよ」
「なんでそう思った?」
「ときどき手帳のぞいて、懐かしそ―な顔してたから。あんな顔、ほかで見たことねぇし」
「ああ、ケータイのメモ機能じゃなくて手帳使うの、アイツのこだわりだもんな。何か入ってんの?」
「さあ?のぞこうとしたらエライ剣幕で怒鳴られたから、こりごり」
「写真とか?」
「え~、見た~い」
「やめとけって。本気で怒った木場野 がハンパねぇの、聞いて知ってんだろ」
「……うん」
しょぼんと肩を落とした五十肩女子の隣で、もうひとりの男子生徒が「そういえば」と切り出す。
「サッカー部のヤツが、おんなじようなこと言ってたな」
「え、ハンパねぇ木場野 体験者がほかにも?」
「散歩中の、木場野 んちのイヌに絡んだバカがいたんだって」
「えぇ~、木場野 君、ワンちゃん飼ってるの?見せてってお願いしようかなぁ」
とたんに華やいだ声を上げる五十肩女子だったが。
「アイツ、プライベートにズカズカ入ってこられるの嫌いだぞ」
「……気をつける」
清水にいさめられて、やっぱり肩を落とすことになったのだった。
その応援席には各出場校の応援幕が張られ、部員やサポーターがひしめいている。
その一角、少女の姿が妙に多い区画では、声を押さえながらの華やかな会話が繰り広げられていた。
「あ、次キバノだよ」
「うわぁ、ほんっとイケメン……」
「イイ体してるよねぇ、足も長いし」
「えっちぃ言い方しないのっ」
「きゃあ、やだー」
口元に手を当て、少女たちは笑いさざめいている。
「でも、アイツ小学校のころは、ただのコデブだったんだよぉ。ちょっとダサかったし」
ひとりの少女が得意げに話し出すと、その場の空気がさっと凍った。
「なによ、”あたしキバノの過去知ってます”アピール?うっざ」
夏バージョンネイルもカワイイ少女が、険悪に目を細める。
「悪く言うなら帰れば。キバノが努力して変わったっていうなら、それを応援すればよくない?昔がどうとか言う必要ある?」
「え、いや、だから」
得意げだった少女が、焦った様子で両手のひらをブンブンと横に振った。
「すっごく変わって、かっこよくなっちゃってって言いたかっただけ」
「だけどさぁ」
「ねぇ、キバノが出るよっ」
さらに口を開きかけたネイル女子の袖を、隣の少女が慌てて引っ張る。
「ゴーグルも似合うとかどういうこと?!」
「よし、応援しよう!」
「Take your mark.(用意)」
一触即発だった応援席が、場内アナウンスでひとまとまりになった。
選手たちがそれぞれスタート台に上がり、クラウチングスタートの姿勢をとる。
そして、電子音の合図とともに、一斉に水の中へと身を躍らせた。
「きゃー!」
「キバノはやーいっ」
「すごい、一番きれいじゃない?」
「キバノ―!」
「頑張れっ、キバノ―!!!」
その黄色い声はどこの学校よりも高く場内に響き渡り、他を圧倒した。
そうして場内の注目を集めた応援とともに、
「あれ、キバノいなくない?」
水泳部エースの活躍に、手を取り合ってはしゃぎ続けていたひとりが選手席を指さした。
「ほんとだ」
すべてのレースが終了したタイミングで、表彰台に上がる予定の
「トイレかな?」
「それにしては長くない?さっきからいなかったよ」
「気づいてた?」
「そりゃもう!瞬きもせずに見てましたから」
「やだぁ、ちょっと怖くない?」
ネイル少女がキャッキャと隣の友人とふざけあっていた、そのときだった。
「黙れヘンタイ」
「え」
「あ」
「き、キバノ……」
少女たちを凍らせたのは、変声期を終えたばかりの、少年とも青年ともつかない声。
「さっきからギャーギャーうるっせぇんだよ。泳ぐのは俺だけじゃねんだぞ。俺ひとりで成果上げたわけでもねぇのに、周りに失礼すぎんだろ。なんだよ、俺の水泳部での立場失くしたいワケ?応援装ったアンチ?ほかのガッコでこんな下品な応援してるとこねぇだろ。何回名前呼ぶんだよ、こっぱずかしい」
「え、で、でも」
「言い訳いらねぇわ。コールするならせめて学校名にしとけよ。じゃなきゃ、うちの部員全員の名前叫んどけ。ふっざけんな。こんなことすんなら二度と来んなよ。スイミングスクールにもだぞ。オマエらのおかげで、ちびっ子たち見に来てる保護者が座れねぇんだぞ。スクールから何回注意されてんだよ」
「あの、それは、ごめんね?」
上目遣いをするネイル少女を
「スクールは今月でやめるし、入会するんでもなきゃもう行くなよ」
「え!」
「やめちゃうの?」
「あたしたちの、せい?」
不安そうにつぶやいた少女を
「オマエらに影響されることなんかひとつもねぇよ。中2の夏だから、そろそろ考えようかと思っただけだよ」
「それって進学のこと?塾とか行くの?どこの?」
「教える必要ある?これから表彰式だけど、口閉じてろよ。できないなら帰れ。あと、写真撮ってるヤツいたろ。盗撮って犯罪だからな」
返事も待たずに
「そんな、盗撮だなんて」
「さすがに大げさじゃない?キバノ」
「写真部とかは撮ってんじゃん」
「は?」
勢いよく振り返った拍子に、
水滴は室内照明を反射してきらめき、その横顔にぽぅっとなった少女たちであったが。
「寝言は寝てから言えよ。写真部は許可あんだろ。お前らにいつ許可出したよ。いいか、盗撮ってのはな、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって……」
言葉も出ない少女たちをにらみ下ろして、木場野は
「マジで恥ずかしいし、不安しかないわ、こっちは。わかったならデータ消しとけよ。あとで流失でもしたら訴えるからな」
去っていく
「そんなことがあったのかぁ。そういやあの大会のとき、一瞬消えたんだよな、アイツ」
「だから、あの子たちは応援には行けなくなっちゃって。……また別の子たちは行ってたけどね」
「ファンクラブは解散しなかったんだ?そんな塩っていうか、唐辛子対応されて」
「そうなんだけど」
五十肩女子がクスクス笑う。
「あんなにしゃべる
「……ドMクラブ……」
「ん~、違うんじゃない?だって、怒られてもさ、相手してもらえるだけ嬉しいじゃん。普段、
「アイツ、しゃべるのが苦手って言ってたからな」
「え、ホントに?あんなに立て板に水なのに?」
女生徒のひとりが足を止めて清水を見上げた。
「雑談が不得意なんだって。
「そうなの?」
「マジ?」
「……みたいだね。あ、あたしは同じ小学校じゃないよ。中1のときのクラスメートに聞いただけ」
責めるような目をする清水に、五十肩女子が慌てて首を横に振る。
「……ま、だから、いろいろ諦めてるし、どうでもいいって思ってるって」
「トラウマかぁ。小学生って、けっこう残酷なことすっからな」
「ね。でも、男子とは普通に話すじゃない?さっきもかなり口きいてもらったし!同小の子はいないから、今がチャンスだと思うんだよねぇ」
五十肩女子が両手を握りしめて、鼻息を荒くした。
「トラウマなしの同中で顔見知りって、ほかの子よりポイント高いと思わない?」
「
歩き出した清水のあとに皆が続いていく。
「多分だけど、アイツ好きなヤツいると思うんだよな」
「えええっ」
女生徒三人が再び立ち止まり、同時にのけぞった。
「ウソ!」
「誰?!」
「いや、知らんけど」
「知らねぇのかよ」
「なんでそう思った?」
「ときどき手帳のぞいて、懐かしそ―な顔してたから。あんな顔、ほかで見たことねぇし」
「ああ、ケータイのメモ機能じゃなくて手帳使うの、アイツのこだわりだもんな。何か入ってんの?」
「さあ?のぞこうとしたらエライ剣幕で怒鳴られたから、こりごり」
「写真とか?」
「え~、見た~い」
「やめとけって。本気で怒った
「……うん」
しょぼんと肩を落とした五十肩女子の隣で、もうひとりの男子生徒が「そういえば」と切り出す。
「サッカー部のヤツが、おんなじようなこと言ってたな」
「え、ハンパねぇ
「散歩中の、
「えぇ~、
とたんに華やいだ声を上げる五十肩女子だったが。
「アイツ、プライベートにズカズカ入ってこられるの嫌いだぞ」
「……気をつける」
清水にいさめられて、やっぱり肩を落とすことになったのだった。