星に願いを

文字数 6,220文字

 夏合宿、三日目の夜。
 俺は懐中電灯を手にして、夜のあぜ道を萌黄(もえぎ)さんと歩いている。
「みんなとトランプしなくてよかった?」
「蛍のほうがいい」
 というのは嘘。
 萌黄(もえぎ)さんと一緒なら、どっちでもいいんだから。
 
 風呂上り。
 昨日の大貧民でボロ負けをしたリョータからの、再戦申し込みをからかっていたとき。
 萌黄(もえぎ)さんが「蛍を見に行きたい人がいたら、一緒に行かない?」と声をかけてきた。
「少年は大貧民したいんだよな。よし、アタシが相手をしてあげよう」
 小柄な大先輩に首根っこをひっつかまれたリョータが、助けを求める目を向けてきたけれど。
「がんばってなー」
「棒読みが過ぎるっ。オノレ裏切者ー!」
「OB部屋にレッツゴー!」
 バフォメットなアイ子さんに引きずられていくイケニエリョータを、俺は静かに合掌をして見送った。

「アイ子先輩、駆け引きウマすぎなんだもん。リョータは連日エジキだな」
「今日の罰ゲームはなんだろうね」
 昨日の罰ゲームは青汁のどんぶり飲みで、すっかり健康になった今日のリョータのトランペットは、超絶キレのいい音を響かせていた。
 ヤケクソとも言えるけど。
 高原の夜風が稲田を揺らす音に紛れて、ふたり分の足音が重なっている。
「あ、ほら。あっちにいっぱいいる」
「転ぶから」
 早足になろうとする萌黄(もえぎ)さんの手を、俺はぱっと握った。
「大丈夫なのに」
 懐中電灯のほのかな灯りに照らされた萌黄(もえぎ)さんの、ちょっとだけ不満そうな目が上がる。
「昼間、河原で転びそうになってたじゃん」
「あれはアイ子が押すから。……でも、かばってもらっちゃってごめんね。代わりに水に入っちゃって冷たくなかった?」
「全然。萌黄(もえぎ)さんが濡れなければそれでいいし。それに、そっからみんな川に入ってバシャバシャやったじゃんか。どうりで、ライトバンにレジャーシートが敷いてあると思った」
「現役は若いねぇ」
「なに言ってんの。よりはっちゃけてたのはOBのほうだぞ」
「そうかもね。こんなに無心で遊ぶことって、最近なかなかないし」
「大学って、そんな忙しいの?」
「忙しいというか、行動に伴う責任を考えちゃうの」
「そんなの、俺らだって同じだろ?」
「そうねぇ……」
 ふたりの間に落ちた沈黙に俺は不安になる。
 なんだか萌黄(もえぎ)さんが遠くなってしまったようで、俺の手の届かない大人なようで。
 実際、6歳も年上なんだけど。
「高校生にはわかんないって?」
「そうじゃないよ」
 クスクス笑う萌黄(もえぎ)さんが、握る手に力を込めてくれる。
「ただ、今になって思うの。高校生のころは、やっぱり守られていたなあって」
「……そうかもしれないけど」
 それは、いつだって俺たちの間に立ちはだかる年齢の壁だ。
 どうにもできない問題だからこそ悔しくて、悔しくて。
萌黄(もえぎ)さん、今でも俺のこと子供だって思ってる?昔さ……」
 俺の声は、足音に紛れてしまいそうなほど小さくなった。
「”羊介(ようすけ)くんは男の子でしょ”って言ってたじゃん?男子じゃなくて」
「ああ、コーヒーショップに誘えない話ね」
「……うん」
「今はもう立派な男子じゃない?羊介(ようすけ)くんも」
「でも、萌黄(もえぎ)さんはステキな大人になっちゃったし」
 どうやっても差が埋まらない。埋められない。
 手をつないでいるのに、萌黄(もえぎ)さんが遠い。
「ステキな大人に見える?」
「……見える」
「嬉しいなあ」
 歩きながら、萌黄(もえぎ)さんが夜空へと視線を投げた。
「そうなれるようにって、努力したつもりだから」
「え?」
羊介(ようすけ)くんに会えたときにね、情けないお姉さんではいたくなかったの。できれば」
「うん」
 萌黄(もえぎ)さんの言葉を聞き逃したくなくて、俺はちょっとだけ肩を寄せる。
「ステキなお姉さんになったって、思ってほしくて。大学生になってしばらくは、会いに行く勇気がでなくて……」
「アイ子さん言ってたね、ヘタレって。どうしてだったの?」
 俺にとって萌黄(もえぎ)さんは、いつだってステキな人なのに。
 何をそんなにためらうことがあったんだろう。
「それは……」
 小さな懐中電灯の光の輪のなかで、黙り込んでしまった萌黄(もえぎ)さんが、夏の闇に溶けてしまいそうで。
 確かめるようにその手を握りしめれば、萌黄(もえぎ)さんも体を寄せてきてくれる。
「だって」
「うん」
「だって、羊介(ようすけ)くんって、中学でモテまくりだったんでしょう?」
「はぁっ?!」
 静かな田んぼに俺の声が響き渡って、エコーをかけたみたいになった。
「こら、声が大きいよっ」
「いや、だってさ。それってあれだろ、スイミングのコーチが言ってたやつだろ?」
「うん」
「違うからっ。モテてなんかないから」
「でも、羊介(ようすけ)くんのファンクラブまであったんでしょ?」
 なにそれー!
 俺が高校に入って初めて知ったことを、なんで萌黄(もえぎ)さんが知ってんの?!
「そ、それもコーチから聞いたの?」
「うん。……やっぱり本当なんだ。ほら、モテてたんじゃない」
 ……ん?
 勘違いでなければ。
 今、萌黄(もえぎ)さんの声は不機嫌になったと思う。
 それってもしかして……。
「違うって。だって俺、ファンクラブなんて知らなかったもん。高校に入って初めて、友達から教えてもらってさ。中学のころは秘密だったみたいだから」
「秘密?どうして?」
「水泳大会でキャーキャー騒ぐヤツらがいて、二度と来んな、盗撮すんなって言ってやったら、それから内緒にしやがったみたいで」
「盗撮?それは(たち)が悪いね」
「だろ?男子中学生の水着写真なんて、高値で取引されちゃうだろ?」
「ふふっ」
 萌黄(もえぎ)さんの笑い声が、夜風と一緒に俺の耳をくすぐる。
 よかった、機嫌が直ったみたいで。
 てか、誤解が解けたみたいで。
「なんかさ、すごくヤだったんだ。外見をあれこれ言われんの。萌黄(もえぎ)さんだって知ってるだろ?俺がさんざんキモイって言われてたの」
羊介(ようすけ)くんは可愛かったよ」
「あのころ、そんなこと言ってくれるの、親以外には萌黄(もえぎ)さんだけだったよ」
 さっきから離さず握っている手を、互いになんとなくブラブラと揺らす。
「だから、イケメンって言われたってピンとこなかったし。だって、顔なんかそんなに変わってないだろ?」
「変わったと思うなぁ」
「えっ、萌黄(もえぎ)さんの好みから外れてる?」
「違うってば。……かっこよくなったよ」
「か、……かっこよく?」
「うん、かっこいい。市島くんに怒ってくれたときも、かばってくれたときも。なんてかっこいい人だろうって思った」
 ああ、もうこの瞬間、俺の気持ちはさらに揺るぎないものになった。
 萌黄(もえぎ)さんの「かっこいい」は、見た目だけなんかじゃない。
 あのころとまったく変わらず、俺の中身をまっすぐ見てくれている。
 ……好きだな、本当に。
 こんなに心奪われる人は、どこを探してもいないに決まってる。
 知れば知るほど好きになって、この瞬間だって、さっきよりも好きになってるんだ。
「あり、がと」
 感極まって、のどが詰まって。
 片言(かたこと)になってしまった感謝に、萌黄(もえぎ)さんが微笑で応えてくれる。
「ふふふっ。……蛍、たくさん見られるかな」
「見られるといいね」
「うん」
 そのまま手をつなぎながら、初日に蛍狩りをした場所、水田に囲まれた鎮守の森まで歩いた。
「灯り、落とすよ」
「うん」
 懐中電灯のスイッチを切ったとたんに、辺りは漆黒の宵闇に沈んでいく。
「わぁ……」
 小さな小さな蛍たちが明滅を繰り返して、近く遠くと舞い飛ぶ光景が目の前に広がった。
 幾筋もの光が夜の(とばり)に浮かび、その上には満天の星空がどこまでも続いている。
「ホタルってさ、こんなにキレイって思わなかった」
「うん、私も最初見たとき、すごく感動した。今はもっと感動してる。……羊介(ようすけ)くんと一緒に見る日が来るなんて、思わなかったな」
 光りのシンフォニーのような景色に見惚(みと)れている俺たちの間を、冷気を含んだ風が吹き抜けていった。
 肩が触れ合うほど萌黄(もえぎ)さんに寄り添えば、そのシルエットが俺を見上げる。
「どうしたの?寒い?」
「寒くはないよ、でも」
 いったん(ほど)いていた萌黄(もえぎ)さんの手を、再びぎゅっと握った。
「ねえ萌黄(もえぎ)さん。どうして、俺にあのトランペットをくれたの?買うとき、家族からの援助は断ったって言ってたじゃん。それほどのものなのに……。俺に吹いてほしかったわけじゃなかったんでしょ?」
 夏合宿に入る前夜、譲ってもらったトランペットの型番を調べようと思ったのは、ほんの気まぐれ。
 そして、度肝を抜かれたんだ。
 だって、ウン十万だよ?
 一枚取りのカスタムモデルで、かつ銀メッキ仕上げ。
 それは高校生が買うには、覚悟がいるものだったはずだ。
「定期演奏会で贈ってくれた花束は、小学生だった羊介(ようすけ)くんが、ひとりでお花屋さんに行って買うには、勇気が必要だったでしょう?」
「……うん」
 それは、超ハズイ思い出。
 花屋のお姉さんに根掘り葉掘り聞かれながら、オレンジ色のバラを選んだ。
「お年玉を使ってくれたんだってね」
「え」 
 なんで知ってるんだ?!
 ……あ、受付で俺がしゃべったんだった。
 バカ!小学生の俺のバカ!
「だから、私も貯めていたお年玉で買ったトランペットを贈りたかったの。羊介(ようすけ)くんの想いに応えたかった。……もし、許してくれているのなら。まだ待っていてくれているのなら」
 サワサワサワサワと、稲穂が風に歌っている。
 蛍がからかうように俺の鼻先をかすめて飛んで、光の軌跡を描いて去っていった。
「あのさ」
「うん?」
「あのとき選びたかったのは、オレンジ色のバラじゃなかったんだ」
 夜が、熱くなった俺の顔を隠してくれている。
「ホントは、紅色(べにいろ)のバラを5本、贈りたかったんだよ」
「ご、ごめん。私ってほら、パサパサ系だから。その意味って、すぐにわかんないの」
「パサパサ系?」
「アイ子がそう言うのよ、脳みそパサパサって。だから、ちゃんと教えて?」
「……いいよ。今、贈りたいのはやっぱり紅色(べにいろ)で、数は12本」
「ちゃんと教えてない。意地悪な先生だなぁ」
 声がいじけていて、不満顔をしている萌黄(もえぎ)さんが見えるみたい。
 ああもう、どうしてこんなにカワイイんだろう。
 好きで好きでしょうがない想いがあふれて、言葉にせずにはいられない。
 だから、俺は腹を(くく)って、大きく深呼吸をした。
紅色(べにいろ)のバラの花言葉は、”死ぬほど恋焦がれています”。5本は”あなたに出会えたことの心からの喜び”」
 惑いながら萌黄(もえぎ)さんの体に両腕を回すと、一瞬で俺の体がホカホカになる。
 あの原っぱで、サバイバルシートを巻きつけてもらったときよりもずっと、ずっと。
 萌黄(もえぎ)さんが肩をふるりと震わせたから、俺は回した腕に力を込めた。
「逃げないで。もうどこにも行かないで」
「逃げたりしないよ。……12本は?」
 暗闇のなかでゆっくりと背中を(かが)めて、俺は萌黄(もえぎ)さんの額に自分の頭をコツンとぶつける。
「12本はね、”私とつきあってください”。……好きだよ、萌黄(もえぎ)さん。ずっとずっと好きだった。あなたがショタコンって言われるのは嫌だけど、でも、あのころから、俺は、萌黄(もえぎ)さんを、好きだった」
 ああもう、どうしてこういう肝心なときに、俺はブルブル震えているんだろう。
 兄ちゃんのスニーカーをズタボロにして怒られてたときの、ラッキーみたいじゃないか。
 心臓なんかドクドク鳴っていて、絶対バレてるに違いない。
 情けなくて泣いちゃいそうな俺の背中に、萌黄(もえぎ)さんの腕が回された。
「あのね、羊介(ようすけ)くん」
「う、ん」
 震えるな、俺の声。
「私、6歳も年上なのよ」
「知ってる、よっ」
「来年の今ごろは、忙しくなると思うの」
「また?また会えなくなるの?!」
「会えなくなるどころじゃないと思う」
「ナニそれっ、どっか行くの?じゃあ俺、高校やめてついてくからっ」
「バカねぇ」
「バカって言った!悪口言われたっ」
 震えが抑えられない俺の胸に、萌黄(もえぎ)さんが頬を寄せてくる。
「来年の9月ごろ、教育実習に行く予定なの。母校の高校に」
 母校の高校。ふーん。
 教育実習。へーえ。
 うん、知ってる。
 先生になりたい大学生が、中学のときにも学校に来てた。
 って、あれ?
萌黄(もえぎ)さん、来年ウチの高校来んの?実習生として」
「そうなの。だから、バラ12本を受け入れるとね、教え子と

関係になっちゃって、教員免許取得に支障がでないかしら」
「ぐぁ」
 年頃の男子高校生に、意味深に「

」なんて言わないでいただきたい。
 鼻血が出ちゃうじゃん。
 いやいや、取りあえず煩悩は置いといて、だ。
 こんなことで萌黄(もえぎ)さんに二の足を踏まれるわけにはいかないから、俺は脳ミソをフル回転させる。
「奥手の体育の先生に、合コンでイケイケを勧めたんだけど、えっらいキレられたんだよ。教え子と合コンしろって言ったわけじゃないけど、誤解したかなと思ってさ」
「なにをやっているの、あなたは」
 胸元に落された、呆れたような萌黄(もえぎ)さんの吐息が、あったかくて爆発しそう。
「ちょっと調べたら、真摯(しんし)な交際関係にある場合は大丈夫なんだって。萌黄(もえぎ)さんは遊びで俺とつき合うの?」
 まだOKはもらってないけど、ここはたたみかけるしかない。
「年上の余裕で俺を(もてあそ)んで、それで、また消えちゃうつもり?泣くよ?」
「泣いてたね」
 ……はい、泣きました。
 気がつけば、萌黄(もえぎ)さんが俺の背中をなでてくれている。
 その手は1-Aの教室で抱きしめてくれたときとは違っていて、とても甘い。
「今って、紅色(べにいろ)のバラを持ってる?」
 萌黄(もえぎ)さんの(ささや)きに熱がこもっているのは、気のせいじゃないはずだ。
「持ってない。帰ったらプレゼントする」
「今がいい」 
 珍しい萌黄(もえぎ)さんのワガママは叶えてあげたいけれど、持ってないものは渡せない。
「えと、ごめん、」
「じゃあ」
 萌黄(もえぎ)さんが背伸びをして、顔を近づけてくるのがわかった。
「バラの代わりに、羊介(ようすけ)くんの想いをちょうだい」
 俺の唇に、柔らかくて温かいものが一瞬だけ触れて、離れていく。
「も、萌黄(もえぎ)さん……?」
 キスしてもらったと気づいたとたん、俺のどこかがプチン!と焼き切れた。
萌黄(もえぎ)さん、萌黄(もえぎ)さんっ」
 大好きな人をぎゅうぎゅう抱きしめて、頬ずりをして、おでこにもまぶたにも鼻にも頬にも、キスを落としていく。
 そしてもちろん、その唇にも。
「ん……」
 萌黄(もえぎ)さんの鼻にかかる吐息にくらくらしながら、俺はそのふわふわの髪に頬を埋めた。。
「俺とつき合って、萌黄(もえぎ)さん。9本のバラの意味は、”あなたを想ってます”のほうじゃないよ。”いつも一緒にいてください”のほうだったんだよ」
 ああ、やっと伝えることができた。
 色()せた手紙の答えをやっと訂正できた。
「俺は萌黄(もえぎ)さんしかいらない。お願い、萌黄(もえぎ)さん、ずっと一緒にいて。……お願い」
 星空の下、蛍が恋の光をかわし合う夜。
 三年間、呼びたくても呼べなかった名前に想いを乗せれば、その名前を持つ女性(ひと)が抱きしめ返してくれた。
「俺の恋人になってください、萌黄(もえぎ)さん」
「……はい」
 嬉しくて、嬉しくて嬉しくて。
 腕の中に閉じ込めた萌黄(もえぎ)さんの、そのすべすべのほっぺたをぺろりと舐めてみる。
「くすぐったいったら」
 こんなことも許されるのかと思ったら、もう感激しかない。
萌黄(もえぎ)さんっ」
「ぐぇ」
 力いっぱい抱きしめた萌黄(もえぎ)さんから、カエルがつぶれちゃったような声が漏れた。
「く、くるし、苦しいからっ。……このポンコツ!」
「初めて萌黄(もえぎ)さんから怒られた。えへへ」
「なんで嬉しそうなの?!」

 想いが届いて、いろんな萌黄(もえぎ)さんを見ることができて。
 この腕に大切な人をとらえることができた夏の日の夜は、一生忘れない、俺の宝物だ。
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