糾える縄は禍か福か
文字数 3,794文字
ドアを叩き壊して襲撃したいくらいだったけど、新入生であるという事実は頭の隅に残っていた。
だから、拳 で二回。
ぶん殴る程度で我慢した。
ドガっ、ガスっ!
……意外にいい音が出ちゃったな。
「うぉーい?ドア壊すなよー。入っていいぞー」
間延びした許可をもらったので、勢いよくスライドドアを開ける。
「い、1年A組、木場野 です。田之上先生はご在席でいらっしゃいますかっ」
声が裏返ってしまったけれど、そんなことに構う暇もなく職員室を見回した。
……どの人が「田之上先生」だろう。
「新入生が音楽の先生になんの用事だ?部活紹介なら明日だぞ」
手前に座る教師が、不思議そうに俺を振り返る。
「1年の木場野 ?」
同時に、奥側の席からシュバッ!と効果音が聞こえそうな勢いで、大柄な教師が立ち上がった。
そのシルエットからすると、180センチは優に超えていそうだな。
俺と同じくらいの身長だけど、体の厚みがハンパないから迫力満点。
「木場野 は水泳部に入るんじゃないのか?田之上先生に用事って、スイエイブじゃなくてスイブ?エイどこ行った?」
そのダジャレ、あの人が好きそうだなと思ったら、ふっと肩の力が抜けた。
「驚愕!」と額に書いてありそうな大柄な教師が、アタフタと泳ぐみたいに腕を動かしている。
「おい、ホントに部活の相談なのか?」
「いえ、プライベートなことです。卒業生からの伝言があって」
「ふーん?」
ひねり続けている首が疲れたのか、手前の教師はイスをクルリと反転させて俺に向き直った。
「田之上先生は音楽教官室が根城だから、ここにはいないぞ」
「音楽教官室?」
「音楽室の隣にあるから、行ってみたらどうだ?」
「はい、そうします!」
「いるとは限らないけどな~」
開けたのと同じくらい乱暴にドアを閉めた俺の背中を、のんびりとした教師の声が追いかけてくる。
「わっかりましたぁ。ありがとうございます!」
大声でお礼を言いながら、見つかれば陸上部から誘いが来る勢いで、俺は廊下をダッシュした。
「廊下は走るなよ~、なるべくな~」
遠く聞こえてくる注意に、走りながらふっと笑ってしまう。
なるべくってなんだろう。
未練をズルズル引きずって目指した高校だけど、うん、けっこういい学校だな。
あの人との出会いは、俺にとって良い縁ばかりを運んでくれるんだって、改めて思う。
たとえそれが、切り刻まれるような渇望とともにあったとしても。
さっきは気がつかなかったけれど、音楽室の隣には、確かにもうひとつ部屋があった。
「音楽教官室」の札が下がるドアを、深呼吸ののち、軽くノックしてみる。
が、返事はない。
職員室にもいなかったし、あとはどこを探したらいいんだろう。
不安な気持ちを抱えながら、念のためにもう一回、ドアを叩いた。
「ふぉ~い」
返されたのん気な返事に、ちょっと気が抜ける。
「失礼します」
なんて礼儀正しくドアを開けたけど、本当は余裕なんてない。
だって、そうだろう?
待ちぼうけを食らっていたこの三年間。
今年でやめよう、今月で捨てよう、今日忘れようと思いながら、あるのかないのかわからない約束にすがって、この高校に入学したんだから。
「1年A組、木場野 羊介 です」
「おぅっ?!」
暴れる鼓動に震える声で名乗ったとたん、入り口に背を向けて座っていた教師が、ガタガタっとイスを蹴り飛ばすようにして立ち上がった。
「木場野 羊介 君?!」
ごま塩のうねる髪をオールバックにした、背のひょろりと高い男性教師が目を見開いている。
着てるのはスーツやジャージではなく、白のスタンドカラーシャツとモスグリーンのジャケット。それから、黒のコーデュロイパンツ。
うん、いかにも芸術家って感じ。
「ああ、キミがそうか……」
初めて会った先生だけど、懐かしい卒業生が訪ねてきたような顔をしている。
「預かっていますよ、雪下 から。少し待っていてください」
期待していた名前を口にした芸術家田之上先生は、デスク上に積んであったあれやこれやをせかせかと崩していく。
「えーっと、どこやったかな。この下に……、いやこっちかな?」
……もう、不安しかない。
じっと待っているのも心細くて、手伝ったほうがいいかなと迷っていると。
「なにしろ、二年以上前の話ですからねぇ」
探す手を止めない田之上先生が、不思議なことを言った。
「二年?でも、卒業したのって……」
「ああ、そうか。キミは知らないんですね。雪下 は一年浪人してるんですよ。よくできる子だったけど、3年生のときは、いろいろあったみたいでね」
え、浪人?
そう、なんだ。
やっぱり事情があったんだって、ちょっとほっとする。
……三年間、連絡をもらえなかった事実はなくならないけれど。
「えーっと、ないなあ……。あ、引き出しかな?」
うん。
そんな前の預かりものを、デスクの上に置きっぱなしだったとは信じたくないよ、俺も。
じりじりしながら、優雅な動作で探し続ける田之上先生を見守る。
今度はパタンパタンと、引き出しという引き出しの開閉が繰り返された。
「合格報告に来てくれたときにもらって、えーっと……。あぁっ、こんなところに!驚いたなぁ」
その大声に、こっちがびっくり。
音楽教師だけあって、張りと艶のある低音だ。
「あったあった。はい、これ」
田之上先生が一番下の引き出しから引きずり出したのは、俺の手帳に挟まっているのと同じ封筒。
受け取ってみると、表には鮮やかなオレンジ色の付箋 が貼ってあって、『二年後、木場野 羊介 が入学しなかった場合は廃棄』と書かれていた。
「二年後、つまり今年ですね」
付箋 の文字をじっと見つめている俺の耳に、心地よいバリトンボイスが届く。
「入学してくれてよかったですよ、木場野 君。いくら雪下 の願いでも、預かった手紙を捨てるなんて忍びないですからね。そのときの彼女の顔を覚えているから、なおさら」
「どんな、顔を?」
目が潤みそうになるのを、眉間と腹に力を入れて一生懸命ガマンした。
「それは、その手紙を読めばわかるんじゃないですか?若い人が、二年を経ても届けたかったものでしょう?ロマンですよねぇ」
「ありがとうございます」は声にならなくて。
俺はただ深々と頭を下げて、田之上先生の顔を見ることもできずに、音楽教官室をあとにした。
胸に抱きしめた手紙をどこで読むのかは、もう決まっている。
俺は来たときと同じように、全速力で”秘密基地”へと向かった。
誰もいない原っぱの上には、胸のすくような青い空が広がっている。
予約はしてないから、レジャーシートもウレタンマットも遠慮して、俺は草地にどっかりと座り込んだ。
ピリ、ビリビリ。
自分でも焦れるほどゆっくりと開封するのは、期待しすぎて裏切られるのが怖いから。
鼓動が強く、早くなっていく。
上手く息も吸えなくなって、浅い呼吸を繰り返した。
『羊介 くんへ』
それが、目に飛び込んできた最初の言葉。
前にもらった手紙と、ホワイトボード裏の書き込みきと。
まったく同じ始まりに、なんだか涙が出そうになった。
だけど、俺はもう小学生ではない。
高校生になったんだから、絶対泣かない。
泣いてたまるか、このウソツキめ。
えっと、次、次はなんて書いてあるんだろう。
『この手紙を読んでるってことは、志望した高校に入学したんだね。おめでとう、やったね!』
なに、のんびりお祝いなんてしてるんだよ。
いや、嬉しいけど。
『怒ってるよね。だって、約束を破ったんだもの』
うん。
『でも、秘密基地のボードを調べたということは、私のことを覚えているのだと期待しちゃいます。そういえば、秘密基地のボードって、いいアイデアだと思わない?私が卒業して一年しかたってないのに、物もずいぶん増えみたい。これ以上派手になると怒られそうだけど。羊介 くんが入学するまで、ボードがあってくれてよかった。これを読んでるのは二年後のはずだから、そのころにまだ秘密基地はあるんだね。見ないフリしてくれるなんて、うちの高校も緩いよね』
もー、話があっちこっちするのは変わってねぇなぁ。
『実は羊介 くん、私は浪人してしまいました。滑り止めは受かったんだけど、どうしても第一志望に行きたくて、猶予をもらったの。でも、羊介 くんに連絡できなかったのは、それだけが理由ではなくて……。羊介 くんは今、どんな人になってるのかな。相変わらず、優しくて我慢強い?ひとつ約束をしてほしいのです。不愉快に思うことがあっても、その怒りは私だけに向けて。オレンジ色のバラをくれた羊介 くんなら、約束を守ってくれると信じています』
……うわぁ、そうだった。
バラを贈ったんだった。
あのころはそれが精一杯だった、オレンジ色のバラを。
顔がほてって、真っ赤になっているのが自分でもわかる。
周りに誰もいなくてよかった。
いや、誰かがいたら、こんな大事な手紙を開くわけはないんだけど。
だって、誰の目にも触れさせたくないんだ。
たとえ手紙の文字ひとつでも俺だけのもので、誰とも共有したくないんだから。
「信じています、か」
最後の一行を、声を出して読んでみる。
オレンジ色のバラの花言葉は「絆」「信頼」。
おねえさんが忘れずにいてくれて、本当に嬉しい。
「いいよ。約束してやるよ」
独り言をつぶやきつつ、俺は一枚、便箋 をめくった。
だから、
ぶん殴る程度で我慢した。
ドガっ、ガスっ!
……意外にいい音が出ちゃったな。
「うぉーい?ドア壊すなよー。入っていいぞー」
間延びした許可をもらったので、勢いよくスライドドアを開ける。
「い、1年A組、
声が裏返ってしまったけれど、そんなことに構う暇もなく職員室を見回した。
……どの人が「田之上先生」だろう。
「新入生が音楽の先生になんの用事だ?部活紹介なら明日だぞ」
手前に座る教師が、不思議そうに俺を振り返る。
「1年の
同時に、奥側の席からシュバッ!と効果音が聞こえそうな勢いで、大柄な教師が立ち上がった。
そのシルエットからすると、180センチは優に超えていそうだな。
俺と同じくらいの身長だけど、体の厚みがハンパないから迫力満点。
「
そのダジャレ、あの人が好きそうだなと思ったら、ふっと肩の力が抜けた。
「驚愕!」と額に書いてありそうな大柄な教師が、アタフタと泳ぐみたいに腕を動かしている。
「おい、ホントに部活の相談なのか?」
「いえ、プライベートなことです。卒業生からの伝言があって」
「ふーん?」
ひねり続けている首が疲れたのか、手前の教師はイスをクルリと反転させて俺に向き直った。
「田之上先生は音楽教官室が根城だから、ここにはいないぞ」
「音楽教官室?」
「音楽室の隣にあるから、行ってみたらどうだ?」
「はい、そうします!」
「いるとは限らないけどな~」
開けたのと同じくらい乱暴にドアを閉めた俺の背中を、のんびりとした教師の声が追いかけてくる。
「わっかりましたぁ。ありがとうございます!」
大声でお礼を言いながら、見つかれば陸上部から誘いが来る勢いで、俺は廊下をダッシュした。
「廊下は走るなよ~、なるべくな~」
遠く聞こえてくる注意に、走りながらふっと笑ってしまう。
なるべくってなんだろう。
未練をズルズル引きずって目指した高校だけど、うん、けっこういい学校だな。
あの人との出会いは、俺にとって良い縁ばかりを運んでくれるんだって、改めて思う。
たとえそれが、切り刻まれるような渇望とともにあったとしても。
さっきは気がつかなかったけれど、音楽室の隣には、確かにもうひとつ部屋があった。
「音楽教官室」の札が下がるドアを、深呼吸ののち、軽くノックしてみる。
が、返事はない。
職員室にもいなかったし、あとはどこを探したらいいんだろう。
不安な気持ちを抱えながら、念のためにもう一回、ドアを叩いた。
「ふぉ~い」
返されたのん気な返事に、ちょっと気が抜ける。
「失礼します」
なんて礼儀正しくドアを開けたけど、本当は余裕なんてない。
だって、そうだろう?
待ちぼうけを食らっていたこの三年間。
今年でやめよう、今月で捨てよう、今日忘れようと思いながら、あるのかないのかわからない約束にすがって、この高校に入学したんだから。
「1年A組、
「おぅっ?!」
暴れる鼓動に震える声で名乗ったとたん、入り口に背を向けて座っていた教師が、ガタガタっとイスを蹴り飛ばすようにして立ち上がった。
「
ごま塩のうねる髪をオールバックにした、背のひょろりと高い男性教師が目を見開いている。
着てるのはスーツやジャージではなく、白のスタンドカラーシャツとモスグリーンのジャケット。それから、黒のコーデュロイパンツ。
うん、いかにも芸術家って感じ。
「ああ、キミがそうか……」
初めて会った先生だけど、懐かしい卒業生が訪ねてきたような顔をしている。
「預かっていますよ、
期待していた名前を口にした芸術家田之上先生は、デスク上に積んであったあれやこれやをせかせかと崩していく。
「えーっと、どこやったかな。この下に……、いやこっちかな?」
……もう、不安しかない。
じっと待っているのも心細くて、手伝ったほうがいいかなと迷っていると。
「なにしろ、二年以上前の話ですからねぇ」
探す手を止めない田之上先生が、不思議なことを言った。
「二年?でも、卒業したのって……」
「ああ、そうか。キミは知らないんですね。
え、浪人?
そう、なんだ。
やっぱり事情があったんだって、ちょっとほっとする。
……三年間、連絡をもらえなかった事実はなくならないけれど。
「えーっと、ないなあ……。あ、引き出しかな?」
うん。
そんな前の預かりものを、デスクの上に置きっぱなしだったとは信じたくないよ、俺も。
じりじりしながら、優雅な動作で探し続ける田之上先生を見守る。
今度はパタンパタンと、引き出しという引き出しの開閉が繰り返された。
「合格報告に来てくれたときにもらって、えーっと……。あぁっ、こんなところに!驚いたなぁ」
その大声に、こっちがびっくり。
音楽教師だけあって、張りと艶のある低音だ。
「あったあった。はい、これ」
田之上先生が一番下の引き出しから引きずり出したのは、俺の手帳に挟まっているのと同じ封筒。
受け取ってみると、表には鮮やかなオレンジ色の
「二年後、つまり今年ですね」
「入学してくれてよかったですよ、
「どんな、顔を?」
目が潤みそうになるのを、眉間と腹に力を入れて一生懸命ガマンした。
「それは、その手紙を読めばわかるんじゃないですか?若い人が、二年を経ても届けたかったものでしょう?ロマンですよねぇ」
「ありがとうございます」は声にならなくて。
俺はただ深々と頭を下げて、田之上先生の顔を見ることもできずに、音楽教官室をあとにした。
胸に抱きしめた手紙をどこで読むのかは、もう決まっている。
俺は来たときと同じように、全速力で”秘密基地”へと向かった。
誰もいない原っぱの上には、胸のすくような青い空が広がっている。
予約はしてないから、レジャーシートもウレタンマットも遠慮して、俺は草地にどっかりと座り込んだ。
ピリ、ビリビリ。
自分でも焦れるほどゆっくりと開封するのは、期待しすぎて裏切られるのが怖いから。
鼓動が強く、早くなっていく。
上手く息も吸えなくなって、浅い呼吸を繰り返した。
『
それが、目に飛び込んできた最初の言葉。
前にもらった手紙と、ホワイトボード裏の書き込みきと。
まったく同じ始まりに、なんだか涙が出そうになった。
だけど、俺はもう小学生ではない。
高校生になったんだから、絶対泣かない。
泣いてたまるか、このウソツキめ。
えっと、次、次はなんて書いてあるんだろう。
『この手紙を読んでるってことは、志望した高校に入学したんだね。おめでとう、やったね!』
なに、のんびりお祝いなんてしてるんだよ。
いや、嬉しいけど。
『怒ってるよね。だって、約束を破ったんだもの』
うん。
『でも、秘密基地のボードを調べたということは、私のことを覚えているのだと期待しちゃいます。そういえば、秘密基地のボードって、いいアイデアだと思わない?私が卒業して一年しかたってないのに、物もずいぶん増えみたい。これ以上派手になると怒られそうだけど。
もー、話があっちこっちするのは変わってねぇなぁ。
『実は
……うわぁ、そうだった。
バラを贈ったんだった。
あのころはそれが精一杯だった、オレンジ色のバラを。
顔がほてって、真っ赤になっているのが自分でもわかる。
周りに誰もいなくてよかった。
いや、誰かがいたら、こんな大事な手紙を開くわけはないんだけど。
だって、誰の目にも触れさせたくないんだ。
たとえ手紙の文字ひとつでも俺だけのもので、誰とも共有したくないんだから。
「信じています、か」
最後の一行を、声を出して読んでみる。
オレンジ色のバラの花言葉は「絆」「信頼」。
おねえさんが忘れずにいてくれて、本当に嬉しい。
「いいよ。約束してやるよ」
独り言をつぶやきつつ、俺は一枚、