塞翁が馬過ぎる

文字数 4,511文字

 卒業式典が終了した校舎内は、ミニ文化祭のように賑わっていた。
 クラスで盛り上がったり、各部活で集まって、後輩と一緒になって騒いだり。
 スイブは卒業生も在校生も入り混じって、音楽室でミニライブを開催するのが恒例だ。
「ゆっきー、今日、何時までいる?夜までいて、みんなとご飯も食べて帰る?」
 こうしてアイ子と音楽室へ向かうのも今日が最後だと思うと、胸に込み上げてくるものがある。
「ううん。名残惜しいけど、まだ試験が残ってるから。一曲吹いたら帰るよ」
「そっか。じゃあ、あたしもそうしようかな」
「アイ子は第一志望受かってるんだから、いればいいのに」
「ゆっきーいないのに意味ないじゃん。……お別れやだよぅ、ゆっきー!」
「アイ子ちゃんっ」
 音楽室の入り口でアイ子と抱き合って別れを惜しんでいると、いきなり後ろから肩をつかまれた。
「え?」
「ジャマ。早く入れよ」
「これはこれは」
 私の背後を見上げたアイ子の口の端が、皮肉げに(ゆが)んでいる。
「さっさと推薦を決めて、スイブの後輩を卒業まで導いてくださったトランペットパートリーダー、市島さまではございませんか」
「んだよそれ。相変わらずムカつくヤツだな。ほら、さっさとしろって。後ろ詰まってんだろ」
「行こう、アイ子」
 元カレ市島くんの手から逃げるように、小走りで音楽室に入る。
「ゆっきー、勝率どう?」
 クラリネットのリードを調節していた三木本君は、今日もいい笑顔。
「うーん、滑り止め1校止まり。ちょっとピンチ。……隣、座ってもいい?」
「もちろん。よし、ここで発散させて、後半ファイトだよ!」
「ありがとう!」
 柔和な応援に励まされていたら「ちょっとそこ詰めて」と、イスを片手に市島くんが間に割り込んできた。
「なにおまえ、第二志望落ちたの?」
 この人は、どうしてこうデリカシーが無いのだろう。
「うん、まあね」
「そっか。ま、そういうこともあんだろ。後半気合入れてけばいいじゃん」
 おや、意外。
 「ダセー」くらい言われるかと思ったのに。
「ありがと」
「ミッキーに言ったのとトーン違くね?」
「二回目だからね」
「おまえなぁ、ほんとそいうとこ」
「はーい、では卒業演奏会を始めまーす。先輩方、卒業おめでとうございます!」
 現役の部長の一声が、市島くんとの会話を途切れさせてくれる。
 指揮者の合図でトランペットを構えると、音楽室の空気がピンと張り詰めていった。
 大好きなこの瞬間を味わうように、大きく息を吸う。
 タクトが踊ればパンっ!と弾けるように、流れるように、管楽器たちの音が重なり、音楽室を満たしていった。
 
 感無量の演奏を終えて帰り支度をしていると、手元に影が差した。
 見上げれば、いつの間にか隣に立っていた市島くんが、こっちをのぞき込んでいる。
「帰んの」
「帰るよ。まだ試験が残ってるし」
「あのさ、よかったらこのあと……って、それなに」
 市島くんが一歩詰め寄ってきて、手帳で予定を確認する私に険しい目を向けてきた。
 手帳にはさんでいる、カエルデザインの便箋(びんせん)見咎(みとが)めたらしい。
「あのガキからの?」
 元カレから難癖をつけられるのも嫌なので、急いで手帳をしまおうとしたのだけれど。
「あっ、なにするの!」
 カバンに無理やり手を突っ込んできた市島くんが、手帳を奪って、カエルの手紙を抜き取った。
「返してよっ」
 私の大声に、音楽室中の注目が集まる。
「こんなもん持っててどうすんだよ!」
「あなたに関係ないでしょう」
「マジでショタコンかよ!キモいことしてんじゃねぇよっ」
「あ!!」
「フザケンナよ」
 ビリビリと破かれていく手紙を見て、市島くんの声が遠くなった。
 動かなくちゃ。
 返してもらわなきゃ。
 そう思うのに、ただその手元を呆然と見つめることしかできなくて。
「うぇ?!……イッチー、さすがにそれって」
「三木本までうっせぇよっ」
 市島くんは三木本君をにらむと、声も出せずにいる私の目の前で、破いた手紙を握りつぶした。
「かえ、して」
「もう読めねぇよ」
「それでもいい。返して!」
 舌打ちした市島くんが、音楽室を出て行こうとする。
「どこ行くの!返してったらっ、……きゃっ」
 その腕をつかんで追いすがろうとしたけれど、乱暴に振り払われて尻もちをついてしまった。
「ゆっきー、大丈夫?!……いちじまぁ!!」
 駆け寄ってきたアイ子の怒鳴り声が辺りに響き渡るけど、市島くんは振り向きもしない。
「手紙、手紙が」
「ちょっと萌黄(もえぎ)、顔真っ青だよ!」
「僕、イッチー追いかけてくるから!」
 普段、あまり素早く動くことのない三木本君が走り出していく。
 でも、やっと起き上がって、ふたりを追いかけようとした私に、神様は味方をしてくれなかった。
「ごめん、ゆっきー」
 戻ってきた三木本君が、申し訳なさそうに目を伏せる。
「追いかけたんだけど、イッチーあの手紙、技術員さんとこの簡易焼却炉で燃やしちゃってた」
「あのヤロウ!」
 震えるアイ子の握り(こぶし)を、なんだか他人事(ひとごと)のような気持ちで眺めていた。
 ああ、もうあの手紙は読めないんだな。
 そう思ったら、心のどこかが崩れ欠けてしまったような気がする。
 一生懸命な文字と、慕う気持ちがあふれている文面。
 読むたびに心が温かくなって、前を向く気持ちを後押ししてくれてたのに。
 こんなことになるなら、合格するまでと意地を張らないで、連絡をしておけばよかった。
 せめてスマホに登録しておけば。
「私が、悪い……」
「なに言ってんのっ!」
 アイ子ががっつりと両肩をつかんで、力任せに揺すってくる。
「しっかりしろ萌黄(もえぎ)!悪いのはアイツに決まってんだよ。三木本っ、市島どうした!」
「……帰った」
「帰ったぁ?!あのゴミムシヤローめっ。萌黄(もえぎ)、今すぐヤツの連絡先ブロックしろっ。いや、それじゃ生ぬるいな。削除だ、削除!」
 せっかくの卒業式なのに、みんなが集まってくれているのに。
 お祝いの雰囲気を台無しにしたことをお詫びして、そのままアイ子に付き添われて帰路についた。


 多分、そのときの「アイ子」さんよりも、今の俺の(こぶし)のほうが震えていると思う。

羊介(ようすけ)くんの携帯番号はわからなくなっちゃうし、浪人なんかもしたし。長い間、約束を果たせなくてごめんなさい。でも、どうしても伝えたかったの。羊介(ようすけ)くんと過ごしたあの時間が、とても楽しかったこと。カエルの手紙は本当に嬉しかったこと。羊介(ようすけ)くんがくれた花束が、ずっと私を支えてくれたこと。9本のバラの、”いつもあなたを想っています”の花言葉は、私も羊介(ようすけ)くんに贈りたかった言葉です』

「……あぁ~……」
 体中の酸素全部が出ちゃうんじゃないかと思うほどの、大きなため息が出た。
 それと同時に、心臓がドコドコと音を立てて鳴り始めているのに気がつく。
 おねえさんはウソツキじゃなくて、冷たくもなかったんだ。
 それがわかってほっとして、嬉しくて、嬉しくて。
 この三年間、ぽっかりと空いていた胸の穴が一瞬で埋まった。
 でも、残念だったのは……。
「やっぱり勘違いしてる。”あなたを想ってます”のほうじゃねぇよ。次に会えたら訂正しなくちゃな」
 つぶやきながら、俺は手紙を読み進める。

羊介(ようすけ)くんのことを忘れたことはなったよ』
 
 ずっと聞きたかった問いの答えに、もう泣きそう。
 俺はおねえさんのなかから消えていたわけじゃなかったんだ。

羊介(ようすけ)くんとの約束を守るためにも、必死で一年間、頑張りました。落ち着いてから、あのスイミングスクールにも行ったんだよ?だけど、羊介(ようすけ)くんはやめちゃったあとだったの』
 
 この高校に入ると決めた俺は、塾に行かせてもらうために、中2の夏にはスクールをやめている。
 そのころ、ちょっと成績が足りなかったから。
 けど、もう少し待てばよかったな。

『おうちに手紙を出そうかなとも思ったんだけど、ちょっと心配になってきちゃって』

 何をだよっ。
 素直に手紙を出してくれてたら、こんなに()れずにすんだのに。
 こんなに、会えない時間を過ごすことはなかったのに。

『お世話になったコーチがね、”羊介(ようすけ)は変わっちゃったよ~。背も伸びたし、かっこよくなっちゃってモテまくり。ここまで見学に来るJCたちもわんさかいるんだよ。世話を焼いていたお姉さんとしては、鼻が高いんじゃない”って言ってたから。羊介(ようすけ)くんは中学校生活を満喫してて、カノジョもいるかもしれない。そこに、ちょっと交流があっただけの年上の女から、いきなり手紙が来たら迷惑かもって思って』

「あのヤロウ……」
 ぐしゃっと手紙を握りつぶしたい気持ちを、必死で(こら)える。
 あんのボケコーチめ!
 今度会ったら、プールに突き落としてやる!
「よっけーなこと言いやがってっ」

『でも、この手紙を読んでくれてるってことは、迷惑ではないんだね。よかった。ごめんなさいは直接言えたら嬉しいな。会いたいよ、羊介(ようすけ)くん』

「うん、俺もだよ……」
 小学生のときにもらった、あの最初の手紙のように。
 まだ色()せていない萌黄(もえぎ)色の便箋(びんせん)を、俺はぎゅっと抱きしめる。
「んで?どうやって連絡取ったらいいんだろ」
 再度手紙に目を落としたとき、俺はなんというか、こんなに喜びと絶望をいっぺんに味わったことはないなぁなんて、しみじみ思った。

羊介(ようすけ)くんが入学した年の夏になったら、OB訪問で高校に行きます。そこで会えるかな。入るのは水泳部かな?ほかの部活もありうるよね。訪問初日に、職員室で確認するね』

「なんっでだよ!ここにケー番、書いときゃいいいじゃねぇかっ。それともなにか?すっかりアナログ人間か?!」
 ああ、そうだ。
 おねえさんはこういう人だった。
 しっかりしてて、計画性があって賢い。
 なのに、肝心なところが抜けてたりするんだ。
「うっかり屋さんが治ってねぇなあ」
 だから、あんな粗暴で嫉妬深いダメンズにつかまるんだよ。
 まさか、今も関係があったりしねぇだろうな。
 連絡先はブロックしたみたいだけど、ホント心配。
「優しいのはおねえさんだろっ。全部アイツのせいなのに、自分が悪いって謝るとか、どんだけお人好しだよ。……あー、クソっ、長すぎだろ」
 この手紙が書かれてから、もう二年もたっている。
 今年の夏に高校に来るというけれど、恋人がいない保証はない。
 深呼吸しながら草地に寝っ転がると、春の野原の香りが胸を満たした。
 そうして、青が強くなった空を見上げて決意する。
 今度会うことがあったら、とりあえずコーチはプールに沈めて、アイツは殴ろうって。
 おねえさんとの約束を破るつもりはない。
 怒って報復するわけじゃなくて、ただの因果応報ってやつだ。
 おねえさんは……。
 胸に浮かぶのは高校生のおねえさんで、だったら俺がカレシだっていいじゃんって思う。
 けど、現実は違う。
 三年間で俺の背がこれほど伸びたように、おねえさんも変わっているかもしれない。
 夏まで待たなきゃダメなのか。
 会いたい。
 今すぐ会いたいよ、萌黄(もえぎ)おねえさん。
 手紙を握る手を胸に乗せて、静かに目を閉じると、頬に雫が伝い落ちていく。
 でも、それは涙なんかじゃない。
 泣いてなんかいない。
 おねえさんに置いていかれたあのときと同じで、急に雨が降ってきたんじゃないかな。
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